今朝は延岡市内のホテルで朝を迎えた。
午前6時。窓の外からお寺の鐘をつく音が聞こえてきた。これはいいなあ、と感じる。
朝食をすませてからフィールドへ向かう途中、小雨が降ってきた。
今はネムノキが花盛り。雨に打たれながら撮影。
今日もベニツチカメムシの観察だが、ベニツチの幼虫たちは2令となり落ち葉の下で
群れて過ごしている。こういうとき季節カレンダーをいろいろと記録しておけば、
何かと便利だ。
ベニツチカメムシ成虫の徘徊する場所は
ボロボロノキの果実が落下する辺りに集中している。
しかし、個体数は多くないし、いつも外気に身を晒しているわけではない。
落ち葉の下に身を潜めていることが多い。時間帯、天候という条件も関係あるようで、
いつもベニツチの姿が見られるわけでもない。
今回、ベニツチカメムシの観察と撮影をする中で、タイミングはあらためて大事だと感じた。
ベニツチの産卵、ふ化、などは2年前に行った福岡県での観察データを参考にして、
タイミングをはずすことなく仕事を進行できた。しかし、それもあと一日遅れていたらアウト
という際どいものだった。延岡市のフィールドはうちからは遠い。遠すぎる。
時間と経費の制約からそう頻繁に通うことができないから、どのタイミングで出掛けるかは、
たいへん判断が難しい。
昆虫写真に限らず、自然を相手にする撮影では、このタイミングをいかに掴むかが、
撮影の成功、失敗に大きく関わる。観察データの蓄積と、それに加えて季節の流れを
感じ取る勘、というものも大事になってくる。
勘を養うには、ある意味で、無駄も必要である。
無駄は今の時代の節約ムードの中では皮肉にも歓迎され得ないだろうが、
無駄というのは、迷い、考え悩む、そういう時間を過ごすこと。
欲は行動の原動力だが、欲もある程度、そぎ落としていいのではないか、とも思う。
欲を満たそうとするとき、無駄をできるだけ排除しようと、そうなる。
ベニツチカメムシはボロボロノキときわめて深い関係にある。
ボロボロノキの落果はしかし、他の生き物、昆虫にとっても餌資源となっており、
森全体の生き物の姿にまで目がいくようになる。いやそうなりたい。
アシナガアリだろうか。ボロボロノキの落果をしきりと舐めていた。
午前6時。窓の外からお寺の鐘をつく音が聞こえてきた。これはいいなあ、と感じる。
朝食をすませてからフィールドへ向かう途中、小雨が降ってきた。
今はネムノキが花盛り。雨に打たれながら撮影。
今日もベニツチカメムシの観察だが、ベニツチの幼虫たちは2令となり落ち葉の下で
群れて過ごしている。こういうとき季節カレンダーをいろいろと記録しておけば、
何かと便利だ。
ベニツチカメムシ成虫の徘徊する場所は
ボロボロノキの果実が落下する辺りに集中している。
しかし、個体数は多くないし、いつも外気に身を晒しているわけではない。
落ち葉の下に身を潜めていることが多い。時間帯、天候という条件も関係あるようで、
いつもベニツチの姿が見られるわけでもない。
今回、ベニツチカメムシの観察と撮影をする中で、タイミングはあらためて大事だと感じた。
ベニツチの産卵、ふ化、などは2年前に行った福岡県での観察データを参考にして、
タイミングをはずすことなく仕事を進行できた。しかし、それもあと一日遅れていたらアウト
という際どいものだった。延岡市のフィールドはうちからは遠い。遠すぎる。
時間と経費の制約からそう頻繁に通うことができないから、どのタイミングで出掛けるかは、
たいへん判断が難しい。
昆虫写真に限らず、自然を相手にする撮影では、このタイミングをいかに掴むかが、
撮影の成功、失敗に大きく関わる。観察データの蓄積と、それに加えて季節の流れを
感じ取る勘、というものも大事になってくる。
勘を養うには、ある意味で、無駄も必要である。
無駄は今の時代の節約ムードの中では皮肉にも歓迎され得ないだろうが、
無駄というのは、迷い、考え悩む、そういう時間を過ごすこと。
欲は行動の原動力だが、欲もある程度、そぎ落としていいのではないか、とも思う。
欲を満たそうとするとき、無駄をできるだけ排除しようと、そうなる。
ベニツチカメムシはボロボロノキときわめて深い関係にある。
ボロボロノキの落果はしかし、他の生き物、昆虫にとっても餌資源となっており、
森全体の生き物の姿にまで目がいくようになる。いやそうなりたい。
アシナガアリだろうか。ボロボロノキの落果をしきりと舐めていた。