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ニホンヤモリ 2004/06/02(その1)
今朝、マンションの廊下に出た途端ニホンヤモリに出会した。

ヤモリは以前にも中里の雑木林で生活していることを書いたのだが、そうした林ではなく家屋などに棲んでいる数の方が多いようである。



だからこそ「守宮」(やもり)と呼ばれるわけだが、
しかし中里の林でも冬を越して逞しく生きていることも、どうやら間違いないようだ。

今日は朝からすがすがしい晴天に恵まれ、いろんな生き物が闊達に動いているのを感じる。

EOS-1D  マーク2の本格的な稼動の初日にはふさわしい天気だ。
新開 孝

ムネクリイロボタル 2004/06/01(その2)
体長8ミリ前後のこの虫は
「ムネクリイロボタル」という。
まさにホタルというイメージに違わない姿だ。
もちろんホタル科に属する。



「栗色」という命名には、命名した方のなんとも繊細な人柄を感じてしまうが、大概の人は「胸赤色」と表現するだろうと思う。

本種はマンション裏でもよく見かける普通種だが、
今日は束の間の日射しが出たところで、
新型デジカメEOS-1D マーク2の初撮り第2号となった。

本種の幼虫は陸上生活を送りながらも、発光するそうだ。
こんなに身近な昆虫でありながら、私は今だその幼虫の姿を見たことが無い。


今回の被写体などは、後ろ翅の光沢部分などに偽色が発生し易いのだが(旧EOS-1Dの場合)、
マーク2で撮影したこの画像では、いくら拡大してもその兆候すら見つけることができない!

新開 孝

コアシナガバチ 2004/06/01(その1)
ベランダ外壁の植え込み(タチバナモドキ)にはコアシナガバチ女王が単独で創設した巣がある(写真上)。

春からスタートして、女王は孤独な子育てに忙しい。
マンション周辺でほぼ一斉に創設された巣8個のうち、今日現在残っているのは3巣のみだ。

うち2巣が私の部屋のベランダ外壁の植え込みにぶら下がっている。
以前にも書いたがマンションに隣接する空き地では例年草刈り作業のため業者が入る。
そこであらかじめ巣の周辺を私が草刈りしておいたのだが、これは功を奏したようだ。

さて巣房を下から覗き込んで見ると
大きな幼虫の頭や繭部屋も確認できた(写真下)。
もうすぐ女王の娘である働きバチが誕生しそうだ。



『新型一眼デジカメの初撮り』

本日アップした写真はEOS-1D マーク2に100ミリマクロを装着して撮影した、初撮りカットである。
といっても当ホームページ画面上では、どんなカメラを使ったところで画質の差はたいしてわからない。

これまでのEOS-1Dが約400万画素のCCDに対して、マーク2は800万画素のCMOSであり、画像処理エンジンも新規に開発されグレードアップしているのだから比較するも何も、撮影結果をパソコン上に取り込んで大きく展開すれば、
「あ、画質が緻密になったな!」
という感触は率直なところであった。
しかしながら、旧EOS-1Dの400万画素の画像は、それはそれでけっこう気に入っているし仕事上の実用レベルであることに揺るぎは無い。

これからはこのEOS-1D新旧2台を
メインカメラとして仕事を進めるのであるが、広角系統を中心にマーク2を主に使用し、接写倍率の高い領域では旧型(こういう表現は差別ではないかい?しかし簡略言葉としては便利?)を使うことになるだろう。

新開 孝

コクワガタのオス 2004/05/31
マンションの門灯に飛来したコクワガタのオスを
今朝、見つけた(写真上、中)。

雑木林ではすでに樹液にやってきた大きなオスを先日、撮影したばかりだが今日の写真の個体は体長33ミリの小柄である。

よく見ると大顎や触角の付け根、脚などにダニの一種が付着していた(写真下)。
ダニはクワガタムシの体液を吸うらしく、招かざる客であろう。


クワガタムシのなかでもっとも身近なコクワガタは、どんな林に行っても出会えるほど繁栄している。
しかし成虫はほとんど夜活動しており、昼間に樹液などで見かけてもすぐさま姿を隠してしまう。


