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炎天下の仰向け幼虫 2005/08/04
駐車場へ向かう途中、地面に仰向けの幼虫を見つけた。ハナムグリ類の幼虫だろう。体長は21ミリ程度。炎天下にさらされては、いずれ干涸びて死んでしまいそうだ。それよりか何故、こんな場所にころがっていたのか?
 生死も定かでないが、とにかくうちに持ち帰ることにした。いずれころがっていた理由のヒントくらいはわかるかもしれない。そしてよくもまあ、私の目にとまるまで鳥の餌食にならなかったものだ。
 そんな謎の物体、ハナムグリ幼虫には、こんな仰向け状態で這い歩く習性もある。もしかしてどこぞへ移動の途中であったのか?いやいや、こやつはピクリともせんぞなもし。



 『新開孝からのまたもやお知らせ』

 体調が戻ったばかりですが、明日から2泊3日で山梨の長坂町へ仕事に行きます。仕事の内容はビデオ撮影のお手伝いです。夜の撮影もあり、ちょっと体力に心配ありですね。この間は「ある記」更新もお休みします。

 そして今回の体調不良と重ねて、つくづく自分の年齢も考えてみました。するとこの手の仕事からはもう手を(足を)退かねばと思い始めています。生物コーディネーターと表現すれば聞こえはいいですが、そもそもこの手の仕事は、いわば便利屋みたいなものでもあり、ただただ苦労するわりに報酬は極端に少ないのです。というか仕事として今の社会では成立し得てない、そう捉えるべきでしょう。
 以前、映像の仕事の現場ではこうした下働きもいい作品を造る上では欠かせない重要なポジションであり、ギャラは安くてもやりがいあり、と書いた私ですが、いろんな仕事が錯綜するなか、そして自分の体は一つという大原則を振り返ってみれば、もうそろそろサービス精神ばかりで突き進んではいかんなあ、と反省しているわけです。
 
 昆虫写真家、新開孝のやりたい仕事、やるべき仕事とはいったい何でしょうか。
山梨の仕事から戻ったならば、またこの話題に少し触れたいと思います。

新開 孝

『デジタルカメラ OLYMPUS E300』 2005/08/03(その2)
 デジタル一眼レフカメラとしては、フォーサーズシステムという独自路線を展開するのがOLYMPUSだ。OLYMPUSといえば一昔前の銀塩カメラ時代には、昆虫写真を手掛けるものにとって、なくてはならない接写システムを構築してくれた。しかしデジタル化した現在のフォーサーズシステムでは、過去のような接写システムにはまだ至っていない。このことは何度も強調してきたことだが、一方で私はフォーサーズシステムのレンズ設計のあり方、カメラのコンパクト化などを高く評価し、少し永い目で見て、いずれは接写システムの拡充にも期待しつつフォーサーズシステムをメイン機材の一つとして揃えてきた。
 メイン機材として撮影の仕事をする上では、カメラボディが最低でも3台は必要だ。そこでつい先日「E300」の2台目を購入した(写真)。どのメーカーであれデジタルカメラの同機種を2台以上保持することには価格やカメラとしての機能面からこれまで抵抗があった。しかしE300は10万円以下の価格でありながら、そこそこの性能があり充分仕事にも使える。操作性ではE-1の方が良いし気に入っているのだが、E−1については次期新型機種への期待感が大きく、2台目を購入するのは躊躇せざるを得ない。
 「E300」にも欠点がないわけではない。操作をメニュー操作に頼り過ぎで、これは慣れの問題である程度解消できるにしてもやはり使いづらい。そして最大の問題点は液晶モニターの色味が正確ではないことだ。撮影中モニターの色を見ていると不安になってしまうが、パソコンのモニターで再現してみるときちんとした色再現をしているので、これも慣れるしかないようだ。

