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秋冷のアカスジキンカメムシ成虫 2005/11/27(その2)
 今日はアオクサカメムシを撮影していたところ、ふと足下近くのコブシを見て驚いた。
 最初はシルエットなので、終令幼虫かとてっきり思っていたのだが、重なっていた葉をよけてみると、何と!アカスジキンカメムシの成虫であった。
 今ごろ多数目につくのは越冬を控えた終令幼虫ばかりであるから、これには驚くのも当然。この成虫はよく見ると、まだ羽化してそう日数も経ていないようだ。
 アカスジキンカメムシの多くは5月から6月にかけて羽化するのだが、8月に遅く羽化する場合もあるようだ。しかし、今日の成虫はそんなに古い個体ではない。
 冬越しするべき終令幼虫が年内羽化することは、室内飼育では珍しくないが、今日のように野外で目撃したのは初めてのことである。
 このあと写真のオスが、冬を越せるのかどうか気掛かりだが、この先追跡観察することなど無理な話ではある。

(E-500 35ミリマクロ 1.4倍テレコンバーター使用)新開 孝

ヒヨドリジョウゴの実 2005/11/27(その1)
 ヒヨドリジョウゴの赤い実は鳥たちに人気があって、その名のごとくヒヨドリもよくついばんでいく。あとはジョウビタキもやってくる。シジュウカラなども来るのかもしれない。だからといって、その様子をカメラで撮影しようと企てても、これが意外と簡単ではない。やはり餌をついばむ瞬間には、警戒心がいっそう強くなっているようだ。
 一方、この赤い実にやって来る昆虫はほとんど見かけない。カメムシなど汁を吸いに来てもよさそうなのに、一度も見たことが無い。

(EOSキッスデジタルN 65ミリマクロ+CCTVレンズ)
新開 孝

クロゴキブリの死骸 2005/11/26
 クロゴキブリは家屋内にすみつき、もっとも嫌われるゴキブリであり、またもっとも代表的なゴキブリだとも言える。
 クロゴキブリよりか少し小ぶりで姿のよく似ているヤマトゴキブリは日本土着種で、主に林に棲んでいる。ヤマトゴキブリは寒い冬も野外で越せるが、クロゴキブリは屋内でないと冬を越せないから、どうしても人の生活に寄り添っていたいわけである。
 そんなクロゴキブリだが、何を間違えたか野外に走り出たらしい。そこをおそらく誰かにムギュッ!とばかり踏みつけられたようだ。彼らは誰もがご存知のように夜行性であるから、この惨殺事件はやはり昨夜あたりの出来事かと思う。
 
(EOSキッスデジタルN 65ミリマクロ+CCTVレンズ Nikon SB-21使用)

新開 孝

ナミテントウ 2005/11/25
 昨日は「化け山」の一角で多数のナミテントウが集合していた。
 コンクリートの電柱へ次々と飛来しているのだが、多いとはいっても山間部で
見られるような大集合から比べれば、規模ははるかに小さい。したがって写真にもならなかった。
 今日クワの葉で見つけたナミテントウは、まるでキイロテントウのように食菌をしているのではないか、と思わせるしぐさをしていた。確証はないが、ナミテントウはアブラムシ以外にも様々な食物をとるので、菌類を食してもおかしくはないかもしれない。

(E-500 マクロ35ミリ 1.4倍テレコン使用)

 さて、本日は待ちに待ったOLYMPUSの「マクロ35ミリ」が手に入ったのでさっそく撮影に使ってみた。1.4倍テレコンバーターをつけて、レンズを最大に繰り出すと2.8倍の拡大接写ができる。レンズ長は短いので内蔵ストロボと簡単なディフューザーだけでライティングも可能である。
 この35ミリマクロレンズはとにかく軽い!(165グラム)それでいてテレコン付けて約3倍までの接写が可能であり、さらに無限遠までの通常撮影もできるから、野外撮影では非常に活躍することだろう。
 こうなるとCanonの等倍から5倍までのマクロ撮影専用レンズ、65ミリマクロは、もはやスタジオ撮影専用となるだろう。65ミリマクロはでかくて、重いからだ。そもそもマウント径が大きいぶん、CanonのEFレンズはどれもでかくて、重くなるのは仕方が無い。
 
