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今日の桜島 2008/03/05
 本日は鹿児島県の霧島市と垂水市方面に出掛けてみた。風も穏やかで空気も澄み、風景撮影には絶好日和と思われた。

 風景を探しながらハンドルを握れば、たちまち昆虫のような小さな生き物を見る目はほとんど効かなくなる。一度だけアカタテハの姿を車中から見つけたが、撮影はできなかった。一箇所に留まっている時間はわずかだから、今日はそれも仕方が無い。

 垂水市の海岸線を走っている間、桜島の山容が見事だった(写真上)。手前の波穏やかな海面では魚の養殖筏がたくさん並んでいる。内海は豊かな魚場となるようだ。それにしても海水が綺麗に澄んでいる。そして山間部を流れる水路はどこも清らかだ。
 山のせせらぎと、海の海水とがひとつにつながっていることを感じて、なんだかたのもしい気がしてきた。豊かな自然とはなんだろうか?そう考えるときにやはり水なんだなあ、としみじみと思う。水なんだ。

 ところで鹿児島県のお墓は、どこも屋根付きであることが多く、ちょっと驚く(写真中、下)。うちの近所にもそういうお墓が少しあるが、屋根を構える理由についてはまだ調べていないので、たいへん不思議でならない。

(写真/E-330  14-54ミリズーム)
 
 新開 孝

モンシロチョウ、春型の羽化 2008/03/04
 先日、紹介した小松菜のプランターについていたモンシロチョウ蛹が今朝、羽化していた(写真上)。

 今日も北西の風が猛烈に吹き荒れ、午後からまるで砂嵐となってしまった。その強風に煽られながらも、モンシロチョウは必死にプランターにしがみついていた。風があるぶん、気温は低く感じるが日射しそのものはかなり強く、地面やプランターなどの温度はけっこう上がっていたと思う。

 モンシロチョウの顔をアップで撮影してみたが、正面から見た顔は意外とつまらない。それは顔らしい表情が弱いからだ。しかもモンシロチョウのイメージに反して?恐い目つきだ(写真中)。いや恐いのはいいのだが、どこが眼でどこが口?といった顔の基本形が見えてこないのが寂しいのだと思う。その理由ははっきりしていて、モンシロチョウって、ずいぶんと毛深いのだ。横から見ると少しはモンシロチョウのイメージが伝わるかも(写真下)。

  虫が毛深い?それってほんと?毛虫のことじゃない?

 そういうふうに、少しでも興味をもっていただければ良いのだが、世の中は忙し過ぎるようだ。

(写真上/E-330  魚眼8ミリ)
(写真中、下/EOS-5D  65ミリマクロ)

新開 孝

イッシキトゲハムシ(タケトゲハムシ)、ふたたび 2008/03/03
 今朝は黄砂がひどく吹き荒れ、咳が止まないのでマスクをかけた。外を出歩く気があまりしなかったが、うちの林のイッシキトゲハムシをもう一度しっかりと観察してみた。

 とはいえ、彼らはササの葉裏に張り付いたようにじっと静止しているだけだ。風も強いから仕方が無いのだろう。葉っぱに張り付いたままの姿勢でよく吹き飛ばされないものだと不思議に思い、室内に持ち帰ってから脚の様子を観察してみた。

 彼らの脚先は厚いパッド状になっており、そこがまるで粘着材を塗ってあるかのごとく、ササの葉表面にピタリと貼付く。その吸着力は接地面積からしてみれば相当なものと想像できる。そうした状態からノコノコ歩き出すわけだが、そのときに吸着盤が葉の表面から瞬時にはずれる仕組みはどのようになっているのだろうか?とこれまた不思議でならない。

 それにしても、このイッシキトゲハムシがせめてカナブンくらいの大きさもあれば、またたくまに昆虫界のスターになれただろうなあ、と残念でならない気もする。

(写真/EOS-5D 65ミリマクロ)新開 孝

2008/03/02
 このところ、近所の畑ではトラクターがせわしく動き、特にサトイモの植え付けが盛んである(写真上/サトイモの種芋。写真中/サトイモ畑)

 今の農業はかなり機械化されているとはいっても、作業過程で人出が必要な場合も多々ある。先月はご近所の農家の方から手伝って欲しいという電話を受けたが、生憎嫁さんは風邪で寝込んでいた。電話の応対を横で聞いていた私としては、できれば自分がすぐにでも駆けつけたい気持ちもあったのだが、どうしても急ぎの仕事があって、それが叶わなかった。

