昨日の夕方、午後6時19分。
ほぼ目線の高さの草薮に、アゲハの♀が止まっていた。 ここが当夜のねぐらであろう。
小学校の理科の授業でモンシロチョウの飼育をしたのを別にすれば、
私が初めて飼育したチョウが、アゲハであったし、もっとも身近な昆虫の筆頭に挙げるとしたら
アゲハが印象に強く残っている。 イモムシへの恐怖心を克服したのも、アゲハのおかげであった。
少し大袈裟かもしれないが、自分にとって自然観察者の道へと誘ってくれたのが、もしかしたら
アゲハだったかもしれないし、そうなると、アゲハという蝶がきわめて尊い存在に感じられる。
そうか、これまで、アゲハを眺めるたびに感じていた、懐かしい気分とは、
それとなく畏敬の念を抱いていたせいだと、この頃ようやく気づき直した。
アゲハとは、いつも一緒に暮らしていたに違いない。
「イツデモ、ドコデモ、ワタシハ、アナタヲ、ミテイマスヨ。」
かつて、松山の重信川河川敷の林縁で、アゲハの集団ねぐらを見たことがある。
6、7頭がほどほどの距離をおいて、草薮にぶら下がっていた。
集団ねぐらに遭遇したのは、あとにも先にもそのときだけだ。
ほぼ目線の高さの草薮に、アゲハの♀が止まっていた。 ここが当夜のねぐらであろう。
小学校の理科の授業でモンシロチョウの飼育をしたのを別にすれば、
私が初めて飼育したチョウが、アゲハであったし、もっとも身近な昆虫の筆頭に挙げるとしたら
アゲハが印象に強く残っている。 イモムシへの恐怖心を克服したのも、アゲハのおかげであった。
少し大袈裟かもしれないが、自分にとって自然観察者の道へと誘ってくれたのが、もしかしたら
アゲハだったかもしれないし、そうなると、アゲハという蝶がきわめて尊い存在に感じられる。
そうか、これまで、アゲハを眺めるたびに感じていた、懐かしい気分とは、
それとなく畏敬の念を抱いていたせいだと、この頃ようやく気づき直した。
アゲハとは、いつも一緒に暮らしていたに違いない。
「イツデモ、ドコデモ、ワタシハ、アナタヲ、ミテイマスヨ。」
かつて、松山の重信川河川敷の林縁で、アゲハの集団ねぐらを見たことがある。
6、7頭がほどほどの距離をおいて、草薮にぶら下がっていた。
集団ねぐらに遭遇したのは、あとにも先にもそのときだけだ。