menu前ページTOPページ次ページspace.gif

ヒラタアブ幼虫とアリの死 2005/12/03(その2)
 ケヤキに這い上がっているキヅタの葉上で、ヒラタアブ類の幼虫を見つけた(写真上/画面右が頭部)。

 このウジ虫の姿は、葉上に落とされた鳥の糞ではないかと見誤りそうでもある。見たところかなり成熟しているので、蛹化も近いのかもしれない。
 撮影していて何かゴミのようなものに気付いた。よーく観察すると、なんとアリがウジ虫に食らいついたまま、死んでいるのであった(写真下)。
 本種はおそらくテラニシシリアゲアリではないかと思う。
 このように他の昆虫に攻撃を挑み、そしてスッポンのごとく噛み付いたまま死んでしまうアリの姿は、昆虫観察をしているとよく見かける光景である。
 アリの執念はものすごい!と思ってしまう。
新開 孝

クサカゲロウの一種、繭となる 2005/12/03(その1)
 10月に愛媛県、松山で見つけたクサカゲロウの一種の幼虫
ゴミを背負ったこの幼虫にはときおりアブラムシを与えて飼育を続けてきたのだが、本日、繭となっていることに気付いた。
 おそらく先月の中頃あたりには、もう繭となっていたものと思われる。幼虫の背中に背負っていたゴミ屑が、そのまま繭にかぶさっているので、いつのまに繭を造ったのか見落としてしまったようだ。
 繭はほぼ球体で、直径は3ミリ程度とかなり小さい。
 このまま冬を越すのか、それとも冬の間に羽化するのか、まだわからない。

(E-500  マクロ35ミリ+1.4倍テレコン使用)新開 孝

奈良のルリセンチコガネ 2005/12/02(その2)
 もう冬も近いというこの時期に、わざわざ奈良を訪れたのはルリセンチコガネ(オオセンチコガネ)の観察がねらいであった。
 今年の5月末にもここ奈良の春日大社を訪れ、ルリセンチコガネの撮影を行なってきたのだが、その幼虫期に関する観察の方は未だに謎だらけで進展できないでいる。
 春日大社には数多くの鹿が生息し、その鹿が日々、膨大な量の糞を落とすと、それが様々な糞虫の餌となり、そしてルリセチコガネの繁栄にも一役買っているわけである。春日大社の参道を歩くだけでも、観光客に踏みつぶされたルリセンチコガネの死骸があちこちでよく見つかる。
 気温も低いので活発に動くルリセンチはさすがにいなかったが、それでも地面に佇んでいるものや、鹿糞の下の土中の浅い場所でうずくまっている個体を、少ないながら見ることができた。新開 孝

春日大社のヒメクダマキモドキ 2005/12/02(その1)
 一昨日の11/30から本日午前中まで滞在していた奈良では、春日大社の森をひたすら歩いてみた。文化遺産の宝庫を目前にして、観光しないのも勿体ない気がするが、そういう時間的な猶予はまったくないので仕方ない。
 気温も13度と低く、さすがに活動する昆虫の姿は少ない。はねがボロボロになったメスグロヒョウモンの♀が、地面すれすれを弱々しく飛んでいた。
 春日大社の参道を歩いていると、石畳の上に落ちていたヒメクダマキモドキ♀の死骸を見つけた(写真上)。さらに数メートル先で、今度は♂の新鮮な死骸が見つかり(写真下)、この偶然には少し驚いた。
 ヒメクダマキモドキは別名ヒロバネツユムシとも呼ばれることがある。その名のごとく、東京近辺でもよく見かけるサトクダマキモドキを一回り小さくしたような、小柄なツユムシ類である。♀のなぎなたのような長い産卵管が特徴的だ。
 本種は三重県以西から四国、九州、沖縄、そして台湾まで分布するようだ。私が調べた図鑑はもう古いので、最近の分布に関する知見は知らない。
新開 孝

エサキモンキツノカメムシ、集う 2005/11/29(その2)
 葉っぱの裏にこうして集まっていると、先週撮影したオオキンカメムシの冬ごしの様を思い起こす。
 もっともカメムシには同種のあいだで集団を作ることが広く習性としてあるので、エサキモンキツノカメムシが集合してもさほど驚くに値しないかもしれない。
 それにしても、もうそろそろ落ち葉の下とか、スギの樹皮裏とか、そうした本格的な冬越し場所へと潜り込んでいく時期ではないか?そう思うのだが。
 そういえばアカスジキンカメムシ終令幼虫たちは、ここ最近はほとんど姿を見かけなくなった。おそらく落ち葉の下などへ潜り込んでいるのであろう。



