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ホタルガ幼虫、冬を越す 2004/01/13
ホタルガ幼虫は昨年の秋にも紹介したが、その後の様子を見に行ってみた。ハマヒサカキには夥しい食痕が残っているが、秋のときほど簡単には幼虫が見つからない。かなり分散してしまったようだ。それでもようやく1令幼虫を1頭と、2令と思われる幼虫3頭が見つかった(写真上)。
幼虫の居場所は秋のときと同じ葉裏であり、冬越しのための特別な措置をとっているわけではない。したがってゴマダラチョウやコムラサキの幼虫のように『越冬幼虫』と呼ぶにはためらいを感じる。しかし、今日見つけたホタルガ幼虫のうち1頭だけはハマヒサカキから離れたヤツデの葉裏で見つかった。一緒に並んでいるのはウロコアシナガグモだ。(写真中)この場合は食樹を離れているので、幼虫が越冬場所を選んでいると言えるだろうか。だとすれば『越冬幼虫』でもいいかもしれないが、暖かい日にまたハマヒサカキに戻る可能性もあるのでやはりそうはいかないだろうか?
要はホタルガ幼虫の冬越しスタイルが少し曖昧に見えるということなのである。
ホタルガ成虫がこの先姿を現わすのは5月頃だ。そして9月頃にももう一度その子供たちの成虫が出る。


「エリマキアブ幼虫、脱糞して歩く」

中里の林では今日現在、エリマキアブ幼虫が6頭、観察されている。そのうち1頭は注意書きの立て看板にかなり前から静止していた。その幼虫が今日の午後、タール状の糞を残して移動していた。この後はおそらく地上の落ち葉へ移動して蛹になる準備に入ると思われるが、追跡するのはかなり難しいだろう。
新開 孝

クワコの空繭 2004/01/12
ヤマグワの木は中里の林をはじめ空掘川の遊歩道沿い、あちこちの植え込みなどに多数生えている。そして木の大きさに関係なく、冬のこの時期、クワコの空繭が多数見つかる。いくつか空繭を集めてみたのは、繭の中のクワコがどういう顛末を迎えたのか、少しだけ興味があったからだ(写真上)。
こうして並べてみると繭の大きさにもずいぶんばらつきがあることがわかる。どれも営繭(「えいけん」:繭を紡ぐ営みの意)時にそばの葉っぱを土台にして綴り寄せているので、それが枯れ葉となって繭を包んでいる。なかには風雨ですっかり枯れ葉が落ちてしまい裸になった繭もある。
さて、この繭を包む薄皮の絹糸を剥がしたのが、下の写真である(写真中)。
こうして並べたものが、繭の本体である。紡錘形をしたクワコの繭の特徴がよくわかるし、大きさの比較もほんとうはここで始めて正確に把握できる。
繭の片側がぽっかり大きく口を開け、さらに繭の表面に茶褐色の滲みが付いているものが、無事に羽化できた繭だ。ぐるりと外周に多く並べたものがそれである。
一方、赤丸でマークした中央部の4個の繭は、羽化した穴はなく、その替わり小さな丸穴が開いていたり、まったく無垢の状態であったりする。これらは寄生を受けたか、蛹の段階で死んでしまった者達だ。成虫として羽化できずに脱落したのである。
ここに集めた23個の繭のうち、4個が成虫になれず死んだわけで、実に約17%もの死亡率である。
もちろん営繭する以前に幼虫、卵の段階でも数多くの者達が命を落としているのであるから、成虫まで無事に辿り着ける幸運なクワコがいかに少ないかは言うまでもあるまい。
たくさん見つかる空繭も、まさに氷山の一角に過ぎないのであろう。

『オオタカの仕業』

今朝早く、空掘川の遊歩道でドバトの羽毛が散乱していた(写真下)。
これは今までにもよく見て来た、オオタカの食事跡ではないだろうか。
しかし、この中里近辺では珍しい出来事ではある。
所沢郊外のもっと広大な雑木林ではよく出会す光景なのだが。
オオタカにとってドバトは食べ応えがあり、もっとも手に入り易い餌なのだろう。
ドバトはあちこちで人様が餌をやって増やしており、そのドバトをオオタカが喰うのであれば、
オオタカは今や人様が間接的に飼っている、
いやそれが言い過ぎなら、食糧供給に多大の手を貸しているとぐらいは言えるだろう。
この空掘川にはカルガモや冬鳥のオナガガモ、コガモなどが多く、
毎日にように入れ替わり立ち替わり、餌を播く人が絶えない。
まあ、どこにでもある光景であり、大概は「餌をやらないで!」という看板もあったりするが、
むしろ堂々とそれを無視する勢力の方が圧倒的だ。
ペットも野生動物も味噌糞という自然観の欠落や、
食べ物をどうやって人間社会が自然界から収奪しておるのかという根本問題への
配慮の欠如、などなどこの餌やりについては語ればキリが無い。
可愛いカモさんに餌を播くことがドバトへの給餌になっていることも
もちろん皆さん承知である。
新開 孝

