menu前ページTOPページ次ページspace.gif

ツマキチョウ、産卵する 2004/04/11(その3)
マンション裏の草地にはここ数日、ツマキチョウのオスがよく飛んで来る。いつもせわしなくメスを探しており、まず花には来ない。時間帯のこともあるだろうが、オスはラブすることに懸命なのだ。したがって飛んでばかりいるオスの撮影は極めて難しい。彼らの飛翔を眺めていると、あきらかにコースが定まっていて「蝶道」と言えるものがはっきりと認められる。

今日はやたらと大柄なツマキチョウのメスが現われて、アブラナの蕾みに産卵していった(写真上)。メスの翅先には橙色模様が無く地味であるが、人間の女性がけばけばしく化粧するのとは正反対である。もっとも女性の素顔は本来、男より地味だということを学生のころにようやく気付いたのだが。で、夕刻、5時過ぎに再び草地を覗いてみるとアブラナの蕾みをねぐらに選んだオスを見つけることができた(写真下)。メス探しに疲れたのであろうか。橙色模様をそっと閉じて、地味な翅裏模様を纏い微動だにしない。

新開 孝

コアシナガバチの巣作り始まる 2004/04/11(その2)
アブラナの茂みを縫うようにアシナガバチが飛んでいる。2、3日前から目にしていたので気になっていたのだが、今朝覗き込んでみると既に巣作りが始まっており、巣部屋には卵も産んであった(写真上)。女王バチはときおり近くの朽ち木から巣材を削り取ってきては、巣の拡張工事に余念が無い(写真中)。もう一匹の女王はまだ巣の基礎を作り始めたばかりだ(写真下)。先の女王バチの巣とは40センチほどしか離れてない。
ここのアブラナ群落はマンション裏の草地にある。いずれは子供らの破壊行動や地主による草刈りなどが行われるので、巣が大きくなるまで存続しないと思う。残念ながらコアシナガバチは新天地へ移住するしかないだろう。

新開 孝

ゴマダラチョウ幼虫、脱皮する 2004/04/11(その1)
昨晩、午後9時過ぎ頃、ゴマダラチョウ幼虫が脱皮した(写真上)。エノキの枝又で見つけておいた幼虫に2日前から脱皮兆候が現われ、ずっと監視してきたのだ。脱皮兆候とは幼虫の後頭部にあたる部分が盛り上がってくることや、しかもそこが薄赤色となることなど。体全体も皮膚を透かして薄緑色と白の帯模様が見えるようになるから、脱皮が近いことはすぐわかる。
そして脱皮は夕方から夜にかけて行われる。過去の観察経験に照らし合わせてみると、今回の脱皮時刻は遅いほうだ。脱皮を終えてしばらくすると立派な角がしっかりする(写真中)。古い皮を脱いだ直後は短く曲がっている角はしだいに伸長していくわけである。
今朝、再び幼虫を見に行くとエノキの若芽に移動して食事を終えたばかりであった(写真下)。

新開 孝

コハナバチの一種 2004/04/10(その2)
昨日、ヤドリバエにねらわれていたコハナバチ。ハチはさかんに花粉団子を持ち帰ってくるので、訪花している場面も撮影しておこうと思ったが生憎見つからなかった。今日はヘビイチゴの花に来ているところを撮影できた。
本種の仲間は地下にトンネルを掘り育房室を作る。そこに子育てするための花粉団子をため込むのだが、その様子を撮影するにはかなり土掘りを要する。そんな好き勝手ができる場所はそうそうありはしない。地主さんと懇意になってじっくり交渉できればいいのだろうが、世の中人のいい地主ばかりでもない。いっそできればフィールド自体を所有したいと思う。昆虫写真家が好き勝手にやりたいならそれしかない。



新開 孝

ナガメ 2004/04/10(その1)
身近に見られるカメムシの代表種としては、この「ナガメ」をはずせない。アブラナ類についてそこで産卵し幼虫たちも育つ。まさに菜っ葉につくカメムシだから「菜亀」だろうか。とにかくアブラナの黄色花と体の朱色のコントラストが際立っており、けっこう目立つ。写真では右側の少し体が大きいのがメス。これだけ派手なせいか非常に敏感な虫で、ちょっとした振動で逃げ出したり、ぽろりと地面に落下してしまう。個体数は多いので一匹でも見つかれば近くに次々と仲間が見つかるはずだ。