 フォーサーズシステムをメイン機材として捉えながらも、これまで銀塩時代から主力機材として使ってきたCanonのシステムを捨てたわけではない。CanonのEFレンズ群の充実度、描写能力の高さは今さら言うまでもないが、しかしそのレンズ群を100%活かすためには、やはりフルサイズCMOSのデジタルカメラでないと意味が無いと、少なくとも私は考えているからだ。ところがフルサイズの1Dsマーク2はあまりにも高価であり、趣味ならともかく仕事では使えない。高価なカメラは故障時のリスクも大きい。なんとか妥協して1Dマーク2を使ってきたが画面が中途半端なサイズの上、やはりこのカメラも決して安くはない。それとこれらCanonのフラッグシップカメラは、昆虫写真撮影をする上では、図体があまりにデカ過ぎるのだ。もちろん重いことこの上ない。
 カメラボディの大きさはともかくも、CanonのフルサイズCMOSデジカメの価格が30万円台あたりに降りてきてほしい。そうすれば仕事のカメラとしてメイン機材として活用できる。それまではCanonの販売戦略を静観するしかない。
 
新開 孝

テントウハラボソコマユバチ羽化する 2005/08/03
先日紹介したテントウハラボソコマユバチの繭から、成虫が羽化した。おしりの先の産卵管を含めても体長は4ミリ以下だろう(写真上)。
 このハチはちょっとした刺激を受けるとピョンと跳ねてでんぐり返り、死に真似をする(写真下)。その姿をもう一度撮影しようとしたら、ストロボの発光に驚いて飛び起きた。
 テントウハラボソコマユバチはこのあと、宿主となるナナホシテントウやテントウムシの成虫を探し放浪する。宿主を見つけると産卵管を体の前に突き出すようにして、宿主の体の外部へ卵を産みつける。このとき宿主の体表面に卵を付着させているのか、どこか隙間に埋め込むのかは、よくわからない。ハチのふ化幼虫は自力で宿主の気門あたりから体内へと侵入するのだろう。
 今のところテントウハラボソコマユバチのオスは見た事が無い。どうやら本種はメスだけで単為生殖するようだ。


『新開 孝からのお知らせ』

 私は体の不調からこの「ある記」更新をしばらくお休みしてきました。といっても数日間でしたが、体の不調からこういう事態になったことは今回がおそらく初めてだと思います。
 いろいろな方からお見舞いや励ましのメールを多数いただき、恐縮しています。それぞれの方々への返信を省略させていただき、ここに皆さんへのお礼とご心配をお掛けしたことをお詫び申し上げます。ほんとうにありがとうございました。

 私の体の不具合は食欲不振、倦怠感、全身筋肉痛、そして首から下全身の発疹、発熱など諸症状が入れ替わりで発生しました。どうやら疲労からきた夏風邪ではないか、そういう自己診断をしておりますがほんとうのところはよくわかりません。やはり精密検査は一度受けた方がいいようですが、今の時期に生きもの相手の仕事ではそういう時間がなかなか取れないのが現状です。
 実際、今回も熱がありフラフラしていても室内作業ながら力仕事を続けてしまいました。相手が生きものである限り、こちらが回復するまで待ってはくれません。完全休業で療養に専念したのはわずか1日だけでしたが、そのせいか右腕の筋肉を傷め、腕を上げるとかなりの痛みが残っています。まあこれはゆっくりリハビリすれば回復すると思われます。
 不調で喘いでいるあいだ、さすがに酒類は飲めませんでした。これって実につまらないですね!おいしい肴と酒あってこその人生!ってちょっと大げさですが、これ抜きではねえ。

