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冬のトノサマバッタ 2008/01/17(その2)
 先日、トノサマバッタ幼虫がモズのはやにえに立てられていたことを紹介した。
比較的、新鮮な幼虫だったのでモズに捕らえられたのは数日内ではないかと思っていた。

 それからずっと気に掛けていたのだが、昨日、そのトノサマバッタ幼虫を何匹か近所の草むらで見つけることができた(写真上)。やはりこの南九州では幼虫でも越冬しているようだ。彼らが成虫へと羽化するのは早くても4月末で、その多くは5月に入ってからだろう。
 幼虫は夏場と同じように活発に動き、人が近づく気配には敏感だ。私がカメラを構えて近寄ると、ピョーン!!と元気よくジャンプして逃げた(写真中)。

 冬といっても晴れていれば、地表付近の温度はけっこう上がる。その地温をうまく利用して、トノサマバッタ幼虫は冬を乗り切るのだろうか。
 そういえば、ナナホシテントウも寒さにはとても強い。今でも日射しのある日にはこうしてアブラムシを食べていたり(写真下)、日光浴する姿は多い。しかも幼虫や蛹もいて、ナナホシテントウに冬はあるの?と、そう問いたくなる。

 トノサマバッタに話を戻すと、昨日は成虫も見ている。それも元気に飛翔していた。なかなか敏捷で近寄らせてくれないが、草のあいだに潜んでいる姿を見る限り、体の痛みも少ないように思えた。秋に交尾カップルを見ているから、産卵が秋に行なわれていることは間違いなく、したがって土のなかで卵の状態で越冬しているものもあるはずだ。トノサマバッタの発生消長は少し複雑のようにみえる。

 もっともススキなど、トノサマバッタの餌となる草の地上部はほとんどが枯死している。一面枯れ葉色ではあるが、しかしよく見ればあちこちにわずかながらススキや緑色のイネ科植物が残っている。また牧草畑ではまだ緑濃い草が栽培されているところもある。

 (写真/リコー Caplio GX100)

新開 孝

お知らせ/新刊本の2冊 2008/01/17(その1)
 昨年の11月と12月に旺文社から、「ぼくたち親子だよ」というシリーズ5巻のうち『ダンゴムシの親子』と『アシナガバチの親子』の2冊が出た。この2冊の文章は作家の方が書かれて、私が写真を撮影した。シリーズのテーマを念頭に入れながらも、私は細かい構成をあまり考えることなく自由に撮影させてもらった。

 このシリーズはこのあと、武田晋一さんの写真で構成される『カタツムリの親子』『ザリガニの親子』『アマガエルの親子』が続けて刊行される予定。
 「ぼくたち親子だよ」シリーズはとりあえず図書館向けなので、一般書店では販売されない。

 さて、昨日になってダンゴムシ写真のリクエストがあった。写真リストを見てみれば、一部の写真しか私の手元には無い。それもそのはず、リストに掲げてある注文には細かい指定があって、これはともかく新規に撮るしかないと思った。
 締め切りは今週中ということで、実質、今日と明日の2日間しかない。リスト内容の撮影そのものは二日間あれば充分であるが、それは準備がすべて揃っていればの話。そうは言っても、やるしかない。
新開 孝

ハマオモトヨトウの幼虫 2008/01/16(その2)
 今朝は、先日の「おねっこ祭り」で撮影した写真データを届けに、集落へと歩いて行った。
 ついでに書簡を郵便ポストに入れたが、なんだか少し不安な気もする(写真上)。大切な契約書などは、やはり町の郵便局までわざわざ出向くようにはしているが、いづれにせよポストに投函というのはどこであろうと不安に変わりない。

 納骨堂の近くを歩いていると人家の塀に初めて見る蛾の幼虫が歩いていた(写真中)。とても際立つ姿なので種名は後ですぐにわかった。本種はハマオモトヨトウ。もう一匹見つけた幼虫はまだ若くて、ヒガンバナ科の葉っぱに止まっていた。

 ハマオモトヨトウの幼虫はヒガンバナ科のハマオモト、ヒガンバナ、スイセン、タマスダレ、アマリリスなどの葉を餌として食べるそうだ(写真下)。本州から西日本にかけて分布するが、本州では千葉や神奈川県などの太平洋側に見られ数は少ないようだ。しかしながら本種も温暖化の影響かどうかはわからないが、勢力を拡大しているようだ。

