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シロハラの災難 2008/04/27
 うちの敷地内ではシロハラをよく見かける。
ピョンピョンと地面を低くジャンプしながら移動しては、目ざとく獲物をついばんでいる。どんな獲物を食べているのか興味深いが、一瞬にして飲み込んでしまうからいくら双眼鏡で観察してもなかなか正体が掴めない。
 そこでシロハラになったつもりで、しばらく地面に横たわってみれば意外といろんな小動物や虫の存在に気付く。もっともそんな暇なことできるかい!と言われてしまいそうだが、ともかくどこでもいい、草むらとかにゴロンとしばらく佇んでみれば、小さな生き物の世界が見えてくる。

 シロハラはうちの敷地のあらゆる場所を餌場としているが、玄関先の庭の植え込みもお気に入りらしく、毎朝のように彼らと出会す。こちらは脅かすつもりはないのだが、庭をうろつけばすなわちシロハラをびっくりさせることになる。

(写真/E-330  8ミリ魚眼)

 さて、今日の写真はどのようにして撮影したのかという説明を要するだろう。魚眼レンズを使っての鳥の接写撮影など通常は不可能に近いから、これは何か訳ありだと気付かれた方も多いと思う。

 じつは早朝、犬の散歩から戻ってさて玄関に向かおうとしたそのとき、「ゴツン!!」と鈍い音がして、ふと足下を見ればシロハラが横たわっていたのである。
どうやらシロハラは私の姿に驚いてか、台所の出窓ガラスに衝突してしまったようなのである。
 その衝撃はかなり強烈だったようで、今にも昇天しそうなくらいに弱り果てていた。しばらく様子を見てみたが、いづれにせよ台所の勝手口のすぐ前だから、このままではイカンだろうと移動を試みてみた。幸いそっと枯れ枝を差し出してみれば、うまくその枝に乗っかってくれる程度の元気を取り戻した。そこでそのままゆっくりと庭の木立へと移したのであった。そこは以前からシロハラたちのお気に入りの場所でもあるだろうからである。
 ともかくも自力で枝に踏ん張ることができるのだから、ガラス窓にぶつかったダメージは大したことはなかったようだ。しばらくの間は呆然という表情のままじっと静止したままだったが、10分ほどしてからさすがに衝突のショックから立ち直り、一気に林へと飛び去っていった。

 シロハラは冬鳥だから、いづれ彼らも北方へと帰っていく。
 新開 孝

虫のことは虫に聞いてみちゃり! 2008/04/26
 数日前、そして今日と、サツマシジミを庭のほぼ同じ場所で見かけた(写真上)。

 去年の春にもじつはこの場所の近辺でサツマシジミを見かけている。これまで数回の目撃で共通していることは、いづれもがメス個体であったことだ。
 それで少しばかり期待したことは、うちの敷地内のどこかにサツマシジミの食樹があるのではないか?ということだった。しかし、目撃回数がきわめて少ないこともあって、その可能性を探ってみようという気持ちはすぐに萎えてしまった。

 今朝は、数キロ先の生け垣サンゴジュから見つけたサツマシジミの卵がふ化していることに気付いた。見ればすでに蕾みを食べ尽くしてケース内を彷徨い歩いている。これはイカン!と慌ててサンゴジュのある近所の公民館へと走った。公民館までの距離は数百メートルに過ぎない。持ち帰ったサンゴジュの蕾みに、幼虫たちは面相筆便で無事にお引っ越しだ。
 つまりこんなに近くに食樹があるからには、そこからうちの庭にサツマシジミの成虫が偶発的に飛来したとしてもおかしくはないと言える。
 で、今日も見かけたサツマシジミのメスは、どこからかフラフラと訪れてくれたお客さんであろうと眺めていた。
 しかし次の瞬間、サツマシジミのメスはいきなり上空へと高く舞い上がった。なにかしら感ずるところがあって、しつこくその小さくなっていく姿を目で追ってみた。強い西風に煽られながらも、メスの飛翔進路はしっかりと定まっている。なにか目的を抱いている姿だという確信がもてた。

