昆虫写真家・田辺秀男さんが急逝なさった。
亡くなったのは先月の21日。83歳と御高齢だったが年齢をまったく感じさせない
エネルギッシュな活動をなさっていた。
私が最後に田辺さんにお会いしたのは今年の5月19日のこと。
秋になったら再びお会いする約束をしていたのだが、、、、、、、、、、、、、、。
田辺秀男さんの著書は何冊もあるが、1996年に献本していただいた
『四万十の昆虫たち』(高知新聞社)は強く印象に残っている。
当時、私は肩書きだけは昆虫写真家と名乗っていても、まだ自著を出版できておらず、
かなり焦っていた。そういう時期であったからなおさらこの写真本は刺激になった。
田辺さんはかつて『北海道の昆虫』(北海道新聞社)という写真図鑑を出版なさった。
昆虫の生態写真で構成した写真図鑑というのは、おそらくこの「北海道の昆虫」
が日本では初めての試みではなかっただろうか、と
田辺さんご自身が語っておられた。
田辺さんの写真はじつにシャープで、写真で同定も可能になるようにと撮影されていた。
まさに図鑑向けの写真作りに力を注がれていたのである。
フィルムはコダクローム25を長く愛用され、その後64に移行なさったようだ。
デジタルカメラ全盛の今でもなお、フィルムカメラを使われていた。
田辺さんの愛用カメラはニコン。
一昨年、デジタルカメラのことで相談を受け、私が使っていたオリンパスのE-620
とマクロ35ミリレンズの組み合わせをお奨めしたが、それを使ってどの程度まで
撮影なさったのかついに見ないままとなってしまった。
来週、松山でお会いするつもりでいたのだが、
今日、急逝なさったことを葉書きで知ったばかり。
いろいろ想い出を語るべきことも多いが、
今夜は田辺秀男さんのご冥福をお祈りしたい。合掌。
亡くなったのは先月の21日。83歳と御高齢だったが年齢をまったく感じさせない
エネルギッシュな活動をなさっていた。
私が最後に田辺さんにお会いしたのは今年の5月19日のこと。
秋になったら再びお会いする約束をしていたのだが、、、、、、、、、、、、、、。
田辺秀男さんの著書は何冊もあるが、1996年に献本していただいた
『四万十の昆虫たち』(高知新聞社)は強く印象に残っている。
当時、私は肩書きだけは昆虫写真家と名乗っていても、まだ自著を出版できておらず、
かなり焦っていた。そういう時期であったからなおさらこの写真本は刺激になった。
田辺さんはかつて『北海道の昆虫』(北海道新聞社)という写真図鑑を出版なさった。
昆虫の生態写真で構成した写真図鑑というのは、おそらくこの「北海道の昆虫」
が日本では初めての試みではなかっただろうか、と
田辺さんご自身が語っておられた。
田辺さんの写真はじつにシャープで、写真で同定も可能になるようにと撮影されていた。
まさに図鑑向けの写真作りに力を注がれていたのである。
フィルムはコダクローム25を長く愛用され、その後64に移行なさったようだ。
デジタルカメラ全盛の今でもなお、フィルムカメラを使われていた。
田辺さんの愛用カメラはニコン。
一昨年、デジタルカメラのことで相談を受け、私が使っていたオリンパスのE-620
とマクロ35ミリレンズの組み合わせをお奨めしたが、それを使ってどの程度まで
撮影なさったのかついに見ないままとなってしまった。
来週、松山でお会いするつもりでいたのだが、
今日、急逝なさったことを葉書きで知ったばかり。
いろいろ想い出を語るべきことも多いが、
今夜は田辺秀男さんのご冥福をお祈りしたい。合掌。