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写真展「清瀬の昆虫たち」、本日、終了 2007/03/18
今月、10日から開催していた写真展「清瀬の昆虫たち」が今日で終わった。

開催期間中は予想以上の反響で、ホッとしているところである。
「清瀬自然を守る会」の大勢の方々や郷土博物館のスタッフの方たちには、たいへんお世話になった。ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいである。

また山形や長野県という遠方からも会場に駆けつけていただいた方もいて、恐縮しつつも嬉しかった。

午後2時からは私の講演をおこなったが、会場では立ち見の方もいらっしゃった。申し訳なかった反面、多数の方々が聞いてくださり、有り難かった。

こうしてしゃべっている私の頭もずいぶんと薄くなった。これから引っ越す宮崎県の新知事の頭に似てきたのも偶然ではないかもしれない。かっこよくハゲようと願っていたが、そううまくもいかないようだ。

それはさておき、講演には知り合いの方々も多く来ていただいた。なかでも森上信夫さんには、会場の様子や記念撮影を行ってもらった。会場の片付けまで手伝ってもらったが、森上さんからは近日中に発売される本をいただいた。
文一総合出版の「昆虫の食草・食樹ハンドブック」であるが、森上さんは昆虫を担当され、植物は林将之さんが手掛けられている。ポケットにも収まるサイズなので、野外観察のときには重宝するだろう。こういう本は私も欲しかった。
 
(写真は2枚とも森上さんが撮影)
新開 孝

清瀬の昆虫たち写真展 2007/03/14
 今日はよく晴れたが、風は冷たく気温は低い。セイヨウカラシナの花もポツポツ
咲き始めたが、これではツマキチョウも飛べないだろう。

 会場には午後から赴いた。というのも、今日から明日、明後日までの午前中は、引っ越しの準備作業があるからだ。それにしても荷物はやたらと多く、いくら段ボール箱に詰めても、片付かない。

 会場には、仙台の昆虫写真家、中瀬潤さんが来ていただいた。中瀬さんは、水生昆虫を中心に撮影なさっており、昨年、偕成社から『カゲロウ観察事典』という本を出版された。事情あって今日は日帰りされるというので、新秋津駅前の居酒屋「サラリーマン」で軽く一杯やってから、御見送りした。

 中瀬さんは、これからは昆虫だけに留まらず、川という水系に生きるいろいろな生き物の生活まで撮影域を拡げていくそうである。中瀬さんのきめ細かい、優しい視点でもって、みちのくの渓流の自然を生き生きと描写してくださることに、大いに期待したい。

 (Canon キッスデジタルN EF15ミリ魚眼)  新開 孝

新刊『虫のこどもたち』福音館書店 2007/03/13
 6月上旬に、福音館書店から『虫のこどもたち』が発売される予定。

 本書は2年前に出した『虫たちのふしぎ』の姉妹編という形で構成している。撮影期間は2006年のほぼ一年間で、撮影地の99%は清瀬市内である。只今開催中の清瀬の昆虫写真展には、残念ながら印刷が間に合わなかった。

 『虫のこどもたち』は、前作『虫たちのふしぎ』よりも写真を大きくレイアウトするようにしてみた。頁数も20頁ほど増えている。『虫のこどもたち』をめくっていくうちに、読者の方がしだいに野原へ、林へと出向いてみたくなるよう感じていただければと、願っている。写真ではなく、ほんものを見てみたい!そう思うような本をめざしたつもりである。

 一方で、このところ私の昆虫を見る感覚が、どこかで独りよがりになっているのではないか、という懸念を強く抱いているのも事実だ。いつも一人っきりで本の構成を固めてしまうやり方に、いささか行き詰まりを感じる。表現者としては深刻な問題だ。

 今、清瀬市で開催している写真展をひとつの締めくくりとし、新しい生活の場、宮崎への転居とは、膠着したような私の感覚を一新する上では、非常にタイムリーな機会だと捉えている。まったく生活環境が違う場所で暮らし、庭の手入れ、雑木林の整備、ご近所の農家の方々との付き合い、新しい未知のフィールド探索、等々、自分の感性に刺激を得るには充分過ぎる時間があるだろう。そこでしばらく、昆虫写真家としての自分を見直す必要があるようだ。


