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マムシ 2008/01/22
 今朝はうっかり犬の鎖止めが掛かっていなくて、飼い犬チョロが逃亡してしまった。まあ、こういうことは何回か経験しているが、そのたびに私は少しうろたえる。なにさまチョロが飼い犬となったいきさつは、迷子になったことだから。

 しかし、今日は雨が降っていたせいだろうか、チョロは30分もすると何喰わぬ顔をして戻って来た(写真上)。
 こやつは犬の性分だろうけれど、どこでもかしこでも鼻先を突っ込んではクンクンと臭いを嗅ぐ。そのたびに私はハラハラしていたものだ。
 私がチョロの首輪に繋がったロープを握りながら、ときおりハラハラしていた理由を少し説明しよう。

 先日、視覚障害者福祉会の講演のあと、そのメンバーの方(Kさん)とお話をしていたとき、私の家のすぐ下の田んぼの辺りではマムシが多かったということを聞いた。その方は10年前までは視力があり、当時の環境を私に詳しく話して下さった。Kさんは、今私が住んでいる敷地のすぐ下の谷津田で稲作りをしていたそうで、子供のころも野遊びでこの辺りをあちこち駆け回っていたそうだ。今は杉の植林となっている場所もほとんど、かつては雑木林だったという。

 それで、今もマムシはいますか?とKさんから問われて、私は見たことはないけれど、いてもおかしくはない環境です、と答えた。そうなのである。おそらくマムシはいるだろうと、私は感じているのである。昔よりか数は減っていても確実に生息しているだろうと感じるのである。
 この感じる、という感覚は私が過去20年間のフィールド歩きで体得したものであって、とくに具体的な証拠を示せるわけではない。でも、マムシはいるだろうという確信が私にはある。マムシが棲息している、というのはそれだけまだ自然が濃く残っているということだろう。
 
Kさんの話では、草取りをしていた知り合いのある方が、チクリと指先に痛みを感じ、そのまま放っておいたら夜中に腫れて痛みが激しくなったそうだ。なんとそれはマムシに噛まれていたのだ。
 気付いたときは手遅れで、その方は亡くなったという。

 だからこそ、チョロが草やぶに鼻先を突っ込む姿を見ていると、私は危険を感じてしまうのであった。しかし、犬はマムシに噛まれたりしないのだろうか?という疑問も湧く。犬はそれほど不用心であろうか?毒蛇にはどういう反応を示すのだろうか?もっともこのところ、毎日のようにチョロの顔にはマダニが付着しているが。

 以前、和歌山県の古座町でニホンミツバチの取材をしたときに、興味深い話を伺ったことがある。古座町周辺の山地では紀伊犬を使った、イノシシ狩りがさかんであり、そうした狩りではイノシシを生け捕りする機会も多い。檻のなかで飼われるイノシシにいろいろと餌を与える際、ヘビのアオダイショウなどは嫌って食べないそうだ。アオダイショウは人の嗅覚でも臭いというから、そうなのかもしれない。
 ところがマムシを檻の中に投げ入れると、イノシシは喜んでこれを喰うそうだ。イノシシはマムシが大好きというのだ。

 たしかに、マムシは同じヘビのなかでもその姿からして、かなり違うイメージを受ける。ヘビの苦手な私でも、妙に惹き込まれる姿態と感じるのである。

 8年前のこと、そのころTBSブリタニカという出版社から『里山大百科』という写真集を共著で出した。今は阪急コミュニケーションズという社名に変わってしまったが、まあそれはともかく、共著者3人で編集作業を進めるなかで、私はヘビの頁を削除するようにかなり主張したのであった。その理由は、うちの嫁さんが大のヘビ嫌いであり、自分が出した本を嫁さんが絶対に見てくれないことはわかっていたので、ただその理由がために、私はかなり執拗に、ヘビの頁に反対したのであった。
 虫が嫌いな人も世の中にはたくさんいるけれど、ヘビの苦手な人ももっと多いことだろう。私も苦手の部類に入るが、それでも努めて理解してみようとしている。まだ手で掴むことはできないが、うんと接近してときどき撮影はしている(写真下/数年前に東京都清瀬市で撮影したアオダイショウ)のだ。



