まだ秋だ、いやもう冬だよ、とあれこれ言ってみても、
季節のうつろいにはっきりとした境界線があるわけでもない。
三股町、上米公園の片隅に残された林のなかにポツンと大きなコナラがあった。
これほど大きなコナラがあることに今日、はじめて気付いた。
公園といえば、ともかくツツジだのサクラだの、あるいはアジサイだのと、
華々しい花を咲かせる木々ばかりをそれこそ何千本、何万本と植えたがる人々が多い。
しかし、こうした地味だが季節感の漂うコナラの大木の前で足を止める人は数少ない。
なぜ何千本、何万本もの花を並べたがるのか?私には理解できない。
もともとそういう光景があって、それを再現しようというものでもないだろう。
今日、これまで見落としていた、ささやかな自然環境、フィールドを見つけた。
そこでは地面からニョキニョキと口紅のようなツチトリモチがたくさん並んでいた。
しかし、この場所も上米公園というじつに人工的な公園の片隅に追いやられた場所に
過ぎない、まさに猫の額。
こんな環境が数十倍、いや数倍の面積もあれば、それこそ多様な生物が棲みつく
場所になるだろう。
人々はなぜか多様なる生物社会を否定する傾向にあるように思える。
この話は長くなるのでいづれまた。
季節のうつろいにはっきりとした境界線があるわけでもない。
三股町、上米公園の片隅に残された林のなかにポツンと大きなコナラがあった。
これほど大きなコナラがあることに今日、はじめて気付いた。
公園といえば、ともかくツツジだのサクラだの、あるいはアジサイだのと、
華々しい花を咲かせる木々ばかりをそれこそ何千本、何万本と植えたがる人々が多い。
しかし、こうした地味だが季節感の漂うコナラの大木の前で足を止める人は数少ない。
なぜ何千本、何万本もの花を並べたがるのか?私には理解できない。
もともとそういう光景があって、それを再現しようというものでもないだろう。
今日、これまで見落としていた、ささやかな自然環境、フィールドを見つけた。
そこでは地面からニョキニョキと口紅のようなツチトリモチがたくさん並んでいた。
しかし、この場所も上米公園というじつに人工的な公園の片隅に追いやられた場所に
過ぎない、まさに猫の額。
こんな環境が数十倍、いや数倍の面積もあれば、それこそ多様な生物が棲みつく
場所になるだろう。
人々はなぜか多様なる生物社会を否定する傾向にあるように思える。
この話は長くなるのでいづれまた。