(写真/リコー Caplio GX100)

 宮崎ではお寺がきわめて少なく、墓地もこの三股町ではほんとうにわずかしか見かけない。だからか、集落のあちこちに納骨堂がある。お寺は少ないが神社は多いのが宮崎という土地柄である。神社は鎮守の森と関係が深い。だから神社が多いのは私としてはたいへん嬉しい。神社で大切なのは神の宿る森そのものだから。
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新開 孝

ミツバチ 2008/01/16(その1)
 日本国内にミツバチは2種類いる。

 養蜂業で飼われるセイヨウミツバチと、古来から日本に生息する野生ミツバチ、ニホンミツバチだ。

 両種の見分け方は慣れてくれば簡単だが、一般の方々はおそらくミツバチという概念でしか見ていないと思う。
 うちの庭にはその2種類のミツバチが花の蜜や花粉を求めてやってくるが、昨年
種をまいたアブラナ花壇に、今日、訪れていたのはセイヨウミツバチのほうであった。

 ニホンミツバチはセイヨウミツバチに比べて寒さに強く、真冬でも日射しがある日などは活動する姿をよく見かける。一方、セイヨウミツバチは寒さに弱く、養蜂家が世話をしないと冬を乗り切れないと言われてきた。

 ところが、それは大方では正しいのだが、一部の地域ではそうでもないようだ。
以前、私は和歌山県南部と長崎県の2箇所で冬を乗り切るセイヨウミツバチの野生
巣を見たことがある。これまでセイヨウミツバチの野生巣は小笠原諸島のような暖地でしか存続できないと言われてきたが、どうやら実情は違ってきているようだ。

 まだ想像に過ぎないが、うちにやって来るセイヨウミツバチもどこかで野生巣を作っているのではないかと思うのである。近年、西洋ミツバチの養蜂業は国内では衰退の一途を辿る。そのせいでもあるのか、都会にまで進出しているのがニホンミツバチだ。
 私はニホンミツバチびいきなので、これまでも撮影した写真は西洋ミツバチよりかニホンミツバチの方が多い。しかし、仕事となると圧倒的にセイヨウミツバチが使われるので、これには頭が痛い。

(OLYMPUS E-3  マクロ50ミリ+2倍テレコン)
新開 孝

2007年『昆虫ある記』を振り返って(10) 2008/01/15
さて『2007年を振り返って』シリーズは、今日で最後にしたい。
 その最後に選んだのは11月の記事の中からベニツチカメムシ。昨年アップしたときのタイトルは「赤いカメムシ」としたが、このような少し思わせぶりな表題にしたのも、少し理由があったのである。


 「赤いカメムシ、ベニツチカメムシ」(11月22日)

 ベニツチカメムシは鮮やかな朱色と黒色という、きわめて目立つ配色をしており、一目見ただけでも見誤ることがない際立ったカメムシである。体の大きさも脚や触角を広げれば500円硬貨からはみ出すほどに大きく、初めてこのカメムシに出会った人は誰もが強烈な印象を受けることだろう。

 本種は四国でも採集例があるが、確実に生息している分布北限は北九州であり、主に九州から以南、沖縄本島までに生息している。しかしながらベニツチカメムシはそうやたらと出会えるカメムシではない。その生息地はきわめて局地的である。

 私は、2002年に出した『カメムシ観察事典』のなかで、当初はこのベニツチカメムシを取り上げたいと考えていた。ベニツチカメムシは子育てをするカメムシということで生態的にたいへん注目されてもいたからだ。
 当時、九州での確実な産地の情報としては、佐賀大学の研究者の方が公表なさっていたフィールドがあった。公表されてはいたが、私はまずは研究者の方に撮影の許可を得ることが礼儀だと考えた。しかしながら、それは叶わなかった。すでに前もって宿泊の手配や東京からの高速バスの予約も入れていたが、残念ながら直前でキャンセルせざるを得なかった。
 撮影を断念してから9年経った。九州に移り住むことが決まってから、ベニツチカメムシを撮影のテーマとして掘り下げることに、私が大いに期待したのは言うまでもない。こんどこそ自分の目と脚で産地を探し出して思う存分、観察と撮影をしたい、そう思っていた。
 しかしながら、転居してからの生活の立ち上げと、仕事の消化に日々追い立てられ、ベニツチカメムシ生息地探索に割く時間はきわめて少なかった。偶然にも出会えるほどに甘くはないのである。