 私としては地元に馴染む努力を惜しまず、なおかつ農業のことも実体験してみたいと考えている。しかし、そのタイミングがうまく合ないのがもどかしいところだ。

(E-3 14-54ミリズーム)

 『カメラを手にした動機とは、、、、』

 昨日、あるテレビ局の方が私のうちを訪れてくれた。今年も何かとお客さんが多いけれど、特に遠路はるばる来ていただくのは何とも申し訳ない気もする。
 いろいろとお話をしているうちに、私がカメラを持つきっかけとは何だったのか、という質問を受けた。

 たしかにその動機については、これまでほとんど書いたことも喋ったこともないような気がする。私がカメラとか写真について興味を強く抱き始めたのは、写真家、田淵行男の『安曇野』という写真文集に出会ったことが大きかったと思う。

 それは高校生の頃、大学進学間近の微妙な時期ではなかったと思う。当時、松山市内の「丸三」という本屋にはよく立ち寄っていた。この本屋では昆虫専門雑誌の「昆虫と自然」と「月刊むし」を市内では唯一扱っていたからでもあり、足繁く通うちに写真文集『安曇野」という一冊の本に心惹かれたのであった。
 山岳写真家であり、優れたナチュラリストでもあった田淵行男の感性に大いに影響を受け、幾度となくその文章や写真に触れたくて、本屋に通い詰めた。そして当時としては高額な写真文集を買い求めるまでにはかなりの時間を要したのであった。
 

 

 新開 孝

木のシルエット 2008/03/01(その2)
 写真上は近くの柿の木。樹齢は若くどこがどうという木でもないが、ぽつんと忘れ去られたように孤立しているこの木は、なんとなく気に掛かる。これから先5年、10年後と年月を重ねていくと、この柿の表情も違ってくるのだろう。
 
 写真下は庭のクヌギの木。背景は霧島山。このクヌギは夏場には心地良い日陰を作ってくれていたが樹液もそこそこ出ていて、そして幹にはヤママユの卵もたくさんついている。

(写真上/E-330  14-54ミリズーム)
(写真下/E-3 14-54ミリズーム)新開 孝

モンシロチョウ、舞う 2008/03/01
 今日はほんとうに暖かい一日だった。西風が強かったけれどそれでも日射しは強く、朝からモンシロチョウが3頭ほど庭に飛来した。

 モンシロチョウは春型の新鮮なオスばかり。どの個体も神経質そうに思えたので、EOSキッスデジタルNに100ミリマクロの組み合わせで撮影してみたが、これは明らかにレンズ選択の誤りだった。中途半端な写真なら撮らないほうがよかったと後悔した。
 久しぶりに春らしい躍動感ある場面に出会して、すこし焦ったようだ。今日からまた、玄関にはレンズ付きのカメラを置くようにしてみた。

 宮崎県三股町では、春本番間近という気配が強く漂う。


新開 孝

夕暮れ 2008/02/29(その2)
 庭の西側に一本の大きなクヌギがある。

 このクヌギがつくる日陰のおかげで、夏には強い日射しを避けることができ、まさに天然クーラーの役目を果たしてくれた。ところがこのクヌギについては、西隣の畑を耕す農家の方から、畑にとっては落ち葉のことや日射しを遮るということで、切らせて欲しいと言われていた。前の住人とは話がついており、その約束通りに切らせてもらう、ということだった。

 しかし、これは話がおかしい。前の住人はもうここにはいないのだ。もしもクヌギを切りたいなら、前の住人うんぬんではなく、私とあらためて交渉し直すべきだ。どうしたものかと思っていたら、そのクヌギを切りたいとおっしゃっていた農家の方は、土地の持主となにかもめ事があったようで、畑には来なくなった。

 つまりうちの敷地の西側に隣接する畑は、地主の方が別の農家の人に耕作を委託していたのであった。そしてそのあとに、あらたに耕作の委託を受けた農家の方がやってきて、畑では焼酎用のさつまいも作りを昨年の6月から始めていた。今年に入ってここ数日間、2回目の耕作が始まっているところだ。
 次に来た農家の方は寡黙でありながら、ときどき嫁さんとは会話をしているようだ。その会話のなかでも、例のクヌギを切らせて欲しいということはないそうだ。