スジグロシロチョウの越冬蛹 2004/01/11
うちのマンション裏手には、アブラナ科の一種が群生する草地が狭いながらもある。春ともなれば黄色い花壇となり、いろんな虫がやって来る。そのアブラナの一種は夏、秋にも根生葉を繁らせるので、「モンシロチョウ」や「スジグロシロチョウ」、そしてカメムシの「ナガメ」などが秋遅くまで繁殖を繰り返す。草刈りされてもしばらくすると根生葉が地面から湧いて出て来る。今も青々と葉が繁っていて、七草粥にでも摘めそうだ。
ここはガス工事屋の資材置き場ともなっており、物置き小屋がいくつかある。そこの外壁を見ると「スジグロシロチョウの越冬蛹」が付いている(写真上)。モンシロチョウの蛹もあるが、スジグロの方が多いようだ。
ツマキチョウの蛹!も一つあったが、残念ながらこれは寄生されて体が崩れてしまっている。
ともかくこうして小屋の外壁などであれば、まだ安全かもしれないが、小屋からはみ出た資材などに付いたものは、人為的な移動の際に潰れてしまう可能性が高い。今日も資材が動かされ配置が替わってみると、あらたに二つの蛹が登場してきた。今までは物影になって見えなかったものが、私の目に止まったのだが、これには救出の手を伸ばすことにした。そっと傷つけないように蛹を剥がしていくつか回収したのである。
その蛹を部屋で撮影してみた。チョウの蛹には怪しい魅力を感じて、私は好きでたまらない。
こけしのような蛹には、生命が宿っているのか無いのか、はたまた寝ているのか起きているのか、といったきわどい存在感が漂い、それがいいのだ。
このスジグロシロチョウ蛹も翅のあたりを透かして見ると、薄い緑色のゼリーのようで実に神秘的だ。
スジグロシロチョウの蛹はモンシロチョウの蛹とよく似ているが、写真の矢印で示した突起がモンシロチョウより大きく張り出しているので、簡単に区別できる(写真中)。また蛹を背中から眺めると頭の突起も長いぶん、モンシロチョウよりか、ほっそりした体型だ(写真下)。新開 孝

キヅタ喰う幼虫、再び 2004/01/10
12/20にアップした幼虫は、今年に入って飼育の下、蛹になった。
幼虫は葉を綴って繭部屋とし、その中で蛹化した(写真上)。
この蛹が羽化すれば、謎であった幼虫の正体もいづれ判るだろう。

ところで、中里のキヅタでは同じ種類の幼虫たちがさらに次々と見つかっている。最初に幼虫を見つけたエノキで1匹追加、そしてすぐ側のケヤキで2匹という具合だ。いずれも若い幼虫で(写真中、下)、終令幼虫と比べると体の色や模様はずいぶん違う(12/20の写真が終令幼虫)。狭い範囲で幼虫が見つかっているので、同じ母蛾が産卵したものだろう。
幼虫は普段はキヅタから離れ、木の幹で休んでいることが多い。
特に脱皮をするときは2、3日幹上で休眠する。
キヅタは常緑植物なので、冬でも餌の心配はないわけだ。
しかしこの寒い中、キヅタの葉をもりもり食べて育つ蛾というのも初めて知ったので驚きだ。








左写真:キヅタの茎に静止する幼虫(頭が下向き)。
こうしてキヅタで幼虫が見つかることは少ない。キヅタの葉に夥しい食痕があれば、近くの幹表面を探すと幼虫が見つかることが多い。新開 孝

ダイミョウセセリ幼虫、冬の隠れ家!! 2004/01/09
チョウの越冬の仕方は種類によってほぼ決まっている。今回紹介するセセリチョウ科の「ダイミョウセセリ」は幼虫越冬だ。ダイミョウセセリの幼虫はヤマノイモの葉っぱを食べ、特徴のある巣を造るので、チョウの幼虫のなかでももっとも簡単に見つけることができる部類に入る(拙著『里山 蝶ガイドブック』136ページを参照のこと)。だがしかし、これまで私は冬ごしするダイミョウセセリの幼虫を一度も見たことがなければ、探そうと思ったことさえない。とにかく探すといっても難易度が高過ぎるのだからあきらめるしかなかった。
そこで昨年の秋から、ダイミョウセセリの幼虫巣をいくつかマーキングし、ヤマノイモの地上部が枯れてからも幼虫を追跡できる手立てを打った。これ言うは易いが、そううまくはいかず、幼虫が消え去ったり、病気や寄生のために死んでしまったりで、結局なんとか冬越しに入った幼虫巣を回収できたのはわずかに1例のみとなった。

