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高麗川の「川虫」を撮る 2005/02/27
埼玉県飯能市、高麗川(写真上)に赴いて「川虫」を探してみた。
渓流に降りて、水のなかを覗いてみるとそこは実に生物の多様な世界に満ちていることがわかる。小さな網を流れに向かって掬ってみれば、たちまちカゲロウの類いが何匹もかかる。石ころをめくれば糸で綴ったトビケラ類の巣が無数にあり、川虫たちは探すまでもなく、水流世界に満ちあふれている。
今日は仙台市の昆虫写真家、中瀬潤さん(写真中、下)をご案内した。「川虫」を主要テーマになさっている中瀬さんに教わるのだから、これは心強い。中瀬さんのHPはリンクしているのでそちらもご覧いただきたい。とにかく現場で「川虫」の名前を次々と聞ける機会はそうあるものではない。私も「川虫」初心者としてたっぷり楽しむことができた。
「川虫」の写真は明日にでもアップしてみたい。新開 孝

コマダラウスバカゲロウ幼虫 2005/02/21
裏高尾、日影沢の林道を歩いてみた。
午前中は曇っていたが昼前から青空が出た。林道のわきには雪が残っていたが、日射しが嬉しいほど暖かい。遠くからホラ貝を吹く音色が響く。これも心地よい。
山間の空気が澄んでいるのがよくわかる。
さて、崖の岩にはうす緑色や水色の地位類の粉がびっしりと張り付いている。
近づいて丁寧に見ていけば、こんもり盛り上がったドームがいくつもあった。
中にはそのドームにぽっかりと口を開けたものもある。ドームの下には直径5ミリ程度の球体が納まっており、こちらにも穴があいている。
この球状物体はコマダラウスバカゲロウの繭である(写真上)。
なにさまドームも繭本体も地位類の粉で覆われているので、よく見ていかないと見落としてしまう。繭は昨年の夏に成虫が出たあとの殻である。繭がたくさんあるから、冬越ししている幼虫も見つかるだろうと探してみた。これがなかなか見つからなかったのだが、ようやく一匹だけ見つかった(写真中、下)。赤丸で囲った中に幼虫がいる。そこをトリミングしたのが下の写真。しかし、幼虫の体も地位類で偽装しており、これまたどこが頭やら腹やらすぐには判りづらい。
コマダラウスバカゲロウはアリ地獄のウスバカゲロウの仲間だが、すり鉢状のアリ地獄は作らない。こうして岩場や樹木についた地位類に潜み、そこを出入りするイシノミやコケガ類、クモなどを待ち伏せて餌にしているのだ。
幼虫は年中見かけるが、成虫はその気になって観察しないと滅多に見つからない。
成虫を確実に見るなら、繭から羽化して出てくるところか、産卵に飛来するところをねらうのがいいかもしれない。ただし夜の観察になるだろう。新開 孝

奄美大島のアカボシゴマダラ 2005/02/19
ゴマダラチョウの幼虫は秋にエノキの幹を伝って落ち葉の下に降り、地上で越冬することはよく知られている。しかし当『ある記』でこれまで注目してきたように、稀に樹上越冬する場合もあることもかなり以前から調べられている。
ほとんどのゴマダラチョウ越冬幼虫が、茶褐色の体色となり落ち葉と一体となった姿で冬を過ごす事実は、私たち人の感覚に照らしても納得し易い。

ところで、この樹上越冬というスタイルがむしろ当たり前の習性として知られるチョウがいる。それは国内では奄美大島と徳之島だけに生息するアカボシゴマダラだ。このチョウはゴマダラチョウと同じHestina属であるが国外では中国、朝鮮半島、台湾に分布し、日本での極めて極限された分布は大きな謎を秘めている。
さて、本日は私が1994年に奄美大島で撮影したアカボシゴマダラ越冬幼虫を紹介しておこう(写真上、中)。撮影時期は2月で幼虫が見つかった木はクワノハエノキ(リュウキュウエノキ)である。ついでにこの年の前年、9月に撮影した♀成虫の写真(写真下)も添えておこう。
アカボシゴマダラは奄美大島と徳之島にしか生息していないが、現地では意外と普通に見かけるチョウのようだ。とりわけ越冬幼虫探しは初めての試みにもかかわらず、目星を付けた最初のクワノハエノキで見つけることができた。
このときはビデオクルーの撮影コーディネーターとして仕事に参加していたのだが、ビデオ撮影を開始したころから雨がポツポツと落ち始め、あせったことが今では懐かしい。