 ということで、また「ほぼ毎日更新、ある記」は元気に歩んで行きます!新開 孝

お休みのお知らせ 2005/07/31
『新開孝からのお知らせ』

 先日から新開は体調不良のため、当「ある記」の更新が滞っています。
しばらくは体調復帰に努めます。よろしくお願いします。新開 孝

テントウハラボソコマユバチ 2005/07/27(その2)
 長い名前である。これは「テントウ」「ハラボソ」「コマユバチ」と三分割で覚えるといい。しかしやはり長い名前に変わりはない。
 さて、本日の「国分寺市立もとまち公民館」主催の昆虫観察会で、エノキの梢を眺めていたときのこと。参加者のお母さんがエノキの葉っぱで見つけたのが、このテントウハラボソコマユバチの繭を抱えた、テントウムシなのである。
 コマユバチの寄生を受けたテントウムシは、何事も無かったように生活しているが、ある日突然、自分の体からコマユバチ幼虫が這い出てくる。そしてコマユバチの幼虫はテントウムシの腹側で繭を紡ぐのである。写真ではわからないが、テントウムシはまだ生きており、脚をもがいている。しかし繭を紡いだときの糸がエノキの葉っぱに絡んでいて、テントウムシはその場から離れることができない。即死に至らないまでも、すでにテントウムシの体内ではコマユバチ幼虫が成長するための栄養分を奪われている。実に巧妙な寄生生活ではあるが、そうは言ってもこれだけでっかい寄生者が体から出て来るのだから、宿主であるテントウムシが平気でいられる訳はなかろう。いづれこのテントウムシは死んでしまう。


 『死を迎える日』

 荒木経惟+杉浦日向子『東京観音』(筑摩書房)なる写真文集を購入してパラパラと読んだのは一ヶ月ほど前。そこには荒木経惟氏撮影なる杉浦さんの姿もちらほら登場する。日向子様のお顔は観音様にだぶったりしていかにも異空間を醸し出すのだが、その日向子さんが癌で亡くなったということを昨夜、嫁さんから聞いた。
 私は杉浦日向子さんの特別熱心なファンというほどでもないが、彼女の漫画や著書は気に入っていて本棚にはいくらかの著書が並んでいる。好感も抱いてきた。だから私と年齢が一緒ということもあって、訃報に驚くと同時に自分の体からスゥーッと力が抜けるのを感じた。このところ身近な人の訃報が続いたこともあるだろう。 
 昆虫写真の仕事をしていると、肉体的にはやはり職業病的な厄介を抱え込むことが多い。歳をとるにつれ、その厄介も深みが増し、とうとう去年の暮れには産まれて初めてマッサージを受けた。これはかなり効いた。効いたけれど、しかし定期的にこの療法を受ける時間はほとんどないので、一時的な気休めのような気がする。全身の筋肉が痛むと言っていいのであり、近年の腰痛から発展してきたのではないかと思う。
 体の不調には波があって、そういつも恒常的に悩まされているわけではない。だから自分はむしろ元気な方だと思っているが、先日の熊本ロケ時に酷暑のなかで受けたダメージがかなり残ってしまった。体がだるく、全身筋肉痛と食欲不振が続く。そして、こんなダメージを重ねていればいずれ何かの病魔に襲われても当然のような気もするところが、やはり自分も歳とった証拠だ。
 自分の死を考えることはよくあるが、その予想はかなり難しい。こうあって死にたいとは思っても、多分そんな身勝手な期待は裏切られる形で死が迫ってくるのだろう。
 

新開 孝

昆虫観察会 2005/07/27
 本日は「国分寺市立もとまち公民館」主催の昆虫観察会の講師の仕事であった。昨日の台風7号一過、見事な晴天となり、暑いけれど空気はカラッとしていて林の中は涼しい。下見で現場を歩いた昨日の方が、雨は降っていたけれど蒸し暑くて吹き出す汗の量は多かったくらいだ。場所は国分寺市東元町3丁目地内の雑木林など。
 参加した方々は主に小学生でその父兄の方を含めて30名くらいだったろうか。出発地点近くの池には多数のトンボが群れ飛んでいて、さっそくトンボ観察で盛り上がっていく。トンボの顔ぶれはショウジョウトンボ、アキアカネ、シオカラトンボ、ギンヤンマなどだ。とりわけギンヤンマはオスが3匹いて、さかんにパトロール飛行をしていた。ギンヤンマがここの池に定着しているかどうかはわからないが、近年全国で減少しているギンヤンマを、しかも都内の公園でこうしてじっくり眺めることができるのは稀な機会であろうと思う。池の大きさもちょうど観察に向いていたと言える。
新開 孝