越冬幼虫が潜む隠れ家は、御覧のように何の特徴もないただの枯れ葉団子である(写真上)。
大きさは長辺で1.5センチ程度。こんなものを大海のごとく積もった落ち葉の中から探し出すことは到底不可能だということが、おわかりいただけるだろう。
この団子をピンセットを使ってそおっと開けていくと、茶色をしたダイミョウセセリ幼虫の頭が見えてくる(写真中)。幼虫は糸を吐いて枯れ葉を綴っているようだが、さほど強固ではない。
幼虫には申し訳ないが、「撮影する間だけだから」と心の中でつぶやきながらさらに開くと、白っぽくなった幼虫の全身が現れた。
幼虫は居心地悪そうに頭をゆっくり動かし始めたのでさっさと撮影してまた閉じてやる。
頭以外の体は秋の頃より少し縮んでいるのがわかった(写真下)。

ヤマノイモの鉢植えでも作り、それを網ですっぽり覆っておき、その中で幼虫を秋から飼えばやはり越冬幼虫を今回のように手に取って見ることも可能であろうとは思う。
手間暇はかかっても確実な方法だが、私は敢えて野外のヤマノイモで冒険してみた。
全く徒労になることも覚悟していただけに、1例とはいえ越冬幼虫を見つけることができて嬉しい。
今後はベランダで過ごしてもらい、蛹になることを期待しよう。
新開 孝

今朝の林、その2 2004/01/08
(今回は2回目のアップです。その1が、前にあります。新)
下新井の雑木林では冬越しの昆虫探索が主な目的であったので、撮影は二の次でいい。そういう日も私の場合はけっこう多い。もちろん撮影機材はできるだけ少なめにおさえるのだが、G5だけであれば全く問題が無い。ただし、G5は接写の点ではあまり高望みできない。今の所キャノンの専用クローズアップレンズを2枚重ねて倍率を稼いでいるが、アカマツの朽ち木内で越冬していた「ハエの一種」(写真上)、このサイズが私のG5では限界である。ハエの体長は8ミリ程度だ。

アカマツの朽ち木では他にも、コクワガタ、コカブトムシ、コガタスズメバチ、そしてこの「クロナガオサムシ」(写真中)が見つかった。

「林はあらゆる人間が出入りする場所なり」

さてさて、林の中ではこんなものまで見つかった(写真下)。
二つ並んだ鳥カゴである。右のカゴの中ではメジロが一羽、せわしなく跳ねている。
餌と水入れもちゃんとある。そして隣のカゴといえば、天井が一本の支え棒で大きく開かれている。
誰が見ても容易に察しがつくだろうが、これはメジロ捕獲のための罠である。
数年前にもこの林では、鳥カゴの横でさえずりの録音テープを流してメジロを捕獲しようとしていた、おっさんに出会ったこともある。
ああ、またやっとるなあと思う反面、それほどまでにメジロを飼い慣らすことが面白いものなのか?という素朴な疑問が湧いた。
たしかにメジロはすぐそばで見ると綺麗な鳥だ。さえずりも可愛い。
これが数十年前の昔なら、とやかく言うこともない普通の趣味でもあったろうが、今や違法行為である。
まあ、法律うんぬん以前の問題です!と野鳥の会やらその他のいろんな方に叱られそうだが。
もっとも今朝一番、この罠の現場に辿り着く前に、林の別の場所でパトカーが珍しくも止まっており、おまわりさんが一人のおっさんを事情聴取しているのを目撃している。
おっさんは自転車に乗っていたようだが、私はあとでメジロ罠を見つけた時、いつもにない不審な場所での事情聴取にピンときたのであった。
もしやあのおっさんが通報された犯人か?もちろんあくまでも状況から見た推測に過ぎない。
全く別件であって、おっさんはすごく善い人だったかもしれない。
ただ、ここの林ではいろいろ怪しい出来事が過去にもずいぶんあって、いかんせん人間とは人目が薄いところでは何をしでかすやらわからない、もっとも厄介な存在だ。
私は泡や人から絞め殺されそうになった恐ろしい経験すらあるのだが、
そんな極端な犯罪めいたことはさすがに希有にしても、
都会近郊の雑木林ともなると、
そこにはいろんな考えを持った人が出入りすることをちゃんと認識しておくべきだろう。
サバイバルゲームに興ずる人達、持て余した粗大ゴミをこっそり捨てに来るにいちゃん、蘭を根こそぎ持ち帰りたいおっさん、おばさん、雪駄はいてオオタカ密猟を狙うあんちゃん(これはほんと凄かった!)、ハチ採りで走り回るおじさん達、エロ本を隠し読む中学生、粗大ゴミを漁るじいちゃん、首吊り自殺を実行した会社員などなど林における人々の目的は様々だ。
そしてかく言う「昆虫を探し歩く私」などは、人様から見ればこれくらい怪しい人物は他にないかもしれぬ。