『出張撮影ではより太る日々!』

今週も「ある記」を数日間休んだ理由は、標本出張撮影の仕事があったからだが、こういった仕事では編集者などスタッフも一緒に行動をとるので、毎日の食事もきっちりと外食になる。普段、一人でフィールドを巡る場合なら体調の具合も考慮して「今日の昼はおにぎり一個で済ませておこう」などと気ままなメニューの選択も可能だが、一人でない場合そういう手抜きの食事ができない。
しかもどういうわけか、今回の出張先ではどんな店のどんなメニューを選んでも出てくるボリュームが凄まじいのである。すべて大盛り!でかハンバーグにでかコロッケ、てんこ盛りカツ丼!皿からあふれんばかりのカレールウ。ほどほどに残せばいいようなものだが、食べ物を残すことに若干の抵抗が残る世代の一人であるからして、けっこう頑張って食べてしまう。しかしどうしても食べきれず、残したこともさすがに何回かはあった。
そんな調子の外食生活をのべ3週間以上も続ければ、確実に太るに決まっている。

(写真は銀塩ポジからスキャニング、Nikon new FM2
マイクロニッコール100、28ミリ使用)新開 孝

テングチョウ 2005/02/14
今朝は奥多摩の氷川へ下見に走り、その後、狭山丘陵へと赴いた。
奥多摩は地図で見るとずいぶん遠くに思えるが、車を走らせてみるとうちからはわずか1時間半の道のりである。山深いが氷川に雪は全くなかった。
さて、狭山丘陵では久々にルリビタキのオスに出会った。私のすぐそばでさかんに地上に舞い降りては、なにか獲物を捕えている様子だった。
なるほど今日はずいぶん暖かい。フユシャク類のオスもよく舞うが、他にもユスリカなど活発に動く昆虫が目につく。
そして、日溜まりで日光浴をしていたのはテングチョウであった(写真)。
翅を閉じていると枯れ葉そっくりだが、じわじわと拡げれば朱色の紋様が鮮やかだ。真冬に出会うとこんな地味なチョウでも嬉しいものだ。
ふと上空を見上げればオオタカのオスが旋回を始めた。
イボタの木ではウラゴマダラシジミの卵塊が二つ見つかったが、残念ながらいずれも去年のふ化殻であった。しっつこく探したがピンク色の卵はとうとう見つからなかった。
このウラゴマダラシジミ、四国の高知あたりではもうふ化が始まっている頃だろう。そういえば20数年前、高知大学の入学試験の最終日にウラゴマダラシジミの採卵をしたことが懐かしい。イボタの木すら知らない初めての試みではあったが見事、卵とふ化幼虫を見つけ喜んだものだ。そのかわり試験は落第し浪人生となった。

(オリンパスE-1  14-54ミリ使用)新開 孝

本日の樹上越冬ゴマダラ幼虫 2005/02/13
昨年から毎日のように観察してきたエノキ枝又のゴマダラチョウ幼虫。
本日も相変わらず健在である。
マンションと駐車場を往復するたびに梢を仰いでその姿を確認するのはもう習慣のようになってしまった。


この冬、もっとも冷え込みの厳しい日々が続くが、幼虫の姿に外見上の変化はまったく認められない。

(EOS-1Dマーク2 100ミリマクロ使用)
新開 孝

標本箱の中 2005/02/12

先日、8日から10日まで標本撮影の出張に赴いていた。ホテルに宿泊して朝から晩まで現場の室内にこもって撮影する。昨年の12月はじめからスタートしてほぼ週3日間のペースで進めてきた仕事だが、どうやら今月中には終了しそうだ。これまでにも一度に大量な数の標本撮影を仕事として請け負ったことはいくらもあるが、今回の仕事はもっとも長期に渡っており、撮影種類数も過去最高になりそうだ。
ただこれまでとは違ってデジタル撮影なので、カット数そのものは少なく済んでいる。これは余備カットや露出の段階撮りなどを行わないからであり、そのぶん撮影作業もすこぶる速い。撮影の場ですぐに編集者と絵柄や色味をチェックできるのがなんといっても大きい。