『明日から、奈良へいざ出発!』

 実はそれほど大げさではなく、2泊してすぐ戻るという短期ロケの予定。
多分、夜は飲んでしまうからこの「ある記」は更新できないと思うので、最初からパソコンも持って行かないことにしたい。

 旅先でのデジタル写真の扱いは、通常はノートパソコンを携行し、宿でデータの吸い上げを行っている。それと同時にエプソンのP−2000にも吸い上げを行い、このデータはうちに戻ってから、ウィンドウズパソコンへとコピーする。ノートはマックG4で、ここに入ったデータはさらにポータブルHDDにバックアップをとる。マックでバックアップをとったHDDは、ウィンドウズでは開かないから、ここのデータはあくまでも最終バックアップ作業が完了するまでの一時的な保管場所に過ぎない。ウィンドウズパソコンでの写真データバックアップが終了すれば、G4とポータブルHDD内のデータは全て初期化して消去される。
 少々まどろっこしい作業となるが、その理由を説明すると、ネット接続はマックでのみ行うと取り決めているからである。そして今のところ出先での接続も考慮し、敢てウィンドウズのノートパソコンは持っていない。

 今回のように出先へノートパソコンを携行しない場合は、P-2000のみでのデータ吸い上げとなるので、多少不安ではある。そこで短期ロケではカードを多く用意しておき、カード内のデータも消去せずそのまま持ち帰るしかない。
 ちなみにP-2000は正式にはマルチメディア・ストレージ・ヴュワーという名称の通り、写真画像をモニター画面で拡大してチェックができる。ただ、その描画速度が遅いので数多くのチェック、入念なチェックなどは、やはりノートパソコンでないと実用的ではないと感じている。だから大きいけれど、私のノートブックパソコンはA4サイズを使っているわけである。
 マックG4チタンは薄いので、A4サイズでも意外とカメラザックの背面に納まる。どうせノートパソコンは宿までの携行であるから、パッキングを工夫すればそう苦痛でもない。しかし、この夏は一度、ザックの中にノートパソコンを入れたまま阿蘇の高原を徘徊してしまい、やけに荷物が重いなあ!とカメラを取り出すときに初めてパソコンの存在に気付き、その瞬間ドッと疲れが倍加した思いをした。

 というわけで、明日と明後日の更新アップは、帰京してからとなります。
 

新開 孝

ウラギンシジミの越冬ねぐら 2005/11/29(その1)
 ほぼ1週間前の23日に見つけたウラギンシジミは、今日もキヅタの同じ葉っぱの裏に静止したままであった。
 先日、近所で元気に飛翔しているウラギンシジミを見ているので、この写真のウラギンシジミもどこかに移動したかもしれない、そう思っていた。しかし、強い風に煽られながらも、しっかりとキヅタの葉にしがみついたまま、微動だにしない姿には少し安心したような気持ちになった。
 ただ、葉裏とはいえ外から丸見えであり白く輝くはねはとても目立つ。
冬ごしの場所としては、いかにもふさわしくないようだから、やはりそう長くはここに踏みとどまらないのでは?と思えてしまう。