と、いつになくメジロ罠のことで話題が飛びまくりました。
ここの林もいずれ、『カルチャーなんとか公園』という整備がなされ、そして隣接する大きな国体競技場も完成すれば、嫌でも人目の絶えない、完全なる都会の一部となる予定です。
新開 孝

今朝の林/その1/ナミテントウ越冬集団 2004/01/08
今朝はすっきり晴れて気持ちはいいが、北西の風がかなり強い。所沢市の下新井という雑木林に自転車で向ったのだが、砂埃が吹き荒れる中、車の往来が激しい路肩を走るのは最悪の状況である。せめてゴーグルは付けないとたまりません。しかも私の自転車はギヤ変速機もない、いわゆる「お買い物チャリンコ」である。上り坂では立ち漕ぎの連続で悲鳴を上げたくなるほどだ。砂埃のあまりのひどさを考えると、デジタル一眼レフカメラは使えない。乾燥による静電気も大敵だ。こういうときにはオリンパスの新機種E-1がいいと思う。なんといってもCCDへのゴミ付着問題にきっちり対処しているからである。残念ながらレンズがまだ出揃っていないので仕事に導入できないでいる。そこで今朝はコンパクトデジカメ、キャノンG5の出番だ。フルセットを用意しても収納はデイパックの半分以下のスペースで済む。自転車で遠乗りするときは、このスタイルがいい。と言っても、下新井は自転車で40分程度の所だが。

さて、毎年12月ごろナミテントウが集まって来る電柱に行ってみた(写真上)。さすがにナミテントウは一匹も歩いていないが、電柱に巻き付けてある看板裏が怪しいと思えた。そっとめくってみると、期待通りナミテントウの姿が見えた(写真中、矢印)。さらにゆっくりめくっていくと、50匹ほどの集団が現れた(写真下)。看板側に止まっている数を加えても全体でせいぜい70匹程度であろうか。
この集団では黒地に赤紋が二つある「二紋型」が一番多いが、他には黒地に赤紋が四つある「四紋型」、赤地に黒点を多数もつ「紅型」などが混じっているのがわかる。黒地に赤の紋を12個もつ「斑紋型」が見当たらないが、「斑紋型」はこのあたりでは少ないように思う。昨年の秋、中里の林で「斑紋型」を見たのは2個体だけであった。ナミテントウの斑紋パターンは遺伝的に決まり、上記4タイプがもっとも普通に見られるが、さらに複雑な組みあわせが他にも50種近くあるというから驚く。(斑紋型については、偕成社『テントウムシ観察事典』小田英智/著を参照しました)

ナミテントウの越冬集団としては規模が小さくて寂しいものがあるが、広大な雑木林のなかでここの電柱だけには毎年、多数集まってくるのは興味深い現象だ。実際に集まる個体数はもっと多くて数百から数千以上にのぼると考えられるが、それぞれがあちこちの越冬場所へと分散してしまうようだ。過去にもその場所を林のなかでずいぶん探し回ったのであるが、まったく見つかっていない。
新開 孝

クビキリギスの顔 2004/01/07
中里の雑木林と空掘川の遊歩道に挟まれた金網柵。ちょうどその柵が二重に重なったところに、落ち葉がたんまり溜っていた(写真上、矢印)。
ここには何かいるだろうと思い、葉っぱをめくっていくと「クビキリギス」が潜んでいた(写真中)。
体長は4センチ位で後ろ脚がやたらと長い。その脚を体にぴったり付けて、写真のように伏せているとササか何かの葉っぱのようにも見える。
しかし、体を持ち上げて顔を見てみると御覧のごとく厳つい顔をしている(写真下)。
よく和名を「クビキリギリス」と読み間違える方もいるが、私は「首切り」の「ギスちゃん」と読み変えて覚えた。確かに朱色の大顎に指でも噛まれるとたいへん痛い思いをするし、それが他の虫なら首なんぞ一発でちょん切られてしまいそうだ。名前はそこから来ているのだろうが、この「ギスちゃん」は草食であり、キリギリスのように他の昆虫を捕らえて食べることはしない。
強面のせいで誤解を受ける人も世の中には結構いらっしゃるが、この「クビキリギス」も顔の正面アップの写真だけを見せられると、獰猛な肉食バッタと勘違いしてもおかしくはない。

そう言えば私がカメラを構えて昆虫を撮影していると、横で見ていた子供に「父やん、物凄く恐い顔してる!」と指摘されたことがある。
それは私が極度に慎重かつ熱心に仕事をしているという証しであり、まさかニコニコ、ニタニタしながら撮影するわけにもいかんではないですか。さらには間違っても被写体の昆虫に向って話し掛けたりはできないであろう。どんなに気分が高揚していても、人目があるときの撮影時には恐い顔しているのがもっとも無難です。
もちろん意識しているわけでもないですが。
新開 孝

