来週4月19日(日曜日)、午後7時半~、
NHK総合テレビ番組、『街に出た名ハンター オオタカ』 が
放映される。取材撮影は、おなじみの つばめプロ さん。
人社会が優先する環境のなかで、オオタカがいかに生きているのか!?
興味ある方は是非、ご覧下さい。
さて、つばめプロさんから、番組お知らせハガキをいただいたとき、
オオタカの営巣していた林のことを思った。
所沢市の下新井という場所には広大な雑木林があって、私が29歳の頃から
そこはメインフィールドとして、ほとんど毎日のように通っていた。
アパートから車で15分と掛からないのでフィルムを切らしたときなど、
大慌てで取りに戻るなどということもできた。
水場に設置したロボットカメラは2時間ばかり所要で林から離れた隙に盗まれたこともあった。
平日はほとんど人気のない林だったが、やはり東京近郊でもあり
油断はできないと思い知った。
「無惨!昆虫写真家の卵、新開孝さん、絞殺される!」という
新聞記事の見出しが載るやもしれぬという、あわや一歩手前の恐い経験もした。
下新井の雑木林に初めて訪れた頃はゴミの投棄などもほとんどなく、
林はどこも綺麗に手入れされ、私が車を置く場所にも困らなかった。
ところが数年経たないうちに不法投棄が急激に増え始め、農家の方々も防衛策として
車の駐車を阻止するバリケードをあちこちに置くようになってしまった。
林の手入れも為されずササがはびこって荒れていく林も増えてきた。
林の変貌する姿を前にして、なんともやるせない気持ちになったものだ。
いろいろな想い出の詰まった雑木林ではあるが、主にこの林を舞台にして、
『武蔵野台地の四季』(NHK生きもの地球紀行』という番組を共同取材撮影したことも
懐かしい。もう10年も昔のことか。
林にはオオタカが営巣していて取材前から私もときどき巣の直下を歩いたりしていた。
1年半あまりの取材撮影のあいだにはいろんな出来事があった。
ある日、長野ナンバーの軽ワゴン車がオオタカの巣の近くに止めてあって驚いた。
サングラス掛けて雪駄を履いた兄ちゃんがウロウロしているので、
「ここで何しているのですか?」と尋ねると、
「釣り、釣り、釣りだよ。」と私の質問をはぐらかすように兄ちゃんはぶっきらぼうに答えた。
車の中を覗いてみれば、大きな竿網やらロープやらといかにも怪しい道具が載っていた。
他にも不可解な事件もあったりして、鳥に関わる撮影は昆虫の場合よりいかに
厄介な問題を孕んでいるかを体験した。
アオゲラの繁殖の撮影ではずいぶんと苦労したが、私と平野さんが交替で巣に張り付いた。
巣立ちのシーンを私が撮影したときには、平野さんからずいぶんと褒められて嬉しかった。
真冬の水場の撮影も、平野さんと私が日替わりでブラインドに篭った。
「お疲れさん!今日はどうでした?」とお互いが昼の弁当の差し入れをするたびに
成果を尋ねる。
「凄かったよ!!今朝はコジュケイが来てさあ!次々と手水に飛び乗ってきたよ。」
手水の水場でコジュケイの群れを撮影したときの興奮と感激は、
いろんな想い出の中でもとくに私にとっては忘れがたい出来事だった。
ガサゴソと藪の中から音がし始め、最初のコジュケイが姿を現す前から
私はビデオカメラを回し始めた。もうその時点で胸はドキドキと激しい鼓動を打ち、
足はガタガタと震えていた。手の震えがカメラに伝わるのではないかと心配したほど。
先日、その懐かしいビデオの冒頭部分だけを観てみた。
春風に舞うヤマザクラの花吹雪は、壮観だった。
私がパジェロの運転をし、車の天井で平野さんがカメラを担当した、
林の移動撮影の絵も、早春の芽生えが鮮やかに光輝くシーンだった。
パジェロをゆっくり始動したあとエンジンを切り惰性走行の間に
撮影をするというやり方だった。何度もNGを出してこれを繰り返したものだ。
エンジンを切ると途端にハンドルが重くなるので、ずいぶんと緊張した。
だが、しかし、あの壮大なヤマザクラの花吹雪の光景も、
雑木林を背景にした綺麗な桑畑の並んだ光景も、
いづれも今は跡形もない。
NHK総合テレビ番組、『街に出た名ハンター オオタカ』 が
放映される。取材撮影は、おなじみの つばめプロ さん。
人社会が優先する環境のなかで、オオタカがいかに生きているのか!?
