[ 宮崎県 三股町 ]
「オサ掘り」、という昆虫採集法を初めて試みたのは高校生の頃だった。
「月刊むし」の採集記だったかに影響を受けたと思うが、もうよく憶えていない。
冬、松山市の久谷へ自転車で乗り込んだ。あの当時、どこへでも自転車で行けた。
上り坂がしんどいからとか、そういう文句は一切関係無い。
「オサ掘り」は崖を慎重に切り崩し、土中で越冬しているオサムシやゴミムシ類を
採集する。宝探しの気分でもあるが、あまり派手にやると収穫に見合わない
ただの環境破壊にもなってしまう。
ま、崖を崩したところで大雨などの災害にくらべれば表面を削るだけ。
しかし他人の目から見れば、やはり穏やかではない。だから虫屋はひっそりと
人目を避けるようになる。しかし、虫屋といっても人種は様々。
どこでもまったく人目など気にしない輩も珍しくない。
「オサ掘り」については賛否両論がある。
しかし「オサ掘り」では副産物も多く、冬越しする生き物の観察としては
優れてもいるのである。問題は場所選びと節度だろうか。
さて、うちの林で土を掘っている。私が掘るのだから、山芋を探すでもなく、
墓穴を掘るでもなく、または井戸を掘るのでもない。
その目的は自ずと想像がつくかと思う。
斜面林で掘る作業だが、かなり細やかな観察も伴う。でっかいショベルや鍬で
ガッツン、ガッツン!掘るというわけにはいかない。
かといって小さな移植ゴテや根掘りでは効率が悪い。
ササなどの根も張っているから、それらを切り崩していく作業も伴う。
そこで登場するのが、ピッケルである。
ピッケルは冬山の氷雪地帯を歩くときに使う道具で、登山をする人でも
それほど頻繁に使う道具でもない。ようだ。
ピッケルを使うような登山は上級者コースであり、この道具には憧れを抱いていた
時期がある。
ところがオサ虫屋は、冬山登山などしなくても、ほぼ必ずこのピッケルを所有している。
「オサ掘り」の必須アイテムなのである。
それを思い出して、ピッケルを使ってみたら、すこぶる調子がいい。
じつはこのピッケル、昨年亡くなられた昆虫写真家、田辺秀男さんの遺品である。
私は縁があって、遺族の方から写真の整理を請負い、また数々の遺品をいただいた。
田辺さんは北海道の山も歩いていたし、愛媛の石鎚山でも冬期登山をして
クモガタガガンボの撮影などなさっていた。ピッケルを使う場面もあったのだろうと想像する。
田辺さんは徹底した節約家ではあったが、道具に関しては妥協することがなかった。
そのピッケルが、今、私にとっては有難い道具となっている。
初めて触れたピッケル。最初は使う場面があるだろうか?と疑ってみた。
しかし昔憧れた道具ではある。手に握りしめて、なにか熱いものを感じた。
道具に込められた思い、というようなものが伝わってくる。
「オサ掘り」、という昆虫採集法を初めて試みたのは高校生の頃だった。
「月刊むし」の採集記だったかに影響を受けたと思うが、もうよく憶えていない。
冬、松山市の久谷へ自転車で乗り込んだ。あの当時、どこへでも自転車で行けた。
上り坂がしんどいからとか、そういう文句は一切関係無い。
「オサ掘り」は崖を慎重に切り崩し、土中で越冬しているオサムシやゴミムシ類を
採集する。宝探しの気分でもあるが、あまり派手にやると収穫に見合わない
ただの環境破壊にもなってしまう。
ま、崖を崩したところで大雨などの災害にくらべれば表面を削るだけ。
しかし他人の目から見れば、やはり穏やかではない。だから虫屋はひっそりと
人目を避けるようになる。しかし、虫屋といっても人種は様々。
どこでもまったく人目など気にしない輩も珍しくない。
「オサ掘り」については賛否両論がある。
しかし「オサ掘り」では副産物も多く、冬越しする生き物の観察としては
優れてもいるのである。問題は場所選びと節度だろうか。
さて、うちの林で土を掘っている。私が掘るのだから、山芋を探すでもなく、
墓穴を掘るでもなく、または井戸を掘るのでもない。
その目的は自ずと想像がつくかと思う。
斜面林で掘る作業だが、かなり細やかな観察も伴う。でっかいショベルや鍬で
ガッツン、ガッツン!掘るというわけにはいかない。
かといって小さな移植ゴテや根掘りでは効率が悪い。
ササなどの根も張っているから、それらを切り崩していく作業も伴う。
そこで登場するのが、ピッケルである。
ピッケルは冬山の氷雪地帯を歩くときに使う道具で、登山をする人でも
それほど頻繁に使う道具でもない。ようだ。
ピッケルを使うような登山は上級者コースであり、この道具には憧れを抱いていた
時期がある。
ところがオサ虫屋は、冬山登山などしなくても、ほぼ必ずこのピッケルを所有している。
「オサ掘り」の必須アイテムなのである。
それを思い出して、ピッケルを使ってみたら、すこぶる調子がいい。
じつはこのピッケル、昨年亡くなられた昆虫写真家、田辺秀男さんの遺品である。
私は縁があって、遺族の方から写真の整理を請負い、また数々の遺品をいただいた。
田辺さんは北海道の山も歩いていたし、愛媛の石鎚山でも冬期登山をして
クモガタガガンボの撮影などなさっていた。ピッケルを使う場面もあったのだろうと想像する。
田辺さんは徹底した節約家ではあったが、道具に関しては妥協することがなかった。
そのピッケルが、今、私にとっては有難い道具となっている。
初めて触れたピッケル。最初は使う場面があるだろうか?と疑ってみた。
しかし昔憧れた道具ではある。手に握りしめて、なにか熱いものを感じた。
道具に込められた思い、というようなものが伝わってくる。
( 写真: EXILM EX-ZR300 )