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台風一過とミヤマカラスアゲハ 2008/09/20(その2)
 18日の夕方から深夜にかけて、宮崎県の南部海上を台風13号は東へと抜けて行った。

 いろいろと台風に備えてみたものの、コスモスとヒガンバナが倒れてしまったくらいで、風もそれほど吹き荒れたようでもない。おかげで夜はどっぷりと熟睡できた。一番心配していた、3メートルもの背丈に育ったケナフは、脚立を柱にしてビニールひもでくくっておいたのだが、これも無事だった。

 19日の朝、縁側に出てみると台風一過の晴天。その青空のなかにくっきりと霧島山が浮き上がって見えた。空気がとても澄んでいるのだろう、霧島山の高千穂岳の山容が綺麗だった。
 
 さて、過去10年以上、ぼくは医者要らず、だった。
 病院にはよく行ったが、それはいつも子供を連れてのこと。つまり小児科。いや、ほんとに子供と病院にはよく行った。子供をもつご家庭はどこでもそうだろうけれど。
 しかし、19日の午前中、10数年ぶりにぼくは自らの診察を受けに病院へと赴いた。2ヶ月前に、町の健康診断をこれも10数年ぶりに受けて、その結果、というか予想通りに、重症高血圧との忠告を受けたからである。ま、それとアルコールの摂取量オーバー。これはこの夏からけっこう自重して、まずは晩酌を止めている。
 あれほど何処の焼酎が旨いのかんの、徹夜の撮影待機でもグラスから手を離せないなどと、まさに酒好きで通してきた自分だが、ちょっとアルコールに関してはおとなしくなりたい、と思った。
 もっとも、酒を断つ、というほど深刻に思い詰めているわけではない。おいしい料理に、酒は必須。週に2日ほどは飲酒を楽しむし、会食の場で酒を断ったりはしない。
 今年でぼくも50歳。降圧剤を服用するはめになって、この年令を実感するとは少し残念だ。しかし、高血圧を抱えたままでは、いつなんどき大病に至るやもしれない。
 そのような事情もあって、先月のこと、自ら自分の頭を丸刈りにした。丸刈りは生まれて初めてのこと。最初は丸刈りにするつもりはなかったが、スキカルで刈っていくうちに、気持ちが変わった。失敗という言い訳も成り立つが、ほんとうは気持ちの転換にしたかったのだろう。こっれほど明解な気分転換もあるまいなあ、と思った。

 昆虫写真家として、死に瀕するもっとも危険な事態というのは何だろう?

 それは国内だと、まず交通事故死を筆頭に、スズメバチに刺されてのショック死、マムシに首から上部を咬まれて心臓発作での死亡、あるいはマダニに刺されてのツツガムシ病、高い樹上、崖からの転落死、、、、くらいかな、と思っていた。野外のキノコはまず絶対食べないので、キノコ毒で死ぬことはない。海外ともなるとまったく予想もつかないが、当分、ぼくは海外には出ない。
 日々、そのような死に至る事態をときどき想像してみるほど気が弱いくせに、飲酒習慣についてはずいぶんと、ふてぶてしい態度だったように思う。
 自らの体内というもっとも近い場所に、死亡につながる危険因子が潜んでいたわけで、これは自分の努力で少しは何とかコントロールせねば。
 つらつらと、そのようなことを考えながら、台風一過でほとんどなぎ倒された庭のヒガンバナを眺めていると、フワリ、フワリと黒いアゲハが数匹やって来た。
 いつものモンキアゲハかナガサキか、あるいはカラスかな、と思っていると、目の前の花に来ている1匹は、ミヤマカラスアゲハだ(写真下)。しかも、翅はどこも擦れておらずピカピカに輝いている。

 わが家にミヤマカラスアゲハが飛来したのを見るのは、これが初めて。そう遠くない山に産地があるとはいえ、こうして飛来する頻度はきわめて低いと思う。できればうちの林のカラスザンショウに産卵してくれんかな。キハダはない。ないが、来てくれるなら、植えてもいい。

 「昆虫が私を幸せにしてくれます」、などと先日テレビのなかで格好つけて喋ったりしたが、高血圧症に悩むよりか、キハダの種子をどこで入手しようかと悩む時間のほうが今は優先するのであった。