 ところがヒョンなことから11月末ころ福岡に行く理由ができた。OLYMPUSの新製品カメラ、E-3の体験会が福岡のOLYMPUS支店で開催されるという。しかも私には福岡で久し振りに会いたい方がいた。小学館ネオ図鑑の仕事ではたいへんお世話になった虫屋さんだ。
 そんな口実ができてしまったので、福岡のすぐ近くに位置する佐賀県のかのベニツチカメムシ生息地に立ち寄ることは、すぐに決心できた。過去に撮影許可を得ることはできなかったが、撮影した写真を商業用に転用しなければ問題はないはずだし、なによりも実際に生息地環境をしっかりと見ておきたいと願ったからでもある。
 そのようにして、少し屈折したなりゆきで私は初めてベニツチカメムシを目の前にし、撮影もできた。3時間もの探索のあげくに出会った越冬集団であったが、そのきわめて高い集合性に目を見張るものがあった。そのときの感動はとても強烈だった。


 さて、昨日は尻切れトンボで終わったが、その続きを少し。
 昆虫写真家である私がなぜに寄生植物にのめり込んで撮影するか、ということだった。その答えは誰もが想像できる範囲のものであって、つまりは昆虫も自然の一部であり、じつは私というカメラマンが見ようとしているのは自然全体であるというエコロジカルなつながりがあるからだ。
 生き物と生き物のつながりを視覚的に写真で表現できなくても、文脈のなかではつながるという仕組みがあるという前提で私が動いているせいだ。
 しかしながら、ではなぜ昆虫なのか、昆虫写真家という肩書きなのか、という堂々巡りのような疑問に立ち返る。その疑問にぶち当たるのも、それは写真という表現形式にこだわるからで、じつは写真という自分にとってはやり易いと感じ得た表現方法を選んだに過ぎず、したがって自分の場合は写真だけでの表現ではできない部分がいかにも大き過ぎるのであると思う。
 少なくともせめてキャプションという解説を添付しなければ、私の撮った写真はほとんど表現力を削がれたものでしかない。

 寄生植物を面白いと感じ、そこにカメラをむける私とは、それに感動するという理由付け以外に別にエコロジカルな理由をもってくる必要もほんとうはないはずなのだ。職業カメラマンとしては常に、経費とそれに見合った収入に値する写真というものをきちんと見定めて動くのは言うまでもない。しかしながらプロの写真家は売るための写真を自分で開発し、世に問いかけるだけの力量が必要と思っている。世間の需要に応えるだけでもプロとしては生きていけるけれど、それだけなら私はわざわざ昆虫写真家の道を選ばなかっただろうと思う。

 ま、それもあまり売れない写真家の妬み事、かもしれません、ね。

 私は昆虫という生き物を見ていく中でたくさんの発見や感動があって、それがときどき昆虫というカテゴリーをはみ出すわけで、そういうなかに奇天烈な生き物もが入ってくる。昆虫そのものが奇天烈だから、その類いはすぐに私の感覚に素直に飛び込んで来るのであり、その一つが寄生植物だったのですね。新開 孝

2007年『昆虫ある記』をふりかえって(9) 2008/01/14
2007年『昆虫ある記』をふりかえって(9)

今日は昨年10月、11月の記事から関連記事を2件まとめて選んでみた。
 関連記事とはツチトリモチ属の寄生植物2種について。

 昨年の写真撮影、ビデオ撮影の仕事も10月に入ると少し落ち着いて来た。まだいくつかやるべき事は残っていたが、週に一回くらいはロケハンと称してあちこちのフィールド探索に出掛ける時間も作れるようになった頃だ。
 とくに秋に入って気に掛けていたのは今日ふたたび紹介する寄生植物の撮影だった。

 「ツチトリモチとキイレツチトリモチ」(10月22日/11月20日)