 その確信はまこと適中した。メスは高い木の梢にまとわりつくように舞ったあと、その梢にすがりつくや、グイッとお尻を曲げて、産卵をしたのであった。強い日射しに浮かび上がるサツマシジミのシルエットを見ながら、なるほど!そうだったのか、と一挙に二つの疑問が氷解する思いだった。

 一つ目の疑問は、わが家の敷地内にサツマシジミの食樹があるや否や?
 二つ目の疑問とは、その食樹の樹種名はなんであるか?

 サツマシジミのメスが卵を産んだ常緑樹の種名については、去年引っ越してきたときから謎のままであった。少なくとも関東辺りでは見かけない暖地性の樹であろうことは感じていたのだが。
 サツマシジミの食樹については過去に詳しい調査があって、チョウの生態図鑑をひも解けば、どの季節にどのような食樹を利用しているのかがすぐにわかる。
 その食樹リストから検討がついたのは、モチノキ科、モチノキ属の「ナナミノキ」であった(別名/ナナメノキ)。ちょうど今の時期には小さな蕾みをたくさんつけている(写真中)。まさにサツマシジミ幼虫の餌としてあつらえむきだ。しかし蕾みはたいへん小さく、その蕾みはうっかりすると見過ごしてしまうところだった。その点でもサツマシジミのメスには感謝せねばならない。
 
 ナナミノキは、これまでの敷地探索では敷地の西側に一本しか確認できていない。ナナミノキはたいへん萌芽力が旺盛のようで、枝を切るとその手前あたりから次々と新梢が立ち上がるように伸びてくる(写真下)。さし木などで増やすことも可能かもしれないが、植えたい樹は他にもたくさんあるので、ナナミノキは大木一本あれば良いと思う。去年、小さな果実を多数つけていたから、雌株であり、その実生で増殖する可能性もあるかもしれない。
 
 虫を見て、そこに疑問を得て、その疑問の答えをまた虫に教わる。

 虫に教わったからと、こんな些細なことで幸せになれるのだから、なんとも安上がりな人生もあるということだ。

(写真上、中/E-500 シグマ105ミリマクロ)
(写真下/E-330   14-54ミリズーム)

 今日は下の子供のお友達2人が午後から遊びに来ていた。一人は同級生だが、もう一人は6年生。うちの子は3年生だが、小学校の児童数が少ないこともあって、学年を飛び越えた付き合いも多い。
 子供達はうちの林でロープを使ったりして、野遊びを楽しんでいるようだった。ノコギリやハンマー、ビニール紐などを持ち出してはなにかと工作の真似事をしていた。しかしときおり覗いてみれば、その遊び方はお世辞にも上手とは言えず、あまりにもギクシャクしている。まあそれはそれで良いかと思っていたが、そのうち草滑りのソリ遊びがうまくいかなくなったあたりから、遊びに飽きて行き詰まったのがよくわかった。

 そこで、私の撮影スタジオに子供達3人を呼んで、今撮影中のセットを見せたり、パソコンのモニター上で去年の行事写真や昆虫写真をたっぷりと鑑賞させてあげた。このあたりから、お友達は気分転換できてかなり惹き込まれているようだった。
 そこで次には林へと連れ出し、カブトムシとクワガタムシの幼虫探しだ。少しヒントを出してあげると、しばらくしてでっかいカブトムシ幼虫を見つけ、興奮しながら私の部屋まで報告しにきてくれた。

 カブトムシ幼虫だけでは物足り無さそうにしているので、土にめり込んだ朽ち木を削ってノコギリクワガタ幼虫を出してみた。もう、子供たちの目はキラキラと輝いている。そうだろうなあ、きっとびっくり!なんだろうなあ。わくわくしている子供らに幼虫の持ち帰り方や世話の仕方、オスとメスの見分け方を説明した。