新開 孝

親に似ず 2008/09/20(その3)
 

 家屋の南側にあたる庭の中央部は、刈り込みの回数を年に数回程度に抑えている。
 
 したがって、その中央部分は、他の草地とは植物の顔ぶれも違った、いわば離れ孤島となっている。その場所で先日、少し時間を割いてみた。腰をおろしてじっくり眺めていると、やがて普段はけっして気付きようもない、小さな虫たちの日常が営まれているのが見えてくる。

 そのなかでも、タデの花に見え隠れしていた、ハリカメムシの幼虫たち。おそらく、2令と3令の若い幼虫たちばかりだろう。それが、ほんとによく目を凝らしていないと、すぐに姿をフッと見失ってしまうほどに存在があやふやなのだ。体が小さいこともあるが、主にその理由は、体色が前後に分断されたツートンカラーであることによる、と思う。

 彼らの姿をしっかりと説明する写真を撮るには、背景とか光の具合とかを選ぶ必要がある。相手もじっとはしていないので、態勢が変わるたびに、こちらも寝転がったり、膝まづいたり、と苦しい姿勢転換を頻繁に行なう。まるでヨガの修行のよう、とか言えば聞こえは良いが、知らない人がたまたま通り掛かれば、気が狂ったか、としか思われないだろう。

 ハリカメムシの親は地味な褐色の小さなカメムシで、イネの害虫ともなり(斑点米)、農家にとっては憎き奴らだろうと思う。ま、イネの害虫ともなるが、普段はイネ科やタデ科の多くの草を餌としている。このカメムシの子らの姿は、まったく親には似ていない。どこをどうねじ曲げても、親の姿につながっていかない。
それが脱皮を繰り返すたびに変化していくが、最後の終令になってもまだ、親の姿を想像することは不可能に近い。

新開 孝

瑠璃色 2008/09/14
 昨日のタイワンツバメシジミの記事に追加しておこう。

 タイワンツバメシジミのオスの翅表は瑠璃色に輝く。その姿を撮影しようと思えば、午前中がいい。一昨日の朝はそういうわけで、近所のススキ原へと出直してみた。
 案の定、朝日が射し込むススキ原のあちこちで日光浴するタイワンツバメシジミの姿があった。写真のオス(写真上)はすでに鱗粉が少し落ちているが、オスでもまだ新鮮な個体が見られた。

 彼らが飛翔するのはススキ原の中の低い位置だが、その飛翔活動空域の中にカメラを置いて撮影してみた(写真中)。地面にカメラを置いてあるので、ススキの根際に生えるナンバンギセルをも見上げるような画角になる。タイワンツバメシジミたちは、おもにこのような空間を上下左右とジグザクに飛翔する。オスはメスや、吸蜜のための花を探し求め、メスは主に産卵のためのシバハギを求めて舞う。
 タイワンツバメシジミは地面ギリギリまで潜り込んでいくことも多く、静止するにもススキの葉が錯綜する場所を多く選ぶので、彼らの姿を撮影するのは意外と手こずる。使用するレンズは180〜200ミリクラスのマクロレンズがあれば容易に撮影できる。

 昨日も書いたように、ススキ原の背丈は全体に低い。ここでは定期的に草刈り作業が入るからだ(写真下)。もともとは照葉樹林だったところを切り開き、そこへサクラや様々な植栽樹を植えたのだろうと思う。したがってここの草原は、人為的介入の結果、維持されている。
 シバハギは関東以南の西日本に広く分布しているようだが、近年はかなり減少したと言われている。タイワンツバメシジミもその結果、あちこちで数を減らしているようだ。唯一、例外の地が屋久島のようだ。屋久島にはシバハギがたくさん生えているという。ぼくは9月のこの時期にも屋久島を訪れたことがあるが、シバハギには気付かなかった。

 近所のタイワンツバメシジミ生息地も、もしも人が草刈り管理などを放棄し、そのまま放置されてしまったらどうなるだろうか?
 