 これでオリンパスのEシステムの所有レンズは、あと来年早々に発売される8ミリ魚眼が加われば、私の仕事で必要なレンズ類はほぼ揃うことになる。ようやくここまできたか、という気もするが、オリンパスのデジタル一眼レフカメラは、他のメーカーとは違って、システム全体を最初からデジタル設計で立ち上げてきたのだから、ある意味でとても安心して使える。
 なんといっても全てにおいて小型軽量であることは、昆虫を野外で撮影するとき、この上なく助かるのである。
 こうしてスタジオ撮影は主にCanon機材で行い、野外では身軽なOLYMPUSのEシステムを、そしてやがて導入するニコン機材は野外ロケが長期に渡る場合にEシステムと供に稼働させる、という各カメラメーカーの仕事分担も決まってきた。
このような仕事のすみわけをメーカー別に采配できるのも、デジタルカメラがかなり成熟期に入ってきたためだろうと思う。機械はいつかは調子も悪くなるし、極端な場合はまったく稼働しなくなる危険性も孕んでいる。そういうときに備えて、3メーカーの機材がお互いに補完しあえる状態を私は望んでいる。新開 孝

ヘラクヌギカメムシ♂の勘違い? 2005/11/24
 秋も深まってくるとクヌギカメムシ類の活動がさかんになってくる。本格的な冬の到来前に繁殖期を迎えるからである。
 さて、先週あたりからよく目にするのはヘラクヌギカメムシの♂たちである。「化け山」では金網柵の上を歩いているので、これがけっこう目につきやすい。
 そもそも金網柵を設けた方々の目的は、まさにむやみな侵入を防いだり、境界を明確に仕切るためだろう。しかし、私にとって金網柵はとても都合の良い昆虫観察用トラップであり、また昆虫たちにとっては雨風をしのぐ隠れ家だったり、産卵場所だったりする。またツル植物たちにとっては繁茂する上での大事な足場となり、複雑な植物環境がそこに出来上がるわけである。
 人工物である金網柵が、様々な生きものたちの生活空間として利用され、そしてそれを日々眺めて楽しんでいる超極少数派の人間、それが私なのである。

 話がそれてしまったが、写真のヘラクヌギカメムシ♂はエサキモンキツノカメムシに求愛しているのであった!
 どうしてそういう間違いを犯すのか不思議ではあるが、この♂はかなり執拗にせまっていく(写真上)。そのうち交尾器が絡んだのか、外見上は交尾が成立したような瞬間もあったくらいだ。おお!と私も驚いてカメラを向けたが、その交尾状況のカットは撮影できなかった。エサキモンキツノカメムシがもがいたため、すぐにほどけたが、逃げるエサキモンキツノカメムシをさらに追いかけるヘラクヌギカメムシ(写真下)。
 このヘラクヌギカメムシ♂がこんなに熱くなっているのも、なかなか♀に巡り会えないためのあせりなのか?などと想像するのは止しておこう。きっとそれなりの事情があるのだろう。

 なお、クヌギカメムシとヘラクヌギカメムシの判別は、今回の場合は腹部の気門部が写っているので容易である。気門が黒色ならクヌギカメだが、腹部全体と同色ならばヘラクヌギカメだ。もっとも地方によってはさらにサジクヌギカメも加わり判別はさらにややこしいことになるが、ここ清瀬など関東平野部ではサジクヌギは棲息していない。

(E-500 マクロ50ミリ 1.4×テレコン使用)新開 孝

ウラギンシジミのねぐら 2005/11/23(その2)
 キヅタの葉うらにウラギンシジミが休んでいた。
ウラギンシジミは成虫越冬だが、こうして常緑樹の葉うらに隠れるようにして冬の寒さに耐える。
 真冬でも暖かい日には飛び出すこともあり、越冬場所はあちこち移動しがちである。おそらく今日のウラギンシジミも何日か経てば、また別のねぐらを求めて旅立つのではないかと思う。

(E-500  マクロ50ミリ 及び 7-14ミリズーム 使用)新開 孝

ワカバグモの狩り 2005/11/23(その1)
 ワカバグモはその名の通り、緑色した透明感のあるきれいなクモだ。
主に林の梢を徘徊しながら、小昆虫などを獲物として捕らえる。
 ケヤキに這い登っているキヅタを見ていると、ハエの獲物を口にくわえたワカバグモが、ススッスーッと頭上から降りて来た。お尻から繰り出す糸で降下して、そのままキヅタの葉上に軽々と着地した。

(E-500  マクロ50ミリ 1.4倍テレコン使用)新開 孝

まだまだ続く羽化 2005/11/22(その3)
 エサキモンキツノカメムシが「化け山」に大発生していることは連日、お伝えしてきた。
 今日の日中は暖かったせいか、羽化を2例ほど確認できた。
終令幼虫の数も多く、まだまだこの先羽化が続くと思われるが、しだいに寒さが厳しくなっていくなかで、羽化しきれずに死んでいくものも出てくるのではないだろうかと思う。
 そういえばようやく思い出したのであるが、エサキモンキツノカメムシは年2回、繁殖しているという報告を以前に読んだ事がある。今「化け山」で見ている多数のエサキモンキツノカメムシたちは、その第2化目なのであろう。第1化は、5月のころである。