さて、出張から戻ってから部屋の片付けをしているうちに、私の標本箱が目についた。ついでだから全部を点検してみることにした。全部といっても数は少ないので、防虫剤の詰め替えもすぐ片付く。
もう記憶のかなたにある標本をあれこれ眺めているうちに、いろんな想いでが蘇ってきた。その想いでが鮮やかなのもそれぞれの標本には若かった頃の自分の手書きラベルが残っているからである。フィールドで採集したときの感激や苦労などがラベルとともに染み付いているのだ。ラベルのない標本は仕事上必要で購入したり譲ってもらったものばかりだが、こうした標本には愛着が湧かないのも当然であろう。私が自分の標本箱の中を眺めるのも、こうしてせいぜい一年に一回くらい防虫剤を交換するときくらいだから、数が少なくても毎回新鮮な気持ちで箱を開けることができる。
もっとも近年は撮影の仕事で必要に迫られない限り、標本作りをすることは滅多にない。
さてさて、本日の写真はそんなわけで私の所有する標本箱の中である。
写真上の中央はオオキノコムシだがこの2匹は愛媛県の面河渓谷でキャンプしていたとき、夜の灯りに来ていたものを採集したものだ。そのとき手に採ったこのオオキノコムシの体から、強烈に落花生の匂いがしたことをはっきりと覚えている。採集年はもう30年も前になる。
そして写真下は同じく愛媛県の松山市杉立で10月に採集したクロコノマチョウの秋型メスである。これも30年前の標本。ジャノメチョウ類のなかでも大型の本種にはずいぶん憧れて、捕虫網を持つ私の形相は真剣そのものであった。
そのころの少年(?)新開の目はいかにも輝きに満ちていたことだろう、と思う。
今の時代、そうした虫に憑かれたような少年、少女(ただし少女の場合、個体数は極限される。女性はどちらかというと採集よりか飼育に嵌まる方が多いように思われる。そして実際、飼育が上手である。)はいかほど生息しているのであろうか。このごろは、むしろ若返った壮年世代の方のほうが元気であり、フィールドで出会う虫屋はほとんどが私よりかはるかに年上の方ばかりである。
まあ、そうはいってもこの日本列島、昆虫はほんとうに減ってしまったのだ。
それは数においても種類においてでもあり、なおかつ網を自由に振れるようなフィールドも激減しているのだから、目を輝かせる少年少女がいなくなるのも当然のことであろうとも思う。
そうした時代にあって、絶滅危惧種とされる私たち「昆虫写真家」なる者は、
今、いったい何をなすべきであろうか!?

などと、そういう堅苦しいこと考えるよりか、私の今は、海鞘とおいしい日本酒をみちのくの地で堪能したいと切実に考えておるのであります。新開 孝

フユシャクガ 2005/02/06
公園の遊歩道柵でフユシャクガの雌雄を見つけた。
オスはクロバネフユシャク(写真上)で、
メスはシロフフユエダシャク(写真下)のようだ。
とくにメスの方の種名について自信はないが、とにかくお腹がはちきれんばかりに
膨らんでいる。そっと触れると死にまねをしてころりとひっくり返るのも、
その体型がゆえであろう。
シジュウカラにでも見つかれば、たちまちパクリとやられてしまいそうだ。新開 孝

ニワトコフクレアブラムシ 2005/02/04
いったいこのニワトコフクレアブラムシにとって
冬というものがあるのであろうか!?
すでに子供を産んでいるメスがいて、このまま増殖するようである。
ニワトコもたまったもんでないが、
アブラムシはこのニワトコとともに生きながらえているのはすごい。







『自分を撮る』

5月に刊行予定の自著本があり、
その奥付けのプロフィールには私自身の写真を載せることにした。
これは初めての経験であり、慌てて写真を探したのだが
予想通り近影のカットは皆無であった。
これまでは私の嫁さんがたまに撮ってくれた写真があったが、
まさか10年以上も前の写真を出すわけにもいかないだろう。
そもそも私が仕事でフィールドに出るときはほとんどが一人である。
仕事の現場で私のポートレートを撮影してくれる人など通常、皆無に等しい。
しかし、できる限り著者近影と言える写真を用意することにしたい!
そうなると、もう自分で撮るしかない!
で、今朝はパソコンに向きっぱなしの憂さ晴らしもあって、
近くの雑木林に出かけた。珍しく三脚も携えたのはセルフタイマーでの
撮影のためである。
自分をかっこ良く撮るために場所選びと光線の具合を選ぶ。
これはまあ、すぐに決まる。問題は私自身のポーズと表情だ。
セルフタイマーは10秒だから、慌てることはないが、
この撮影シーンは他所から見れば実に滑稽きわまりないはずだ。
幸いにして雑木林を訪れる暇な方もおらんかった。良かった!
OLYMPUS E-1を携えてみたが、あまりカメラの方はよく写ってない。
まあ、これは勘弁していただきたい。
好きなカメラを持ってみたかったのである。