新開 孝

ヤドリバエの企み 2004/04/09(その2)
雑木林の地面で「コハナバチの一種」の巣穴を見つけた。というのもしきりにハチが出入りしていたから、いやでも目に入る。体長5ミリほどの小さなハチは両後ろ脚に黄色い花粉を一杯くっつけてこの巣穴に入っていくのである(写真上)。多い時には一度に4頭ものハチが出たり入りたがったりと、にぎやかな光景となる。
ハチは地下トンネルの中で育房巣を作っているようだ。おそらくは運び込んだ花粉で育児のための準備をしていると思われる。作業を終え、巣穴から出て来るハチの体に花粉は付いていない。
ところがそのうち巣穴近くにふわりと降り立ったのが「ヤドリバエの一種」だ。こやつ明らかにハチの巣穴に関心を寄せているのがわかる(写真中)。出入りするハチにかまうことなく、じっと巣穴を見据えているのだ。そしてハチの出入りが止んだ瞬間、そそくさと巣穴に進み寄り、中を窺っている(写真下)。おおっと!大胆にもトンネル内に侵入しようともするではないか!
しかし、なにせハチの出入りは激しく忙しい。ハチはこのヤドリバエには無関心を装っているのか、黙々と花で集めてきた花粉塊を運び込んではまた出掛ける。その頻繁な出入りのために、ヤドリバエはいっこうに侵入できないでいる。
だが、どうなるだろうか?この結末。


新開 孝

電柱クヌギ 2004/04/09(その1)
同じ町内の雑木林。
そこには主にクヌギが生えておりケヤキも少し混じる。ここの林の特徴は、なんといっても枝という枝を切り落とされ、しかもどの木も同じ高さでぶつりと切断、頭打ちになっていることだ。つまり冬など遠目にみれば電柱が林立するかのごとき眺めなのである。
電柱のような幹だけにされたクヌギやケヤキ。一見、痛々しいのだが、どっこい彼らの萌芽力はたいしたもんである(写真上、下:クヌギの萌芽)。
木は生きるために光合成が欠かせない。枝を張り、葉を繁らせるのは、太陽の光エネルギーから生きるための糧を得るためだ。生きねばならない!その活力が萌芽力に見て取れる。幹のあらゆる場所から無茶苦茶に枝を突き出す。伸ばす。これでもかと目一杯!
今朝、この撮影をしている私の横を御婦人が犬の散歩で通りかかった。カメラを構える私に「綺麗ですね、新芽がねー。」とのどかに話し掛けられる。うーん、新芽の華やかさよりか、私にはクヌギやケヤキの悲痛な訴えが聞こえるような気がしているのですが、、、、。逞しいとは言っても、こりゃあ、人様も随分なことしなはるなあ!!



新開 孝

武蔵野の雑木林 2004/04/08(その2)
私の住んでいる清瀬市には武蔵野の面影が濃い雑木林がいくつも点在する(写真上)。日々の昆虫観察は主にこうした林を巡って行っている。写真の場所は正確には、お隣の東村山市の林と畑であるが、東村山市も環境的には清瀬市と同じような風景が広がる。
武蔵野の雑木林という自然環境に私はかつて憧れた。そのきっかけは、故、足田輝一さんの記した著書(代表的なものでは『雑木林の博物誌』『草木の野帖』など)から受けた影響が大きい。ナチュラリスト、足田輝一さんの文章、写真に魅せられいつしか武蔵野に住んでみたいと思い始めたのは大学生の頃だった。その当時、カメラは入学祝いで買ってもらったニコンFM。レンズはマイクロニッコール55ミリ一本だけ。おお、この手の話しは長くなるので今日はここまで。

春の雑木林では昆虫のことはさておき、なにかとカメラを向けたくなる風景に溢れている。「エゴノキ」の芽生え(写真中)をはじめ、何もかもが華やいでいるからだ。今日は山桜も随分、撮影した。
風通しの良い明るい林も(写真下)もうじき緑のフィルターに遮られた暗室となってしまう。
そしたら、今まで頻繁に訪れていた散策の人数もガクンと減ることだろうと思う。



新開 孝

林の芽吹きと昆虫 2004/04/08(その1)
中里の雑木林はすっかり芽吹いて淡いウグイス色に染まった(写真上)。
林内の様子を外から窺うことはもうできない。コナラの芽吹きを低い梢で見ていくと様々な昆虫に出会すようになった。地味ながらも活動する昆虫たちの姿が多くなったことは嬉しい。
初々しい「ミバエの一種」は葉陰でゆっくりくつろいでいる(写真中)。この仲間は求愛ダンスを葉上でいずれ見せてくれるはずだ。
ほころびかけた芽のところでは「トビイロケアリ」の働きアリがさかんにアブラムシをせっついている(写真下)。アブラムシの姿は小さくて見えないが、時々お尻からアリの口へと甘露滴が吸い取られていくのがわかる。


新開 孝

若葉に扮するゴマダラチョウ幼虫 2004/04/07
いささか足早に近所のゴマダラチョウ幼虫を見て回った。すでに半数近くの幼虫が姿を消したが、松山に行っている間にどうなっただろうか?
まず3/26にアップした幼虫は御覧のごとく体を曲げて死んでいた(写真上)。この場所は空掘川の遊歩道沿いの小さなエノキであり、散歩する人が絶えることがない。もっともその中でこの芋虫に気付く人など皆無であろう。しかしながら私がカメラを携えて植え込みの中を繁々と眺めている姿は、やはり気になるらしい。視線の矢が次々と降り注いでくるのは言わずもがな。
「死」もまた生物の宿命なり!
およそ人様の感覚からはすり抜けてしまう小さな生き物の世界に想いを馳せる。つい先まで生きていたであろう哀れな幼虫から目を離して去ろうとしたときなんと!一回りも大きいゴマダラ幼虫がいるではないか!もう脱皮を終えて立派な角と綺麗な緑色の衣装を纏っている(写真下)。この幼虫はおそらく以前私が見落としていたのであろう。
まさに生と死は背中合わせ、紙一重の狭間で命運は決まってしまう。

