menu前ページTOPページ次ページspace.gif

キタテハのねぐら 2006/11/04
 今朝も宮崎市内で朝を迎えた。

 昨日と同じ畑に出向いてみると、こんどはキタテハのねぐらが見つかった。センダングサの葉裏にじっと静止し、触覚は翅の間に隠している。
 見つけた時刻は午前6時半だったが、午前8時半に見たときもそのままの姿勢だった。

 今日は、三股町の新居で、工務店の方とリフォームや仕事棟増築の打ち合わせであった。いろいろ細かく相談しているうちに、2時間ほどあっという間に経ってしまった。

 打ち合わせが終了して、居間でくつろいでいたら、ヒメスズメバチの女王が部屋に入ってきた。ヒメスズメバチの初期巣が庭でも見つかっており、来年の夏には巣造りも楽しみにできるようだ。

新開 孝

タテハモドキ 2006/11/03(その1)
 朝は冷え込んだが、陽射しはかなりきつく、三股町の新居に着くころには、気温もどんどん上昇した。やはり南国宮崎である。

 今日は新居の庭や室内の掃除をしてみた。明日はリフォームのために施工店と打ち合わせをするので、その下見をしておいた。

 さて、庭木を剪定していると、いきなり草陰からタテハモドキが飛び出してきて驚いた。とても新鮮な個体で、今朝あたり羽化したのだろう、飛び方も弱々しい。どうやら我が家の敷地内で発生したと思われる。

 タテハモドキはこれまでに、私は八重山諸島でしか撮影したことがないので、とても懐かしい気がした。


 我が家の新居を少し離れた位置から撮影してみた。建物の右側に緩く傾斜しているのが雑木林で、もちろん我が家の敷地内である。うちは小高い丘の上にあるので、敷地の全貌を見渡すことは不可能だ。
 ただ、庭に立っている鯉のぼりの杭はかなりの高さがあるので、カメラ固定をうまく工夫すれば、真俯瞰の写真が撮影できるかもしれない。この杭はいづれ切り倒すことにしているが、そういう得がたい撮影のために、しばらく残しておこうかとも思う。新開 孝

ツチイナゴ 2006/11/03(その2)
 本日の朝は、宮崎市内で迎えた。
 早朝、叔父の畑に出てみれば、カンナの花をねぐらにしたツチイナゴがいた(写真上)。
 いかにも寝心地の良さそうなねぐらだが、そのせいかこのツチイナゴの眼は妙に青い色をしている。青というか瑠璃色というか、なんとも怪しい色だと感じる。

 宮崎といえど、今朝はけっこう冷え込んでいた。ようやく朝の陽射しが畑にかかってきたころ、ナナホシテントウも活動を始めた(写真下)。新開 孝

クワコの成虫 2006/11/02

 昨夜、マンションの灯火にクワコが飛来していた。

 成虫は年に2回出るので、今活動しているのはその2回目の発生。今年さいごの成虫というわけだ。
 冬越しは卵でおこなう。もうそろそろ、ヤマグワやクワの枝や幹を丹念に見ていけば、卵が見つかるころかもしれない。卵は複数個をまとめて産みつけられるが、産卵直後のときはクリーム色をしていて綺麗だ。時間が経つにつれ卵は灰色の地味な色となり、見つけにくくなる。
 
 クワコの雌雄ともに触角は櫛歯状だが、雄のほうが櫛歯が長いそうだ。写真の個体はオスだろうか。クワコの頭は小さく、体に埋もれるような格好であり、口吻は退化してない。つまり成虫は餌をとることなく、繁殖活動のみに勤しむ。

 近所のヤマグワなどで幼虫の姿や繭殻はよく見かけるが、成虫は夜行性ということもあって、滅多に出会うことがない。

(E-500   マクロ35ミリ+1.4倍テレコン 内蔵ストロボ+ヒカル小町10i)

 『宮崎県、北諸県郡の新居』
 
 私が宮崎県を初めて訪れたのが、今年の2月末のこと。
 それから数回、宮崎に通い、来年から移転する新居が決まった。
 当初、移転先の物件を決めるにはかなりの難航を予想していたが、案外あっさりと良い物件に出会えた。

 およそ東京などに住んでいては望めない、広大な敷地と澄んだ空気。田園風景の先には霧島山系の眺め。生活水は霧島山系の豊かで清純な湧水を汲み上げる井戸水。
 なんだか良い事尽くめのようだが、これまでに経験したことがない田舎暮らしには、それなりのマイナス面も多く待ち受けていることと、今から覚悟を決めておく必要もあるだろう。

