| クロクモエダシャク幼虫、再び 2004/04/27(その2) | | | | | 昨日見つけた「クロクモエダシャク幼虫」の見事な擬態容姿に興奮して、 今日も撮影してみた。
ヒノキの葉の主軸にこうして静止すると、より隠蔽効果が高い(写真は幼虫を背面から撮影、右下が頭)。
『閑話/銀塩カメラの行方』
今日は久しぶりに杉並のプロラボへ現像出しに赴いた。 クロクモエダシャク幼虫は銀塩ブローニーでも撮影しておいたからだ。こういうことは近頃の自分としては珍しい行為だ。 天候も前線通過で荒れておりちょうどドライブするに良い。車内で流す曲は「竹内まりあのライブ」。 私の撮影活動も去年あたりからデジタルカメラが主流になっており、銀塩の出番は希有なためラボ通いの時間拘束から解放されて実に気分がいい。 しかしながら、だからと言って銀塩全廃ができる状況でもなく、むしろ仕事の内容しだいでは敢て銀塩での撮影も継続しなければならない。 一つにはデジタルカメラでは撮影不可能な特殊撮影(赤外線センサーを使用した昆虫の飛翔撮影など)領域があること。 そしてもう一つには、すでにある企画に沿って銀塩撮影が進行している仕事(これは従来の膨大な銀塩ポジストックとも関係している)の場合である。 某出版社の図鑑標本写真の仕事では実に3000カット近くを撮影したが まだこの仕事は終わっておらず、残りの撮影も当然、銀塩で行う。 そして自著としての出版本の企画では あるテーマで走り出したのが銀塩であり、これまでのストックも生かしたいので、これまた銀塩撮影で貫徹したいという思いが強く、そうしている。 何故か!? ポジを蛍光灯ビュワーで観るという行為をしばらくぶりで行うと、これはこれで楽しい(ぜいたくな行為に今後はなるのかも)。 とくにブローニーサイズはいい。 私は銀幕映画華やかな世代ぎりぎりに育ったせいか、暗闇で投影される映像という世界がやはり今だ心地良い。反面、明るい室内で観るテレビは好きになれない。 幻灯機というのも幼少時に強く印象に残った。
だが、だが、しかしカメラの主流はもはやデジタルである。これは特に仕事という領域では避けることのできぬ流れ、宿命である。懐かしいなどという情緒に浸っていられるのはもはや高額所得者の趣味に過ぎぬ。 しかも私の仕事の根幹は本の出版であり、そこできちんと印刷原稿になりえるオリジナルデータが作れるカメラがあればいいのであって、銀塩であろうがデジタルであろうが目的を果たせるのであればどちらでも良いのである。 そういうレベルまで、デジタルカメラの性能はすでに達している。
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