 寄生植物のツチトリモチ類は、その姿がキノコに似ていてたいへん惹かれるものがある。しかも種類によっては花粉媒介を昆虫に託しているものもあると知ってからは、ますます撮影してみたいという気持ちが高まったのであった。

 さてそのツチトリモチ類のなかでも比較的ふつうに見られるのが真っ赤な色をしたツチトリモチ。
本種は紀伊半島から西日本の照葉樹林に生える寄生植物だ。24年間、武蔵野台地をメインフィールドにしていた私はこれまで一度も見たことがなかった。
 三股町に暮らし始めてから近隣のフィールドを少しづつ探索していくうちに、あそこの辺りならきっと見つかるだろう、そう目星を付けて歩くうちにようやく出会えたのは、探索を開始してから3日目くらいだったと思う。つまり2日間は空振りに終わったわけで、その空振り続きのあいだにツチトリモチの姿を繰り返し頭に描き、ますます憧れる気持ちが高まっていた。

 しかし、それほどまでに私が寄生植物にこだわる理由はなんだろう?とりあえずツチトリモチの写真を何かの仕事に使う予定は無い。ないにも関わらず熱心に撮影しようという態度は、人から見れば単に趣味に走っていると写るかもしれない。プロの昆虫写真家のなすべきことだろうか?と疑問を抱かれるかもしれない。このあたりのことは、プロの昆虫写真家とはいったい何者で、一体何をなすべきかという個々の考え方に関わる。

 ところでもう一種のキイレツチトリモチは、花穂から蜜を出し花粉媒介を昆虫に託す。したがって昆虫との関係が視覚的にはっきりしており、私のような昆虫写真家が撮影対象にするのもごく当然のことと捉えることができる。

 今日は話の内容が逸れてきてしまったが、続きを書くには時間切れとなった。明日に持ち越したい。

 肝心のツチトリモチ属2種の写真だが、上がツチトリモチ、下がキイレツチトリモチ。
 ツチトリモチは都城市山之口町の照葉樹林内でクロキの根に寄生している様子。
 キイレツチトリモチは日南市の海岸林でトベラの根に寄生している様子。
 新開 孝

「おねっこ祭り」 2008/01/13
 心配していた雨は降らず、昨夜は三股町,田上の「おねっこ祭り」が催された。

 午後6時にはどんと焼きに点火。勢い良く炎が燃え上がった(写真中)。

 会場では大きな竹筒で焼酎の燗が用意され,参加者にふるまわれる(写真下)。竹盃も配られ、注がれた焼酎はほのかな竹の香りがしてしかも少し甘みが増すようだ。何ともいえない味わいにお祭り気分も高まる。

 またみそ汁は大鍋にグツグツ煮えており、これも会場でふるまわれる。イノシシ、鳥肉、そして近所から提供された野菜たっぷりのたいへん美味しい汁だった。その味付けはずっと昔から受け継がれていると聞いた。

 午後9時ころ私たち家族は会場をあとにしたが、まだたくさんの人が残って盛り上がっていたようだ。

 嫁さんは昨日、調理のお手伝いをしたが、私は仕事の都合で会場設営のお手伝いができなかった。そこでというわけでもないが、今朝は会場の片付けに駆けつけた。片付けが一段落すると反省会が公民館であった。 
 昼間から飲む酒はやたらと効く。パターゴルフへの誘いもあったが私はうちに戻って昼寝をした。
 昨夜は祭り会場から戻ると、夜遅くまで机に向かって仕事をしていた。本の構成は気分が乗っているときに一気に進めるのが良い。

新開 孝

韓国版『虫たちのふしぎ』 2008/01/12(その2)
 昨年の夏、韓国のジンサン出版社から自著『虫たちのふしぎ』(福音館書店)の韓国語バージョンが出版された。
 その後、年末に重版が出たということで、見本が再び手元に届いた。

 韓国版はハングル文字表記。一切、漢字もない。しかし私の手元には日本語版があるので(当たり前だが)これと付き合わせていけば、ハングル文字解読の手習いくらいはできそうだ。