 野遊びや虫探しについては、本来ならそれに長けた先輩などが一人や二人はそこかしこにいて(いわゆるガキ大将)、その子らが歳下の子らを引き連れてはなにかと学習できる場があったと思う。しかし今の時代ではそういうガキ大将は絶滅したのかもしれない。
 キラキラと目を輝かせる子供らの表情を見ていて、たのもしい気持ちになった反面、これからの子供らはどうなっていくのか、なんともわびしい気持ちもぬぐえないのであった。


新開 孝

コガネムシ、初見 2008/04/25(その3)
 コガネムシは去年の春から初夏にかけて、たいへん多かった。

 コガネムシの発生ピークとコガネグモの成長とが、ほんとうに見事に同調しており、したがって「コガネグモ」という名前の根拠となった、と言う説には納得のいくものがあった。

 さて、今年の春、コガネムシを見たのは今日が初めて。まだ初登場で恥ずかしいのか、ギシギシの葉っぱに身を包んでいるところが面白い。

(E-500  シグマ105ミリマクロ)新開 孝

イシガケチョウの幼虫 2008/04/25(その2)
 卵からふ化したイシガケチョウ幼虫は、もう終令幼虫まで育っている。
ふ化したのは今月の10日だから、わずか15日間での成長ぶりには驚くものがある。この成長速度はモンシロチョウの今の時期の成長速度と比較的近い。
 イシガケチョウ幼虫はお尻を高く持ち上げた姿勢で、葉っぱの表に堂々と静止している。頭、背中、お尻と体の各所にある突起、そしてその配色は、いかにも派手な造りだ。こんな派手な角がなんで必要なのか?と不思議に感じる。しかし、このような姿態は少なくとも、隠蔽効果の役目を果たしているように思われる。

(E-330  シグマ105ミリマクロ)新開 孝

猫はこたつで丸くなる 2008/04/25(その1)
 猫はこたつで丸くなるが、クロヒカゲ幼虫はびっくりすると丸くなる。
 丸くなれば、コロンと地面に落っこちる。これが幼虫の危険回避の手段というわけだ。

 クロヒカゲの顔は、いわゆる猫顔。ジャノメチョウ類の幼虫には猫顔が多い。このクロヒカゲ幼虫、最初に見つけたときは玄関外のタイル縁を歩いていた。蛹になる場所を探し歩いているのかな、と思い回収してササの葉を一緒にケースに入れておくと、モリモリと葉っぱを食べてばかりいる。

 (写真/E-330  シグマ105ミリマクロ)
 新開 孝

ジャックと豆の木 2008/04/24
 わが家のトイレの窓辺には、エンドウの水差しが置いてある。
強風や雨のせいでポキリと折れてしまったエンドウがここに来たのだろう。

 このところトイレに坐りながら読む本は、潜水艦の話の文庫本。他にも2冊、昆虫関係の本が窓辺のカゴに入っているが、潜水艦は大好きで、この奇妙な乗り物にはとても好奇心が湧き、ついつい読み耽ってしまう。だからこの本は、トイレ限定にしてある。漫画の『サブマリン707』シリーズも懐かしい。

 さて、今日はふと窓辺を見れば、置物の牛の鼻にエンドウ豆の蔓が絡んでいるではないか!この鉄細工の牛は20年も昔に池袋で買ったものだ。そしてエンドウ豆の蔓に捕われた牛を眺めていると、イギリス民話の『ジャックと豆の木』を思い出したのであった。大事な牡牛と豆の種を交換したジャックは、豆に自分の人生を賭ける、そういう話だったと思う。

 ただし、トイレの窓辺の水差しエンドウ豆に未来は無い。今は花も咲かせているが、いづれ力尽きて死ぬ運命だ。水差しの花を見るたびに切ない気持ちになる。

(写真/リコー Caplio GX100)