 
 
新開 孝

『小てんぐ小太郎』 2008/01/21
 正月休みに帰省した松山の実家で、ちょっと懐かしい雑誌を見つけた。

 7年前に出版された『おおきなポケット』2月号(福音館書店)である。この雑誌では「はねがあったら」という表題で特集が掲載され、私と野鳥写真家の平野伸明さんとが写真を担当し、そして添えられた文章はアーサー・ビナードさんという米国ミシガン州出身の詩人という組み合わせであった。はねをもった鳥と昆虫のお話をビジュアルにまとめてみたわけだ。

 文章を誰にやってもらうか、ということでは担当編集者の方にいろいろと尽力していただいた。アーサー・ビナードさんとは面識がないが、プロフィールによれば私よりか10歳下で、かつては昆虫少年だったそうだ。アメリカにも昆虫少年がいて当然だろうが、昆虫少年というイメージはヨーロッパが本場ではないか、という思い込みが私にはあった。
 アーサーさんは表意文字に魅惑されて来日し、それ以後東京に住んで詩作や翻訳活動をしているそうだ。
 私たち日本人は何でもかんでも欧米文化に対して劣等感を抱き続け、そして憧れているけれど、自分たちの文化をもっと誇りにしていいのではないか、そう思うことは多い。

 さて、懐かしい誌面を開いてみれば、折り込みふろくの『小てんぐ小太郎』という漫画が目に入った。すっかりこのふろくのことを忘れていたが、この漫画を描いたのは秋山亜由子さん。うちには秋山さんの単行本も何冊かあって、子供の読み聞かせにもよくせがまれる。虫や小さな自然を題材に、想像力豊かな物語を展開してくれる秋山さんの漫画には嵌ってしまう。登場するキャラクターがなんとも可愛い。

 今日は、急遽プリンターを買った。これまで使ってきたエプソンのPM-4000PXの調子がずっと悪く、プリントに引っ掻き傷が出てしまうからであった。こういう物理的な故障はもう修理出しするしかないのだが、今は仕事の都合上、プリンターがないと困る。そこでさっそく買ったのは、CanonのPIXUS ip4500というA4対応の新機種。何といっても安かったし、印刷速度がかなり速いのが良い。最初はエプソンのPX-G930という上位機種を買うつもりだったが、PIXUS ip4500が2台買える金額でもあり、使用目的を考えればPIXUS ip4500で充分過ぎると思えた。

 

 新開 孝

講演 2008/01/20
 今日は地元の三股町視覚障害者福祉会の新年文化研修会で講演をさせていただいた。講演は東京の清瀬市を去る前の3月なかばにしたのが最後だから、ほんとうに久しぶりだった。

 題目は『昆虫写真家の仕事とは何か』というものであったが、私がなぜ三股町に引っ越して来たのか、どのようにして昆虫写真家という職業に至ったのか、という辺りを中心に50分間の予定でお話しさせていただいた。

 昨夜は夜中に目覚め、考えるともなく20数年前の記憶が次々と蘇り、お話ししたいことがあまりも多くなり、これを50分でまとめるのはたいへん難しいなあ、と感じていた。せめて1時間半はほしいなあと思いつつ、今朝の本番ではやはり少しまとまり悪い話となってしまった。しかし、講演を終えてみればきっかり45分だった。一度も時計を見ることなく話していたので、これは自分としてはよくできたように思った。

 さて、今日の写真は、最近読んだ本の一冊。『白畑孝太郎 ある野の昆虫学者の生涯』(無明舎出版)。著者は永幡嘉之さん。本書は山形新聞に連載された記事に加筆されたものということだが、出版は昨年12月。
 ともかく永幡さんの熱い情熱で語られる文章に惹き込まれるように、一気に読み終えた。永幡さんの肩書きは自然写真家だが、それ以前にじつに真摯な生物学者であり昆虫学者である。私は3年前に初めて永幡さんにお会いし、山形のフィールドを案内してもらったことがあるが、そのときに受けた印象が本書を読むことで再び強く蘇り、故,白畑孝太郎の生涯を熱く綴る彼の文章からは、彼自身の真の内面の姿を汲み取れる気もした。