 何より気に掛かるのはあちら韓国の自然環境だ。かなり日本と共通する昆虫相も見られるのだろうが、はたして私の本がどこまで役に立てるだろうかと気になる。もともと韓国には行ってみたいとはずっと思っていたが、九州に来てからますますその気持ちが強くなってきた。

 1994年の冬に一度、対馬に渡ったことがある。それはおもにツシマオオカメムシの撮影が目的だった。ツシマオオカメムシは地位類のような紋様をした大型のカメムシで長いこと憧れていた虫だ。わざわざ対馬まで出向いたのは、2002年に出版した『カメムシ観察事典』(偕成社)で掲載することを念頭に入れていたこともあった。
 ツシマオオカメムシは国内では対馬にしか生息していないが、韓国本土には分布している。対馬の雰囲気はどちらかといえば韓国に近いという印象も強く受けたものだが、そのときにやはり韓国に行ってみたいと強く思った。もしも韓国でこのツシマオオカメムシをじっくり観察する機会を得た後なら、和名「ツシマオオカメムシ」ではなく、朝鮮半島の地名などにちなんだ和名を使いたくなるのではないだろうか、などと想像してみる。

 自著『虫のこどもたち』(福音館書店)もいづれ同じジンサン出版社から韓国語版が出版されるようなので、その本が揃ったころにはやはり韓国に行ってあちらの自然を見てきたいと思っている。

新開 孝

2007年『昆虫ある記』を振り返って(8) 2008/01/12(その1)
 「振り返って」連載も今日で8回目。9月の記事内容から選んでみたのは失敗談の一つ。自然相手の仕事では当然うまくいかないこともある。

 「コナラシギゾウムシの産卵行動」(9月10日)

 昨年は宮崎に引っ越して来た直後に、ある放送局からビデオ撮影の仕事依頼が入った。様々な昆虫の暮らしぶりをハイビジョン撮影する仕事だが、撮影項目のなかにはすでに準備が間に合わないものもあった。とくに南国、宮崎だ。春の進行も早い。
 そこでいくつかの昆虫については東北や関東地方から卵などを取り寄せることにした。宮崎市在住の昆虫研究家の方からは詳しい地元の情報を教えていただいたりしてなんとか撮影の準備は整った。
 また季節を少しでも遡って撮影するために、南阿蘇地方にも遠征した。そこでは南九州より2週間ほど春の進行が遅れており撮影はうまくいった。ただ早春特有の強風にはずいぶんと悩まされた。
 
 しかし、晩夏に入って予定していたハイイロチョッキリの撮影は最終的には断念せざるを得なかった。ハイイロチョッキリのメスがどうしても見つからなかったからだ。ハイイロチョッキリのメスはコナラなどのドングリに産卵し、そのドングリを枝ごと切り落とすという習性でよく知られている。
 切り落とされたドングリはたいへん多く、撮影用のメスを入手するのは簡単であろうと思っていた。なにより以前、東京にいたころには同じシーンを何度か撮影しているので、自信があった。
 ところが目の前でドングリが枝ごとクルクルと落ちてくるような場所ですら、どうしてもメスが網に入らないのであった。目の前の樹上にはたしかにメスがいるはずなのに、どうやっても捕獲できないという日々が過ぎ、さすがに焦り始めたころうちの林のコナラでコナラシギゾウムシのペアが見つかった。
 
 コナラシギゾウムシのメスはドングリを切り落とすことはしないが、やはりドングリの中に卵を産みつける習性はハイイロチョッキリと同じである。そこでハイイロチョッキリは諦めて、コナラシギゾウムシの産卵行動を撮影することにしたのであった。

 コナラシギゾウムシの産卵行動は初めて撮影するので、当初は無駄な撮影をしてしまった。メスは産卵に先立って、まずは長い口吻をつかってドングリに産卵孔を穿つ。室内にセットしたコナラのドングリ上でしばらくウロウロしていたメスが、ようやく口吻をドングリに突き立てて穴を掘り始めたときは、ホッとしたものである。ところが、そのトンネル掘りがいつまでも続くのであった。ついに2時間を超えたところで、メスは何もせずドングリから立ち去ってしまった。
 そのドングリを割り開いてみると中は大きくえぐられており、メスはたんに食事をしていたことがあとでわかった。メスが産卵する場合は、事前に行なう掘削工事の時間は30分にも満たないのである。新開 孝