業務日誌番外編

『車は安全運転をしていても、危ない!という話し』

今日は朝から真夏のような日射しとなり外気温は30度を超えた。
しかも強風が吹き荒れ、野外での撮影は困難だ。

さて、それでも仕事に出掛けようと車に乗ってマンション裏の駐車場を出てから30メートルほどの十字路でのこと。
右手の停止線で一時停車していたワゴン車がいきなり発進し、十字路の中程にさしかかっていた私の車の横腹に激突した。

私はワゴン車が一時停止を守り、さらには運転手がこちらに気付いているようにも見えたので、
それでも念のため減速しつつ十字路に進入したのだが、信じられないことに相手は急発進してきたのであった。
こちらが走行している車道は広めで一時停止の標識は無い。

先方は給食センターの配送車で運転手は若い女性であった。
その女性は開口一番
「またやってしまった!どうしよう!」
とかなり狼狽えていた。

私はことの状況を話し合い、どちらに過失があったのかをきちんと確認しようとしたが、
彼女はとにかく会社に連絡とらせてくれといい、
涙ながらに事故を報告している。
もちろん女性は私にひたすら謝る。幸い双方共に怪我はなかった。
女性は過失責任が自分にあると認めているので、
私は責めるような発言は控えた。
おそらく彼女は、今回の事故で仕事を失うのではないかという危惧に一番恐れおののいていたのではないだろうか?
「また、やってしまった!」という言葉には、
もう後が無いという切迫した気配が漂っていた。
「今度やったら、首だからな!!」
そんな上司の台詞が聞こえそうでもあった。

電話先の会社の担当者に私が出て、警察に通報することを告げると、その必要はなくこちらが一方的に悪いようだから保険会社からそれ相応の対処をさせるとのこと。
女性運転手はまだ仕出し弁当の配送も残っていると言うので、そのままとりあえず放免となった。
先方は仕出し業務を優先させたのだ。
立場を替えてみれば、それも理解できる。一応怪我もなく、過失責任もはっきりしているから、、。

私の車は右フェンダーと右前方ドアがボコボコにへこんで変形し、
ドアは閉じなくなった。
修理するまで走行するのは危険だ。
今日の事故で、私はほとんど仕事にならず保険会社との連絡や車のディーラーでの修理査定など、つまらぬ時間に終始してしまった。

車の運転を始めて17年、交通事故の当事者になるのは今回が初めて(昔、山道で横転したことがあるが、それは単なる自損)である。

今回の場合、
私の車は徐行ながら走行していたということで、注意義務が私にも発生し、全面的に相手方が過失責任を負うということにはならない。
責任配分はこちら2で先方が8ということで決着した。

先方の給食センターの担当者が「全面的に責任とる、、、、」という最初の口約束などは、まさにこうした事例に手慣れたつわものの余裕ある対応だったのだ。
私はころりと信じて、少なくとも修理代全額を払ってもらえるものと一瞬安心したのだが、
再び電話連絡とると、そのつわものは
「保険会社にまかせる、詳しいことはそちらで、、」
とそっけない。
申し訳ないという気持ちは最初からカラカラに乾いており、むしろとんだ災難としか捉えて無いことは電話先の事務的な声ですぐにわかった。

いずれにせよいくら私が被害者だと主張しても、それは通用しないのである。
これって、変じゃないか!?と憤慨してごねる人もいるようだが、過去の判例では完全な被害者としての立場は認められていない。

もし私の車が停止していて、そこへ体当たりを喰ったなら、これは完全に先方が100パーセント過失責任を問われるそうだ。
つまり車、自動車というものは走行している限りにおいてまさに凶器であり、その凶器について運転手は常に責任を負うという理屈は非常に正しいと言える。