この大変身を遂げたゴマダラ幼虫は、展開していくエノキの若葉に見事なまでに溶け込んでさらに次ぎなるステップへと成長していく。そこでまた、命に関わる何らかの振り落としの憂き目に遭うかもしれないだろうが。
エノキという植物とゴマダラチョウという共生者との間に、私は何か微笑ましいものさえ感じてしまう。生物世界に惹かれることの妙味とは、こうした生き物同士のつながり、複雑な関わりあいの中に見い出し得る神秘性だろうと思う。
ゴマダラチョウとエノキがその永い進化の過程でどのような密約を交わしたのか、どのような葛藤があったのかなどと、人間的に考えてみるのも面白い。世間の感覚では計り知れないと言ってしまえばそれまでだが、勝手に想像してみる楽しみは何より捨て難いものだ。そのときにエノキとゴマダラチョウという二つの役者がどう演じているのかという設定をあれこれにんまりと頭に描いてみるわけである。

とか、なんとか想いにふけって歩いているうちに、ハッと我に帰る。おっと、もう保育園のお迎えの時刻が近い。子供らの喧噪とともに帰宅し、午後6時も過ぎると、私のマンション横の草むらではクビキリギスが「ジィー」と長く伸ばして鳴くようになった。

もう完璧に春です。


新開 孝

今朝も羽化台のキアゲハ 2004/04/06(その1)
昨日羽化した「キアゲハ」のオス。
このように広げた翅の模様が前翅と後翅できちんとつながるところがなんとも不思議だ。そもそもチョウやガの4枚の翅は体からそれぞれが別個に生えているからだ。よく知られたことではあるが改めて驚く。
私がキアゲハの側を歩くとサッと閉じていた翅を広げるのも、やはり一種の威嚇行動なのだろうか。キアゲハはそっと割り箸ごと手に取ってマンションの裏に放してやった。

新開 孝

蛹化したヒメカギバアオシャク 2004/04/06(その2)
(写真)はクリの枯れ葉にくるまって蛹となった「ヒメカギバアオシャク」。
先日、松山の実家の庭で見つけた幼虫が蛹化したのである。
つまり3/31にアップしたヒメカギバアオシャクの幼虫は撮影した段階ですでに終令だったことになる。クリの木はまだ芽吹きかけたばかりなので冬越しのあと、幼虫は餌をあまり食べていないのではないだろうか。写真の蛹は蛹化後さして時間が経過していないので体の色素が浮き出ておらず、体前半部はスケルトン状態だ。
新開 孝

ベニシジミ蛹、羽化間近 2004/04/06(その3)
3/6にアップした「ベニシジミ蛹」が羽化間近となった。翅の橙色が浮き出て、体全体が黒っぽくなったことがわかる。
この蛹は去年の秋から育った幼虫がそのまま冬越しをし、私に見つかってからはベランダで過ごして春を迎えたわけである。
そろそろ羽化するのではと思い松山にも持ち帰っていたのだが、なんとか蛹のまま東京に戻って来ることができた。
新開 孝

羽化台のキアゲハ 2004/04/05
去年の秋、ミツバで育ったキアゲハ。
その越冬蛹が羽化しそうになった。昨日、松山から東京に戻ってこのことに気付いた。
蛹をつなぎ止めていた帯糸は切れており、容器の底にころがしておいたものだ。そのままではうまく羽化できないかもしれない。
そこでフィルムケースにティッシュを詰め、蛹を立てておいた(写真上)。足場として割り箸を添えておく。
電球で少し暖めてやりながら待つこと数時間。
パキっと、蛹頭部が割れてキアゲハの成虫が姿を現わした(写真中)。慌ただしく割り箸を駆け上がり足場をきめると、今度はゆっくり翅を伸ばし始めた(写真下)。

このキアゲハは去年、幼虫の姿を撮影したものだ。
その後、蛹となって冬越しをしたが羽化のための対策を怠ってしまい、今日慌てて羽化台にセットしたわけである。
帯糸が切れてしまったアゲハ類の蛹はこうした羽化台を工夫してやれば、何とか無事に羽化できる。羽化兆候がかなり進行した蛹を摘んだりすると殻が破れることもあるので、早めに対処したほうがいい。



新開 孝
menu前ページTOPページ次ページspace.gif
Topics Board
ホーム | 最新情報 | 昆虫ある記 | ギャラリー | リンク | 著作紹介 | プロフィール