 さて、明日から宮崎県、北諸県郡の三股町(都城市の西隣)にある新居を家族皆で訪れる。いよいよ私の仕事棟の施工やリフォームの細かい現地での打ち合わせのためであるが、とくに子供たちには新しい生活環境に少しでも馴染んで欲しいと思う。

 というわけで、明日からの「ある記」更新はしばらく途絶えるかもしれません。新開 孝

コカマキリの緑色型 2006/11/01
 コカマキリの体色はほとんどが茶褐色(写真上)であり、緑色をしたタイプはきわめて少ない。対してハラビロカマキリはその逆で、通常は緑色型ばかりだが、稀に褐色型が見つかる。
 コカマキリの緑色型にしても、ハラビロカマキリの褐色型にしても、私の経験では例年、シーズン中にそれぞれ1個体見られるかどうか、というくらいに少ない。コカマキリの緑色型を前回見たのは一昨年の秋だったから、やはり毎年見かけるわけではない。

 だから今日のように思いがけずコカマキリの緑色型(写真下)に出会うと、一瞬「おおーっ!」と気持ちが昂る。例えば私があと20年間は元気に野山を歩けるとして、今後コカマキリの緑色型に出会える回数は、10回くらいの可能性が残されていると考えられる。来年の秋は宮崎だから、その出会いの確率はまた違ってくるかもしれない。もしかしたら、5回とか4回とかになってしまうかもしれない。
 いやいや、その反対に20回以上と、毎年出会えたりするのかもしれない。もの凄く緑色型の発現率が高い地域に出会い、褐色型が稀で、緑色型ばかりという逆転現象のスポットを見つけてしまうかもしれないからだ!
  
 まったく無意味な想像をしても仕方が無い。肝心なことは、どうして緑色型や褐色型が偏った割合で発現するのか、そこのところのメカニズムを知りたいのである。

(写真上/E-300  改造超広角レンズ)
(写真下/E-500  マクロ35ミリ+1.4倍テレコン)

 新開 孝

オンブバッタは何色? 2006/10/31
 先日、近所の野塩保育園で写真講演をおこなったとき、虫についての質問がいくつかあった。

 そのなかで「オンブバッタは、親子なの?」というのがあった。たしかにおんぶされているオスはとても小さくて、親子に見えるのも自然な受け止め方だろうと思う。  
 さて、そのオンブバッタの体色には茶褐色から薄緑色までさまざまな変異がある。それもただ単に色の変異だけでなく、斑点模様を帯びていたりして、体表面の色紋様の複雑さは、オンブバッタが静止している環境物にうまく同調している場合さえある。

 オンブバッタの体色の仕組みはいったいどうなっているのか?回りの環境色にあわせて変化することがあるのか?
 あまりにも身近な昆虫でありながら、オンブバッタのふしぎを見ていると、「親子なの?」という子供たちの質問を思い返す。そしていつの日か「オンブバッタは、カメレオン?」そんな質問を受ける日がきっと来るに違いない。

 (EOSキッスデジタルN   シグママクロ50ミリ)新開 孝

キタテハの場合、身の置き所とは 2006/10/30(その1)
 日当たりのいい林の縁で、翅を開いてしばらく日光浴していたキタテハ。

 そっと近付いて眺めていると、ふいに飛び立ち、枯れかけた大きな葉っぱに着地した(写真上)。静止したあと、2、3回だけ翅を開閉したが、次からはまったく翅を閉じた姿勢になった。

 さらにこのキタテハは、葉っぱの先端の枯れた部分に身を寄せるようにして、頭をその中に隠してしまった(写真下)。


(EOSキッスデジタルN シグママクロ50ミリ 自然光のみ)新開 孝

イボバッタとツチイナゴ 2006/10/30(その2)
 イボバッタ(写真上)は、北海道以外では全国に広く普通に見られるバッタだが、いかにも地味な姿のためすぐに見失ってしまう。地面にうまく溶け込むイボバッタは、見事な隠蔽擬態の見本である。

 今日は、トノサマバッタを探しに出掛けたのだが、かつてはトノサマバッタの大産地であった丘陵の現状は、あまりにも悲惨であった。トノサマバッタはわずかにオスが2匹のみ。年々、個体数が減っていることは感じていたが、これほどとは、、、。