『清瀬の昆虫 写真展 講演について』

 写真展最終日の18日、日曜日には、午後2時から1時間、私の講演が予定されている。当初、50名という定員で予約制にしていたが、予約希望がいつのまにか80名を超えてしまった。そこでなんとか会場での工夫をして、80数名までは入場枠を拡げていただいたが、さすがにここで閉め切りとなった。
 私はそれほど予約が入るとは考えてもおらず、当日にも空席があるようなことをここで以前に書いてしまい、そのおかげで予約し損ねた方もいらっしゃったようだ。その点については、たいへん申し訳なく思っている。

新開 孝

「清瀬の昆虫たち 写真展」 2日目 2007/03/11
 午前中は雨で気温が低かったこともあり、来館者はぱったり途絶えたような状況であった。しかし、午前11時頃から来館者の方の姿が目立ち始め、正午には外も晴れてきてそれと同時にギャラリー館内は盛況となった。

 今日も知り合いの方達が数多く来場してくださったが、数年もお会いしてなかった方などは、すぐにお名前が思い出せず、失礼なことをした。
 最近は昆虫の種名をどんどん忘れていくような気がしていたが、人の名前もしばらくお会いしていないと、すぐには出て来なくなった。

 さて、本日は森上信夫さんが来られた(写真下)。
森上さんは大学職員という職をもっておられる一方で、昆虫写真を撮り続け、これまでに図鑑やあるいは出版本などで活躍なさっている。かつて動物写真部門で「アニマ賞」も受賞なさっている。
 昆虫写真家のスタイルとしては、森上さんのような兼業写真家というやり方もありだろうし、むしろそうした方達のほうが主流になってくるのかもしれない。

(E-330  ズイコーデジタル 7−14ミリ F4)

新開 孝

写真展 清瀬の昆虫たち、開催初日 2007/03/10
清瀬市郷土博物館で、本日から「新開孝写真展 清瀬の昆虫たち」の開催となった。
朝日新聞の今朝の朝刊に紹介記事が掲載されたおかげで、遠方からの来館者の方も多く
びっくりした。
 私の知り合いの方も次々と来場していただきうれしかった。山形県からは、永幡嘉之さんがいらしてくれた。永幡さんは最近では『リシリノマックレイセアカオサムシ さいはての島の小さな奇跡』(昆虫文献 六本脚)という本を共著(文・井村有希)で出版された若手の自然写真家である。
 一昨年の6月、小学館ネオ図鑑『カブトムシ・クワガタムシ』の撮影の仕事で山形県を訪れた際、永幡さんにフィールドを案内していただき、ほんとうに助かった。そこで初めてお会いし、お話を伺っていると、永幡さんの自然全般への知識の広さ、洞察力の鋭さ、そして並々ならぬ情熱が感じられた。
 永幡さんは34歳と若く、これからますます活躍の場を広げて欲しいと思う。

明日も私は終日、会場にいます。お時間ある方は、是非いらしてください。

(E−330 7-14ミリ ズイコーデジタルズーム)
新開 孝

写真展 清瀬の昆虫たち、明日から開催 2007/03/09
 昨日から行なってきた写真展の準備が今日の夕方、完了できた。
写真のパネル入れや、キャプションプレートの設置、等々、会場の設営は、清瀬自然を守る会の会員の方々や、博物館のスタッフの方達の尽力によるもので、たいへんお世話になった。

 展示写真点数は、約150点となり、それでも余った写真は休憩室および販売コーナーに展示した。
 私が今回一挙にプリントアウトした点数は、実際には200点近くになり、その作業時間はかなりのものであった。少し疲れた。
 しかし疲れたけれども、明日から会場に来て下さった方達が少しでも楽しんでいただければ、と思う。

 (E-330  7−14 ズイコーデジタルズーム)

新開 孝

ゴマダラチョウ幼虫、彷徨う 2007/03/06
 車のなかでは思わず冷房を入れたくなった。それほど暖かい一日だった。

 すると、昨日に見つけたゴマラチョウの幼虫が気に掛かる。今日もあちこち飛び回るうちに、時間はあっという間に経ってしまったが、ゴマダラチョウの幼虫だけは寸暇の間、観察ができた。

 午前中の日射しを受けて、幼虫は小木のエノキをあちこち彷徨っていた。どうやら餌を求めていたように感じる。ほころびかけた若芽さえあればいいのだ。しかし、エノキの芽にはまだ春の兆しが見えない。硬い冬芽のままである。これではさすがに餌としてかじることもできないのではないか。さて、一体どうする?

