|  | | | 私が所有する林は、「私の林」と言ってもいいのだろうけど、なんだか違和感がある。 これが「私の車」とか「私の家」とかの表現なら、当たり前だけどまったく違和感がない。「私の林」という言い方に違和感を覚えるのは、そもそも「林」を所有するということが、通常の一般家庭では、あまりあり得ないことであるからだろうと思う。「私の畑」くらいなら、今は貸し農園も盛んであるから、これも耳に馴染みがあっておかしく感じない。 「私の林」を「うちの林」と言い換えると、少しだけ違和感が薄れる。これは「私の亭主」に対して「うちの亭主」という言い方が多少なりともそっけなさを感じさせることでわかるように、「私の」という表現には、自分の所有物という明示以上に「自分の思い入れ」あるいは「執着心」というものが感じ取れるからだろう。「うちの林」なら、「必要もないのに敷地内に林があってさあ」という事情を抱えている人なら、意外とそこそこいらっしゃるのではないかと想像して、あり得ない話でもないなあと思うからだ。
前置きが長くなったが、つまりこのところ私は自分の所有する林に「愛着心」をしだいに抱き始めたのである。自分なりには「私の林」と言いたくなってきたのである。もちろん土地を購入すると決めた段階で、「林」も敷地内にあることが魅力となったのではあったが、最初の頃の林はともかくひどく荒れていた。手入れしないかぎり、林そのものが写真の被写体となる可能性などはまったくゼロであった。 昨年の秋から本格的な手入れを施し始め、斜面林2100平米(約640坪)のほぼ半分以上の面積において、はびこっていたササ類を伐採し終えた。下刈りを終えた箇所は大きなクヌギが立ち並んだ、林のもっとも主要部分であるから、とりあえずは、クヌギ林として少し様になってきたように思う。林の地面まで太陽の日射しが届くようになり、風通しも格段に良くなった。 もっともまだ落ち枝や落ち葉などのくずはき作業など、整備するべきことは数多く残されている。山積みになったササの有効利用や解体処分作業も終わることなく続く。クヌギの木もどれも大きくなり過ぎているから、選んで萌芽更新もしないといけないだろう。いろんな自然木も新たに植えてみたいし、まだササがびっしり残っている所も伐採して、そこにはクヌギやコナラをドングリから育てたいとも考えている。
さて、今日の写真は13年前の1995年1月に所沢市の雑木林で撮影したルリビタキのメス。1989年〜この当時頃までは、冬になるとけっこう鳥の撮影もしていた。とくに1995年の冬は、ルリビタキのオスが私の通う林に初めてやってきた年で、しばらくはルリビタキの撮影に夢中になったことが懐かしい。 このところ私の林では、ジョウビタキの姿をよく見る。私がときおり落ち葉をどかしたり、ササを払ったりすることで、ジョウビタキにとっては格好の餌場が出現するからだ。ジョウビタキのもっぱらの餌は落ち葉の下などに潜んでいる、クモや昆虫、ムカデ類などだ。木や草の実もついばむが、やはり動物質の餌を好むようだ。ジョウビタキが地面に飛び降りては何やら獲物をついばむ姿を眺めていると、遠い過去に(13年前だが宮崎に移転したことでずいぶんと過去に感じる)ルリビタキを撮影したことを思い出した。
ルリビタキを撮影していたころ、オスの美しい瑠璃色や、彼らの可愛らしい表情を撮影することもそれなりには時間をかけた。しかしそういう絵柄よりも私がもっとも撮影せねばと心がけていたことは、ルリビタキがどんな獲物をどうやって見つけ出し食べているのかという場面だった。ルリビタキがこんな餌を食べていますよ、という説明がきちんとできる絵柄の写真を撮りたかったのであった。 この13年前の写真では、ルリビタキのメスがマダラカマドウマをくわえている。じつはルリビタキが止まっているコナラの根際には小さなウロがあって、その中に数匹のマダラカマドウマが潜んでいたのだ。私はこのルリビタキが樹洞から獲物を引きずり出すまで、その樹洞内にマダラカマドウマが潜んでいることなど、まったく知らなかった。しかし、毎日のようにルリビタキの行動を追いかけているうちに、彼らの視線の先や次にとる行動の兆しなどがしだいに読み取れるようになっていた。 ルリビタキのメスが、コナラの根際に飛び移り、ちらりとウロの中に視線を送る瞬間を私は見逃さなかった。そのチラリの瞬間から私はカメラのシャッターを押し続けたのであった。今日の写真はそのときの一連のカットの中の一枚。
『ポジ写真の複写はスキャナーではなくデジタルカメラで、、』
今日の写真はポジ写真を最初はスキャナーで取り込もうとしてうまくいかなかった。どうもスキャナーのドライバーソフトの細かい設定を知らずといじってしまったようだ。なんとかしようといろいろ設定をいじっていくとますますヒドくなって、気が変になりそうだったので、思い切ってデジタルカメラで複写することにしてみた。 簡易的な複写台を作り、カメラはE-3、レンズは35ミリマクロと1.4倍テレコン。光源にはストロボFL-36R、2台を複写台の背面にころがし、光りをポジ写真のうしろに配置した乳白板を透過させる。こういうとき、E−3のワイヤレスRCフラッシュシステムはたいへん役立つ。注意すべきはフィルム面とカメラの撮像面をできるだけ平行に保ことと、光源の光りがレンズに直接入らないようにすること。 WBはいろいろ試してみたが、オートでまずまず。露光調整はTTLオートで+1のさじ加減。絞りはF8くらい。光源は蛍光灯でもいいだろうが、ブレを簡単に防ぐにはストロボが確実。ピントをしっかり合わせるためにも、もちろん三脚は使う。ただし、ピント合わせ用の照明は別途用意する必要がある。
私の使っているスキャナーはエプソンの初期の頃のフラッドヘッド式であり、フィルムスキャニングはおまけ程度という扱い。もちろん設定をきちんとやれば、ラフや写真確認用やWEB用のデータ画像など仕事上で使うことも充分可能である。しかし、いかんせん、ウォーミングアップやら取り込み時間などにかなり時間が掛かり過ぎる。写真点数が多いときなどはパソコンの前にただただ坐っている時間が長く無駄で実用的ではない。
そこでお金もないことだし、最新式スキャナーなどは考えずに、今日のような複写撮影が実用的だと思った。この方式をうまく使うには、写真のセッティングも簡単にできるような複写台を工作する必要がある。スタジオにころがっているガラクタ素材をかき集めれば、なんとかなりそうだ。あとはひらめきと工作に注ぐ情熱があれば良い。ただ、今のところその情熱が少し足りないのである。  | |