コムラサキ越冬幼虫 2004/01/06
『昆虫ある記』の3回目(7/5)でコムラサキの成虫が登場している。場所は清瀬市の金山緑地公園だった。
ヤナギの樹液に集まるコムラサキの個体数の多さには驚いたものだが、成虫を撮影しているうちに葉っぱでは幼虫も目にしていた。そういうこともあったので、今日は越冬幼虫を探しに行ってみた。コムラサキは秋の最後の世代の若い幼虫で越冬する。
緑地公園の池では、毎度の事ながら朝から野鳥写真を撮るおじさんカメラマンが数人いらっしゃる。まあ、わたしもすでにオジサンの域であるけれど、あちらはもっと年季の入った方々だ。それは別段どうということもないのだが、まだ大学などは冬休みのはず。まったく何時来ても若い鳥屋さんなり、虫屋さんなりに出あわないのが寂しい。もっとも、目を輝かせ好奇心一杯抱えて自然を探索する青年が皆無なのは、なにもここだけでの話しではない。

私はついつい自分が高校生であったころ、自然への熱い想いに突き動かされ、田畑や河川敷をうろついた当時を思い描いてしまう。すべてが新鮮で驚異に満ちた毎日であったと思うが、一方でどこから何を見ていけばいいのか要領を得ず、空回りするもどかしさもずいぶんと味わったものだ。そう、今程に自然界での発見の喜びに浸れる瞬間は、多くはなかった。
そんな高校生のころの4月のある日。私は小川でヤナギの木を丹念に見ている、60は越した小柄なおじさんに出会った。リュックを背負い、足下はキャラバンシューズ。いかにも博物学おじさんといったところか。私はドキドキしながらも、何をしているのか勇気を出して聞いてみた。すると博物学おじさんは
「私ですか?きょうは、ヤナギの木でコムラサキというチョウの幼虫を探しておるんじゃが。
ちょっと、少ないようですね。今度の土曜日に県立博物館でチョウの飼い方という教室を開きますから、
あなたも学校が終わったら来ませんか?」
おじさんは、にこやかに応対してくれながら、川の水で顔を洗い、手拭いを出した。
私はここぞとばかり、今までのもどかしさの中から必死になって優先順位を付け選び出し、いくつかに絞り込んでから怒濤のごとく質問したのを憶えている。藁にもすがる思い、とはそのときの心境であったろう。しかし、おじさんは嫌な顔ひとつせず、丁寧に一つ一つ答えてくださった。

と、いうような28年も昔の回想をしたのも、わたしのようなおじさんに、くらいついてくるような若いにいちゃん、ねえちゃん(さすがに女の子は元々、度珍品です)の輝く目を見ることがないということに尽きる。たまに野外観察会で元気に質問してくる小学生たちに囲まれると、少しは安心もするのだが、だがやはり、その先の世代、思春期、受験といった波風に揉まれるあたりの子供たちや青年期の学生たちの姿に接することがないことには、危機感すら憶えるのである。
などと、とりとめもないことを思いながら緑地公園のヤナギを見て回ったのだが、なかなかコムラサキの越冬幼虫が見つからない。先日、古利根沼でも空振りしているせいか自信がなくなりかけたころ、コムラサキならぬ「エリマキアブ幼虫」がヤナギで見つかった。
おお!まさにコムラサキ幼虫が見つかるはずの枝又に、エリマキアブ幼虫が鎮座している!そして同じ木の別の枝では、アブラムシを捕食中のものまで見つかったぞなもし!(写真上)
さらに3匹目の幼虫も見つかり、エリマキアブ(フタスジヒラタアブ)幼虫はヤナギにもつく(おそらく親がヤナギに産卵したのであろう)ことが判明。これは新たな収穫であった。

そうこうしてヤナギをさらにしつこく探索していると、携帯電話が胸元で鳴る。
なんと川崎市の方では今し方、モンシロチョウが飛んでいる!というお知らせをいただいた。
こんなに早い初見日は、四国でも滅多にないのでは。

最後に残しておいた有望そうなヤナギに場所替えし、探すこと3分。
いました!コムラサキ越冬幼虫。なんと、30年ぶりに見る姿だ。(写真中、矢印の先、頭が下向き)
(写真下)は頭部を拡大したところ。見事なまでに幼虫の体は枝に溶け込んでいる。体長は6ミリ位か。
枝に鼻先がくっつくくらいにして探さないと、見落としてしまう。幼虫の見つかった枝又は地面から45センチ位の高さだ。