 『「お化け山」は「化け山」という話』

 地名の俗称は、その由来も誰知れず広まり、そして後世にまで語り継がれるものが多い。
 私がこの夏に聞き及んだ近所の雑木林の通称「お化け山」とは、本当は「化け山」が正しいと、ある方からご指摘いただいた。有り難いメールであった。
 実は私に「お化け山」と最初に教えてくださった方意外にも、「お化け山」と呼び慣らしている方はけっこう回りにいて、どうやらどこかでこの俗称が変化していることを、あらためて知ることとなった。
 地名の俗称は、そこに永く住んで生活している人にとっては、小さい頃から慣れ親しんできた言葉だけに、「お」がつくつかないという微妙な違いすら看過できないことは、私にもその気持ちがよくわかる。
 しかし、なにせ私はここ清瀬に住んでいてもよそ者同然であるから、こういう地元の慣習に属する事には、ほとんど無知でいる。
 これまで近所のフィールドであろうと、地方のどこであろうと、撮影の仕事中に出会う地元の方とはできるだけお話をしてきたつもりである。しかし、どうやらつもりはつもりだけで、私の努力は撮影への集中力に紛れてしまい、努力の成果にはあまりつながっていなかったようだ。
 この先、私が地方へ移住したなら、もっともっと近在の方々に対して積極的な態度をとらないと、仕事自体もうまく運ばないだろうなあ、と少し考えている。
 浮き草のような生活感から、根をはった生活への変化とは、ちょっと想像の域を超えるほど、東京の生活が永過ぎたのかもしれない。
 
 
新開 孝

カメムシの越冬カラー 2005/11/22(その2)
 カメムシの仲間には成虫で越冬するものが多い。
このチャバネアオカメムシも、真冬の落ち葉をめくっていると、あしを体の下に折り畳んで、寒さに耐えている姿がよく見つかる。
 チャバネアオカメムシは体の大部分が鮮やかな緑色をしているが、越冬中は今日の写真のようにくすんだ茶色に変色する。このような色変わりをするカメムシは他にも多くの種類がいて、共通していることは、みなくすんだ茶色系に変わることだ。
 そして色変わりのタイミングは、11月に入って秋冷の頃から始まる。新開 孝

芋虫乗り合いバス 2005/11/22(その1)
 この芋虫乗り合いバスはなぜか先を急いでいた。
しかし、乗客のアブラムシはたまったもんではない。アブラムシのすみかは同時に餌場でもある。そこから遠のくことは、アブラムシにとって断食を意味する。
 闇雲に走り続ける芋虫は、もしかしたら蛹になる場所を求めていたのかもしれない。
 
 乗り合いバスの芋虫は、おそらく「オオアオシャチホコ」の幼虫だと思う。図鑑によれば、エゴノキを食し6月下旬と9月下旬の2回現れるらしい。そうすると時期的にはずいぶんと遅いことになる。

(E-500  マクロ50ミリ1.4倍テレコン使用)新開 孝

オオキンカメムシ、越冬集団 2005/11/20
 千葉県、房総半島南端、野島崎燈台を訪れた。

 オオキンカメムシの越冬集団を撮影するためにここに来るのはもう何回目になるか忘れてしまった程だが、今回は家族旅行を兼ねて立ち寄ってみた。ちなみに家族旅行の目的地は鴨川シーワールドだった。
 
 さて野島崎燈台の林を歩くと、木々の梢で身を寄せ合ったオオキンカメムシたちをすぐにも見つけることができる。なにせ林といっても狭い範囲である。初めて訪れた方でも、このオオキンカメムシの越冬集団を見つけるのは容易いと思う。
 オオキンカメムシは秋に入ってから夏の繁殖地を離れて南へ南へと移動し、ついには太平洋の荒波せまる半島突端の林に集結するのである。新開 孝

キバラケンモン幼虫 2005/11/19
 木枯らし吹く寒い一日となったが、日射しはあって青空が綺麗だ。
しかし本日は原稿書きの仕事があり、外出は午前中に子供の小学校に行っただけとなった。体育館では子供たちの図画工作の展覧会が催されていた。小学校は歩いて5分程度の距離だが、帰り道は中里の雑木林を歩いて帰った。
 相変わらずエサキモンキツノカメムシの姿が多い。気温が低いので歩いているものは少なく、中には数十匹が葉うらに身を寄せ合っていたりする。
 そうした中、元気に徘徊していたのがキバラケンモンの幼虫であった。
蛹で冬越しだから、その蛹化場所を探し歩いていたと思われる。本種はサクラにつくようだが、他にも食樹があるのかもしれない。