 私たちは常に先人の姿や足跡を見つめ、自分の足下を見直す作業が必要に思う。歴史に何を見出すのか、その視点をしっかり持ちたいものだと少しまじめに考えたりした。

新開 孝

ヤママユのまゆ殻 2008/01/19
 今日は午前中と午後の2回に分けて、林で刈ったササを少し処分した。その所要時間はトータルで3時間程度だろうか。明日は雨というからやれるうちに、という気持ちもはたらく。
 大量に刈ったササはとりあえず、斜面のあちこちに野積みにしてある。これらを平坦な敷地へと運び上げる作業は手間が掛かり、少しづつ進めていくしかない。

 ある程度の量を運び終えると、今度はすでに枯死しているササを選別し、これを手や足でポキポキ短く裁断する。まだ青いササの方はとりあえずナタで枝を全て払い、集積場に貯めておく。裁断されたササや払い落とした枝は、だいたい60〜70センチの長さとなる。これをコンクリートブロックで設えた窯のなかで燃やす。焚き火をしながらいつも思うことは、この熱エネルギーをなんとか有効利用できまいか?ということだが、今のところ焼き芋を焼く程度でしかないのはじつに情けない。

 さて、夏場ならこういう野外作業をしているときでも、玄関や縁側には様々なレンズをつけたカメラ数台を待機させていた。何か昆虫が現れたらすぐに撮影態勢に入れるようにというわけだ。しかしながらさすがに今の時期は、そういう緊張感は無い。それでもポケットにはコンパクトデジカメをいつも入れている。
 このコンパクトデジカメは昨年の暮れに慌てて購入したばかりだ。お正月帰省にギリギリ間に合ったのだが、そのカメラとはリコーのCaplio GX100。このカメラは接写機能に優れており昆虫写真撮影にもたいへん使い易い。もういろいろな方が昆虫写真撮影で使っていて、私などは出遅れ組だろうと思う。まあコンパクトデジカメとしては高価な機種だ。

 山仕事をしているうちに、ササの枝に引っかかったヤママユのまゆ殻が目に入った。ずいぶんとまゆ糸がほつれているのが気に掛かる。これはどうやら鳥が巣造りのために糸を利用したのではないかと想像するのだが、まゆを仔細に見るとヤママユの成虫が無事に羽化した羽化口も確認できた。
 ヤママユのまゆからは絹糸がとれるのでそれはその色合いの美しさから緑のダイヤモンドとまで言われている。しかしその美しい絹糸を利用するのは、人よりか鳥たちの方がもっと大昔からやっていたことなのだろう。

新開 孝

霧の朝 2008/01/18(その3)
 今朝は午前8時頃から急に霧が立ちこめて来た。
 早朝はほとんどなかった霧が、こうして陽が上り始めてから出るのは珍しいと思った。

 今日はダンゴムシの撮影を朝早くから準備をして、午前中には全ての撮影項目を消化できた。
 ダンゴムシは寒さには意外と強い。スタジオの窓や扉はすべて開け放しており、震える程に寒くしての撮影なのだが、ダンゴムシはいたって元気に動く。

 「あんたたちにも、冬はないのかい!」

 そう言いたくなるのであった。
 ダンゴムシはとても可愛い。いやそうと感じ取るには、多少の時間が必要とは思うが、やがて可愛いと思えるはずである。
 そういう感覚に到達するには、まずしゃがむこと、視線を低くすることだ。つまり幼児の目線を大人も取り戻す必要がある。そして、さらに虫メガネを持つこと。ちょっと奮発して8倍クラス以上の良い虫メガネを手にしてみよう。そういうのはルーペとも呼ばれる。1000円から2000円くらいはするが、そういうしっかりとしたルーペを手に入れよう。
 
 ダンゴムシの可愛らしい姿を発見するにはどうしてもルーペが欲しい。

(写真/OLYMPUS E-3  14-54ミリズーム)
新開 孝

キンカン 2008/01/18(その2)
 宮崎では今頃がキンカンの旬のようだ。テレビのニュースでも各地での出荷の様子が報道されている。

 うちには一本だけキンカンの木があって、そろそろ食べごろではないか、そう思っていたのはもう1週間前のこと。そして二日前に、ヒヨドリがそのキンカンの実をついばんでいたので、これはもう我が家も収穫時期だろうと確信したのであった。