トノサマバッタとマダニの一種 2008/01/11(その2)
 このところ6月に出す予定の本の構成作業が続いている。
 こういう作業は短期に瞬発力でこなしたほうが良いと思える。もともと私は長時間に渡って集中力が維持できない質だ。すぐに他のことに気持ちが泳いでいく。
 ときには真夜中に頭が冴えてきて、布団から抜け出し机に向かったりもする。気持ちが高まっているうちに書きとめておこうという作戦だ。だいたい普段は夜の9時には就寝しているので、夜中の2時頃に起き出すのはそれほど苦にはならない。しかし私は絶対に徹夜はできない体質であるから、必ずまた1時間でも2時間でも再び寝ることにしている。

 今日は朝から小雨が降っていたが、午後3時過ぎころには一旦雨も止み、空も少し明るくなった。そこで犬小屋のなかで丸くなっていたチョロを早めに散歩に連れ出してみた。ゆったりと散歩するのは気分転換にはもってこいだ。

 クリ林ではトノサマバッタ幼虫のはやにえを見つけた(写真上)。そっと触ってみればまだ死後硬直はそれほどでもなく、ここ数日内にモズが捕らえた獲物であることが想像できた。つまりトノサマバッタは幼虫でも越冬していることは間違いない。じつはトノサマバッタは今の時期でも成虫がいることも確認している。トノサマバッタはこの南九州では年に何回、発生しているのかわからなくなってしまった。
 そしてうちに戻ってチョロの顔を見るとマダニの一種が張り付いていることにも気付いた(写真下)。

 マダニもじつは年末から正月明けにかけてたびたびチョロの体で発見しており、彼らにとっても冬は無いに等しいのかな、と思えるのであった。もっともさすがにマダニの動きは鈍く、犬の体毛深く潜り込む前に私に見つかってしまう。

(写真上/リコー Caplio GX100)
(写真下/E-3  マクロ35ミリ+2倍テレコン)
  新開 孝

2007年『昆虫ある記』を振り返って(7) 2008/01/11
今日は昨年の8月の記事から「タイワンクツワムシ」を選んでみた。
(今続けている2007年を振り返るシリーズの記事はあらたに書き下ろしており,昨年,写真に添えた文章とは内容が違うことをお断りします。)

 8月に入ってからは昆虫たちも夏枯れの時期となるが,セミの鳴き声は元気だ。クワガタムシもカブトムシもひところは樹液によく来ていたがパタリと集まりが悪くなった。そのころになってカブトムシの撮影をすることになった。細かい撮影リストと絵コンテが私の手元に届いたのは8月に入っていたので少し焦った。カブトムシの撮影にはクワガタムシも絡んでくる。わずかに飼育していたカブトとクワガタムシを大事にしながら,撮影を終えることができたが.時間的な余裕もなくなんとか仕事をこなしただけで少し悔しい気もした。
 このころ毎晩ヤママユの羽化も待っていたが,なかなか羽化してくれず,さすがに連日連夜の撮影待機につらくなった時期もあった。ヤママユの繭はいくつか用意できていたが,ビデオ撮影に使える繭は数が少なかった。7月に一回目の撮影を済ませてはいたが,2回目の撮影ができたのは9月に入ってからだった。

 「タイワンクツワムシ」(8月24日)

 私が初めて宮崎県を訪れたのは2006年の2月末のこと。なんとその年の5月には今住んでいる土地屋敷の物件を決めた。まさに千載一遇の出会いだったと言える。宮崎県はそれまで地図でしか眺めたことがなかった。だから「何故,宮崎に決めたの?」という質問はよく受けるのも当たり前だろう。

 ところではじめて宮崎市内の叔父宅に泊まった日の朝,裏の草むらから聞こえる虫の鳴き声が気に掛かっていた。関東ではまず聞いたことがない鳴き声だ。おそらくそれではないだろうか?くらいでしばらく自信がなかったが,三股町に住み始めてそれがタイワンクツワムシの鳴き声であることがわかった。
 一旦聞き慣れてくるとその特徴ははっきりと掴める。しかもうちのすぐそばの林のなかではクツワムシも鳴いており,それと比較してもタイワンクツワムシの鳴き声はよく違いがわかる。それとタイワンクツワムシはほぼ1年中見られ,12月でも少し暖かい日には鳴いている。
 