新開 孝

タイワンツバメシジミ 2008/09/13(その1)
 一週間ぶりに更新。
 
 さて、いろいろと紹介したいことがある中、今週はタイワンツバメシジミとショウリョウバッタモドキの2種に絞ってみた。まずは、タイワンツバメシジミから。

 タイワンツバメシジミは、本州では紀伊半島南端の一部のみ、四国では徳島、高知、愛媛の非常に限られた地域、そして九州では全県、さらに南西諸島の沖縄本島まで分布している。このように西日本のしかも南方地域に偏って生息していることから大方の人にとっては、たいへん馴染みのうすいチョウであろう。
 
 一方、同じツバメシジミ属のツバメシジミは、南西諸島をのぞくほぼ日本全土に分布している普通種。街中でもちょっとした緑地があれば、このツバメシジミの姿をよく見かける。ツバメシジミの食草は多種類のマメ科植物にわたり、人工的に植え付けられたシロツメクサなどのおかげで、たくましく分布勢力を広げる。
 ところが、タイワンツバメシジミの食草はマメ科植物のなかでもシバハギにのみに限定される。
 ぼくの郷里、愛媛県では、タイワンツバメシジミは南予、宇和島市の限られた場所でしか見つかっていなかった。今はどうなっているのか知らないが、たいへん希少種であることには変わりないだろう。高校生のころはずいぶんと気にかかっていたが、ぼくにとっては幻のチョウでしかなかった。

 さてさて、先日のことだ。うちの近所のフィールドへカバキコマチグモを探しに出掛けた。9月に入ってから室内でやるべき作業が増えたため、例え天気が良くても、野外に出る時間にはかなりの制約を受ける。だからその日も午後の2時間だけと決めていたのだが、肝心のカバキコマチグモの産室がまったく見つからなかった。
 カバキコマチグモの産室はススキの葉の先端部をちまき状に巻いているので、遠目でもよく目立つ。関東の武蔵野ではあちこちで見たけれど、かといってススキ原さえあればどこにでもいるわけではなく、意外と生息場所は限定されていた。
 宮崎に来てからカバキコマチグモをまだ一度も見ていない、というのはちょっと情けない、と思いつつススキ原を歩いていると、足下をヒラヒラと舞うシジミチョウがいた。翅表がブルーだ。うん?どこか飛び方が変だと思い、そのチョウを見ていると、ススキの合間を縫うように低い位置を飛翔する。
 しばらくして、ようやく葉っぱの上に静止してくれた。間近で見るその姿はツバメシジミによく似ているが、そうではなかった。ぼくとしては初めての出会いだったが、タイワンツバメシジミに違いないと確信できた(写真上/メス)。

 ススキ原をかきわけながら歩くと、それまで見かけなかったタイワンツバメシジミが次々と飛び立ち、一気ににぎやかになる。オス同士の追いかけ合いもあれば、ヒョンヒョンと足下を横切って行くもの、あるいはぼくの姿に驚いて一気に数メートル上の樹上へと舞い上がっていくものもあった。しかし、ほとんどの個体がススキ原の隙間を縫うように飛翔しており、なんでこんなせせこましい場所にこだわるのだろうか?と不思議に思えてきた。これはジャノメチョウの習性とよく似ているが、実際ここの草地にはジャノメチョウも少ないながら生息している。

 ススキ原を巡るうち、足下に目を惹く赤い花が咲いていた(写真中)。マメ科植物のこれまた初めてお目にかかる種類だ。しかもよく見れば、小さな白い卵が点々と付いている。これがもしかしたらシバハギではないか!そう感じながら佇んでいると、目の前にタイワンツバメシジミのメスがやって来て産卵を始めたのであった。

 高校生のころだから、もう30年も昔になる。その当時、なんとかシバハギを見てみたいと思っていた。チョウに夢中になればなるほど、チョウの食草や食樹のことにも興味が湧いてしかたがなかった。あれから30年かあ、、、、。

 先日、訪れたススキ原の草丈は全体に低い。高い場所でもぼくの腰あたりまでだ。けもの道の轍を辿って歩くと、シバハギがあちこちで見つかるが、シバハギはススキの下に這うように生えており、たいへん目立ちにくい(写真下)。なんとも窮屈そうに花を咲かせていると印象が強い。したがってシバハギがどの程度あるのか、多いのか少ないのか、よくはわからない。
 ただし、タイワンツバメシジミは狭い範囲にかなりの密度で見られるから、個体数もけっこうな数になるだろう。彼らがまるでススキのジャングル内をかいくぐるかのようにして舞う理由も、食草シバハギとの深い関わりを思えば、なるほどな、と感心するのであった。