キマダラカメムシ 2005/07/24
 キマダラカメムシの体長は25ミリ程度。カメムシの中でも大きい方だろう。熊本県大津町の街路樹、ケヤキの幹で多数見つかった。時刻は午後7時過ぎ。
 本日は熊本滞在最終日でもあり、夕食はホテルから少し歩いて支那そばを食べに行くことにしたのだが、その途中で同行のフリーライターNさんが、またもや目ざとくこのカメムシを発見したのであった。「あ、きれいな虫!」というNさんの声に振り向いてみるが、遠目からは樹肌にカメムシの姿が溶け込んでよくわからない。「おお!これはキマダラカメムシといって少し前までは、長崎にしかおらんかったんよ。このところ九州全体に分布を広げているらしいよ」
 で、カメラを取りに戻るにはすでにけっこう距離があったので先に支那そばを食べてからホテルに戻り、今度は車で出直して撮影となった。あたりはもう真っ暗だ。最初に見つけていた若齢や中令幼虫たちは見失ってしまったが、どうやら黄昏れてから本種はケヤキの幹(高さは地面近くから2メートル高くらいのあたり)で集合しはじめ交尾するらしい。交尾つがいの数はしだいに増えていた。幼虫も見つかることからおそらくもっとケヤキ並木を調べれば、卵も見つかりそうであった。
 
 それにしても今日もまた炎天下の放牧地を歩き回り、ほんとうに疲れた。しかも午前中に引き続き、午後からも4時近くまで延々と歩いたのだからかなり堪えた。これは虫を探す情熱なくしてはできないことだ。私の首筋はすでに日焼けでボロボロに皮が剥け始めている。明日は東京に戻る。新開 孝

再びクロシジミ 2005/07/23
 今朝も放牧地に入る。目的の昆虫を見つけるのは容易ではないが、見つけても関門の一つを通過するだけであり、第二、第三の関門が次々と待ち構えている。阿蘇まで遠征して、多大な時間を費やす今回の仕事のハードルは非常に高いのである。だからこそやりがいのある仕事であり、とりあえずは昆虫探索に集中するためカメラ機材は持ち歩かないことにした。
 さて、その非常に困難な探索中にまたしてもクロシジミに遭遇した。それも個体数は少なくない。さらにクロオオアリが多数通っているススキではクロシジミの卵もいっぱい見つかった。クロシジミのメスはクロオオアリがアブラムシに夢中になっている場所の近くにさりげなく卵を産みつけている。クロシジミはチラチラと草原のススキの間隙を縫うように低く舞う。ときおりヒメジョオンの花で吸蜜する姿もあった。新開 孝

クロシジミとの初対面 2005/07/22
 阿蘇地方は最高気温35度を上回る猛暑が続く。その炎天下のなかまったく日陰のない草原を歩き、撮影する仕事は2時間も経つとかなり堪える。
 ある放牧地で(牧場主から許可を得ている)少しバテ気味になりかけていたとき、目の前のススキにクロシジミを見つけた。クロシジミに出会ったのはこれが初めてなので、興奮してしまう。ススキにはクロオオアリがアブラムシのところへ通ってきており、クロシジミはこのクロオオアリの存在に惹かれているようだ。お腹のでっぷりとしたメスであることもわかる。もしかしたら産卵行動も期待できそうだったが、今回の仕事の目的からはずれてしまうので、じっくり粘ることができず残念だった。他にも数匹のクロシジミを見たが、いずれもメスであった。