 トノサマバッタが数少ない反面、多くいたのはツチイナゴであった(写真中)。

(EOSキッスデジタルN   シグママクロ50ミリ)新開 孝

ジュウジナガカメムシと「ふわふわふとん」 2006/10/30(その3)
 ガガイモの実に、ジュウジナガカメムシが群れていた(写真上)。

 どの個体も実に口吻を突き立て、その汁を吸っている。ジュウジナガカメムシは、ガガイモの他にもイケマやカモメヅルなどに寄生するカメムシである。

 さて、ガガイモの実はやがて熟れてくるとパカンと縦に割れて、中からふんわり、綿毛のついた種子が飛び出してくる(写真中、下)。この種子は風に乗って遠くまで飛んでいくのだが、その様子をしばらく眺めていた。

 うちの書棚には「ふわふわふとん」(福音館書店)という絵本があって、この絵本は何度も何度も子供にせがまれては、読み聞かせしてきた。フワフワ布団の材料はガガイモの種子というわけだが、子供たちはその実物を見た事が無い。

 そこで今日は、このガガイモの実を持ち帰ってみた。
 ゲームに熱中する兄弟が、「ふわふわふとん」に登場するガガイモの実と種子を見てどう反応するか、いささか不安でもあるが、、、、。新開 孝

コカマキリの産卵 2006/10/29
 10月半ば頃から、コカマキリのメスの姿が目立つ。ちょうどその頃は、ハラビロカマキリのメスの姿が減り始めたかな、という時期と重なるような気もする。

 そして面白いのは、その産卵場所である。コカマキリのメスの多くは、空堀川遊歩道に面した金網柵の上部庇に集中して見つかり、なおかつそこが産卵場所となるケースが毎年、多く見られる。ここでは、ハラビロカマキリはほとんど産卵しない。

 本来、コカマキリの産卵場所は、比較的地面に近くて、なおかつ石の裏側とか、はがれかかった樹皮の裏側とか、すぐに目につくような場所を避けている。まさに雨を凌げる空間を選んでいるかのようであり、金網柵の庇もこの条件にあてはまるのであろうと思われる。

 こういう隠蔽的な場所への産卵というのは、例えば他のカマキリでは、ヒメカマキリ、サツマヒメカマキリ、あるいはウスバカマキリなどで見られる習性であり、対してハラビロカマキリやオオカマキリ、チョウセンカマキリなどは、人目にもよく目立つ、梢や草、樹皮面、あるいは建築物の表面などオープンな空間が産卵場所となっている。

 今日のコカマキリの産卵は、午後4時15分に撮影したが、だいたい午後3時以降から産卵する例が多く、時間帯はその日の気温などにも影響を受けるものと思われる。

(EOSキッスデジタルN マクロEF100ミリ 内蔵ストロボ+ケンコー影とり)

 『お知らせ』

 以前あった「新開孝の昆虫写真工房編集室」のメールアドレスは削除しております。
 当ホームページへのご意見、ご感想、新開への直の連絡等は、こちらのアドレスまでお願いします。御手数ですが、コピーしてお使い下さい。

 yamakamasu@shinkai.info


新開 孝

葉っぱを食べるヤマアラシとは? 2006/10/27(その1)
 カラスウリの葉っぱをひっくり返すと、丸い網目状の食べ痕がたくさん見つかる。その食べ痕をいくつもめくっているうちに、トホシテントウの幼虫も見つかるはずだ(写真上)。

 幼虫は葉うらに貼付いて、葉の表面を舐めとるように摂食するも、けっして葉を貫通するまで食べ進むことはない。器用と言えば、器用だし、そしてそのこだわりとは、一体何であろうか?と首をかしげたくなる。

 さて、今日はいろいろなステージの幼虫を見ながら、脱皮直後の個体に行き当たった(写真中)。なるほど、あの痛そうなトゲトゲも、脱皮時にはいかにも柔らかなゼリー質と化し、それが時間経つうちに黒く色付き、また固くなっていくのだろう。写真下は、脱皮殻。

 ところで、トホシテントウは幼虫越冬。しかしながらこれまで、越冬中の幼虫を見つけたことがない。この冬は、なんとかその越冬幼虫を見つけてみたいと思う。幼虫は来年の5月ころに蛹となるようだ。

(写真上/EOSキッスデジタルN  マクロEF100ミリ)
(写真中、下/EOS-5D  マクロ65ミリ サンパック改造ストロボ、ハクバデジタルスレーブストロボ使用)

新開 孝

ミナミカマバエ 2006/10/27(その2)
 ミナミカマバエは水辺に棲む小さな肉食バエである。

 体長はせいぜい4ミリ前後だから、よほど意識してかからないと、このハエに出会うことはできない。
 17年前にこのミナミカマバエの撮影に少し熱中したことがあるとは前に書いたが、先日、うちのすぐ近所のある場所で、久しぶりにこのハエを見つけた。