実は私は先にも何回か書いたのであるが、
この5月初めに今の車を購入するまで、8ヶ月間
も自家用車が無い状況を経験した。

その日々のなかで車というものがいかに歩行者にとって脅威であり、なおかつ日本の経済構造が車社会に支えられているにもかかわらず、この日本社会はどれだけいいかげんな道路政策を行って来たかを改めてしみじみと実感したのである。
なおかつ運転する人々の認識もかなり、いや相当、無茶苦茶、甘っちょろい!
そうして私の運転は以前よりも明らかに慎重になった。出せるとわかっていても、高速道路でないかぎり50キロ以上では絶対走行しない!急いでどうなるのか!

その車生活復帰1ヶ月も立たぬうちの今日の事故である。慎重にかつ冷静にとは口で言うもそう易くはないのである。

『待望のマーク2!ついに明日、入手!』

今日は写真も面白く無い上、長々と自動車事故の報告まで書いてしまったが、
長らく待ち望んでいたデジタルカメラ「EOS1D
マーク2」が明日にも手に入るという、
私だけにとって嬉しい小さなニュースも昨日あった。

中野のカメラ店にずっと前から予約していたのだが、ようやく私にも順番が巡ってきたわけである。

今日のアップされたコクワガタの写真上、中では
おそらくWEB上では判りづらいと思うが、
実はかなり偽色が発生している。
現在、使用しているEOS1Dの画像素子CCDの能力では、
クワガタムシのような甲虫や他の昆虫でも、
体に金属光沢を帯びた部分では特に、偽色が出てしまうのである。
これは悩みの種であったのだが、
明日にも入手できる新機種マーク2では、
こうした偽色の低減にも力を入れているという前評判なので大いに期待したい。

だが、私はルーズなのでマーク2の使用感、解像力などカメラの性能をお伝えするようなことは、
多分、しません。
だって、カメラ雑誌で有名カメラマンがたくさん書いてあるわけだし、ね。
新開 孝

サトキマダラヒカゲの産卵 2004/05/30
午後5時半頃。
中里の草薮で「サトキマダラヒカゲ」が気ぜわしく飛んでいた。

これはメスの産卵行動であろうと思われた。
あちこちの草に止まってみては、慌ただしく草むらを縫うようにして舞う。

ようやくアズマネザサの葉にしがみつくと(写真上)、
腹部を大きく内側に曲げ、
産卵を始めた。

しかし、なんとも神経質である!
撮影しようと接近すれば、わずかな気配を察知して即飛び立ってしまう。

通常は10個以上まとめて産むのだが、2個で(写真中)中断したり、3個までいっても(写真下)さっさと場所替えしてしまう。

さすがに今日は惨敗であった。
今回はみっともない写真だが敢てアップしたのも、今度こそは産卵ポーズのかっこいいシーンを是非とも紹介したい!という意気込みもあってのこと。


私が高校生の頃、実家のすぐ近くでサトキマダラヒカゲの産卵を偶然にも目撃したことがある。
もう28年も昔のことだが、
当時はカメラを持っていなかったので、私は興奮しつつもじっくりその現場を観察した。
真珠のような卵が次々と並んでいく様はなんとも神秘的であった。
そのときの記憶からも、
サトキマダラヒカゲは一旦産卵し始めれば寛容になると、
今まで思い込んでいたのである。

そういえば2年前の北海道、旭川でヒメキマダラヒカゲの産卵シーン撮影に失敗したことも思い出す。

ササに止まってからグイッと腹部を曲げるメスを見つけ、
それとばかり慎重に接近しても、1メートルも寄せてはくれないのであった。
それを何回も繰り返したがついに撮影できなかった。
新開 孝