 で、昨日は数個を残してほとんどを収穫した(写真上)。キンカンの根元に着いたナガサキアゲハ蛹の見上げる梢には、もうキンカンの実は写らないほど閑散となった(写真下)。

 キンカンは甘煮にしてもいいけれど、やはりそのままガブリと頬張るのが一番美味しいと私は思う。種は出して庭に蒔いたりしてみるが、種もガリガリ食べてもそれほど苦くはない。嫁さんは甘煮を作るというので、生食用に一皿だけ残してもらったのが写真上である。

(写真/リコー Caplio  GX100)

 新開 孝

無害のキャベツ 2008/01/18(その1)
 先日、モンシロチョウの幼虫に食害されたキャベツを紹介した。
 葉っぱはボロボロになるまで穴ぼこだらけ。それは昔の懐かしい光景だと私には思えたが、そうなることを誰もが願っているわけではない。

 すぐ近くの畑ではこうしてネットで囲ってあった。これならモンシロチョウの母蝶も卵を産めないから、したがってモンシロチョウ幼虫の食害も免れるというわけだ。キャベツはそのまま商店の棚に並べて販売できるような綺麗な姿だ。

 キャベツを食害するものには、他にヒヨドリのような鳥もあって、東京に住んでいる頃も真冬にキャベツやブロッコリー、ホウレンソウなどの葉っぱを大群でおしよせてついばんでいる光景はよく目にしたものだ。

新開 孝

冬のトノサマバッタ 2008/01/17(その2)
 先日、トノサマバッタ幼虫がモズのはやにえに立てられていたことを紹介した。
比較的、新鮮な幼虫だったのでモズに捕らえられたのは数日内ではないかと思っていた。

 それからずっと気に掛けていたのだが、昨日、そのトノサマバッタ幼虫を何匹か近所の草むらで見つけることができた(写真上)。やはりこの南九州では幼虫でも越冬しているようだ。彼らが成虫へと羽化するのは早くても4月末で、その多くは5月に入ってからだろう。
 幼虫は夏場と同じように活発に動き、人が近づく気配には敏感だ。私がカメラを構えて近寄ると、ピョーン!!と元気よくジャンプして逃げた(写真中)。

 冬といっても晴れていれば、地表付近の温度はけっこう上がる。その地温をうまく利用して、トノサマバッタ幼虫は冬を乗り切るのだろうか。
 そういえば、ナナホシテントウも寒さにはとても強い。今でも日射しのある日にはこうしてアブラムシを食べていたり(写真下)、日光浴する姿は多い。しかも幼虫や蛹もいて、ナナホシテントウに冬はあるの?と、そう問いたくなる。

 トノサマバッタに話を戻すと、昨日は成虫も見ている。それも元気に飛翔していた。なかなか敏捷で近寄らせてくれないが、草のあいだに潜んでいる姿を見る限り、体の痛みも少ないように思えた。秋に交尾カップルを見ているから、産卵が秋に行なわれていることは間違いなく、したがって土のなかで卵の状態で越冬しているものもあるはずだ。トノサマバッタの発生消長は少し複雑のようにみえる。

 もっともススキなど、トノサマバッタの餌となる草の地上部はほとんどが枯死している。一面枯れ葉色ではあるが、しかしよく見ればあちこちにわずかながらススキや緑色のイネ科植物が残っている。また牧草畑ではまだ緑濃い草が栽培されているところもある。

 (写真/リコー Caplio GX100)

新開 孝

お知らせ/新刊本の2冊 2008/01/17(その1)
 昨年の11月と12月に旺文社から、「ぼくたち親子だよ」というシリーズ5巻のうち『ダンゴムシの親子』と『アシナガバチの親子』の2冊が出た。この2冊の文章は作家の方が書かれて、私が写真を撮影した。シリーズのテーマを念頭に入れながらも、私は細かい構成をあまり考えることなく自由に撮影させてもらった。