新開 孝

二色のタツナミソウ 2008/04/23
 天気情報では午後3時頃には雨が止むとのことだった。しかし、陽が落ちてからもずっと雨音が続いている。

 そういうわけで、今日の写真は数日前に撮影したもの。庭に生えている
タツナミソウだが、この花の色には写真のごとく二色あって、それぞれが綺麗にすみわけている。お互いに近い場所では1メートルほどしか離れていないが、はっきりと生えている区域が分かれているところが面白い。

 図鑑を見るとタツナミソウの花は紫色とある。初期のデジタルカメラ、例えばEOS-1 Dなどでは紫色をほとんど再現できない、難しい色だった。どうやっても、青色にころんでしまっていた。
 このところのデジタルカメラではそういうことはなく、ずいぶんと進歩して紫色についても色再現性はかなり向上している。

 
(E-3  シグマ105ミリマクロ)新開 孝

オオルリ 2008/04/22
 今日は昨夜から行なっている撮影待機の続きで、ほとんど室内にこもっていた。
正午前、気晴らしに窓辺に立ってみれば、林のクヌギ梢にでっかい芋虫をくわえたオオルリのオスの姿があった。芋虫を振り回しながらようやっと飲み込んでいた。
 急いでカメラを用意し、とりあえず証拠写真を窓ガラス越しに撮影しておいた。オオルリがうちの林に来て、しかもそこで獲物を捕らえていたというのはちょっと心躍るものがある。

 ササ刈りを施したおかげで林の風通しは良くなり、それに伴って様々な生き物にとっても居心地の良いすみかに少しづつ様変わりしていくものと、期待したい。例えば、地面に落ちたコナラやクヌギのドングリが芽吹き、そしてその実生が今までの暗黒世界から解放され、これからはすくすくと成長していけるものと思う。

 (写真/EOSキッスデジタルN EF400ミリ+ケンコー2倍テレコン)

新開 孝

ヤママユ3令幼虫 2008/04/21(その2)
 コナラの若葉もずいぶんと大きくなった(写真上)。樹によって若葉の成長ぶりにもだいぶ個体差があるが、今となっては芽吹き、と言えるような段階をうちの近辺で見つけることは不可能だ。

 そのコナラの梢では、ヤママユの3令幼虫が見つかった(写真下)。うっかりすると見落としそうだが、2令のときから見つけておいた幼虫だ。最初に見つけた位置からほとんど移動していない。

 (写真/E-3  シグマ105ミリマクロ)

 山形県在住の永幡嘉之さんから先日、ブログを開設なさったとの連絡をいただいた。

 永幡さんは35歳とまだ若きナチュラリストであり、生物学者。そして自然写真家でもある。音楽を奏でるような文章にも惹き込まれる。

 東北の自然にも憧れがあって、かつて新婚旅行にも青森、岩手、仙台などを巡ったりしたものだ。その奥深い山容を眺めながら、ここにはまだまだ日本の原風景がいっぱい残っているのだろうなあ、などと感激の連続だった。

 ここしばらくは東北へ足を運ぶ機会もなさそうだが、いづれまた東北の旅にも出掛けたいと思う。新開 孝

ヒメクロオトシブミとマルムネジョウカイ 2008/04/21
 ヒメクロオトシブミ(写真上)のゆりかご作りは、一週間ほど前からポツポツと見かけるようになった。とくにコナラの若葉でゆりかごが作られることが多い。クヌギに関してはまだ芽吹きが遅いため、クヌギにやってくるヒメクロオトシブミの姿は無い。

 クリの葉上ではマルムネジョウカイが交尾していた(写真下)。本種は他の小昆虫を襲って捕食する。

 それにしても春の進行はめまぐるしい。爆発的に登場してくる昆虫たちの様子を逐一レポートしようとすると、この「昆虫ある記」も一日に少なくとも3回以上は更新アップしなければならないだろう。
 今日もアゲハがうちの庭のなかを多数飛び交い、キアゲハは吸蜜に訪れていた。
すぐ近くではカワセミのつがいが賑やかに鳴き交わしていた。薮から聞こえてくるモズのねだり鳴きは、すでに巣立ちビナのものではないかと思われる。