 昼過ぎ、夕方とさらに覗いてみれば、いくら丁寧に探しても幼虫の姿がない。幼虫のいたエノキは樹高2メートルにも満たない小木であり、一番近い隣りのエノキまでは2メートルくらい離れている。しかし、周辺の木を探してもやはり見つからない。

 幼虫がいなくなった理由を考えてみれば、一つには鳥などの天敵に喰われたか、あるいは地上の落ち葉に再び戻ったか、などという狭い考えにとらわれてしまう。なぜ一度はこしらえた枝又の台座に戻っていないのか? 
 幼虫がいなくなった理由をさらに想像してみたが、結局わからない。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

『 写真展のご案内 』

 今月の10日から18日まで、清瀬市郷土博物館で開催される写真展について、私が会場にいる日時予定をお知らせ致します。

 10、11日、そして17、18日は終日、会場にいます。
 14、15、16日は午後から会場にいます。13日は午前中と、午後3時以降にいます。 12日は博物館が休館です。

 ご来場の際の参考にしていただければ、幸いです。
新開 孝

ゴマダラチョウ越冬幼虫、登る! 2007/03/05

 朝から南風が強い。こういう日は砂埃がたいへんで、外を歩く気がしない。しかし、今日は銀行や郵便局などへの用事があって、外回りをせざるを得なかった。

 駐車場からうちに戻る途中で、エノキを見てみた。ずいぶんと暖かい風が吹き荒れているなか、一匹のゴマダラチョウ幼虫が梢を歩いていた。慌ててカメラを取り戻ってみれば、すでに幼虫は枝又に落ち着いていた(写真/E-500 35ミリマクロ+1.4倍テレコン)。


 『OLYMPUSの新型デジタル一眼レフカメラ』

 OLYMPUSから、4月下旬にE-410が、7月にはE-510が発売される。

 フォーサーズの特徴をフルに活かした、小型で、軽量のカメラだ。しかも液晶モニターはライブビューである。ダストリダクション機能もさらにパワーアップしているようだ。
 また、肝心の受像素子だが、新開発の低ノイズ・省電力の1000万画素LiveMOSセンサーとなり、画質向上も大いに期待できる。E-510には内蔵ブレ防止機能も備わっている。
 
  ところで私は、宮崎移転のためにたいへんな出費が重なり、現状ではこうした新機種を購入する余裕などない。私としては、やはりE-1の後継機に期待したいところだ。それは無理をしてでも導入したいと考えている。
 

新開 孝

写真展のご案内 2007/03/02
 今月の10日から18日まで、清瀬市郷土博物館で開催される写真展について、私が会場にいる日時予定をお知らせ致します。

 10、11日、そして17、18日は終日、会場にいます。
 14、15、16日は午後から会場にいます。13日は午前中と、午後3時以降にいます。 12日は博物館が休館です。

 ご来場の際の参考にしていただければ、幸いです。

 さて、引っ越しまであと一ヶ月もなく、さすがに慌ただしくなってきました。
当「昆虫ある記」の更新もいずれ、長い休止状態に入るものと予想されます。更新の継続は、上記、写真展開催中いっぱいが限界であろうと思います。

 「武蔵野編の終焉にあたり」シリーズも、飛び飛びになってしまい、読みづらいことと思いますが、最終回も含めて一挙にまとめてアップできればと思っています。

(写真/E-330  7-14ズイコーデジタルズーム/中里の雑木林にて)新開 孝

エノキの朽ち木と甲虫 2007/02/26(その1)

 エノキの立ち枯れ木を訪れたのは、テントウムシ越冬集団を見ておこうと思ったからだが、そこでは他の昆虫たちに出会うことができた。

 剥がれかかった樹皮をそっとめくってみれば、次々と現れるのが甲虫の幼虫であった。その一種はゴミムシダマシ科の幼虫のようで、クヌギの枯れ木でもたくさん見つかった(写真上)。
 ゴミムシダマシ類の幼虫がどういう成虫になるのか楽しみなので、飼育してみることにしてみた。

 立ち枯れのエノキを眺めていると、タマムシの死骸も見つかった(写真下)。おそらくエノキの朽ち木内には、タマムシの幼虫が多数、潜入していることだろう。今日、見つけたこのタマムシの死骸は、枯木に産卵をするために訪れたメスであったのではないか、そう想像してみた。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその9』