 『ジッツオのビデオ雲台など』

 昨日は用事あって、都内に半日出ていた。
出版社へ行く前に、あらかじめカメラ店に立ち寄ってみた。これまで使用してきた「虫の目線レンズ」は、あまりにも大きく長いので、もっとコンパクトにしたく、その改良に必要なパーツを購入したり探すのが目的だった。じつはこのレンズが長いことは、それなりに役立つ場面があって、それは良かったのだが、他方で長く大きいことは撮影上、支障をきたすことも多く、改善する必要が出て来たのである。
 オリンパスのフォーサーズの拡大系レンズを利用できるかと、最初は安直に考えていたが、これは現状では無理だとわかった。つまり、フォーサーズの35ミリマクロは1.4倍テレコンとの組み合わせや、あるいはエクステンションチューブとの組み合わせなどと、個々に組み合わせて倍率を上げることができるが、エクステンションチューブとテレコンをダブルで合せての、さらなる倍率稼ぎはできないのである。その組み合わせではレンズとカメラの電気信号が遮断されてしまい、ヘリコイドの繰り出しもできない。
 このことは以前にオリンパスから聞いて確認していたことなのに、うっかり忘れてしまっていた。そこで、カメラボディがCanonであるから、ちょうど遊んでいる20ミリ広角レンズをなんとか利用してみようと思った。
 CanonのEFレンズをリバースして利用する場合に、ノボフレックスというメーカーから、EF専用リバースアダプターが発売されていたのを思い出した。これは完全オートが可能な機能をもっているが、価格も10万円近くしたと記憶している。
 いくらなんでもそれを購入するのは躊躇せざるを得ないので、ここは素人工作で乗り切ってみようかと思う。
 その結果は、またあらためて報告したい。

 最後になったが、そうジッツオのビデオ雲台は池袋のビッグカメラでたまたま見つけたのだが、型番がG2380というもので、水準器付きで一般カメラ三脚へ大ネジで取り付けるタイプ。
 これまで業務用ビデオカメラも載せられるザハトラー雲台を「大は小をかねる」式で使ってきたが、やはりでかくて重いので、なんとか遠征ロケ先にも携行できる小型軽量でなおかつ、パン、チルト操作がしっかりできる雲台をずっと探していたのであった。この雲台はマンフロットのカーボン三脚と組み合わせてちょうど、使い出が良いようだ。

 新開 孝

秋冷のアカスジキンカメムシ成虫 2005/11/27(その2)
 今日はアオクサカメムシを撮影していたところ、ふと足下近くのコブシを見て驚いた。
 最初はシルエットなので、終令幼虫かとてっきり思っていたのだが、重なっていた葉をよけてみると、何と!アカスジキンカメムシの成虫であった。
 今ごろ多数目につくのは越冬を控えた終令幼虫ばかりであるから、これには驚くのも当然。この成虫はよく見ると、まだ羽化してそう日数も経ていないようだ。
 アカスジキンカメムシの多くは5月から6月にかけて羽化するのだが、8月に遅く羽化する場合もあるようだ。しかし、今日の成虫はそんなに古い個体ではない。
 冬越しするべき終令幼虫が年内羽化することは、室内飼育では珍しくないが、今日のように野外で目撃したのは初めてのことである。
 このあと写真のオスが、冬を越せるのかどうか気掛かりだが、この先追跡観察することなど無理な話ではある。

(E-500 35ミリマクロ 1.4倍テレコンバーター使用)新開 孝

ヒヨドリジョウゴの実 2005/11/27(その1)
 ヒヨドリジョウゴの赤い実は鳥たちに人気があって、その名のごとくヒヨドリもよくついばんでいく。あとはジョウビタキもやってくる。シジュウカラなども来るのかもしれない。だからといって、その様子をカメラで撮影しようと企てても、これが意外と簡単ではない。やはり餌をついばむ瞬間には、警戒心がいっそう強くなっているようだ。
 一方、この赤い実にやって来る昆虫はほとんど見かけない。カメムシなど汁を吸いに来てもよさそうなのに、一度も見たことが無い。

(EOSキッスデジタルN 65ミリマクロ+CCTVレンズ)
新開 孝

クロゴキブリの死骸 2005/11/26
 クロゴキブリは家屋内にすみつき、もっとも嫌われるゴキブリであり、またもっとも代表的なゴキブリだとも言える。
 クロゴキブリよりか少し小ぶりで姿のよく似ているヤマトゴキブリは日本土着種で、主に林に棲んでいる。ヤマトゴキブリは寒い冬も野外で越せるが、クロゴキブリは屋内でないと冬を越せないから、どうしても人の生活に寄り添っていたいわけである。
 そんなクロゴキブリだが、何を間違えたか野外に走り出たらしい。そこをおそらく誰かにムギュッ!とばかり踏みつけられたようだ。彼らは誰もがご存知のように夜行性であるから、この惨殺事件はやはり昨夜あたりの出来事かと思う。
 
(EOSキッスデジタルN 65ミリマクロ+CCTVレンズ Nikon SB-21使用)