 タイワンクツワムシは明るい草地にも多く,散歩に連れ出した飼い犬がこれを捕らえて美味しそうに食べることもあった。犬はコオロギやトノサマバッタなどの体臭もよく嗅ぎ分けることができるようで,草むらに鼻先をつっこんでは夢中で追いかけ回す。ただし飛び出したバッタなどが,一旦地面に静止すると犬は目の前にいるバッタの姿を見失ってしまう。犬の視覚は人に比べて極端に弱いようだ。こういうときはニオイもあちこちに拡散しているせいか,嗅ぎ付けることもできずウロウロしてしまう。カエルの場合も同じことが観察できる。
 
 犬も味には好みがあるようだ。キリギリス,クビキリギス,タイワンクツワムシ、ショウリョウバッタ,コオロギ類などは好んで食べるが、一方イナゴ類は捕らえても吐き出してしまう事が多かった。
 トノサマバッタの交尾つがいを私が先に見つけたことがあった。
 撮影する前に犬には「待て!」を命じた。犬は物欲しそうにしながらもちゃんと伏せたので、私は腹這いになってカメラを構えた。1カット撮影し,少し体勢を変えたところでいきなり犬(名前はチョロ,推定2歳)が飛び出しガブリとトノサマバッタのつがいを食べてしまった。
 私はカッとなって「なにすんだ!この馬鹿者が!!」と声に出して犬の頭を強く叩いてしまった。自分でも驚く程に久しぶりに怒った。弱者に対して衝動的な怒りをぶつけたときは余計に後味も悪い。
 叩いたあとですごく後悔したが,それからしばらくの間,チョロはバッタなどを見つけても,ちらりと私の顔を窺うようになった。
新開 孝

昆虫写真家・筒井 学さん 2008/01/10(その2)
 昆虫写真家である筒井学さんの ホームページがオープンした。

 筒井さんと初めて会ったのは確か海野和男さんの出版記念パーティの席上だったと思う。海野さんのサイン入り『大昆虫記』を開いてみれば1994年とあるから,もう14年も前のことだ。
 当時,手書きの「アマチュア昆虫写真家」という名札を付けて私にも挨拶してくれた筒井さんは,ヒョロッとした高い身長でとても元気のある青年という印象を受けた。パーティー会場からの帰りも同じ西武池袋線だったのでずっと一緒だったが,筒井さんが昆虫写真への自分の熱い情熱を語っていたのも懐かしい。
  その頃,筒井さんは豊島園昆虫館で仕事をなさっていた。飼育嫌いの私とは正反対に筒井さんの昆虫飼育の腕前は日本一と言っていい位,レベルが高い。したがって昆虫飼育に関する素晴らしい出版本も多い。
 なおかつ本人と対面して喋っていると,ずいぶん元気が良過ぎるせいかあまり感じないのだが,じつは彼の写真を見れば非常に繊細なセンスを見出せる。それは彼のホームページをご覧いただければわかると思う。
 彼は今,「ぐんま昆虫の森」の職員であり,好きなことをやりつつ給料をもらっているのだから羨ましいことこの上ない。公務員である以上いろいろとつらいこともあるだろうが,それを差し引いてもやはり羨ましい職場だと思う。
 素晴らしいフィールドが仕事場であり,なおかつ施設の昆虫文献の蔵書は日本一とも言える膨大なものだ。個人レベルではとても収集できない文献の数々がどっさりあるのだから。
新開 孝

2007年『昆虫ある記』を振り返って(6) 2008/01/10
 今日は昨年の7月の記事から,「謎のキノコバエ」を選んでみた。

 梅雨が終わると南九州の暑さも本格的となった。しかし,わが家は適度な風が吹き抜けエアコン無しでも過ごせた。やはり敷地が少し高台にあるせいだろう。ただし日射しそのものは強烈で日陰のない野外を出歩くときは帽子が欠かせない。
 7月なかばには台風4号が宮崎南部を通過。かなり大型の台風だった。台風に伴う強風は凄まじいとは聞いていたが,覚悟ができていたこともあるのかそれほどとは感じなかった。ただし庭で営巣中のキボシアシナガバチの巣が今にも吹き飛ばされそうになりたいへん心配もした。