新開 孝

落ち葉の寝床/アブラムシのお産 2004/01/05
寒々としたクヌギ林で、エノキを下り歩いていたゴマダラチョウ幼虫。私が林を訪れるのがもう少しでも遅かったなら、あんな光景に出会うこともなかっただろう。自然界の出来事はまさに一期一会だ。昨日の出来事を振り返り、今日はその幼虫が無事にも私が用意した寝床に落ち着いたかどうかを見に行ってみた。エノキ根元に築いた葉っぱの山を一枚一枚、丁寧にめくっていくと、やがてゴマダラチョウ幼虫が姿を現わした(写真上)。枝にしがみついて窮屈そうな格好だが、確かに昨日見た幼虫である。
このまま無事に春を迎えることができるかどうかは、何とも言い様がない。かさかさに乾燥した落ち葉の様子からは、幼虫にとってかなり厳しい条件ではある。オオムラサキの幼虫ならば絶対、生息不可能だ。それに比べれば、ゴマダラチョウたちは実に逞しいチョウとも言えるのだが。

ニワトコの冬芽のニワトコフクレアブラムシも覗いてみると、お産の最中という場面(写真中)もいくつか見られた。その様子を撮影していると、シジュウカラの群れがすぐ近くにやって来て賑やかになった。なんだか私を恨めしく覗き込んではあちこち枝を跳び歩いているようだ。はて?もしかして、アブラムシをねらっているのだろうか?なんだかそんな気もして、ニワトコの周辺を眺めてみると、やたらと鳥の糞も多い。しかし、それにしてはアブラムシのコロニーはまだ随分、健在であるから、これも何とも言い様がない。シジュウカラの好物なのかどうか。鳥は人の姿に敏感だから、昆虫のようにじっとしていれば、何かを始めてくれる、という具合にもいかないのが辛いところだ。鳥の行動を観察し納得のいく撮影をするには、かなりの策略が必要だ。野鳥写真家の方々にも、またいろいろ個性もあるだろうが、ここぞという生態を撮影するにあたっては、並々ならぬ自然界との知恵比べを講じておるはずだ。

「エリマキアブ幼虫のこと」

当サイトと相互リンクしている糸崎さんの「フォトモホームページ」でも語られていたが、確かに和名、フタスジヒラタアブではなんとも味気がない。勝手に私が命名した「エリマキアブ」を少なくともこの『ある記』では当分採用していくことにした。「やっぱり馴染みのある名前の方がよかろ。ほしたら皆も楽しかろう。」「ほうよ、ほうよ!それがええがなあ。」「エリマキアブなんぞ、新開君、あんたくらいしか思いつかんぞな!そう、おしや。」(ここの会話文は伊予弁ですが、この語調を正確に語れる人は関東にはまずおらん、と思います。)で、そのエリマキアブ幼虫は中里の林にて現在、5匹を継続観察中!!幼虫たちはまだ頑張って襟巻きしておりますぞ!

「ハードディスクを追加する」

今日は、去年の暮れに木曽福島で撮影した標本写真の現像出しとその受け取りで、都内に出ていた。この標本撮影の仕事はずっと銀塩フィルムで行っており、撮影したあとは当然、ラボで現像をしなければならず、その上がりを見るまでは仕事が終了しない。今日はラボも仕事始めということと、現像発注の殺到も重なって、通常なら2時間で仕上がるところが、プラス2時間もの遅れが出ていた。それを見越して、現像待ちの時間を利用して、新宿のパソコンショップや書店を巡ってみた。雑木林ではなくビルからビルへと歩くのもたまには面白い。で、一番のお目当てはハードディスクである。デジタル写真が今や仕事の主流となった私としては、その写真データの扱いについては、保存、整理といった基本作業を侮っていられないのである。
私の作業環境では、写真データはまず外付ハードディスクに取り込むことで対応している。これは作業効率が高いこと、高容量のデータを扱えること、経済性という三つの利点で選んでいる。そしてハードディスクの弱点、クラッシュという最悪の事態を回避するためにもできるだけデータの分散化を心掛けている。つまり高容量に頼り切らず、ハードディスクの台数を多くして、分野別にバックアップを構築しているのである。今日はしかし160Gのハードディスクを新たに購入した。なんとこの容量でも2万円でおつりのある安さについ釣られてしまった!



新開 孝

ゴマダラチョウ幼虫、歩く! 2004/01/04
昨日、「樹上越冬のゴマダラチョウ幼虫が姿を消した」と書き込んだばかりである。
そして「今の時期に幼虫が移動するとは考えにくい」として、幼虫が居なくなった理由を天敵のせいにしてしまった。
ところがである。本日、午前11時22分。
クヌギ林の中にぽつんと生えているエノキの幹で、歩くゴマダラチョウ幼虫を目撃してしまった!
幼虫は地上へ向ってゆっくりながら、頭をふりふり歩いて降りていく(写真上)。
つまり昨日の私の推定は間違っていた可能性も高い。
ここのエノキでも、別のゴマダラチョウ幼虫が樹上越冬していたということであろうか?
しかしこの光景は、とても冬のものとは思えない。
またしても繰り返すが、やはりこの冬はかなり暖冬なのだ。