 ちょうど一年前の今日、私は初めて宮崎を訪れた。かつて高校生のときに憧れたフィールド、宮崎にやっと行けたのである。空港を降り立った第一印象は、やはり暖かい地であった。ほんのりと全身が濃い湿度に包まれ、その感触が嬉しかった。

 それからあっと言う間に一年が過ぎて今日となった。最初は難航すると思われた移転計画もすんなりと進行して、とうとう転居の日までも残すところちょうど一ヶ月となった。転居日は3月26日である。今では宮崎弁のかなり聴き取りにくかった会話の不動産屋さんが懐かしい。最初から最後までずっとお世話になったが、いい人に巡り会えたと思う。

 私は放浪するという性格には縁遠いのかもしれないが、ときにぽ〜んとどこか遠くに飛んで行きたくなる。それはいつも暮らしている環境とは全く異なる自然環境にどっぷりつかりたいと思うからで、そういうときは、見知らぬ土地を徹底して眺めたいという気合いも伴うのであり、できれば数日位ではやりきれない。だからか、例えば海外に赴くなら、2ヶ月以上の滞在を前提にしたくなり、それは現状の生活では実現不可能なのである。

 
 

新開 孝

テントウムシの越冬集団 2007/02/26
 去年の冬、テントウムシ(ナミテントウ)の越冬集団を撮影した立ち枯れのエノキを再び訪れてみた(写真上)。
 
 大きなエノキが3本あって、いずれも完全に枯死している。前々から不思議に思っていたのだが、農家の方に聞いた話では、畑のほうに伸びてきた根っこを切ったら枯れてしまったということだ。
 さてエノキを見ると、手の届く範囲でめくることができる樹皮はもうあまり残っていないか、あっても隙間の空間が狭く、テントウムシが潜り込むことができない。

 エノキの高い場所だと樹皮が浮き上がったところがけっこうある。間違いなくそこにはテントウムシの集団が潜り込んでいるはずだと思えた。
 そこで長い棒を使って一箇所だけなんとか樹皮をはがしてみた。するとカメノコテントウ2匹が混じったテントウムシの集団が現れた。テントウムシの数はおよそ30匹ほどだろうか(写真中)。

 撮影しようとなんとか木に登ってみたが、集団の位置に片手を伸ばしてカメラを構えるのがやっとであった。そうこうしてもたついているうちに、テントウムシたちの大半は日射しを嫌って樹皮の隙間の奥へと移動してしまった(写真下)。

 高さは3メートルほどだから、ハイルーフの車でキャリアを載せていれば、そこに登っての撮影ができるだろうと思う。ちょうど道路脇なので、エノキの根元まで車を寄せることができる。
 昔の私の車はワゴン車で、そのハイルーフに登ってよく撮影したものだ。ボコボコとルーフがひしゃげる音がしていたが、上手に体重を移動させれば、へこんだ部分はすぐ元に戻っていた。
 しかし、こうした高所での撮影は、必ずしも車が寄せられる条件にあるとは限らない。理想的にはロープを使った木登り技術をマスターするのが良いのだろう。写真家の横塚眞己人さんは、そういう木登りのプロで、熱帯ジャングルの高木に登っての撮影をなさっている。私もいつか木登り技術のレクチャーを受けたいとも思うが、それには筋力トレーニングも必須であるから、すぐにとはいかない。
 横塚さんと握手すると、がっしりとした力強い腕力が印象的だ。筋トレも必要だが、その前に減量せねば、、、、、、。

 ま、梯子も軽いのを用意すればいいかもしれないが、3メートルほどの高さであっても、そこで自由にカメラを構えるというのは、案外厄介なことである。


(写真/E-330  14-54ミリズーム)新開 孝

『日本産カミキリムシ』東海大学出版会 2007/02/23
 今朝、『日本産カミキリムシ』(東海大学出版会)という図鑑が届いた。

 本書では日本のカミキリムシ全946(亜種を含む)種を網羅しており、ほぼ全種が標本写真で掲載されている。また図解検索によって種の同定も容易にできる。
 カミキリムシの生態、形態や、研究方法、採集方法、標本作製法、撮影法など、総合的な解説も豊富に盛り込まれている。
 3月末までの書店価格は32,130円(税込み)だが、それ以降は35,700円(税込み)となるようだ。