 
 新開 孝

ショウリョウバッタモドキ 2008/09/13(その2)
 タイワンツバメシジミを数日前に初めて見たススキ原は、去年からすでに何度も訪れているもっとも近所のフィールドの一つ。ぼくの郷里、愛媛では幻のチョウだったタイワンツバメシジミが、ここ宮崎ではあっさりと出会えてしまった。ただし、彼らが現れるのは一年に一回の今頃だけのようだ。この旬の時期をはずすと、幻のチョウとなる、、、、。

 タイワンツバメシジミを撮影していると、パシ!パシ!とぼくの腰のあたりに次々と体当たりしては姿を隠してしまう者がいる。そいつらは、どれもこれもショウリョウバッタモドキだ。モドキと名前はついているが、ショウリョウバッタとはかなり異質のバッタで、動きがたいへん敏捷だ。そのショウリョウバッタモドキもやたらと数が多い。まるでタイワンツバメシジミと数を競い合っているかのようだ。
 彼らはぼくが睨みつけると、その視線をいち早く察知してか、クルリとススキの葉っぱの陰に身を隠す。そこで、ぼくの左手アシスタントの出番だ。辛抱強いアシスタントの誘導で、ショウリョウバッタモドキを右手に構えたカメラのレンズ前にご登場願う。
 左手アシスタントは忙しい。働き者だ。あるときは枝を押さえ、石ころをどかし、あるときはストロボを支え、あるときは逆光をさえぎり、、、、、、カメラマンのアシスタントとしては無償ながらよく頑張っている。したがってカメラは右手だけで保持することが多い。右手でカメラを握り、左手でレンズを支えるというスタイルは、意外と少ないのではないかと思う。右手は右手だけでカメラのスイッチ類の操作をこなせないと困る。だからワンプッシュ操作を歓迎する。ここのボタンを押したままで、こっちのボタンを押して、なんてのは使えない。
 結局、カメラシステムは軽くてバランスが良いものを選ぶこととなり、これから新登場してくるマイクロフォーサーズというのはどうだろうか、などと少し気になる。

 さて、ショウリョウバッタモドキの背中側はやけに派手な色をしている。
二色に塗り分けられた体は、分断色の効果で虫体の輪郭が分断され、虫体と認識しずらくなる。あるいは、ススキの葉や茎には緑色だけでなく赤く色付いた部分も多いから、そういう場所へと納まれば、すっかり姿を溶け込ませることもできるわけだ。ただし、ショウリョウバッタモドキの中には体全体が緑色タイプもいる。

 ショウリョウバッタモドキはうちの敷地のすぐ傍らの草地にも多く生息しているが、うちの敷地内に迷い込んでくることはこれまで一度も無い。あちこちにいるようで、いない。生息場所はかなり偏っている。ススキの草丈や土壌の様子など、いろんな条件に神経質なのだろうか。
 その一方、ショウリョウバッタはうちの敷地内にやたらと多い。6月の頃には、辺りの地面でふ化幼虫集団のさざ波ができるほど。そして今はちょうど産卵期だ。あまり気温が低いと見かけないが、窓を閉め切っていると寝苦しいような夜なら、地面にお尻を刺して産卵するメスを見つけることができる。
 しかし、ショウリョウバッタモドキはおそらく草深い環境で産卵するのであろうから、その産卵シーンを観察するのはショウリョウバッタに比べて難しいのではないかと想像している。


新開 孝

白いヒガンバナ 2008/09/13(その3)
 昨年の秋から冬にかけて、うちの林の下刈りを行なったことは、何度も書いたと思う。敷地の南斜面はクヌギ林だが、その林床にはササ類がびっしりと繁茂していた。ササの密生した中は昼間でも薄暗く、人が一歩足りとも踏み込む隙間さえなかった。

 この密生林にノコギリ一本で立ち向かい、今ではかなりの面積が風通しの良い開放空間となっている。さすがに今年の5月から6月にかけては、次々とササの子が
生え出し、その勢いには圧倒された。2、3日で人の背丈を凌ぐほど伸びるササの逆襲にはすさまじいものがあった。しかし、ここでくじけては数ヶ月にも及ぶササ刈りの努力も無駄になる。汗びっしょりになりながら、草刈り機を使って定期的にササを払ってきた。その効果はあったようだ。