 「謎のキノコバエ」(7月2日)

 車で40分も走ればお隣,鹿児島県の財部町だ。ここに大河原渓谷があって6月の末に初めて訪れてから,たびたび足を運ぶフィールドとなった。
 この渓流では大きな倒木上でキノコバエの一種の幼虫群と蛹,そしてメスを求めてさかんに飛翔するオスの姿などを観察できた(写真上)。
 
 幼虫は粘膜状の網巣を巡らし,その表面を滑るように移動する。しかもそのときに餌を探すかのようにせわしく頭部を振るのであった。その幼虫が蛹になるときには網巣を一本によじり合せハンモック状にぶら下がる(写真中)。彼らの生息場所は湿度の高い環境を好むようだが,幼虫の餌が何であるのかは確認できていない。不確かではあるがおそらく朽ち木表面の菌類などを食べているのではないかと想像している。
 幼虫の姿も行動も奇妙でたいへん興味深いのだが,成虫の配偶行動も面白い。おそらくオスのほうが先に羽化していくのだろうが、そのオスたちが倒木の近辺をさかんに飛び交う。お目当ては遅れて羽化して来るメスたちである。
 ハンモック状にぶら下がった蛹は私が観察を始めた時点ではそのすべてがメスであった。そして羽化間近となって黒く変色した蛹には必ず一匹のオスがしがみついているのであった。ときおりそこへ別のオスが飛来すると,それまでしがみついていたオスは脚を使ってあとから来たオスを懸命に追い払う。
 「このメスはオラのもんだ!あっち行けや!!」そんな声が聞こえてきそうだ。
 オスはメスが蛹から羽化して姿を現すやいなや交尾するのである。メスの羽化に先立ってオスが待ち構えているのだから,メスの交尾率はきわめて高いと言える。おそらくメスの蛹は羽化間近となると性フェロモンなどを放出してオスを招いているのではないだろうか。

 本種は同所的に多数の幼虫が高密度で生息し,そしてほとんどその場でオスとメスの配偶行動も成立する。したがって幼虫の成長速度も全体に同調しており足並みが揃っている必要もあるようだ。だからか幼虫期がダラダラと長く見られことなく一斉に姿を消してしまった。年に何回発生しているのか,そのへんのことも昨年は調べる時間がとれなかった。成虫の標本はとってあるが肝心の種名調べは、これもまったく手つかずである。
  
 本種の行動はビデオ映像のほうが向いていると思うので今年は時間があればハイビジョン撮影も考えている。 

新開 孝

冬のモンシロチョウ 2008/01/09(その2)
 昨日,今日と暖かい日が続く。
 庭のプランターに植えておいた小松菜では,モンシロチョウがやって来てさかんに産卵していた。産卵シーンの撮影はできなかったが,小松菜の葉をめくってみれば卵やふ化したばかりの幼虫などがたくさん見つかる。1月にモンシロチョウのふ化シーンまで撮影できるとは,ちょっと嬉しい。
 モンシロチョウの越冬ステージはここ南九州では何だろうか?そんなことを思いながら夕方,犬の散歩で近くの畑を覗いてみた。
 昨年の暮れにモンシロチョウの幼虫がたくさんキャベツにたかっていた畑だ。これはいかにも怪しいなあと思えるコンクリート製貯水槽(写真上)に近寄ってみれば,あるあるある!モンシロチョウの蛹が列をなしていた(写真中)。

 貯水槽の蓋がひさしを作っていて,そのわずかな日陰にモンシロチョウの幼虫は次々と集まってきたようだ。まだ前蛹の段階もいる(写真下)。貯水槽にくっついていた蛹を数えてみたら31匹であった。寄生バチも前蛹にたかっていたから31匹の蛹がすべて羽化するわけではないだろう。すでに黒く変色して死んでいる蛹もあった。

 いづれにせよ,この蛹たちはやはり休眠蛹になっているのだろうか?

(写真/リコー Capkio GX100)新開 孝
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