ゴマダラチョウ幼虫が目指す地上には、残念ながら落ち葉が僅かしかない。クヌギ林は落ち葉かきをした後である(写真中、エノキの根元。矢印のところを幼虫が歩いている)。

そこで私は近場から落ち葉を掻き集め、さらに朽ち木や枝も重しとして、幼虫の潜り込める、ふかふかのベッドを用意した(写真下)。
発見当初、幼虫が歩いていたのは地上から50センチあたりであったので、
私の応急処置もなんとか間に合ったのである。
まあ、余計な御世話ではあるが。

ここまで書き込んできて、ふと別の考えが浮かんだ。
はたしてこの幼虫、ほんとうに樹上越冬していたのであろうか?と。
それは幼虫の体の色が落ち葉と同じ茶色であることが、引っ掛かるからである。
今までに私が見た樹上越冬の幼虫はいずれも、樹肌そっくりの灰褐色であったはずだ。
もしかしたら、ここ近日中に行われた「落ち葉かき」の作業でもって、
前々から落ち葉に降りていたはずの幼虫が撹乱され、日光の下に曝され、
驚いた幼虫が渋々樹上に一時避難していたのではないだろうか?
その幼虫が、日曜日の静かな朝、こうして落ち葉の下に戻ろうとしていたのではないか?
新開 孝

6本脚のジョロウグモ 2004/01/03
まだ網を張ってがんばっているジョロウグモがいた(写真上)。クモにしてみればガンバッテいるつもりはないのであろうが、私たちにはそう見えてしまう。8本あった脚が、6本になっているのも、いろいろ危険な目に遭ったことを物語っている。この巣網がある場所は、秋にはかなりの密度の高さでジョロウグモの巣網が掛かっていた場所でもある。待ち伏せ戦略で主に飛翔昆虫を捕らえるクモとしては、できるかぎり昆虫が多く通過する空間を選んでいるはずだ。つまり、そこには「昆虫道」あるいは「昆虫街道」なるものがあってもいいのではないか。
私はジョロウグモが張り巡らす巣網のような、赤外線センサーを造って、その「昆虫街道」を写真映像で表現したいと、常々考えている。もしセンサーを含むシステムが完成したら、まずは狡をして、ジョロウグモ巣網のそばに仕掛けてみようとも思う。

それでふと思い出したのだが、ある秋の事、林の中のジョロウグモ巣網に、やたらとニホンミツバチが掛かっているのに出会した。そのころ、私はジョロウグモの巣網に掛かる獲物の昆虫を調べ集めていたのだが、これはけっこう面白い結果になりそうで、いずれまとめたいと思っている。
それで「もしや!近くにミツバチの自然巣があるのでは!」とさっそく辺りを探ってみたところ、なんとイヌシデの根元からニホンミツバチのワーカーが出入りしているのが見つかった。所沢市郊外の雑木林で自然巣を見つけたのは初めてだったので嬉しかったこと、ジョロウグモに教えてもらったということ自体、大変勉強になったことなど、印象的な出来事であった。

さて、幾度かアップした「クロスジホソサジヨコバイ」のことだが、昨日から近所で若い幼虫から、熟令幼虫、成虫ともに多数、見つかっている(写真下、幼虫、成虫が多数見つかったヤツデ)。中里の林では幼虫がどんどん減っていたので、去年の暮れ慌てて羽化の撮影を強行したのであったが、どうやらそれも取越し苦労であったようだ。このサジヨコバイはいつ頃産卵し、今後どのような生活史を送るのやらも皆目検討が尽きかねるが、いずれにせよ、冬こそわが季節といわんばかりの繁栄ぶりには驚くばかりだ。
新開 孝

ラクダムシ幼虫 2004/01/02
バックナンバー12/10にアップした、樹上越冬のゴマダラチョウ幼虫が姿を消した。
この時期に移動することはまず無いと思うので、鳥か何か天敵に捕食されたのではないだろうか?

先日アオスジアゲハの蛹を拾ったので、前々から気になっていたタブノキを見に行ってみた。
歩いて3〜4分の場所だが、そこのタブノキ葉っぱにはアオスジアゲハ幼虫の食痕が多数付いている。
残念ながら蛹の死骸が3つ、見つかっただけであった(写真上)。
しかし、このタブノキは葉っぱが非常に密に繁っており、私の探索が届かない箇所の方が多いので、
きっと緑色の美しい蛹が付いていると思いたい。
本来、南方系のアオスジアゲハは、東京でもすっかり普通に見られるチョウになっているが、
時代を遡れば稀なチョウであったはずだ。
温暖化とクスノキ類の植樹が都内に増えたことが、アオスジアゲハの北上につながったのであろう。

