| 伝書バトの死と運のつき、とは 2006/08/03(その2) | | | | | おそらくはオオタカの仕業であろうと思う。
昨日、エントツドロバチを観察した梅の木を今日も再び訪れてみたのだが、その傍らに積んであった枯れ草の山の頂きに、首が喰いちぎられたハトの死骸があった。むしり取られた羽毛が地面に散らばっており、これはまさにオオタカの所業と言える。
ここの畑で作業しているおばさんは、このところ毎朝6時半には水やりに来ていると、話していた。それ以後もときどき、畑の世話に来ているようなので、オオタカがさて、伝書バトを捕らえて食事にありついて間もなく、それほど時間が経たないうちに、おばさんの登場となってしまったに違いない。と、想像してみた。
オオタカが選んだ食事場所は、運が悪かったとしか言いようが無い。 伝書バトの足輪を見れば、その飼い主の電話番号から、ごく近所から飛来したハトであることもわかった。
(E-330 魚眼8ミリ)
運が悪いと言えば、今日の私もついて無かった。
じつは、梅の木の場所に着いてカメラを構えた瞬間、目の前の梢で、エントツドロバチが狩りを始めたのであった。梅の葉っぱを巻いた中には芋虫が潜んでおり、それを懸命に追い出そうとしていることがわかった。 しかも、しばらくすると葉っぱの隠れ家の中から、たまりかねて芋虫が飛び出し、口から糸を吐き、その命綱の先にぶらり、とぶら下がったのであった。
これはエントツドロバチが芋虫を狩る瞬間を、見事にとらえることができる、またとないシャッターチャンス!!とにかく芋虫にピントを合せておけばいい。
ところが、そこで私の運は尽きた。
芋虫にフォーカスを合わせようとした瞬間、向こうから農家の方が一輪車を押してやってきたのである。少し前から視界に入ってはいたのだが、小道のど真ん中に立ちふさがっていた私は、撮影を中断せざるを得なかったのである。ここでは控えめに道を譲ることが、礼儀というものだろう。 で、結果は知れている。エントツドロバチは空中で芋虫を見事に捕らえて、一気に上空へと舞い上がっていったのであった。 私は農家の方に軽く会釈をしてから、呆然とエントツドロバチを見送るしかなかった。
状況的には撮影を強行しようと思えば、できなかったわけでもない。しかし、私はまさに人の土地に入り込んでいる立場であり、しかもその農家の方とはまだ挨拶も交わしていなかった。農家の方が重い水タンクを載せた一輪車を押しているところを邪魔することなど、許されることではない。他の場所では、事後承諾が通るほどの、農家の方との親しい付き合いもあるが、ここではそうではなかったのである。
あわよくば、エントツドロバチが獲物を抱えているカットだけでも今日はおさえておこうと考えていた。しかし、仕事のねらいは他にあって、そちらを優先しなければならなかった。それと、昨日見たエントツドロバチの巣はすでに獲物の搬入を終えている可能性もあり、実際にそうであった。 私が幸運にも見ることができた狩りの主は、昨日と同じ個体かどうかは判然としないが、別の場所で営巣していることは間違いない。 ここの梅の木は、泥バチ類の狩りの様子を撮影する上では、かなりいい条件を備えているように感じる。数日間も通えば必ず良い成果が上がる事だろう。もし私に弟子でもいれば、「お前さん、しばらく頑張ってみんかい!」と、自信をもってそそのかしていたに違いない。
だが、私は今のところ泥バチの撮影に深入りする時間的な余裕はない。 じつは昨日もエントツドロバチの帰巣を待ちながら思ったことだが、こうした泥バチ、いや「家バチ」とも呼ばれる狩りバチ類の撮影は、来年の宮崎に転居してからじっくり行なえば良いこと、と割り切っているのであった。 また、そうでもしない限り、ここ武蔵野のフィールドで片手間に撮影したところで、その成果は実に薄っぺらいものでしかないことも、明らかである。
すでに宮崎のわが敷地内では数多くの泥バチの営巣を確認しており、さらに誘致作戦を展開すれば、それこそ庭の中で多種類の、それもうんと掘り下げた撮影ができることは、間違いないのである。
エントツドロバチをはじめ、泥バチ、家バチの興味津々の撮影は、来年、宮崎の新住居で再開したいと、考えている。 | |