 私がこの図鑑の標本写真を撮影したのは、2000年暮れから2001年にかけての冬であった。なので待ちに待った図鑑がようやく完成して嬉しい。
 6年前はデジタルカメラを使い始めたころで、デジタル写真よりかフィルム撮影のほうがまだ多かった。デジタル写真に対する私の期待は高まりつつあったが、信頼度はまだ低く、仕事で本格的に使うのは躊躇していたころだったから、カミキリムシ標本撮影の仕事は迷わずフィルム撮影で行なった。
 PENTAX645のブローニー判を主に使い、体長5ミリ以下の微小種についてはCanonの65ミリマクロとEOS-1(35ミリ判)を使った。
 今日、初めて印刷の上がりを見て、一点一点の写真製版サイズが思ったよりか小さいのが、少し残念だった。頁数の制約のなかで多くの種類数を納めるためには仕方が無いと思うが、原版はブローニーだからもっと拡大サイズでも綺麗な仕上がりにできる。

 昆虫の中でもカミキリムシはとりわけ人気が高く、カミキリ屋と呼ばれる虫屋さんは全国に多い。私の知り合いにもカミキリ屋、あるいは元カミキリ屋という方が数多くいらっしゃる。『日本産カミキリムシ』が出たことで、また新たなカミキリ初心者がこれから増えるきっかけになるだろう。

 写真下は、昨日、所沢の雑木林で採集したカミキリムシの幼虫。この幼虫はコナラの立ち枯れの根っこから割り出した。
 さっそく旧版の『日本産カミキリムシ検索図説』(1992)で調べてみると、ノコギリカミキリ?ではないかと思われた。
 旧版では成虫の標本写真は載っていないが、幼虫の図解検索や幼虫の部分図、そして蛹の図解検索、蛹全形図の頁があって、これは重宝する。新版『日本産カミキリムシ』にある幼虫検索図では亜科のグループまでしか図解がない。
 幼虫も成虫も一緒に図鑑に載せるというのは理想的だが、頁数の制約から無理がある。幼虫期だけの図説を別冊で刊行できればいいだろう。

(写真上/E-330 14-54ミリズーム)
(写真下/EOSキッスデジタル シグマ50ミリマクロ)
  
『お知らせのお知らせ』

 3月10日から、清瀬市郷土博物館で開催される私の写真展についてですが、
12日(月曜日)は博物館が休館日ですから写真展もお休みとなります。来場を予定されている方は、この休館日にご注意下さい。

 また開催最終日(18日)に行なう講演の開演時刻は、午後2時です。

 新開 孝

ヤママユ繭殻とカシアシナガゾウムシ 2007/02/22
所沢市、下新井の雑木林と、三芳町、多福寺の雑木林を歩いてみた。

下新井の林のなかにポツンと生えたシュロの葉裏で、ヤママユの繭殻を見つけた(写真上)。
どうやら近くのコナラで育った幼虫がここまで移動してきて営繭したのだろう。シュロのような
葉っぱでは、繭作りに先立って舟形に加工するのは難しかったようだ。

多福寺のコナラの小木では、「ダッコちゃん」のごとくしがみついたカシアシナガゾウムシの
姿があった(写真2)。

今日は歩き回るうちに汗ばむほどであった。

(写真上・E-330 魚眼8ミリ)
(写真下・E-500 35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
新開 孝

昆虫写真家 2007/02/18
 昨夜は、海野和男さん、藤丸篤夫さん、湊和雄さんたちと都内で飲んだ。
私が来月には宮崎に移転するということで、ちょうど沖縄から東京へ来ていた湊さんの計らいで壮行会を催してくれたのである。

 たいへん有り難いことであり、なおかつこうして数少ない昆虫写真家が集まり顔を会わせる機会というのも滅多に無い貴重なひとときであった。

(EOSキッスデジタルN EF15ミリ魚眼)

 『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその8』


 高校生のころの私はカメラと無縁であったので、自然観察の記録を残すにはスケッチをするしかなかった(写真中のスケッチは神社のナツフジで見つけたコミスジ幼虫)。
 しかし、日々の発見はあまりにも数多く、いちいちスケッチで描くのはもどかしかった。やはりカメラがどうしても欲しかったのである。
 