 初夏を過ぎるころにはササの逆襲はとりあえず休止状態となった。そしてササが無くなったあとに、様々な植物が林床に現れ始めた。草本類については細かく見ていないが、ヤマノイモなど蔓植物が行き場を失ったかのように林床を這いずり回っているのがやけに目につく。うっかりすると電気配線のごとく複雑に迷走する蔓に足をとられそうになるほどだ。
 木本類の実生は、アカメガシワ、カラスザンショウ、メダラの3種が特に際立っている。これらの木本類は成長がとても速い。クヌギ、コナラの実生もよく見るとかなりあるが、草の陰に隠れて見つけにくい。

 これからどのような植物たちが登場し、また衰退していくのか、その推移を眺めるのもまた楽しみである。

 そんなうちの林に、今月に入ってからヒガンバナが突如として現れた。いったいこれまでの薄暗い閉ざされたササ薮のなかで、どうやって過ごしていたのだろうか?地下の球根のまま眠っていたのだろうか?

 しかも、そのすべてが白花である。
武蔵野ではヒガンバナの白花はかなり珍しかった。あっても白花が群れている光景をぼくは見た事が無い。ところが、三股町のあちこちではヒガンバナの白花群をよく見る。熊本や鹿児島でも白花はよく見ているから、白花の出現率が九州では高いのかもしれない。新開 孝

8月6日の記事について種名の訂正を、、、 2008/08/31
 昨日、『昆虫ある記』のバックナンバーをチェックしてみたところ、8月6日の「トリノフンダマシ」という種名の誤りに気付きました。 脱皮直後のクモは、正しくは「オオトリノフンダマシ」であり、ここに訂正します。

 ちなみに写真上が、トリノフンダマシのメス、写真中は同トリノフンダマシの卵のう。
 
 そして写真下は、オオトリノフンダマシのメスとその卵のう。

 両種の卵のうはそれぞれ球形型と紡錘型という違いがあり、卵のうを見ただけで種名がわかる。また、写真のごとく両種メスの形態もはっきりと違いがあって、普通は見誤ることもないだろう。

(写真全て/E520  35ミリマクロ+1.4倍テレコン/内蔵ストロボ)


 ※ NEW『新開孝の昆虫写真工房』HPのオープンはまだしばらく先のことですが、週に一度程度、なんらかの記事を載せるようにします。
 そのなかでオープン予定日のお知らせなどもできるかと思いますので、週に一回程度、当「昆虫ある記」をチェックしていただければ幸いです。

 バックナンバーを自分でチェックしてみると、誤りや思い違いなどがすぐに見つかります。こんなことではいかんなあ、と冷や汗かきながら、気付いたところはどんどん訂正していきます。新開 孝

新開 孝

マダラハネナガウンカ 2008/08/09
 最初はススキの葉で見つけたのだが、本種は翅を左右に一文字状に拡げ、ペタリと葉っぱに貼付いたように静止していた。しかし、一旦警戒心を与えたためか、その最初のポーズは2度と見せてくれなかった。

 ハネナガウンカの仲間は国内に何種類かいるようだが、種類によっては菌類から汁を吸って成長するものもいたりして、その形態のみならず生態についてもたいへん興味深い。

 当『昆虫写真工房』のギャラリーに「アヤヘリハネナガウンカ」の写真を載せてあるが、本種はハネナガウンカ科のなかでも最大級の大きさがあって、野外でばったり出会ったときなどは驚かされる。しかも大きな翅はシャボン玉のような光沢があってたいへん美しい。

(写真上/E-3   シグマ105ミリマクロ) 
(写真下/E-520  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

新開 孝

スケバハゴロモとハゴロモヤドリガ 2008/08/08
 スケバハゴロモが植物の茎から汁を吸っていた(写真上)。

 「透け翅ハゴロモ」という名前のごとく翅が透けている。ちなみに「スケベハゴロモ」と間違えないように。こう書くとかえって必ず間違えるものだが、、。

 さて、写真のスケバハゴロモは、見たところ特に異常なし、、、、、と一度は判断した。ところが横向きから撮った写真画像をチェックしてみると、わずかに怪しい物体が確認できた。