新開 孝

ナミテントウ 2005/11/25
 昨日は「化け山」の一角で多数のナミテントウが集合していた。
 コンクリートの電柱へ次々と飛来しているのだが、多いとはいっても山間部で
見られるような大集合から比べれば、規模ははるかに小さい。したがって写真にもならなかった。
 今日クワの葉で見つけたナミテントウは、まるでキイロテントウのように食菌をしているのではないか、と思わせるしぐさをしていた。確証はないが、ナミテントウはアブラムシ以外にも様々な食物をとるので、菌類を食してもおかしくはないかもしれない。

(E-500 マクロ35ミリ 1.4倍テレコン使用)

 さて、本日は待ちに待ったOLYMPUSの「マクロ35ミリ」が手に入ったのでさっそく撮影に使ってみた。1.4倍テレコンバーターをつけて、レンズを最大に繰り出すと2.8倍の拡大接写ができる。レンズ長は短いので内蔵ストロボと簡単なディフューザーだけでライティングも可能である。
 この35ミリマクロレンズはとにかく軽い!(165グラム)それでいてテレコン付けて約3倍までの接写が可能であり、さらに無限遠までの通常撮影もできるから、野外撮影では非常に活躍することだろう。
 こうなるとCanonの等倍から5倍までのマクロ撮影専用レンズ、65ミリマクロは、もはやスタジオ撮影専用となるだろう。65ミリマクロはでかくて、重いからだ。そもそもマウント径が大きいぶん、CanonのEFレンズはどれもでかくて、重くなるのは仕方が無い。
 
 これでオリンパスのEシステムの所有レンズは、あと来年早々に発売される8ミリ魚眼が加われば、私の仕事で必要なレンズ類はほぼ揃うことになる。ようやくここまできたか、という気もするが、オリンパスのデジタル一眼レフカメラは、他のメーカーとは違って、システム全体を最初からデジタル設計で立ち上げてきたのだから、ある意味でとても安心して使える。
 なんといっても全てにおいて小型軽量であることは、昆虫を野外で撮影するとき、この上なく助かるのである。
 こうしてスタジオ撮影は主にCanon機材で行い、野外では身軽なOLYMPUSのEシステムを、そしてやがて導入するニコン機材は野外ロケが長期に渡る場合にEシステムと供に稼働させる、という各カメラメーカーの仕事分担も決まってきた。
このような仕事のすみわけをメーカー別に采配できるのも、デジタルカメラがかなり成熟期に入ってきたためだろうと思う。機械はいつかは調子も悪くなるし、極端な場合はまったく稼働しなくなる危険性も孕んでいる。そういうときに備えて、3メーカーの機材がお互いに補完しあえる状態を私は望んでいる。新開 孝

ヘラクヌギカメムシ♂の勘違い? 2005/11/24
 秋も深まってくるとクヌギカメムシ類の活動がさかんになってくる。本格的な冬の到来前に繁殖期を迎えるからである。
 さて、先週あたりからよく目にするのはヘラクヌギカメムシの♂たちである。「化け山」では金網柵の上を歩いているので、これがけっこう目につきやすい。
 そもそも金網柵を設けた方々の目的は、まさにむやみな侵入を防いだり、境界を明確に仕切るためだろう。しかし、私にとって金網柵はとても都合の良い昆虫観察用トラップであり、また昆虫たちにとっては雨風をしのぐ隠れ家だったり、産卵場所だったりする。またツル植物たちにとっては繁茂する上での大事な足場となり、複雑な植物環境がそこに出来上がるわけである。
 人工物である金網柵が、様々な生きものたちの生活空間として利用され、そしてそれを日々眺めて楽しんでいる超極少数派の人間、それが私なのである。

 話がそれてしまったが、写真のヘラクヌギカメムシ♂はエサキモンキツノカメムシに求愛しているのであった!
 どうしてそういう間違いを犯すのか不思議ではあるが、この♂はかなり執拗にせまっていく(写真上)。そのうち交尾器が絡んだのか、外見上は交尾が成立したような瞬間もあったくらいだ。おお!と私も驚いてカメラを向けたが、その交尾状況のカットは撮影できなかった。エサキモンキツノカメムシがもがいたため、すぐにほどけたが、逃げるエサキモンキツノカメムシをさらに追いかけるヘラクヌギカメムシ(写真下)。
 このヘラクヌギカメムシ♂がこんなに熱くなっているのも、なかなか♀に巡り会えないためのあせりなのか?などと想像するのは止しておこう。きっとそれなりの事情があるのだろう。