 (写真/E-3  シグマ105ミリマクロ)

 昨夜は子供が通う小学校でPTAの歓送迎会があって、出席した。上の子は今年から中学だが、下の子はまだあと4年間、小学校でお世話になる。新任の先生方と初めてお会いした。
 いろいろな方とお話するうちに、あるお父さんと「山の野遊び」の企画について少し盛り上がった。その方は渓流釣りが好きで昔はよくやっていたそうだが、昔と違って近年になってから川の魚層がずいぶんと変わってしまった、という。それもあって最近は釣りから遠ざかっているそうだ。
 山へ野遊びに子供たちを連れ出して自然体験させようという話のなかで、心配になるのがまず、スズメバチ。そしてもう一つがマムシということだった。マムシについてはこの辺りでは実際に数が多いそうだ(私はまだ自宅近辺でマムシに遭遇していない)。昨年、町内の一斉清掃行事の際に、最初の注意事項の説明でも「マムシには注意して下さい!」と一言あったのが印象に残っている。
 それで「咬まれる人はけっこういるのですか?」との質問をすると、「はい。私の母親も咬まれました。」という。
 その方の実家では牛を飼っており、畑で収穫した牧草を庭に運び込んで裁断機にかけていたときのこと。積み上げた干し草を肩に担ごうとして束ねていたときに手を咬まれたそうだ。マムシはいつの間にか干し草の間に紛れていたのだ。肩から上を咬まれていたら、それこそ大事になっていた可能性もある。
 ちょっと意外なケースなどで、これは侮れないなあと思った。しかしそれで思い出したのだが、マムシではないけど私の庭でも積んでいた刈草をどかそうとして束ねていたら、中からシマヘビが出て来てたまげたことがあった。やはりヘビに対して無知であり洞察力が働かないことも、びっくりする要因となるのだろう。
 庭で履く長靴はいつも玄関の外に置いてあるので、毎朝履くときには必ず中を点検するようになったのはそのシマヘビ遭遇事件以来だ。
 ムカデも多いからこれからの季節は、様々な生物環境に対して少し気を配る必要がある。恐れるのではなく、気を配るのである。そういう気配りさえ怠らなければ、いわゆる危険動物との接触事故もかなり未然に防いだり、あるいは受ける被害も最小限に留めることができるのではないかと思う。もちろん、不運が重なった結果、避けられない被害も万に一つはあるということも少しだけ覚悟しておきたい。

 昨日は草むらに座り込んで撮影していたら、いつの間にか私の手のひらの上をマダニが歩いていた。散歩から戻ると犬の体からは三日に一度はマダニを見つける。今年の春に入ってから、犬の体から飽血して風船のごとく巨大化したマダニが2回見つかったが、おそらく見落とした吸血マダニの数はもっといたはずであろう。
 昆虫写真の撮影では草むらなどに長時間寝転がったり、座り込んだりすることが多いので、こういうときは要注意。

新開 孝

スイバの花 2008/04/20
 畦道にたくさん生えているスイバには、雌株と雄株がある。
 それぞれの株が咲かせている雄花(写真上)、雌花(写真下)も最盛期となった感がある。

 スイバの花は、花といってもそれを眺める人がほとんどいないくらい、小さくて地味な存在だ。どこが花なの?どれが花なの?しかしそんなスイバの花が私はとても好きだ。

 今日はヒメウラナミジャノメ、アオバセセリ、コチャバネセセリ、アゲハ、モンキアゲハ、ツマキチョウ、モンシロチョウ、スジグロシロチョウ、キチョウ、キタテハ、テングチョウが庭の中で飛んでいた。とくにアゲハは多く見た。
 

(写真/E-3  50ミリマクロ)