 そこで両翅を摘んで体側面を見てみた(写真中)。
 左腹部側面にへばりついている桃色の塊は、ハゴロモヤドリガの幼虫である。
 幼虫は頭をスケバハゴロモのお尻の方に向けてしがみついている。スケバハゴロモが飛ぼうが、跳ねようが、振り落とされることはない。もしも振り落とされるようなことがあれば、それはハゴロモヤドリガ幼虫にとっては死を意味するからだ。

 ハゴロモヤドリガ幼虫の頭を見てみた(写真下)。
 スケバハゴロモの腹部表面に口をあてがっている。しかし、どの部分からどのようにして養分を吸収しているのか、接写レベルの拡大率ではまったくわからない。しかし、おそらくスケバハゴロモの体内から養分を掠め取っていることは間違いないだろう。

 ハゴロモヤドリガ幼虫はさらに大きく成長し、そのころには体表面が真っ白な粉に覆われる。白い塊を抱えたまま、何喰わぬ顔をして過ごしているスケバハゴロモや、あるいはベッコウハゴロモたちの姿はけっこう多く見つかる。

(写真上、中/E-520   35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真下/E-3      ズイコーマクロ38ミリ+オートベローズ)

 

 
 新開 孝

オオトリノフンダマシの脱皮と交尾 2008/08/06
 糸にぶら下がったまま、脱皮中だったのは、オオトリノフンダマシのメス。
見つけたときには、頭胸部と腹部は完全に抜け、脚が半分まで抜けたところだった。野外でクモの脱皮を最初から観察する機会は滅多に無いが、こうして途中から目撃することはよくある。

 オオトリノフンダマシの脱皮を見ているうちに、いつのまにやら本種のオスが糸を伝わって降りて来た。脱皮行動に気をとられて、オスの接近にはまったく気付かなかった。あっと思う間に、メスの腹部に乗っかると、まだ脚が抜け切らないうちに交尾が始まった(写真上)。オスはメスに比べるとずいぶんと小さな体。

 風のせいで糸にぶら下がったままクルクルと回転するから、撮影はずいぶんと苦労した。クルリ、クリクラと回って腹部背面の独特な紋様が見えた(写真中)。ダランと脚を広げているところは火星人みたいだが、まだ脚がしっかりとしていないからだ。

 しばらくして脚もしっかりすると、全脚をぎゅっと縮めた姿勢となった(写真下)。

 脱皮中だったメスは、この脱皮で成体となったわけで、つまり処女であることは確実。処女誕生と同時にオスは実に見事なタイミングで彼女をしとめたことになる。メスも脱皮中とあっては、相手のオスを選ぶこともできず、好きも嫌いもなく交尾を受け入れるしかなかったのだろう。

 このような交尾の仕方はクモではよくあることなのかどうか?
例えば昆虫のチョウでは、メスが蛹から羽化した瞬間にオスが待ち構えていて即交尾に至ることが観察されている。

(写真/E-520  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

 
新開 孝

クロマダラソテツシジミ 2008/08/05(その1)
 クロマダラソテツシジミが九州の鹿児島県へと上陸してからほどなく、宮崎県南部からも次々と発見されたのは去年のこと。

 すでにこのチョウについては、さまざまな方達が調査をし、さらに多くの方がブログ等でも写真や観察文を掲載している。クロマダラソテツシジミの話題はかなり盛り上がっていたようだ。
 ぼくは多くの人が騒げば騒ぐほど、そこに背を向けるひねくれた性格の持主でもある。したがってクロマダラソテツシジミをすぐにも見てみたいとは一度も思わなかった。

 ところが先日、ある方から都井岬でクロマダラソテツシジミが発生しているとの情報をいただいた。宮崎県最南端に位置する都井岬方面はクロマダラソテツシジミに関係なく、たいへん興味を抱いている場所でもあり、去年の秋に初めて訪れたばかり。その都井岬ならば是非とも出掛けてみたくなり、それにクロマダラソテツシジミも一度は見ておこうか、という気持ちも少し湧いてきた。