 ところで当時は(30年前頃)、今のようにインターネットで気軽に様々な情報を入手できるわけでもなく、またチョウに詳しい方が身近にいたわけでもなく、ローカルなフィールド情報などがなかなか手に入りにくかった。
 それでどうしたかというと、無料で入館できる県立博物館をよく利用した。展示されている標本箱を覗き込み、標本に付いているラベルのデータを一生懸命に読むのである。黄ばんだ古いデータのラベルの場合は、すでにその産地の環境が激変してしまいあまり参考にはならなかったが、新しい年月のラベルが付いているのを発見すると、興奮しながらメモをとるのであった。メモの数が多くなってくると、今度の日曜日にはさっそくそのデータにあった産地へ行ってみよう、と算段を練るわけである。
 また、高校1年の冬の修学旅行では伊豆、東京都内、日光などを巡ったのであるが、私の一番のお目当ては、神田の書店街に行く事であった。
 たしか書泉グランデだったと思うが、『新しい昆虫採集案内U、西日本採集地案内編』内田老鶴圃新社(ろうかくほ)1971年刊を見つけ、さっそく購入した。
 本書を読めば、どこそこへどういう時期に行けば、どういうチョウや昆虫を採集できるか、見えるか、という情報を手に入れることができた。

 (採集地案内などというと、自然保護団体や生きもの愛護団体などから猛烈な攻撃を受けそうであるが、昆虫は、採集してくわしく調べるという段階無くしては、何も見えて来ない。その行為は学者だけの力では到底及ばず、昆虫学が成り立つためには全国にいるアマチュアの標本収集の成果も欠かせない。また知の楽しみには、採集を通して昆虫に触れ、体のすみずみまで理解するという作業も含まれる。昆虫は小さいので、標本にせずとも手に取ってみなければ、種名の確認もできないし、体のつくりも理解できない。網を振ることを神経質にやたらと取り締まるのも考えものだ。写真に撮って、あとから名前調べをしようというのも、まったく無駄ではないが、昆虫の種類は多過ぎて、正確な同定が不可能なことがほとんどである)

 さて、『新しい昆虫採集案内U、西日本採集地案内編』を開くと大扉には、日光浴するオオルリシジミ♂のカラー写真が載っている。撮影者は海野和男さんで、撮影データは信濃追分、1971年6月13日とある。
 チョウの生態写真をこんな風に自分も撮ってみたい、と当時はずいぶん羨ましく思ったものだ。ところが『新しい昆虫採集案内U、西日本採集地案内編』の巻頭には34頁を割いて、ちゃんと昆虫写真入門の記事が載せられており(岸田功氏著)、修学旅行のバスの移動時や、帰りのフェリー(徳島行き)のなかで、貪るように読み耽ったのは言うまでもない。
 まだカメラを持ってはいなかったが、いづれ購入できたときには、いつでも迷う事無くカメラを操作できるようにと、撮影法については何度も何度も頭に叩き込んだ。
 また、『新しい昆虫採集案内U、西日本採集地案内編』の各頁には、赤線があちこちに引かれており、当時はたいへん興奮しながら、勉強そっちのけで毎日読み耽っていたことが想い出される。
 今朝、久しぶりに本書を開いてみれば、「宮崎周辺」という頁にはことさら熱心に赤線が引かれてあることに気付いた。
 結局、私は学生時代のあいだに宮崎を訪れることは一度もなかったのであるが、採集地案内の文章や地図を繰り返し読み、眺めては、宮崎を訪れる日に焦がれていたようだ。
 (高校時代、そして大学を通じて、私は遠征することはほとんどなく、もっぱら自転車で行ける範囲、あるいはバスで日帰りできる「皿ヶ嶺」(実家のすぐ南にお皿を伏せたような山容が見える。ベニモンカラスシジミが初めて発見されて一躍有名にもなった、標高1270メートルの山)などのフィールドを巡る日々を過ごしていた。)
 なんとそれから30年も経った今、ようやく宮崎の地を訪れ、そしてあれよあれよと言う間に、移住を決意した。
 どうやら宮崎指向は高校生のころからすでに芽生えており、それがいつの間にか忘れ去っては、ふと想い出し、ということを繰り返してきたように思う。

 愛媛大学の昆虫学教室に入り、4年間の学生生活を過ごすうちに、とりわけ足田輝一さんの著書や写真などから影響を受け、武蔵野の雑木林や自然に憧れるようになった。
 大学を卒業後も就職先は決まらず、半年ほどは県立博物館などでバイトをしていたころ、ふとしたきっかけで、私は急遽、東京の出版社「学研」の学研映画という部署で演出助手という仕事につくことになった。そのことが私の人生で一つの大きな転機になったのは言うまでもない。


新開 孝
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