興味ある方は是非、ご覧下さい。
さて、つばめプロさんから、番組お知らせハガキをいただいたとき、
オオタカの営巣していた林のことを思った。
所沢市の下新井という場所には広大な雑木林があって、私が29歳の頃から
そこはメインフィールドとして、ほとんど毎日のように通っていた。
アパートから車で15分と掛からないのでフィルムを切らしたときなど、
大慌てで取りに戻るなどということもできた。
水場に設置したロボットカメラは2時間ばかり所要で林から離れた隙に盗まれたこともあった。
平日はほとんど人気のない林だったが、やはり東京近郊でもあり
油断はできないと思い知った。
「無惨!昆虫写真家の卵、新開孝さん、絞殺される!」という
新聞記事の見出しが載るやもしれぬという、あわや一歩手前の恐い経験もした。
下新井の雑木林に初めて訪れた頃はゴミの投棄などもほとんどなく、
林はどこも綺麗に手入れされ、私が車を置く場所にも困らなかった。
ところが数年経たないうちに不法投棄が急激に増え始め、農家の方々も防衛策として
車の駐車を阻止するバリケードをあちこちに置くようになってしまった。
林の手入れも為されずササがはびこって荒れていく林も増えてきた。
林の変貌する姿を前にして、なんともやるせない気持ちになったものだ。
いろいろな想い出の詰まった雑木林ではあるが、主にこの林を舞台にして、
『武蔵野台地の四季』(NHK生きもの地球紀行』という番組を共同取材撮影したことも
懐かしい。もう10年も昔のことか。
林にはオオタカが営巣していて取材前から私もときどき巣の直下を歩いたりしていた。
1年半あまりの取材撮影のあいだにはいろんな出来事があった。
ある日、長野ナンバーの軽ワゴン車がオオタカの巣の近くに止めてあって驚いた。
サングラス掛けて雪駄を履いた兄ちゃんがウロウロしているので、
「ここで何しているのですか?」と尋ねると、
「釣り、釣り、釣りだよ。」と私の質問をはぐらかすように兄ちゃんはぶっきらぼうに答えた。
車の中を覗いてみれば、大きな竿網やらロープやらといかにも怪しい道具が載っていた。
他にも不可解な事件もあったりして、鳥に関わる撮影は昆虫の場合よりいかに
厄介な問題を孕んでいるかを体験した。
アオゲラの繁殖の撮影ではずいぶんと苦労したが、私と平野さんが交替で巣に張り付いた。
巣立ちのシーンを私が撮影したときには、平野さんからずいぶんと褒められて嬉しかった。
真冬の水場の撮影も、平野さんと私が日替わりでブラインドに篭った。
「お疲れさん!今日はどうでした?」とお互いが昼の弁当の差し入れをするたびに
成果を尋ねる。
「凄かったよ!!今朝はコジュケイが来てさあ!次々と手水に飛び乗ってきたよ。」
手水の水場でコジュケイの群れを撮影したときの興奮と感激は、
いろんな想い出の中でもとくに私にとっては忘れがたい出来事だった。
ガサゴソと藪の中から音がし始め、最初のコジュケイが姿を現す前から
私はビデオカメラを回し始めた。もうその時点で胸はドキドキと激しい鼓動を打ち、
足はガタガタと震えていた。手の震えがカメラに伝わるのではないかと心配したほど。
先日、その懐かしいビデオの冒頭部分だけを観てみた。
春風に舞うヤマザクラの花吹雪は、壮観だった。
私がパジェロの運転をし、車の天井で平野さんがカメラを担当した、
林の移動撮影の絵も、早春の芽生えが鮮やかに光輝くシーンだった。
パジェロをゆっくり始動したあとエンジンを切り惰性走行の間に
撮影をするというやり方だった。何度もNGを出してこれを繰り返したものだ。
エンジンを切ると途端にハンドルが重くなるので、ずいぶんと緊張した。
だが、しかし、あの壮大なヤマザクラの花吹雪の光景も、
雑木林を背景にした綺麗な桑畑の並んだ光景も、
いづれも今は跡形もない。