 さて、現地に着くと車窓からすぐにも、ソテツに絡むようにして舞うクロマダラソテツシジミの姿が多数見られ、拍子抜けするほどだった。
 交尾カップル(写真上)も数組見られ、ソテツの若葉に産卵するメス(写真中)も容易く観察できた。産卵された卵の数も半端ではない(写真下/卵の直径0.5ミリ程度)。これではソテツの被害という状況も想像できるような気がした。クロマダラソテツシジミの幼虫による食害を見かねて、農薬散布での駆除も行なわれるそうだ。

 ソテツを巡りながらの撮影はともかく暑い。日陰で一休みしていると、足下の芝地をそこかしこに歩く、コハンミョウの姿が多かった。コハンミョウは普通種だが、ひさしぶりに見たような気がする。

(写真上/E-520  25ミリレンズ+2倍テレコン+魚露目8号)
(写真中/E-520  50ミリマクロ)
(写真下/E-3   ズイコー20ミリマクロ+オートベローズ)

 新開 孝

母虫集団を発見!! 2008/08/05(その2)
 クロマダラソテツシジミの撮影を一通り終えてから日南市方面へと向かい始めた矢先のこと。車を運転していたぼくは、一瞬その鮮やかな姿を見逃さなかった。

 「いたあ!!」

 大きな声を張り上げて、道の脇に車を停めた。車を降りると急いでいま来た道をダッシュで駈け戻る。「まさか見間違いではないよなあ〜!?」

 アカメガシワの梢を見上げると、やはりいたのであった。アカギカメムシのメス親が。しかも、あちこちの葉裏で数多くのメス親が、卵かふ化幼虫たちを抱えている最中。そのメスの数は2本のアカメガシワで総数20〜30匹以上はいたと推測できる。
 母虫たちはアカメガシワの葉裏にいるので、車道からだとまったくの死角になって気付きもしない。しかし、風のせいか一枚の葉だけが捻れて葉裏側が露出し、しかも一番色鮮やかなメスがそこにいたという二重の幸運に恵まれたのであった。

 今日、都井岬を訪れた理由には、じつはこのアカギカメムシを見つけてみたい、という下心もあってのこと。しかし、この探索はそう簡単にはいかないだろうとも覚悟していた。なにさまアカメガシワはどこにでもたくさん生えているからだ。
 
 八重山諸島での過去の観察体験や人から伺った話でも、アカギカメムシの居場所は意外と局地的であり、どのアカメガシワにでも見つかるというのではなかった。屋久島でも極めてピンポイントでしか見ていない。そんなことを思い起こせば、本来の分布地から遠く北に離れている宮崎県での探索となると、なおさらであろうと言える。

 まだ白い卵を抱えているメス(写真上)、あるいはすでにふ化幼虫を抱えているメス(写真中)、ふ化直前の卵を抱えているメスなど、ステージは様々だった。しかし、なぜかオスの姿はまったく見ていない。

 なお写真上に写っておられる方は、今回、都井岬のクロマダラソテツシジミ生息場所を案内してくれたMYさん。6月にはウラナミジャノメの生息地を案内してくれた方だ。
 MYさんはアカギカメムシは初めて見るとのことで、ずいぶんと感動なさったようだ。OLYMPUS E−420で激写しつつ、これなら絶対、他でも見つかるはず!必ず見つけると張り切っていらっしゃる。大いに成果を期待しております。

 いづれにせよ、ぼくはこの串間市のアカメガシワにこれから何度も通うことになりそうだ。

(写真上、中/E-520  8ミリ魚眼+1.4倍テレコン)
(写真下/E-520    35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

追記/
 この『昆虫ある記』に掲載されている写真は、カーソルを写真上においてクリックすれば、拡大表示(現在600×600ピクセル)できます。
 この写真の拡大表示について、まだ気付いてない方もおられる、ということを聞き及び、あらためてここにお知らせ致します。
 新開 孝

フトハチモドキバエ?、ふたたび 2008/08/04
 仕事部屋の窓にデガシラバエ科の一種が止まっていた(写真上、中)。
 夜の灯火に飛来したのかもしれない。

 5月17日にも同じデガシラバエ科の一種を撮影し紹介した(写真下)。

 5月の個体と本日の個体とでは、体の紋様に違いが見られるが、雌雄の違いであろうか?それとも別種なのか?あとで調べてみたいと思う。


 (写真上、中/E-520  50ミリマクロ)
新開 孝
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