スジグロシロチョウ夏型 2004/05/29(その2)
春の訪れとともに越冬蛹から羽化誕生したスジグロシロチョウ。
今頃はその二代目が多数見られる。

春の一代目は春型と呼ばれる紋様をしていたが、今ではどれも夏型の衣装を纏っている。
特にメス(写真上、右)の翅は黒い大きな紋様が目立つので雌雄の区別もつけ易い。

さて中里の林では交尾拒否をしているメスに対して、懸命に求愛しているオス、という場面に出会した。

スジグロシロチョウではこうした行動がよく見られるのだが、これまで私は撮影条件のいい機会に恵まれないでいる。

今日も目撃したのはフェンス越しであった。
仕方無くカメラを持った手をフェンスから先に目一杯伸ばして、遠目からファインダーを睨んでの撮影となった。

メスは翅を広げたままお尻をつんと持ち上げた格好でオスを拒否しているのだが、オスもあきらめることなく執拗にアタックする(写真下)。

ついにしびれを切らしたメスが逃避飛行に移ったのだが、オスはそれでもなおしつこく追い掛けていく。

新開 孝

イボタガ幼虫(大分) 2004/05/29
大分市郊外の住宅地に隣接する林で、イボタガ幼虫を見つけた(5/23)。

幼虫の体には長い突起が数本生えており、いかにも奇怪な姿(写真上、矢印先は抜け殻)。

鞭のような突起は終令幼虫では無くなってしまい平凡な芋虫となる(写真下)が、体長は10センチもある。

幼虫がいた木はネミズモチ。
食樹は名前が示すようにイボタも好まれる。



イボタガは全国的に数が減っているようだ。
中里近辺でもイボタやネズミモチは多く生えているが、一度も幼虫を見たことが無い。

イボタガの成虫は桜の咲く頃、早春に一回だけ姿を現わす。
20数年も昔、私の実家(松山市)では門灯にイボタガが飛来し、そのときの標本は今でも手元に残っている。
しかし、近年は松山でもそうそうお目にかかれないようだ。

(成虫の写真は拙著『里山昆虫ガイドブック』の冒頭ページに掲載してある)

すでに一週間前の写真ではあるが、
大分版、昆虫ある記の最後をイボタガ幼虫に登場してもらった。

今頃、幼虫は早いものでは地中に潜り込んだかもしれない。
彼らは地中で蛹となり(繭は作らない)そのまま来年の春まで休眠するのである。

新開 孝

イラガの繭の中 2004/05/28
去年のバックナンバー11/27でイラガ繭の中のイラガセイボウ幼虫を紹介した。本日、久しぶりに覗いてみると幼虫はすでに蛹となっていた(写真上)。
眼が黒く色付いているのがわかる。

前回の写真では枝を手前にして撮影したので、中の様子が見えにくかった。
そこで今回は繭の裏側から切断した。





イラガセイボウの幼虫が蛹に変身したのは、今月に入って私が九州に行っている間(5月中旬)のことであろう。
出発間際にはまだ幼虫であった。

さて別のイラガ繭を開いてみると、こちらでは御本家「イラガ」が蛹となっていた(写真下)。

蛹の姿をよく見たいがため、繭から取り出してみたのだが、こちらもすでに眼が色付いている。

今頃のイラガ繭には、
こうして2種類の蛹が入っているのである。
これはなんとも奇妙だが面白くもある。

で、気になるその割合だが、ある場所で得た繭のうち9割近くがイラガセイボウの蛹、あるいは幼虫であった。
新開 孝

サツマシジミの蛹 2004/05/27(その2)
大分から持ち帰ったサツマシジミ幼虫3頭が、蛹化した。

保育社の蝶類生態図鑑によると、幼虫は木から地上に降りて、落ち葉で蛹化するものが圧倒的に多いそうだ。

現地でももちろん木の根元は入念に探査したのだが、蛹は見つからなかった。

今日の写真はサンゴジュの花柄で蛹化したものだが、これは飼育下という条件のためかもしれない。

しかし少し気になるのは、通常チョウの幼虫が蛹化する場合、はてしなく蛹化場所を求めて放浪するのであるが、3頭の幼虫はすんなりそのまま蛹化したとしか言い様が無いのである。