 しかし、見つかった個体数はせいぜい5、6匹であり、撮影条件もきわめて悪い。昔のように彼らの生き様や、表情を撮影することはこの場所では断念するしかないようだ。別の生息地をあらたに見つけたほうがいい。

 思えば、何もないようにしか見えない場所で、いい歳したおっさんがカメラを構えて、しゃがみ込み、ときには腹這いになり、かと思えば石のごとく水辺にむかってじっと厳しい視線を注いでいたりと、傍目から見れば、できれば関わりたくない狂人としか見えないことだろう。
 まだカメラを携えているから警察沙汰にならずに済んでいるのかもしれないが、、、、、。

 (EOS-5D マクロ65ミリ  サンパック改造ストロボ使用)

  『接写用改造ストロボの出番』

 3倍近くの接写も、近頃はOLYMPUSフォーサーズのボディと35ミリマクロ+1.4倍テレコンの組み合わせを使う事も多い。この場合、倍率は2.8倍。ストロボは内蔵ストロボと拡散版の併用である。野外撮影では、この身軽でコンパクトな撮影スタイルは楽でいいのだが、しかし、問題もある。
 フォーサーズと言えど、接写倍率が高くなると被写界深度は急激に浅くなり、絞りも11から16まで絞り込みたい。すると大概は、内蔵ストロボのパワーをFULLにしなければならず(現状のフォーサーズではISO感度を400以上で使うことは画質的に厳しい)、そうなるとストロボ閃光時間の関係で、被写体のちょっとした動作がけっこうブレてしまうのである。
 例えばミナミカマバエが、鎌状の前脚を伸ばす仕草を撮影したのであるが、これは見事にブレてしまった。

 やはり内蔵ストロボはそれなりの使い方をしなければならず、高倍率接写などでは専用の外付けストロボを使ったほうがいい。かと言って、フォーサーズのコンパクトなボディに接写用外部ストロボを組み合わせるのは、バランスも良くない。
 結局、昔から使ってきた接写専用改造ストロボの出番となり、それを載せるカメラシステムはでかくても、がっしりしていることが肝要である。サンパックB3000Sとツイン発光部の組み合わせを久しぶりに使ってみた。
 
 
 新開 孝

アメンボの食事 2006/10/26
 昨日は見事に秋晴れとなったが、予定していたアメンボの撮影の条件としては逆に不都合であった。

 きれいに晴れていると、日向と日陰のコントラストがあまりにも強く、また水面への空の写り込みをうまく拾えないので、例えばアメンボの脚先がつくる水面の窪みがきっちりと描写できない。
 今日は、晴れてはいても雲が適度にあって、その雲の水面への写り込みをうまく選んでカメラを向ければ、アメンボの水面上に踏ん張った様子がよくわかる写真が撮れた。

 そんなアメンボの姿の基本的なシーンを撮影していたところ、アオイトトンボが風に流されてきた。どういう理由か、力尽きて池に落ちたらしい。イトトンボがもがいて波紋が起きると、ツツッーとアメンボが近寄ってきた(写真上)。
 さらにしばらくすると、獲物の臭いを嗅ぎ付けた仲間が、次から次へと集まってきて、えらい騒ぎとなってしまった(写真下)。
 アメンボの脚は長いので、もうどれがどのアメンボのものやらわからない。いかにも吸血しにくそうだけど、それなりに整然と食事にありついているようだ。とくにアメンボ同士で争いなどは見られない。
 

 (EOSキッスデジタルN マクロEF100ミリ)


 『野塩保育園で虫のお話』

 野塩保育園は、私の子供兄弟二人がそれぞれ6年間づつお世話になった保育園である。初めての子供だったお兄ちゃんを、いきなり零歳児から預けるときには、正直言ってたいへん不安でもあった。そしてなんだか子供に対して申し訳ない後ろめたさもあった。全てが初めての経験だったから当然のことではあるが、そういう想い出もあっという間に、懐かしい記憶になってしまった。
 兄弟は4歳離れているので、二人併せて10年間もここの保育園に送り迎えをしていたわけで、その送迎の仕事はだいたいが私の役目であった。

 さて、かねてからいつかは虫のお話、講演をとお約束していたが、ようやくにして本日、それを実現できた。液晶プロジェクターにノートパソコンとハンディカムを接続し、前半45分を写真で、最後にビデオ映像10分を披露した。

