コウモリガ、羽化する

| | トラックバック(0)
これまで何気なく使ってきた「たそがれ」という言葉。

この言葉の由来を昨日初めて知った。今さらながらだが。

引用すると、

『相手の顔の見分けにくくなる時刻を逢魔が時といい、「逢魔が時に外を歩いてだれかに行き

会ったとき、必ず挨拶するものだ。もし、相手が返事をしないときは怪しいものだと思ってよい」

と教えられたものである。』

そして

『夕方の光のわずかに残っているときをタソガレというのは「誰ぞ彼」からきた

ことばだと言われた。』

『まだ夜の闇のあるときをカワタレというのは「彼は誰」の意味である。』

以上、宮本常一著 「絵巻物に見る日本庶民生活誌」の「百鬼夜行」より。

本書は中公新書版で、昨日のことようやく読み終えた。

絵巻物の図版が多数掲載されているが、サイズが小さいために解説文を読んでも

わかりづらい。平安期頃の事物や風物の用語には読み慣れない漢字が多く、

それもあってこの本を読み終えるのにえらい時間が掛かった。


さて、6日前から観察してきた コウモリガ の蛹だが。

外の様子を窺いながら羽化のタイミングを計っていたように見える。

ちょっとした振動でもサッと身を縮ませてトンネルの奥に引っ込むことを繰り返していた。

今日はしかし、これまでよりか蛹の頭部がかなりせり上がっていたので、

いよいよ羽化するであろうと思った。羽化の時刻はまさに「たそがれ」時であろうと

推察した。それで夕方の犬の散歩は早目に切り上げたつもりだが、

なんと家に戻ってみればすでに羽化を終えた成虫が枝にぶら下がっていたのである。

コウモリガ羽化直後.JPG


« ヒラタミミズク       かまきり »