うちの林で毎年、よく見かけるのがクチバスズメの幼虫。
よりによって庭の小さなクヌギに必ず卵が産みつけられている。
幼虫は大きな体になるが、卵もでっかいのでよく目立つ。
ああ、今年も卵産んだな、と卵に気付いてからいつもそのことを忘れてしまう。
ふと思い出した頃に小さなクヌギを覗き込んでみれば、でっぷり肥えた芋虫がいた。
写真では驚いて体を縮めているが、おもいきり伸長すると最大で15センチほどの体長と
なる。
さて、オリンパスのストロボFL36R(下写真、画面右)は手持ちのクリップオンタイプの
ストロボではもっとも活躍してくれるスレーブ内臓の優れたストロボ。電源も単三2本なので
軽いし、予備電池の数も少なくて済む。
ところで、池や川など水中にカメラを入れる撮影は、できるだけ自然光で行いたいが、
条件によってはストロボが必要になることもある。
今、EPL-1用の水中ハウジングを製作依頼しているところだが、このハウジングで使用
できる水中専用のストロボも用意した。
写真画面左の赤いストロボがINONのS-2000、という水中ハウジング専用ストロボ。
FL36Rと比べてほぼ同じ程度の大きさだが、電源は単三4本。
小型ながらマニュアル発光量は12段階調光できるし、もちろんスレーブ機構内臓。
フル発光させてもチャージ時間はきわめて短い。
だいぶ昔1996年のこと、屋久島の浅瀬に潜って海の生物を撮影したことがある。
カメラはニコノスⅤ。ウェットスーツも水中カメラのニコノスも借りたものだったが、
ウェイトが無くて撮影にはたいへん苦労した。ウェイトがいかに大事なものか身にしみた。
ニコノスⅤはレンジファインダー式のため、とくに接写撮影はやりづらかった。
この手のカメラの操作体験が無かったので、まるで素人そのもの。
接写装置のアームを被写体のへばりついている岩などに押し付けると、
アームからの反動でレンズがはずれそうになり、ヒヤヒヤさせられたり、
ともかく撮影の成果は悲惨なものだった。
この撮影の経験をきっかけに、水中撮影というものに俄然興味を抱き、
水中ハウジングシステムやドライスーツまで、いろいろ調べてその気になっていた。
ところが水中ハウジングや水中専用ストロボのメカそのものに興味が向いてしまい、
結局、では水中撮影と言って何を撮るのか?という疑問に立ち返り、
あっさり水中撮影入門の扉を閉じてしまったのであった。
それから14年。
INONのS-2000を手に乗せて、屋久島の海辺で過ごした日々を懐かしく思い出した。
よりによって庭の小さなクヌギに必ず卵が産みつけられている。
幼虫は大きな体になるが、卵もでっかいのでよく目立つ。
ああ、今年も卵産んだな、と卵に気付いてからいつもそのことを忘れてしまう。
ふと思い出した頃に小さなクヌギを覗き込んでみれば、でっぷり肥えた芋虫がいた。
写真では驚いて体を縮めているが、おもいきり伸長すると最大で15センチほどの体長と
なる。
さて、オリンパスのストロボFL36R(下写真、画面右)は手持ちのクリップオンタイプの
ストロボではもっとも活躍してくれるスレーブ内臓の優れたストロボ。電源も単三2本なので
軽いし、予備電池の数も少なくて済む。
ところで、池や川など水中にカメラを入れる撮影は、できるだけ自然光で行いたいが、
条件によってはストロボが必要になることもある。
今、EPL-1用の水中ハウジングを製作依頼しているところだが、このハウジングで使用
できる水中専用のストロボも用意した。
写真画面左の赤いストロボがINONのS-2000、という水中ハウジング専用ストロボ。
FL36Rと比べてほぼ同じ程度の大きさだが、電源は単三4本。
小型ながらマニュアル発光量は12段階調光できるし、もちろんスレーブ機構内臓。
フル発光させてもチャージ時間はきわめて短い。
だいぶ昔1996年のこと、屋久島の浅瀬に潜って海の生物を撮影したことがある。
カメラはニコノスⅤ。ウェットスーツも水中カメラのニコノスも借りたものだったが、
ウェイトが無くて撮影にはたいへん苦労した。ウェイトがいかに大事なものか身にしみた。
ニコノスⅤはレンジファインダー式のため、とくに接写撮影はやりづらかった。
この手のカメラの操作体験が無かったので、まるで素人そのもの。
接写装置のアームを被写体のへばりついている岩などに押し付けると、
アームからの反動でレンズがはずれそうになり、ヒヤヒヤさせられたり、
ともかく撮影の成果は悲惨なものだった。
この撮影の経験をきっかけに、水中撮影というものに俄然興味を抱き、
水中ハウジングシステムやドライスーツまで、いろいろ調べてその気になっていた。
ところが水中ハウジングや水中専用ストロボのメカそのものに興味が向いてしまい、
結局、では水中撮影と言って何を撮るのか?という疑問に立ち返り、
あっさり水中撮影入門の扉を閉じてしまったのであった。
それから14年。
INONのS-2000を手に乗せて、屋久島の海辺で過ごした日々を懐かしく思い出した。