 このシリーズはこのあと、武田晋一さんの写真で構成される『カタツムリの親子』『ザリガニの親子』『アマガエルの親子』が続けて刊行される予定。
 「ぼくたち親子だよ」シリーズはとりあえず図書館向けなので、一般書店では販売されない。

 さて、昨日になってダンゴムシ写真のリクエストがあった。写真リストを見てみれば、一部の写真しか私の手元には無い。それもそのはず、リストに掲げてある注文には細かい指定があって、これはともかく新規に撮るしかないと思った。
 締め切りは今週中ということで、実質、今日と明日の2日間しかない。リスト内容の撮影そのものは二日間あれば充分であるが、それは準備がすべて揃っていればの話。そうは言っても、やるしかない。
新開 孝

ハマオモトヨトウの幼虫 2008/01/16(その2)
 今朝は、先日の「おねっこ祭り」で撮影した写真データを届けに、集落へと歩いて行った。
 ついでに書簡を郵便ポストに入れたが、なんだか少し不安な気もする(写真上)。大切な契約書などは、やはり町の郵便局までわざわざ出向くようにはしているが、いづれにせよポストに投函というのはどこであろうと不安に変わりない。

 納骨堂の近くを歩いていると人家の塀に初めて見る蛾の幼虫が歩いていた(写真中)。とても際立つ姿なので種名は後ですぐにわかった。本種はハマオモトヨトウ。もう一匹見つけた幼虫はまだ若くて、ヒガンバナ科の葉っぱに止まっていた。

 ハマオモトヨトウの幼虫はヒガンバナ科のハマオモト、ヒガンバナ、スイセン、タマスダレ、アマリリスなどの葉を餌として食べるそうだ(写真下)。本州から西日本にかけて分布するが、本州では千葉や神奈川県などの太平洋側に見られ数は少ないようだ。しかしながら本種も温暖化の影響かどうかはわからないが、勢力を拡大しているようだ。

(写真/リコー Caplio GX100)

 宮崎ではお寺がきわめて少なく、墓地もこの三股町ではほんとうにわずかしか見かけない。だからか、集落のあちこちに納骨堂がある。お寺は少ないが神社は多いのが宮崎という土地柄である。神社は鎮守の森と関係が深い。だから神社が多いのは私としてはたいへん嬉しい。神社で大切なのは神の宿る森そのものだから。
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新開 孝

ミツバチ 2008/01/16(その1)
 日本国内にミツバチは2種類いる。

 養蜂業で飼われるセイヨウミツバチと、古来から日本に生息する野生ミツバチ、ニホンミツバチだ。

 両種の見分け方は慣れてくれば簡単だが、一般の方々はおそらくミツバチという概念でしか見ていないと思う。
 うちの庭にはその2種類のミツバチが花の蜜や花粉を求めてやってくるが、昨年
種をまいたアブラナ花壇に、今日、訪れていたのはセイヨウミツバチのほうであった。

 ニホンミツバチはセイヨウミツバチに比べて寒さに強く、真冬でも日射しがある日などは活動する姿をよく見かける。一方、セイヨウミツバチは寒さに弱く、養蜂家が世話をしないと冬を乗り切れないと言われてきた。

 ところが、それは大方では正しいのだが、一部の地域ではそうでもないようだ。
以前、私は和歌山県南部と長崎県の2箇所で冬を乗り切るセイヨウミツバチの野生
巣を見たことがある。これまでセイヨウミツバチの野生巣は小笠原諸島のような暖地でしか存続できないと言われてきたが、どうやら実情は違ってきているようだ。

 まだ想像に過ぎないが、うちにやって来るセイヨウミツバチもどこかで野生巣を作っているのではないかと思うのである。近年、西洋ミツバチの養蜂業は国内では衰退の一途を辿る。そのせいでもあるのか、都会にまで進出しているのがニホンミツバチだ。
 私はニホンミツバチびいきなので、これまでも撮影した写真は西洋ミツバチよりかニホンミツバチの方が多い。しかし、仕事となると圧倒的にセイヨウミツバチが使われるので、これには頭が痛い。