新開 孝

大分の里山 2004/05/27(その1)
5/23、24と滞在した大分県では短い時間ながら豊かな里山の自然を堪能できた。

熊本の阿蘇町から九州横断特急で大分に入るまでの車中でも印象に残ったことだが、
大分のクヌギ林は皆若い木ばかりだ(写真上は国東半島、山香町)。
これはちょっと意外だった。

あとで聞いた話では、クヌギが細い理由はシイタケのほだ木として盛んに利用されているためということだ。
だからクヌギ林の中は明るく風通しが良い。
ある林では林床に農家の方が植えたと思われるミツバとフキが繁茂しており、これなど関東の雑木林などでは見たことが無い光景だ。

田植え準備中のかたわらの土手にはノアザミやハナウドが咲き乱れ(その群落自体凄い花畑!)、アオスジアゲハ(写真中)やカラスアゲハ、クロアゲハ、アカタテハ、モンシロチョウ、キタテハなどが次々と訪れる。種類も数も多い。

レンゲ畑もまだ残っており、ニホンミツバチがさかんに蜜や花粉を集めている。

田植えが終わったばかりの水田を覗き込むとタイコウチが交尾していた(写真下)。
他にもゲンゴロウ類やマツモムシといった水生昆虫もにぎやかに泳いでいる。

これらは普通種ばかりだが、こういう昆虫のいる光景すらが今では全国的に衰退していることを思うと、この大分はなんと素晴らしい土地なのだろう!と感激せずにはいられない。

今回は特別、生き物の情報を得て動いたわけでもなく適当に良さそうな林や山道、谷津田にふらりと立ち寄ってみただけである。
しかし何処にもそれなりに日本の里山の心和む風景があった。
車を走らせていて後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎた場所は数え切れない。

当然の事だろうが、二次林とはいえ照葉樹林の森が大分には非常に多い。
私の郷里、愛媛に比べると明らかにスギなどの植樹林は少ない。
しかも愛媛はミカン畑の面積が膨大なため、照葉樹林はほんとうに急峻な狭い場所に僅かしか残っていないから、それに比べると大分はなんと豊かな自然に恵まれているのだろうと思う。

先のレンゲ畑では田植え作業の片付けをしていたおばあちゃんと、孫くらい歳の離れたお兄ちゃん(20代前半か)が、お互い手を休めてのんびりお話をしていた。
それとなく挨拶して通り過ぎたが、少なくともここでは農業の後継者には困らないようだ。

関東の多くの雑木林がすでに活用されることなく、放置されたままクヌギもコナラも大きくなり過ぎ、農業生産とはほとんど関わりを失いつつある。
そのようなつまり里山という自然が崩壊しつつある関東に比べて見ても、大分のあるいは熊本の雑木林というものは、
人との深い関わりを保ってなおかつ健全であるのが羨ましい。

今回の大分滞在の2日間、両日とも午前中はゆっくりの出発であったにもかかわらず、撮影カット数はかなりの容量となった。
思うにここでは私の仕事が捗って仕方が無い、そんな環境でもあった。

いずれ住むなら大分県なのかもしれないなあ、、、、、。
ふとそんな思いすら頭をよぎったのである。
新開 孝

ゼフィルス2種 2004/05/26(その2)
昨日、中里の林では羽化後間も無い「ウラナミアカシジミ」を見た(写真上、5/25)。

そこで今日は午前中のビデオの仕事を終えてから、所沢郊外の雑木林にゼフィルス類の様子を見に行ってみた。

クリの花は開花し始めており
花に来た「アカシジミ」が次々と見つかる(写真中、クリの花で吸蜜中)。

生憎、午後からは南風が強くなり撮影には悪条件となった。アカシジミも葉っぱにじっと静止するものが多くなった。

地面を歩いていたのは羽化不全で翅が伸び切らなかったウラナミアカシジミだ(写真下)。
体は異常なく元気に歩けるのだが、飛べないチョウにとっての運命は尽きている。
このあとアリなどに襲われてしまうだろう。