 (写真/E-330  50-200ミリズーム) 

 新開 孝

モンシロチョウ 2008/02/29(その1)
 先日、24日にモンシロチョウ春型がうちの庭を飛んでいた。これが今年のモンシロチョウ初見ということになる。すぐにも紹介したかったが、成虫の写真を撮ることができなかった。

 そこで気になって、近くの畑で見つけてあったモンシロチョウ蛹を覗いてみれば、たしかに羽化済みの蛹殻をいくつか確認できた。つまり昨年の暮れから観察していた越冬蛹が、このところ次々と羽化しているようである。

 しかし一方、うちの庭のプランターに植えてある小松菜(写真上)では、モンシロチョウ幼虫がいて、このところの穏やかな日射しを受けて、元気に活動している(写真中)。この幼虫たちは昨年の暮れに産卵された卵からふ化したものだ。おそらく3令〜4令だろう。寒さの厳しいときは葉陰でじっと耐えて、ゆっくりゆっくりと成長しているようだ。つまり、少なくともこの三股町ではモンシロチョウの越年ステージには蛹と幼虫の二通りがあると言えるだろう。

 小松菜のプランターにはスジグロシロチョウ蛹とこれ以外にモンシロチョウ蛹が4個もついていた(写真下)。

(写真上、下/E-330  魚眼8ミリ)
(写真中/E-3  50ミリマクロ+2倍テレコン)新開 孝

桜島と鹿児島ラーメン 2008/02/28
 「桜島」の名称の由来にはいくつか説があるようだが、その噴煙を上げるどっしりとした山容を眺めていると、たしかに何故「桜島」なのか?と不思議に思えてくる。

 写真は、鹿児島市内の城山公園展望台から撮影した今日の「桜島」。じつはこの展望台に立つのはこれで2回目となる。1回目は14年前の1月末だった。
 その14年前、私はあるビデオ映像の仕事に関わり、生き物コーディネーターとして随伴したのであった。鹿児島県の様々な自然を映像に納める作業のなかで、昆虫の冬越しシーンをいくつかまとめる必要があった。
 その中でもシジミチョウの仲間のムラサキツバメ越冬集団の撮影については、ずいぶんと想い出深い。ビデオスタッフと城山自然遊歩道を登りながら、ここならいるはず!と横道にそれたところに越冬集団を見つけることができ、無事に撮影できたのであった。

 今日はその14年前の現場を再び訪れてみたわけである。桜島をまだ見たことが無いという嫁さんを伴って。しかし、ムラサキツバメ越冬集団のポイントはすでに様変わりしたのか、どうしてもその場所を見つけ出すことができなかった。

 城山公園を歩き回ったあとは、ずいぶんとお腹が減った。せっかくだからと町に出て、鹿児島ラーメンを食べに行ってみた。友人から聞いていた店は「のり一」。ここは塩ラーメンのみだが、たしかに旨い!昨年11月に50円値上げしたようだが、それでも(中)と(大)がそれぞれ300円と350円。女性でも大は無理無く食べれる量だった。お腹が減っているときはおにぎりか、ご飯も頼んだほうがいいかもしれない。

(写真/E-3 14-54ミリズーム)

新開 孝

ヤママユの卵 2008/02/27(その2)
 今日はよく晴れたが、気温は低くしかも風がたいへん強かった。

 玄関出て、林のクヌギを見上げると雲の配置が心地良い。さっそくカメラを取ってきて戻ってみたが、もうその心地良かった配置は崩れてしまっていた(写真上)。風が強いと雲の撮影も難しい。

 さて、前から気に掛かっていたコナラの枝を高枝ノコギリで切り落としてみた。隣のモチノキの梢と枝がぶつかっていて、窮屈そうだったからだ。落としたコナラの枝を見てみれば、ヤママユの越冬卵がたくさんついていた(写真中)。
 この卵が産卵されたのは昨年の7月から9月の間。そしてこのあと卵がふ化するのは4月ころとなる。卵が受精卵かどうか調べてみると、中にはシロオビタマゴバチの幼虫が入っていた(写真下)。この寄生バチの幼虫が大事そうにお腹に抱えているのはおそらく排泄物だろう。

 してみれば、たくさん産み付けられたヤママユ卵の全ての運命は決まったようなもの。春になって卵から次々と姿を現すのは、シロオビタマゴバチの成虫ばかり、ということになるだろう。ヤママユにとってはまさに災難だ。