元旦にも神社に出向かなかった私だが、今日は近くの八幡神社に立ち寄ってみた。
お賽銭は用意してなく、これはいかんなあ、と思いつつ虫探しにはぬかりがない。
境内のスギの樹皮下で、久々に「ラクダムシ幼虫」(写真中)を見つけることができた。
ラクダムシは、分類学的にはアリジゴクのウスバカゲロウやクサカゲロウといった昆虫のグループに
近いのだが、最近は独立した「ラクダムシ目」として扱う向きもあるようだ。
とにかく異色の昆虫には違い無い。
成虫は写真の幼虫に翅を付けたような格好だ。海岸の松林では個体数も多いようだが、
内陸の林ではあまり見かけることがない。
成虫は5月の中頃に現れるが、私自身は昔、大田区の池上本門寺で1回見たのが最後だ。
特別珍しい虫でもないが、そうちょくちょく出会える虫でもない。
しかしながらこうして冬の間に、様々な樹皮下で越冬する幼虫を見つけることは比較的多い。
私はさっそくこの幼虫を持ち帰り、飼育することにした。
ラクダムシは成虫、幼虫、共に肉食であるから、特に冬場の餌調達には神経を使う。
よーし、超!お宅なブリーダーになってやろうではないか!
といって、すでにオキナワツノトンボ幼虫、ヒメマルゴキブリ、エリマキアブ幼虫、
などなどすでに極みに入っておりますが。

ついでに立ち枯れのボソボソになった樹皮をめくると、
「ミヤマオビオオキノコムシ」が出て来た(写真下)。
もっと条件が良ければ、数十頭の集団になることも珍しく無い。
冬越しに際して、同種が集団を成す現象はナミテントウなどでもよく知られているが、
いったい何故?という疑問に明解な答えはまだ、ないようだ。



新開 孝

元旦のセミ!? 2004/01/01
4歳の子供が、マンションの外廊下で「セミがいるよ!」と私を呼ぶ。「なにーっ!?」と駆け寄ってみると
子供がしゃがみ込んで指さす虫は、もちろんセミではなかった。しかし、そう言われてみれば沖縄にいるイワサキクサゼミに似ているようにも見える。クサゼミは小さいセミで体長は1.5センチ程度。で、子供が見つけたセミモドキの正体は体長1センチに満たない「ミバエ」の一種であった(写真上)。私は強いて自分の子供を昆虫少年に育てようとは考えたこともないが、日々散歩に連れ歩いているのだから嫌でも昆虫を見る目が育まれているようだ。それにしても産まれて初めて見る昆虫に対しての子供の反応ぶりは、横で見ていて面白い。

廊下に転がっていたこのミバエはすでに弱ってはいたが、体に大きな損傷は見当たらない。いったいどうしてでんぐり返っていたのか、これも謎だが、ともかく部屋に持ち帰り撮影したのである。

「ミバエ」は英語でフルーツ・フライと呼ばれることからもわかるように、果実、果菜の害虫になる種類も多い。今回、アップしたミバエの種類はわからず、本種も害虫になるのかどうかもわからない。ただ、ミバエ類は翅にも模様があったりして、その翅を拡げたまま葉上でくるくる回ってダンスを披露してくれるので、出会うと印象深い昆虫である。そして特に複眼は微細な金属光沢を放ち、思わずカメラを向けたくなる(写真下)。
今回も65ミリマクロレンズを使用し、昨日が撮影倍率3倍なら、今日は4倍!で手持ち撮影した。この撮影倍率とは、被写体に対してCCD上(銀塩カメラならフィルム上)に写る像が何倍であるかを意味している。通常、小さな昆虫を撮影する場合、カメラを手持ちで撮影するときの倍率は3倍が上限と、私は決めている。その場合でもレンズ先端を地面や木などに手で支えを得ることができるという条件が必須となる(その撮影ポーズはバックナンバー12/23に出ている森上さんの姿を参照のこと)。
自然界ではいろんな障害物もあったりするので、いつも三脚が使えるわけではなく、手持ちでは厳しい撮影も敢えて三脚無しで行うことも多い。だから日頃から手持ち撮影の修練は大事でもある。もっとも私は不精な方で他のカメラマンに比べると三脚は使わないことが多過ぎて、実のところ反省している。
65ミリマクロレンズは等倍から最大5倍までの拡大接写ができ、長いことこんなレンズが欲しいと登場を首を長くして待っていたレンズだ。まさに昆虫写真家、必須のアイテムなわけで、キャノンがこのようなレンズを出してくれるまでは、オリンパスのシステムに頼るしかなく、35ミリ判ではメイン機材がキャノンである私としては、いつも機材軽減の支障になっていた。実はこのレンズの存在が、デジタル一眼カメラの選択にも大きく関与しており、ニコンのシステムも一応は揃えている私だが、ニコンデジカメに魅力を感じつつも導入できない理由はそこにある。ニコンにも高倍率接写専用レンズを早く出して欲しいものである。新開 孝
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