 『デジタルカメラ迷走街道を行く/その2』

 デジタルカメラを使い始めてから、撮影が雑になりがちな事が多いことに気付く。デスクトップのモニターの大画面でチェックして冷や汗をかきながらも、また同じ過ちを繰り返してしまう。
 どうやら撮影直後にカメラのモニターで画像チェクできることで、かつてフィルム時代に培ってきた緊張感、集中力を欠いた撮影態度にいつのまにか陥っているようだ。
 フィルム撮影の頃は、被写体を前にして写真の出来上がりのイメージというものがもっと仔細に描かれていたように思う。そのあらかじめ描かれる脳内画像がこのところラフになっているようだ。ヒドいときにはその脳内画像すら省略して、いきなりモニターに浮かび上がる撮影結果にすがることも多い。
 これまでの、フィルムならこうして撮影すればこういう写真になる、という脳内回路がいまだに強く生き残っているようだ。もういいかげんデジタルカメラを使いこなしていいはずなのだが、、、。

 デジタル写真が印刷物に製版されてはじめて、その画質や写真の良さが評価できるのではないか。そう思うのも私の場合、印刷物という本作りがもっとも比重の大きい仕事と捉えているからに他ならない。
 だからパソコンのモニター画面でいくら上質の画像が描かれたところで、それは納得のいく、あるいは安心のできる撮影結果とはすぐには言い難いものがある。モニターの写真には実体感がない。いやそれは写真そのものではないはずだ。

 新開 孝

キバラヘリカメムシ 2005/11/18(その3)
 ニシキギの赤く紅葉した葉っぱでキバラヘリカメムシが日光浴していた。
最初は成虫がいくつか目についたが、よく見れば終令幼虫の姿もあった。本種は成虫で冬越しするが、冬の雑木林でその姿を見つけるのは難しい。

(E-500 マクロ50ミリ 1.4×テレコン使用)


 『デジタルカメラ迷走街道を行く』

 そもそも私はこれまで、銀塩フィルムカメラといえばブローニーを主体に使っていた。ブローニーでは苦手だったり、不利な場面では35ミリサイズカメラを補助的に使う程度だった。印刷製版が仕事の上では一番の目的だったから、ブローニーを選択するのはそれなりの理由があったわけだ。
 それがデジタルカメラの時代に突入するや、いかにもブローニーカメラの存在が薄れてしまったような錯覚に陥ってしまった。もちろんスタジオ撮影の世界ではブローニーサイズの業務用カメラは以前からあるのだが、価格的にも桁が違い過ぎるし、野外で身軽に使える機種はかなり少ない事情もあって、そこはまた別世界となってしまった。
 このところデジタル一眼レフカメラの画素数が1000万画素を超え始めてくると、はたして撮像素子サイズはこのままで良いのか?と素人ながら疑問に思えてくる。1600万画素を超え2000万画素にも届こうかというとき、そこはもはやブローニーカメラの領域なのではないか?そんな素人考えが騒ぐ。
 過去に使い慣れていたPENTAX645はいったい、いつになったらデジタル化するのだろうか?私がこのところCanon、OLYMPUS、Nikonとメーカーを超えてそれぞれのデジタルカメラを手にするようになった訳は、どうやらPENTAX645を失ってしまった穴埋めに奔走しているような気がする。
 これまでにデジタルデータでの製版経験は、私の場合それほど数多くないが、正直言っていずれもフィルムのときのような満足感を得ていない。それは印刷所の問題もあるかもしれないが、もはやそういう時代ではないはずだ。どこの印刷所でもきちんとデジタルに対応できなければ、デジタルカメラを使うメリットはまったく活かされないことになる。
 
新開 孝

今年のエリマキアブ 2005/11/18(その2)
 テレビ番組収録の下見に近所を歩いていたら、エノキの枝に巻きついているエリマキアブ(フタスジヒラタアブ)幼虫が見つかった。
 本種の驚くべき生態は、すでにこの「ある記」バックナンバーで何度か紹介したのであるが、依然としてその生活史の詳細はよくわかっていない。

 このエリマキアブについては学研の「日本産幼虫図鑑」におそらく本邦初の生態写真として掲載されている。ちょっと高いけれど、この図鑑は昆虫観察を常とする方々にとって重宝すること間違いない。

 エリマキアブのことはもっと喰い下がって追求してみたいが、今年はハイビジョンビデオで撮影しておきたいと思っている。去年は少しDV撮影したのだが、中途半端に終わってしまった。それは写真撮影を先行させたせいだと思う。新開 孝
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