(OLYMPUS E-3  マクロ50ミリ+2倍テレコン)
新開 孝

2007年『昆虫ある記』を振り返って(10) 2008/01/15
さて『2007年を振り返って』シリーズは、今日で最後にしたい。
 その最後に選んだのは11月の記事の中からベニツチカメムシ。昨年アップしたときのタイトルは「赤いカメムシ」としたが、このような少し思わせぶりな表題にしたのも、少し理由があったのである。


 「赤いカメムシ、ベニツチカメムシ」(11月22日)

 ベニツチカメムシは鮮やかな朱色と黒色という、きわめて目立つ配色をしており、一目見ただけでも見誤ることがない際立ったカメムシである。体の大きさも脚や触角を広げれば500円硬貨からはみ出すほどに大きく、初めてこのカメムシに出会った人は誰もが強烈な印象を受けることだろう。

 本種は四国でも採集例があるが、確実に生息している分布北限は北九州であり、主に九州から以南、沖縄本島までに生息している。しかしながらベニツチカメムシはそうやたらと出会えるカメムシではない。その生息地はきわめて局地的である。

 私は、2002年に出した『カメムシ観察事典』のなかで、当初はこのベニツチカメムシを取り上げたいと考えていた。ベニツチカメムシは子育てをするカメムシということで生態的にたいへん注目されてもいたからだ。
 当時、九州での確実な産地の情報としては、佐賀大学の研究者の方が公表なさっていたフィールドがあった。公表されてはいたが、私はまずは研究者の方に撮影の許可を得ることが礼儀だと考えた。しかしながら、それは叶わなかった。すでに前もって宿泊の手配や東京からの高速バスの予約も入れていたが、残念ながら直前でキャンセルせざるを得なかった。
 撮影を断念してから9年経った。九州に移り住むことが決まってから、ベニツチカメムシを撮影のテーマとして掘り下げることに、私が大いに期待したのは言うまでもない。こんどこそ自分の目と脚で産地を探し出して思う存分、観察と撮影をしたい、そう思っていた。
 しかしながら、転居してからの生活の立ち上げと、仕事の消化に日々追い立てられ、ベニツチカメムシ生息地探索に割く時間はきわめて少なかった。偶然にも出会えるほどに甘くはないのである。

 ところがヒョンなことから11月末ころ福岡に行く理由ができた。OLYMPUSの新製品カメラ、E-3の体験会が福岡のOLYMPUS支店で開催されるという。しかも私には福岡で久し振りに会いたい方がいた。小学館ネオ図鑑の仕事ではたいへんお世話になった虫屋さんだ。
 そんな口実ができてしまったので、福岡のすぐ近くに位置する佐賀県のかのベニツチカメムシ生息地に立ち寄ることは、すぐに決心できた。過去に撮影許可を得ることはできなかったが、撮影した写真を商業用に転用しなければ問題はないはずだし、なによりも実際に生息地環境をしっかりと見ておきたいと願ったからでもある。
 そのようにして、少し屈折したなりゆきで私は初めてベニツチカメムシを目の前にし、撮影もできた。3時間もの探索のあげくに出会った越冬集団であったが、そのきわめて高い集合性に目を見張るものがあった。そのときの感動はとても強烈だった。


 さて、昨日は尻切れトンボで終わったが、その続きを少し。
 昆虫写真家である私がなぜに寄生植物にのめり込んで撮影するか、ということだった。その答えは誰もが想像できる範囲のものであって、つまりは昆虫も自然の一部であり、じつは私というカメラマンが見ようとしているのは自然全体であるというエコロジカルなつながりがあるからだ。
 生き物と生き物のつながりを視覚的に写真で表現できなくても、文脈のなかではつながるという仕組みがあるという前提で私が動いているせいだ。
 しかしながら、ではなぜ昆虫なのか、昆虫写真家という肩書きなのか、という堂々巡りのような疑問に立ち返る。その疑問にぶち当たるのも、それは写真という表現形式にこだわるからで、じつは写真という自分にとってはやり易いと感じ得た表現方法を選んだに過ぎず、したがって自分の場合は写真だけでの表現ではできない部分がいかにも大き過ぎるのであると思う。
 少なくともせめてキャプションという解説を添付しなければ、私の撮った写真はほとんど表現力を削がれたものでしかない。