(写真上、中/E-3  14-54ミリズーム)
(写真下/E-3    ズイコーマクロ20ミリ、手動絞り/F8) 

 新開 孝

ウラギンシジミ 2008/02/27(その1)
 近くの公民館裏にはオガタマノキが一本植えられてある。

 昨年はそこを通りかかるたびに、ミカドアゲハの卵や幼虫の姿をしつこく探してみた。5月のころはなんともいえない香ばしい臭いが花から漂っていて、オガタマノキを見上げながらしばし佇む時間はまさに至福のひととき。しかし、結局、卵も幼虫も見つからなかった。

 夕方、犬の散歩途中にオガタマノキの下で休んでいると、ウラギンシジミの姿が目に入った。じつはミカドアゲハの越冬蛹でもついていないかと、まだしつこく嗅ぎ回っているのである。ウラギンシジミは越冬場所から移動してきて、このオガタマノキの葉裏でビバークしていたのだろう。

(写真/リコー Caplio GX100)

新開 孝

『アシナガバチの親子』 2008/02/26
 「ぼくたち親子だよ」シリーズ(全5巻)旺文社刊、のうち『ダンゴムシの親子』と『アシナガバチの親子』の写真を私が担当し、このあと武田晋一さんが『カタツムリの親子』『ザリガニの親子』『アマガエルの親子』の写真を担当される。すでに『カタツムリの親子』も刊行されたが、このシリーズは図書館向け専用なので今の所、書店に並ぶことはない。

 こういった写真単行本の仕事で、私が写真のみ提供するというやり方は、これまで『親子でたのしむストロー工作』(福音館書店)と『うんちレストラン』(ポプラ社)の2冊のみ。いづれも本作りに際して、ライターや編集者の方と数回は会って相談しながら進めたが、今回の「ぼくたち親子シリーズ」では編集会社の方と2回お会いしただけで仕事が進んでいった。

 生き物の親子というコンセプトで、どういう本ができるのか、いろいろと試行錯誤しながら自分なりに撮影をしてみた。しかし、撮影を一通り終えて写真データを編集者の方へ手渡したあとになって、自分の写真を一体どうやって料理し、そしてどんな文章が出来上がっていくのだろうか?といささか不安にもなったものだ。

 それでもダンゴムシのほうは、もしも編集作業の結果、足りないカットやあらたな注文が出てきても充分に対応できる準備はできていた。しかし困ったのはアシナガバチの方だった。アシナガバチは営巣期間が終了してしまえば、ハチはみんな分散してしまう。被写体が一斉にいなくなってしまう。その時期はだいたいどの巣でも同じで、しかも年一回しか営巣はしない。当たり前だが、撮影は巣があってさかんに育児を行なっているうちに全てを撮りきらないといけない。
 一旦は写真データを手渡したあと、しばらくして自分でもこういうカットは必要だったなあ、と思いついたシーンが出て来てしまった。そこで一旦離散した新女王をなんとか捕獲し、撮り足りなかったシーンを撮影しておいた。そのシーンはやはり役に立った。

 ところが編集者の方からの追加注文の一つに、かなり難しいシーンの要求が入っていた。撮れてしまえばどうということのない写真なのだが、その時点で手元に確保できていたハチは一匹しか残っていなかった。撮影の難易度としては中くらいだが、相手は生き物だ。撮影がうまくいくまでに弱ったり、最悪死んでしまってはアウトだ。通常なら撮影の段取りとしてはハチが数匹以上確保できていることに付け加え、ある程度、撮影に時間が掛かる、という二つの条件が絶対に必要だった。写真データ入稿の締め切り日も目前で時間の余裕はあまりなかった。

 しかしとりあえず私は期限付きで撮影することを編集者の方に約束し、撮影してみた。これはちょっとした賭けだったと思う。結果は何とか使えるシーンの写真が撮れた。じつは撮影直後、虎の子一匹のハチには逃げられてしまい、もっと撮影チャンスが欲しいところだったが断念するしかなかった。締め切り日が来てしまい、それまでに追加のハチを捕まえることができなかったからだ。

 先週、東京の飯田橋駅近くのレストランでお会いしたのは「親子シリーズ」を編集した編集会社の方とそして『アシナガバチの親子』の文章を書いていただいた童話作家の深山さくらさんだった。深山さんとは初対面。