 ここ熊本に来てから、おいしいと言える食べ物は今のところ「ゴボ天うどん」とスイカくらいだが、しかし何と言っても地酒の芋焼酎はどれも旨い!これは是非、みやげに買って帰りたいと思う。新開 孝

ユウスゲ再び 2005/07/21
 昨日はユウスゲをコバギボウシと誤って書き込んでしまった。広大な阿蘇の草原にはユウスゲの大群落があり、午後4時過ぎころから開花し始める。
 さて、ユウスゲの花に近寄って見てみると、アブラムシがたくさん着いているものが多いことに気付いた。アブラムシは多数が群れているので世間では気持ち悪く思われて人気がないが、よくよく見ればこれもけっこう可愛い姿をしている。このアブラムシのコロニーにはクロオオアリが訪れていた。

 本日で阿蘇の仕事も4日目となった。
新開 孝

ユウスゲ 2005/07/20
 阿蘇山での撮影中、気になる花があった。放牧地の草原に群れている黄色い花だ。この花は午後4時ころからぽつぽつ咲き始める。場所によってはかなりの大群落となる。この花はユウスゲ。なるほど夕方から咲き始めるからユウスゲということらしい。

(OLYMPUS E-300 ズイコーデジタル7-14ミリ使用)

新開 孝

阿蘇山晴れて、馬に慕われる 2005/07/19
 阿蘇山での撮影は天候も良く、順調に進んでいる。今回も牧場の方から許可を得て放牧地内に入らせてもらったのだが、しばらくして猛然と馬たちが私たちの所へ集結してきた。そのわけは、どうやら私が下げていた発砲スチロール製のクーラーボックスのせいらしい。クーラーボックスの中身に興味を持ってしきりにすり寄ってくるのである。しかし、実はクーラーボックスの中は空っぽであるから、彼らは匂いとかに惹かれているわけではない。はじめはメス馬とその子馬たちであったが(写真上、中)、やがてドカドカッと大柄のオス馬たちも駆けてきた。これにはさすがのNさんも恐がっている。そのうち牛の方もぞろぞろと集まり始め、私たちは巨大な四つ足軍団に取り囲まれてしまった。
 まあ、彼らを無視しておくのがいい、と声掛けるも、脇腹を嘗められたとNさんが騒ぐので、とりあえず放牧地内から退去することにしたのであった。
 
新開 孝

ウスバキトンボの寝姿 2005/07/18
 今日は熊本県の大津町に来ている。しばらくは阿蘇町で撮影の仕事だが、阿蘇町では手頃な宿が見つからず、隣町の大津町にあるホテルに投宿することになった。さて、夕食を終えてのことホテルの外の植え込みを眺めていると、あちこちにウスバキトンボが寝ている姿が多い。今回、同行しているフリーライターのNさんが目ざとく見つけて教えてくれたのだ。それにしても植え込みをライトアップしてありその照明をたっぷりと浴びているウスバキトンボもいて、どう見ても寝不足になりそうな気がしてならない。新開 孝

ドロバチ営巣、終える 2005/07/16
 ベランダの竹筒に育児室を造っていたドロバチも、本日でその作業を終了したようだ。最後の泥壁を丁寧に塗り固めている作業を見ていると、こちらまでなぜかホッとするような気分となる。そこで新しい竹筒を2本ほど追加して置いてみた。
 

 
 








『新開 孝からのお知らせ』

 先日、宮城県、金華山から東京に戻ったばかりですが、明後日からはまた阿蘇山にしばらく遠征します。今度は九州ですね。飛行機での移動となると、撮影機材の一部はあらかじめ宅急便で送る事になります。そのパッキングやら、現在飼育中の昆虫の管理など、またもや慌ただしい一日となっています。ですから、またもやしばらく当「ある記」の更新も途絶えそうです。
 
 新開 孝
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