 今朝は敷地の雑木林で草刈りを行なった。冬の間に刈り取ったササ類が
地下茎から芽吹き始めたので、それをすべて刈るのである。斜面で草刈り機を扱うのはたいへん苦労するが、せっかくの努力を無駄にしないためにも定期的な草刈り作業は続けなければならない。
 ササのタケノコもずいぶん出ていたが全部、刈ってしまった。「ササノコ」も茹でたり、みそ汁の具材にしたり、おいしく食べることができるが、今はそれどころではないという気持ちが強くはたらく。斜面の草刈り作業では、背負い式の草刈り機が切にほしいと思う。

 さて、草刈りを終えたあとは、庭の菜園のエンドウ豆の柵造りだ。もうずいぶん大きくなって豆のさやも少しづつ出来てきた。柵の材料はいくらでもあるから作業は捗る。私は豆ご飯が大好きだから、柵造りも鼻歌気分でこなすことができる。

 林の整備や畑仕事を終えてからは、新規に購入したシグマの105ミリマクロレンズ(フォーサーズ仕様)を使いこなすためにかなり撮影をした。なかなか良い描写で感心したが、しかし操作感や機能的には注文をつけたいことがあり、そのあたりはいづれ発売されるであろうOLYMPUS純正レンズの新レンズに期待をしたいものだ。新開 孝

阿蘇山の今日は、晴れ! 2008/04/19
 今朝は大津町のホテルで朝を迎えたが、窓から見える山にはどんよりと雲が広がっていた。昼頃には晴れてくるという天気情報だったから、ともかく早めに外輪山の撮影ポイントへ出向いた。宿からその地点までは30分程度の距離だ。

 今回も阿蘇の花のハイビジョンビデオ撮影が目的であり、とくに先週撮影できなかったハルリンドウや、花を訪れる昆虫のシーンがねらいであった。
 昨日、下見しておいたポイントにはハルリンドウの蕾みがかなりあって、それらが昼近くになると一斉に開花してくれた(写真上)。ヒトリシズカの花もいくつかあった(写真中)。

 撮影の途中、花にカメラを向ける地元の方に出会った。いろいろとお話するうちに、オキナグサの生えている場所を教えてくれた。案内してあげるとまでおっしゃってくれたが、私はまだビデオ撮影の仕事が完了してなかったので、地図で場所だけを教えてもらった。
 オキナグサは、昔は畦道などに普通に生えていたそうだが、今となってはとても信じられないような話だ。私はオキナグサは一度も見たことが無く、この花にはとても憧れていたので、どうしても見ておきたくなった。
 外輪山のミルクロードから赤水に下る途中、阿蘇山を撮影していると携帯電話が鳴った。なんと知り合いの方がすぐ近くまで来ているという。大分から来られたそのご夫婦(Iさん)とは長い付き合いであり、じつはかつてとんでもなく私がお世話にもなり、なおかついろんなことで影響を多大に授かった方々なのだが、その辺の話はまたの機会ということにしよう。

 さてオキナグサを一緒に見に行こうということで、草千里を経てその場所へと向かった。草千里のおみやげ屋では、『肥後椿』という米焼酎のワンカップを買い求めた。これはIさんのお薦めだったが、うちに帰ってから飲んでみればなるほどまことに旨い!!その褐色の焼酎にはほのかな香りがあって、ロックが合う。草千里の駐車場代410円を払ってまで買い求める自分もスゴい!

 オキナグサはとても感じの良い場所で見つかり、感激しながら撮影したのだが、場所を教わった方との約束もあり、残念ながら写真の掲載は控えることにしたい。 
 
(写真上、中/E-3 50ミリマクロ)
(写真下/リコー Caplio GX100)
 新開 孝

小学校とは? 2008/04/18
 今日は鹿児島県、霧島市のある小学校を訪れた。
先日も曽於市のある小学校の写真を紹介したが、このところ少人数の小さな小学校に興味があって、そういう場所を巡ってみている。