(EOS-1D マーク2 マクロ100ミリ使用))新開 孝

オオミノガ 2005/02/03
昨晩、子供の迎えに保育園へ行ったところ、担当の保母さんから「ミノムシは今頃、どこで見つかりますか?」という質問を受けた。「毛糸が余ったので、それで蓑作りを子供たちに見せたい。」ということだった。
さすがに冬の今時分、その願いを叶えてあげることができない。
さて、今日の写真はオオミノガのオスの蓑である。
大きさ、蓑の形からしてこれは間違いないようだ。実は先日、当サイトでは何度か御登場していただいた昆虫写真の達人、森上信夫さんからチャミノガとオオミノガの違いなどのレクチャーを現場で受けたばかりである。
なるほどチャミノガの蓑の特長がわかってみると、今度はいかにその数が少ないかということもよく見えてきた。
蓑のなかに生きた幼虫がいるかどうかは、蓑を固定している糸束がしっかりとしているかどうかで、おおよそ判断できる(写真下)。

(OLYMPUS E-1 14−54ミリ使用)新開 孝

ウバタマコメツキ 2005/02/01
雑木林には枯れたマツが多い。
そんなマツの朽ち木の樹皮をめくると、ウバタマコメツキが見つかる(写真上)。
細長い体がちょうど納まるだけの蛹部屋にじっと横たわっている。体長は3センチほどと大柄なコメツキムシだ。
体背面の色模様は地味で、ちょっと見た目には虫と思えないかもしれない。
腹側から見た姿は脚や触覚がぴったり体に張り付いており、擬死の効果はすこぶる高いのではないか(写真下)。実際、指で摘んでもツルリと採り逃してしまういそうだ。
そんなコメツキムシだが、手のひらにとってしばらく経つとググッと体を反ったあと、パチンッ!と空中に跳ね上がる。見事な跳躍だ。
そういえば私はこの跳躍シーンの撮影をこれまで試みたことがない。なぜと自分に問いかけても答えが見当たらないが、ふとこれは怠慢に過ぎない、そういう思いが強くなってきた。

(上/E-1 14-54ミリ使用)
(下/EOS-1D マーク2 マクロ100ミリ使用)新開 孝

アカコブコブゾウムシ 2005/01/31
所沢市、狭山湖の東にある『トトロの森』を歩いてみた。
オオタカのメスの甲高い鳴き声が朝の谷間に響く。上昇気流に乗ってゆっくり旋回するオオタカのオスは白く輝いていた。地上に立つ点粒のような私の姿も彼らの視界にはきっちり捉えられているのだろうなあ、そんなことを考えながら茶畑の脇の道をゆっくり歩く。シロハラがけたたましくさえずりながら林へと飛び去った。そのうしろをぴったりモズが追いかけていく姿も見える。鳥たちの姿、声を目にし耳にしていると冬の静けさをずんと感じる。
コナラの梢をていねいに見ていくと、ここでもヤママユの卵がよく見つかる。
ヤママユの卵は大きいのと数個以上がかたまりで産みつけられているので、探し易い。しかし今日のお目当てはヤママユの卵ではない。コナラやクヌギの冬芽にいるゾウムシの一種だ。
芽がしっかりとしていて、そして何より手の届く高さの梢をあちこちと訪ねて回る。それにしても見覚えのあるコナラの木がずいぶんと切られてしまった。どれもシロスジカミキリの幼虫が材にトンネルを穿ち、枯れかけていたのだから仕方がない。夏には樹液酒場となっていたコナラだが、この数年集まる昆虫たちの顔ぶれには寂しいものがあった。
さて、正午近くになってようやくお目当ての「アカコブコブゾウムシ」が見つかった(写真上、下)。コナラの冬芽のそばに抱きつくような格好でじっとしている。「コブコブ」とコブが2回繰り返す名前の由来を知らないが、想像するに前翅の隆起の数に注目した命名であろうか。
保育社の原色日本甲虫図鑑(4)を開いてみると、わずか一行の解説文の最後に「シイの実」とある。なんだかそっけない記述だが、アカコブコブゾウムシはシイ類の実を加害するのであろう。私は冬以外の季節に活動する本種の姿をまだ見たことがない。