 深山さくらさんは今回のシリーズ中、『ザリガニの親子』の文も書かれたそうだ。物語を創作するという仕事は、私などにはとても想像のつかないたいへんな作業かと思うのだが、その辺のことを御聞きしたかったなあ、とあとで思った。しかし、私が今の自分の田舎暮らしのおしゃべりをダラダラとしたせいもあって短い時間もあっというまに過ぎてしまった。

 作家の方にお会いするのが本が出来てから、というのも珍しいような気もするが、写真がすでにある中で、そこから物語を組む場合に、事前にあまり詳しい情報などあっては、かえって邪魔になるのかもしれない。
 私の仕事は昆虫という生き物のドキュメンタリーを写真と文で表現することだ。しかし、いづれは私の撮った写真をまったく別の方が眺めて感じたままに構成するような本作りもまたしてみたくなった。もしもそれが童話本になるなら、それもいいのかもしれない。

 童話作家の深山さくらさんのホームページは、こちら↓

   http://miyamasakurasaku.com/ 
 
 
新開 孝

イッシキトゲハムシ(タケトゲハムシ) 2008/02/25
 天気情報によれば、明日から天候が崩れるとのことで、今日は串間市方面へロケハンに出掛けていた。フィールド探索も大事だが、自分の車が走っている道がどこからどこへと抜けるのか、地形や道順を体で覚えていく作業も必要だ。ついでに昨年見つけたムササビのねぐらも覗いてみたが、今日はいなかった。しかし寝床はしっかりとしていたから、また戻ってくるのではと思った。

  さて、うちに帰ってからたいへん気に掛かっているオオテントウのことをネットで調べてみれば、『土佐の自然ギャラリー』や『相模国の自然』というサイトで餌の情報が出ていた。どうやらオオテントウはササ類につくアブラムシ類を(例えばササコナフキツノアブラムシなど)を食べるということだ。
 先日、私の林の縁でオオテントウを見つけたことは、なるほどそれなら合点だ!

 そこで急遽、オオテントウの餌となるアブラムシを探してみた。ササコナフキツノアブラムシに関しては、昨年からまったく見かけず、このアブラムシを餌とするゴイシシジミも死骸を一頭見ただけだ。したがって、ツノアブラムシのコロニーを見つけておきたい、という気持ちも強かった。しかし、ついにツノアブラムシ類は見つからず、他のアブラムシが一種だけ見つかった。そのアブラムシがオオテントウの餌となるかどうかは、あとで調べてみたい。

 ササを丁寧に見ていくと、あちこちでイッシキトゲハムシ(タケトゲハムシ)の成虫が見つかった(写真)。数はたいへん多い。どれも必ず葉裏に張り付いたようにじっとしており、葉っぱを触ってもまったく動かない。
 本種は昨年の8月11日に紹介したことがあるが、成虫も幼虫もササ類の葉を餌とする。今の時期に見つかる成虫は、はたして越冬から目覚めて活動を始めたものなのか、それともこれが越冬スタイルなのか?私には判断しかねる。

(E-3  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
新開 孝

朝日選書『昆虫にとってコンビニとは何か?』 2008/02/24(その2)
 この本の表題を見て最初は驚いた。このようなテーマの絞り込みで一冊の本が書けるものだろうか?そう単純に驚いてしまったのだが、手に取ってみると本書は「昆虫にとって○○とは何か?」という問いかけ28項目で構成されていることがわかった。

 著者の高橋敬一さんは自称「カメムシ採集人」を名乗っていらっしゃるが、じつは農学博士で優れた昆虫学者であり、たいへん濃い虫屋さんである。『八重山列島昆虫記』という著書を以前に読み、高橋さんのことを少しは知っていた。しかし、本書は自然に対する人の認識論まで踏み込んだ、かなり思想的な部分にまで及ぶ考察記となっており、読み応えのある異色な一冊。

 とくに21、22章の「昆虫にとって昆虫マニアとは何か?」、「昆虫にとって昆虫採集禁止論者とは何か?」というくだりは、語り難いところをうまく整理して手短くさらりと論じていて、たいへん共感を得た。
 
 昆虫と文明の関係を考察する本書とは、ときおりヒステリックにあるいは情緒的に報道するテレビや新聞報道の自然関係記事を読むについて、健全な解毒剤として一読すべき本と思える。新開 孝
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