 登場する昆虫は、ほとんどがうちの近所で撮影したものであり、保育園の子供達が散歩する場所とも重なっているので、少しは現実味のある印象を持っていただけたのではないか、と思う。
 実際、私が撮影している現場で、保育園の散歩組さんに鉢合わせしたことは過去に幾度もある。虫が苦手とおっしゃる保母さんでも、目の前にいる昆虫の生きざまにほんの少し私の解説を加えれば、一瞬にして楽しいひとときに感じられたのではないだろうか?
 自然界のさまざまな生き物に対して、人によってはいろいろ好き嫌いや、苦手意識などがあるのは当然のことである。でも、生き物の名前や、どうやって暮らしているのか、などといった具体的な情報を付加して実際に見つめる機会があれば、そのときから虫などに対する捉え方もきっと変わっていくのではないか、そう期待したいのである。

 

新開 孝

アメリカザリガニの闘争 2006/10/25
 小川の水面下を、アメリカザリガニが歩いていた。明るい日射しの下、歩く姿に落ち着きが無い。どうやら手頃な隠れ家を探している様子だった。右手のハサミを失っているのを見るにつけ、このザリガニにもいろいろ苦労があったようだ。

 しばらくして棒杭の隙間に隠れ家を見つけたのだが、そこにはすでに先客がいた(写真上)。すると片手ザリガニは、強気にも先住者を追い出しにかかった。そして、あっという間に左ハサミでもって、相手を隠れ家の外へと投げ飛ばしたのである(写真中)。

 なるほど、追い出された方はまだ若い個体であったことが窺える(写真下)。あっさりと追い出されはしたが、体つきはもう立派である。投げ飛ばされてからも納得がいかないと見えて、一旦は隠れ家に戻ろうと挑んでみたが、やはり相手の人生経験?の豊富さが、若さのエネルギーよりか上回っていたようだ。若者はすごすごと新居探しに励む決断をしたようだ。
 まさに技が力を制した、そんなところではないだろうか。

(E-330 ズイコーズーム50-200 ストロボFL-50使用)

『絶滅するという生きものを、どう捉えるのか?』

 アメリカザリガニは、かつて人為的に海外から日本に持ち込まれた外来生物であり、じつは国内の各地でけっこう深刻な問題を巻き起こしている。このことはあまりにもよく知られた事実でありながら、その深刻さを認識できる人は少数派であり、とくに教育の現場の教師の方々の多くは、外来生物の問題を熟慮することなく、便利な教材としてかアメリカザリガニを捉えておられないようだ。

 アメリカザリガニが、日本各地でその生息域を広げることは、一方で在来の生きものたちの一部が、かなり壊滅に近い状況に追い込まれている、という事実もあり、そのような事実をどのように認識するのか、と問いかける必要もあるだろう。

 ある生物種がもう少しで絶滅する、という現状を目の当たりにすれば、この事実を前にして、少なくともこれをどう捉え、どう理解すべきか、普通の人は考えるはずだ。普通とはなんだ?と問う人もあろうが、絶滅、という言葉を聞いて、「それも定めよ!」と簡単に言い放せるならば、ことは簡単である。

 じつはこの私も、アメリカザリガニについては、小さい子供のころから慣れ親しんできた、それこそ憧れの生きものであり、網をもって興奮した時期も懐かしい。それほどにアメリカザリガニは、すっかり日本に土着してしまったのである。
 しかしながら、馴染めばそれでいいのか?そういう自問も今の時代こそ、問われるべきではないだろうか?それは、このところの日本国民の異常なペットブームに関わる問題であり、なんでも面白くて、癒しの効果のある生きものを人間社会に持ち込む、その節操の無さに、少しは考えてみてよ、と異議をとなえる者は、私一人ではないだろう、と思う。

 さて、日本の生物の、それも絶滅に瀕している種について、真剣にその問題に取り組んでいる方々はたくさんいらっしゃる。この問題はいかにも人間臭い問題となり、社会的にはなかなか厄介ではある。
 でも、ここで肝心なことは現場の事実をきちんと捉えるという作業だろうと思う。いったい、この日本の自然界で、どんな生き物たちに、どういった深刻な問題が生じているか?そういう事実をまずは知る必要がある。
 その問題認識を問う場として、以下の催しが参考になるだろう。

 今月24日〜29日に新宿御苑で「日本蝶類保全協会」のイベントが開催されるている。「絶滅の危機にあるチョウ類とその保全」展。
http://japan-inter.net/butterfly-conservation/TOPEvents.html

 
新開 孝
menu前ページTOPページ次ページspace.gif
Topics Board
ホーム | 最新情報 | 昆虫ある記 | ギャラリー | リンク | 著作紹介 | プロフィール