それにしても今日のアカシジミの数は多かった。
クリの木を見て歩くと赤い翅が点々と散らばっており、
木の幹を蹴ると、粉吹雪のように赤色がパラパラと天空に舞うのであった。

それに比べてウラナミアカシジミの姿は少なく、写真の羽化不全の個体以外では1頭を見たのみであった。

去年の今頃はその逆で、ウラナミアカシジミの方が圧倒的に多かったことを思い出した。

新開 孝

ルリタテハ幼虫 2004/05/26(その1)
サルトリイバラの株も大きくなった。

葉っぱに大きな虫喰いあとがあったので、探してみると
「ルリタテハ」終令幼虫が
食事中であった。

まだ食べ始めたばかりのようだが、少しして葉っぱの裏に隠れてしまった。

白い刺はいかにも痛そうだが
手で触れてもなんともない。
しかし、例えば鳥なら平気で食べてしまうのだろうか?
実際にどうなのか見てみたいものだ。新開 孝

ヤマトゴキブリ 2004/05/25
赤い風船をお尻につけている
のは「ヤマトゴキブリ」の
メスである(写真)。

中里雑木林林内の遊歩道に張り巡らせた歩道柵が、昆虫観察トラップとしていかに有効であるかは当『ある記』でくどいほど強調してきた。


その歩道柵の棒杭には昆虫たちの隠れ家となる「隙間」もいっぱいある。

林を歩く時には、この隙間の世界を覗くのも私の日課の一つとなった。

今回の写真にある赤い風船のようなものは実は、
ヤマトゴキブリの卵鞘。

卵鞘は順光で見ると小豆色だが、このように強い逆光の下では鮮やかな赤色になる。
体の黒色と見事なコントラストをなして余計に引き立つ。

「コガネムシは金持ちだ。金蔵建てた、蔵建てた、、、、」という野口雨情の有名な童謡は、ほんとうはゴキブリを詠んだものだとしたのが
昆虫学者の故、石原保先生である。

石原先生は私の大学時代の恩師でもある。
先生の言うゴキブリとは「チャバネゴキブリ」のことであり
本種の体色は薄茶色。
それを黄金色に見立ててこの虫がたくさん家屋内で繁栄すれば財をなすと、地方によってはゴキブリをコガネムシと呼んでいたそうだ。
そしてお尻につけた卵鞘を昔の人は、印篭と見なしていたそうだ。
これもまた金持ちの象徴となるわけである。

ところでヤマトゴキブリは
その名が示すように、
日本古来から棲んでいるゴキブリであり、
雑木林などで元気に生活している。

家屋に出没するいわゆる衛生害虫たるゴキブリ類のほとんどが海外からの渡来組である中、
ヤマトゴキブリだけは、
純然たる日本の昆虫であることを知っておいてもいいだろう。



新開 孝

ホシアシブトハバチ幼虫 2004/05/24(その2)
中里の雑木林を1週間ぶりに歩いてみた。

エノキの葉裏でさっそく見つかったのが「ホシアシブトハバチ」の幼虫だ(写真上)。
体全体が白い粉で薄く覆われている。

まるでサーカスに登場するピエロの衣装や白塗りの化粧などを想起させる姿だ。

体をネコのように丸くして休むと落ち着くらしい。いつもこのような格好に出会う。

今日はしかし、歩く姿も見ることができた。
その速度は意外に速い。

しかも方向転換するときなど、お尻のほうをくるりと枝に巻き付けるようにして体を保持するところが面白い(写真下)。

成虫は橙色で目立つ姿をしており、
一度見たら忘れようのない葉蜂である。
新開 孝
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