(EOS-1D マーク2 MP-E65ミリ、使用)新開 孝

キバラモクメキリガ 2005/01/29
うちのマンションの外廊下でキバラモクメキリガを見つけた。
冬のこの時期、明かりに飛来するこのキリガをよく目にする。
まるで枯れ枝のような姿をしており、雑木林で出会ったなら周りの風景に完全に溶け込んでしまい、見落としてしまいそうだ。
こうして翅を閉じた姿と、図鑑の展翅標本の写真ではまったくかけ離れているので、種名を調べるときはかなり苦労することが多い。
自然状態で休んでいる姿と展翅標本、その両方の写真を載せた蛾のガイドブックができるといいなあと思う。

(OLYMPUS E-1 14-54ミリ使用)
新開 孝

繭と蓑 2005/01/25
昨日、多福寺で集めたミノムシは全部、空っぽであった。
それらはチャの生け垣で見つけたもので、大きさなどから見てチャミノガと思われた。
今日は別の場所に赴いて、やはりチャミノガと思われるミノムシをたくさん見た。しかし、ほとんどの蓑が空っぽでありわずかに3個だけ幼虫の入った蓑を持ち帰ることにした。もっと丁寧に探せば幼虫入りの蓑はまだ見つかりそうであった。
さて、冬のミノムシの中をのぞいてみると頭を上にしてじっとうずくまっている幼虫の姿が窺える(写真上)。
このまま冬を過ごし、春になってから葉を摂食したあと今度は蓑の中で逆さの格好になり蛹に変身する。
ところで昨日見つけたヤママユの繭も中を開いてみた。冬の段階で外見上無傷な繭はコンボウアメバチに寄生されている可能性が高い。しかし期待にそぐわず繭のなかには乾涸びた蛹と幼虫時代最後の抜け殻があった(写真下)。蛹にはなったけれど何故か死んでしまったようだ。ヤママユも成虫まで無事に成長を遂げるものは極めて少ないのであろう。
こうして見てみるとミノムシの蓑も繭の一種のような気がする。
しかしミノムシの蓑は幼虫がふ化した段階で作られ、ずっと幼虫時代をその蓑のなかで過ごすのであるから、ヤママユや他の蛾の仲間のように蛹時代だけのシェルター、繭とはかなり意味合いが違ってくる。
絹糸を吐いて、それを巧みに編んで繭を作るという習性が、ミノムシにおいてはやがて幼虫時代全般の隠れ家にまで発展していったのであろうか?

(EOS-1Dマーク2/マクロ100ミリ使用)新開 孝

ヤママユの繭と卵 2005/01/24
昨日のミノムシのことが気になり、チャミノガを探しに出かけてみた。
場所は埼玉県の多福寺と下新井。予想ほどにミノムシは見つからなかったが、
お茶の生け垣でチャミノガらしき蓑を少しまとめて採集した。
さて、そうこうして歩いているとコナラの低木でヤママユの繭殻を多数、見つけた。
3メートルほどの小さなコナラ一本に4個、ほかの木にも点々と繭殻が目に入り、昨年の夏は余程ヤママユの当たり年だったのかと思わせる。
しかしよくよく見れば、鳥に食われたり羽化できなかったりと、自然界の厳しさを物語る痕跡がほとんどである(写真上)。
それでも無事羽化できた繭殻もあるから、できれば枝についた卵を探してみたくもなる。ヤママユのメスは繭から羽化したあとにすぐ飛来したオスと交尾することも少なくはない。その場合は、自分の繭殻の近くに産卵することが多い。だからヤママユの繭殻の近くに卵がついていることもよくある(写真下)。

かつてヤママユガの本を作るにあたって、越冬卵を一日で100個以上集めたことが、やけに懐かしい。100個といっても寄生卵が多数混じるので、けっして安心できる数ではなかったが、さりとて100個というのはうまくいけば2時間程度で集めることができる数だ。その探索フィールドは以前からの経験を生かして絞り込む。やたらと移動すれば時間の無駄使いになるだけだ。
しかし、ヤママユの飼育はせいぜい20匹程度におさえておかないと、餌やら飼育スペースやらでとんでもない目に遭う。もしも趣味で飼うなら5匹くらいを丁寧に育てるのがいい。新開 孝
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