2002年、5月に石垣島で撮影したツマベニチョウ幼虫。
胸部を膨らませ、頭部を高く持ち上げて威嚇している。
威嚇されているのは、もちろんカメラを構えた私。
ある仕事で15年前に渡島し、このときヤエヤマツダナナフシの撮影もできた。
時期が時期だけに、まだ幼虫だったが初めて生きた姿に出会えてとても感激した。あのミント臭の泡も体験。
翌年、2003年7月にも渡島して、ようやく成虫も撮影でき、しかもミカンキンカメムシの幼虫期や成虫にも出会えるという充実した仕事ができた。
15年前に使っていたカメラはCanonのEOS-D30で、画素数は300万画素。カメラの価格は38万円ほどもした。
銀塩フィルムカメラからデジタルカメラへの移行期は、期待感よりとまどいの方が大きかった。
今振り返れば、大袈裟ではあるが幕末期の武士が体験した激動の時代にも似ていたように感じる。それほど深刻だったのは動画の仕事との関わりもあった時代だからでもあり迷いもあった。
EOS-D30、そのあとに発売となったEOS-1D購入の下取りに出し、使ったのはせいぜい1年だった。
威嚇されているのは、もちろんカメラを構えた私。
ある仕事で15年前に渡島し、このときヤエヤマツダナナフシの撮影もできた。
時期が時期だけに、まだ幼虫だったが初めて生きた姿に出会えてとても感激した。あのミント臭の泡も体験。
翌年、2003年7月にも渡島して、ようやく成虫も撮影でき、しかもミカンキンカメムシの幼虫期や成虫にも出会えるという充実した仕事ができた。
15年前に使っていたカメラはCanonのEOS-D30で、画素数は300万画素。カメラの価格は38万円ほどもした。
銀塩フィルムカメラからデジタルカメラへの移行期は、期待感よりとまどいの方が大きかった。
今振り返れば、大袈裟ではあるが幕末期の武士が体験した激動の時代にも似ていたように感じる。それほど深刻だったのは動画の仕事との関わりもあった時代だからでもあり迷いもあった。
EOS-D30、そのあとに発売となったEOS-1D購入の下取りに出し、使ったのはせいぜい1年だった。