 なお、クヌギカメムシとヘラクヌギカメムシの判別は、今回の場合は腹部の気門部が写っているので容易である。気門が黒色ならクヌギカメだが、腹部全体と同色ならばヘラクヌギカメだ。もっとも地方によってはさらにサジクヌギカメも加わり判別はさらにややこしいことになるが、ここ清瀬など関東平野部ではサジクヌギは棲息していない。

(E-500 マクロ50ミリ 1.4×テレコン使用)新開 孝

ウラギンシジミのねぐら 2005/11/23(その2)
 キヅタの葉うらにウラギンシジミが休んでいた。
ウラギンシジミは成虫越冬だが、こうして常緑樹の葉うらに隠れるようにして冬の寒さに耐える。
 真冬でも暖かい日には飛び出すこともあり、越冬場所はあちこち移動しがちである。おそらく今日のウラギンシジミも何日か経てば、また別のねぐらを求めて旅立つのではないかと思う。

(E-500  マクロ50ミリ 及び 7-14ミリズーム 使用)新開 孝

ワカバグモの狩り 2005/11/23(その1)
 ワカバグモはその名の通り、緑色した透明感のあるきれいなクモだ。
主に林の梢を徘徊しながら、小昆虫などを獲物として捕らえる。
 ケヤキに這い登っているキヅタを見ていると、ハエの獲物を口にくわえたワカバグモが、ススッスーッと頭上から降りて来た。お尻から繰り出す糸で降下して、そのままキヅタの葉上に軽々と着地した。

(E-500  マクロ50ミリ 1.4倍テレコン使用)新開 孝

まだまだ続く羽化 2005/11/22(その3)
 エサキモンキツノカメムシが「化け山」に大発生していることは連日、お伝えしてきた。
 今日の日中は暖かったせいか、羽化を2例ほど確認できた。
終令幼虫の数も多く、まだまだこの先羽化が続くと思われるが、しだいに寒さが厳しくなっていくなかで、羽化しきれずに死んでいくものも出てくるのではないだろうかと思う。
 そういえばようやく思い出したのであるが、エサキモンキツノカメムシは年2回、繁殖しているという報告を以前に読んだ事がある。今「化け山」で見ている多数のエサキモンキツノカメムシたちは、その第2化目なのであろう。第1化は、5月のころである。


 『「お化け山」は「化け山」という話』

 地名の俗称は、その由来も誰知れず広まり、そして後世にまで語り継がれるものが多い。
 私がこの夏に聞き及んだ近所の雑木林の通称「お化け山」とは、本当は「化け山」が正しいと、ある方からご指摘いただいた。有り難いメールであった。
 実は私に「お化け山」と最初に教えてくださった方意外にも、「お化け山」と呼び慣らしている方はけっこう回りにいて、どうやらどこかでこの俗称が変化していることを、あらためて知ることとなった。
 地名の俗称は、そこに永く住んで生活している人にとっては、小さい頃から慣れ親しんできた言葉だけに、「お」がつくつかないという微妙な違いすら看過できないことは、私にもその気持ちがよくわかる。
 しかし、なにせ私はここ清瀬に住んでいてもよそ者同然であるから、こういう地元の慣習に属する事には、ほとんど無知でいる。
 これまで近所のフィールドであろうと、地方のどこであろうと、撮影の仕事中に出会う地元の方とはできるだけお話をしてきたつもりである。しかし、どうやらつもりはつもりだけで、私の努力は撮影への集中力に紛れてしまい、努力の成果にはあまりつながっていなかったようだ。
 この先、私が地方へ移住したなら、もっともっと近在の方々に対して積極的な態度をとらないと、仕事自体もうまく運ばないだろうなあ、と少し考えている。
 浮き草のような生活感から、根をはった生活への変化とは、ちょっと想像の域を超えるほど、東京の生活が永過ぎたのかもしれない。
 
 
新開 孝
menu前ページTOPページ次ページspace.gif
Topics Board
ホーム | 最新情報 | 昆虫ある記 | ギャラリー | リンク | 著作紹介 | プロフィール