自然を体験するとは

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このブログをたまに読んでいただいている方から、

「イモムシの写真が出ていると、そこはちょっと抵抗がありますけど。」という

コメントを直に聞くと、それもそうかもしれないと思い、

ゴキブリでも言われたことがあるが、

先日はそのこともあって、サラサリンガ幼虫写真をアップする予定だったが

躊躇してしまった。気味悪いかどうかは個人差が大きいとはいえ。

もっとも私でさえ、じつは中学1年生まで例えばアゲハ幼虫が気色悪かった。

近づくのも嫌なら触るなんてとんでもない、と。

イモムシはヘビと同じく苦手だったのだ。

まあそんな私がアゲハ幼虫を捕まえ(恐る恐る割り箸でだが)飼育したのは

理科の宿題をこなすという不純な理由からであった。ただの点数稼ぎである。

それでもアゲハを初めて飼育した結果、気色悪さを克服してしまったのだから、

あのときの理科の先生に少しは感謝しなければならないだろう。

宿題のテーマは何でも良かったのだが、

蝶の世界に興味が芽生え始めていたころでもあり、

なんとその当時住んでいた貸家は刑務所のすぐ隣だったのである。

家のまん前には高くそびえる無機質なコンクリートの壁が延々と続いていたのである。

刑務所とアゲハの関係は密接であった。

なぜかと言えば、

高い塀の外周には全部ではないが、カラタチが植えられていたのである。

塀の脇の細い道を歩いていると、カラタチの鋭い棘に触れそうで嫌だったが、

なるほど脱獄を防ぐ対策なのかと自分なりに納得していた。

さりとて脱獄しようと必死になっている者にとって、カラタチの棘などは脅威に

すらならんだろうと少し考えればわかることだったが、そういう考えには至らず

とにかく刑務所だから仕方無いと割り切っていた。

しかし時期ともなればカラタチは白い花を咲かせ、新芽は朝陽に透けて美しく輝いた。

そのカラタチはアゲハの天国にもなっていた。アゲハ幼虫はいくらでもいたのである。

刑務所のおかげでカラタチという植物とお近づきになれたのだ。


先日、都城市のある小学校の児童館(学童保育とか呼び方はいろいろ)2箇所に

ヤママユの卵をプレゼントした。プレゼントというか、ただのお節介かもしれない。

児童館の一つは街のど真ん中にあって子供達は日頃から自然体験が薄いようであった。

ケースに入れたヤママユの卵を見せて説明しても反応は鈍かった。

ヤママユふ化準備.JPG卵は上の写真のごとく台紙に木工用ボンドで貼り付けておいた。

こうしておけばどの卵がいつふ化したのか記録をとり易いし、ケース内であちこち

ころがったりしない。そのケースにコナラの芽吹きした小枝を入れておく。

いつ何時、ふ化しても餌に困ることがないようにという配慮だ。

まあそういう細々した説明を子供たちに語っても伝わっていないことは明らかだった。

だって、卵を見てもそれが生き物には見えないだろうから。

「おじちゃん、ババ抜きしよう。ジジ抜きでもいいよ。」とすり寄ってくる女の子。

「ベーゴマのひも巻いてえ~」と何度もやってくる男の子。

私はそこらのオッサンなのであった。それもたしかだろう。

コナラの小枝を林道脇で物色していたとき、ウスタビガの1令幼虫を2匹見つけたので、

一匹づつをおまけに添えておいた。

小さくて真っ黒な1令幼虫も、やはり子供達にはほとんど目に入らなかったようだ。

しかし、そのウスタビガ1令幼虫が数日後脱皮して緑色に変身してから、

子供達の反応があったと、昨日の夜電話で聞いて少し嬉しくなった。

昆虫の飼育を通して生き物のふしぎに触れる。そういう機会は得がたいかもしれない。


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