 一年前、宮崎県に引っ越してから、私の子供が通う小学校は全校生徒数70人あまりの小さな学校となった。そのこともあって、小学校という場を強く意識するようになったのもかもしれない。もっとも昆虫写真家の仕事としては、小学校の理科の授業にはかなり関係があって、教科書や教材などはいわゆる昆虫写真の市場でもある。あるいはNHK教育テレビ番組の理科の放送にも映像を提供しているし、自分自身が番組に登場したこともあった。つまり昆虫写真を眺めるお客さんのなかには小学生の子らが多くの割合を占める。児童書を中心に本作りをする私としては、小学生の目線になって物事を考えることも必要だと感じる。その小学生が日常の大半を過ごす学校という場は、やはり見過ごすことができない。
 
 これまで昆虫撮影のフィールド探しをする上では、神社のある場所を巡る、というのも一つのやり方だった。その理由としては神社には鎮守の森が伴うからだ。近代の日本ではその自然環境がものすごい勢いで開発され衰退してきている。そのなかで信仰の対象となる神社はかろうじて森を維持してきた。
 ところがその神社巡りはそれはそれで良いのだが、私はそれに加えて小学校に注目してみたくなった。とりわけ少人数の小学校とは、その眺めがまずのどかで気持ちがよい。なぜ気持ち良いのかは誰でもわかることだろう。
 その一方で、少人数の小学校はその地方の社会のあり方をそのまま物語ってもいる。どんな家族構成の人々たちがその集落に住んでいるのか、小学校のあり方に反映してくる。なぜ子供たちが少ないのか。小学校はそういった社会の事情を写す鏡ともなる。小学校は周辺集落の自然環境の集約的な役目を果たすこともある。なぜなら教育の場では経済至上主義の社会活動とは距離を隔てた立場で物事を捉えることができるからだ。

 私の子供たちが小学校を卒業しても、私はそうなったあとでも今の小学校と密接に関わりたいと思うようになった。その理由は先にも書いたようなことが主な理由だが、もう一つには私が昆虫と出会った体験の原点が、小学校という場にあったことと深く関わっており、その過去の記憶を辿ってみたいからでもある。小学校とは、私にとってはまさに自然を体験する恵まれた場でもあった、と思う。

 学校とはなんだろう?そこで学ぶこととはなんだろう?そんな素朴な疑問に今一度立ち戻り、考える時間を得るためには、地方の片隅にある小さな学校こそがうってつけだと思う。そういう学校は、その風景そのものに存在感がある、と思うようになった。

 霧島市の小学校に赴いたあとは、九州道を一気に北上し、阿蘇山に入った。高速道路を北上中に、霧島山を西側から眺望することができた。これは私が住んでいる三股町からとは真逆の方角となるから、ちょっと新鮮な気分だった。熊本空港の管制塔あたりからだと、その眺めも最高なんだろうなあ、と思えた。
 阿蘇に到着後は、春の植物をロケハンし、明日のビデオ撮影に備えることにした。前回撮影したキスミレ以外に、少なくともさらに3種類のスミレが花を咲かせていた。

(写真上/E-3  7−14ミリズーム)
(写真下/E-3  14−54ミリズーム) 新開 孝

キアゲハ 2008/04/17(その2)
 庭のツツジの花にキアゲハが来た。

 このツツジは小振りな花だが、種名はわからない。わが家の庭にはツツジ類が数種植えられているが、その種名がどれも判然としない。園芸品種は様々な交雑を経ていて余計にややこしいこともあるだろうけれど、ツツジ類はなんともよく判らない。

 今日、飛来したキアゲハは盛んに吸蜜を繰り返していた。天候は朝から曇っていて日射しはほとんど無かったが、わずかに薄日が射した時間帯があった。そのわずかな瞬間を見逃さないぞ!とばかりキアゲハが登場したのだ。
 キアゲハの動きはとても速く、良いカットは撮影できなかった。この少し前にはアゲハも飛来したが、そのときも証拠写真程度を一枚撮影できただけだった。

(写真/EOSキッスデジタルN EF100ミリマクロ)
新開 孝
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