 寄生植物を面白いと感じ、そこにカメラをむける私とは、それに感動するという理由付け以外に別にエコロジカルな理由をもってくる必要もほんとうはないはずなのだ。職業カメラマンとしては常に、経費とそれに見合った収入に値する写真というものをきちんと見定めて動くのは言うまでもない。しかしながらプロの写真家は売るための写真を自分で開発し、世に問いかけるだけの力量が必要と思っている。世間の需要に応えるだけでもプロとしては生きていけるけれど、それだけなら私はわざわざ昆虫写真家の道を選ばなかっただろうと思う。

 ま、それもあまり売れない写真家の妬み事、かもしれません、ね。

 私は昆虫という生き物を見ていく中でたくさんの発見や感動があって、それがときどき昆虫というカテゴリーをはみ出すわけで、そういうなかに奇天烈な生き物もが入ってくる。昆虫そのものが奇天烈だから、その類いはすぐに私の感覚に素直に飛び込んで来るのであり、その一つが寄生植物だったのですね。新開 孝

2007年『昆虫ある記』をふりかえって(9) 2008/01/14
2007年『昆虫ある記』をふりかえって(9)

今日は昨年10月、11月の記事から関連記事を2件まとめて選んでみた。
 関連記事とはツチトリモチ属の寄生植物2種について。

 昨年の写真撮影、ビデオ撮影の仕事も10月に入ると少し落ち着いて来た。まだいくつかやるべき事は残っていたが、週に一回くらいはロケハンと称してあちこちのフィールド探索に出掛ける時間も作れるようになった頃だ。
 とくに秋に入って気に掛けていたのは今日ふたたび紹介する寄生植物の撮影だった。

 「ツチトリモチとキイレツチトリモチ」(10月22日/11月20日)

 寄生植物のツチトリモチ類は、その姿がキノコに似ていてたいへん惹かれるものがある。しかも種類によっては花粉媒介を昆虫に託しているものもあると知ってからは、ますます撮影してみたいという気持ちが高まったのであった。

 さてそのツチトリモチ類のなかでも比較的ふつうに見られるのが真っ赤な色をしたツチトリモチ。
本種は紀伊半島から西日本の照葉樹林に生える寄生植物だ。24年間、武蔵野台地をメインフィールドにしていた私はこれまで一度も見たことがなかった。
 三股町に暮らし始めてから近隣のフィールドを少しづつ探索していくうちに、あそこの辺りならきっと見つかるだろう、そう目星を付けて歩くうちにようやく出会えたのは、探索を開始してから3日目くらいだったと思う。つまり2日間は空振りに終わったわけで、その空振り続きのあいだにツチトリモチの姿を繰り返し頭に描き、ますます憧れる気持ちが高まっていた。

 しかし、それほどまでに私が寄生植物にこだわる理由はなんだろう?とりあえずツチトリモチの写真を何かの仕事に使う予定は無い。ないにも関わらず熱心に撮影しようという態度は、人から見れば単に趣味に走っていると写るかもしれない。プロの昆虫写真家のなすべきことだろうか?と疑問を抱かれるかもしれない。このあたりのことは、プロの昆虫写真家とはいったい何者で、一体何をなすべきかという個々の考え方に関わる。

 ところでもう一種のキイレツチトリモチは、花穂から蜜を出し花粉媒介を昆虫に託す。したがって昆虫との関係が視覚的にはっきりしており、私のような昆虫写真家が撮影対象にするのもごく当然のことと捉えることができる。

 今日は話の内容が逸れてきてしまったが、続きを書くには時間切れとなった。明日に持ち越したい。

 肝心のツチトリモチ属2種の写真だが、上がツチトリモチ、下がキイレツチトリモチ。
 ツチトリモチは都城市山之口町の照葉樹林内でクロキの根に寄生している様子。
 キイレツチトリモチは日南市の海岸林でトベラの根に寄生している様子。
 新開 孝

「おねっこ祭り」 2008/01/13
 心配していた雨は降らず、昨夜は三股町,田上の「おねっこ祭り」が催された。

 午後6時にはどんと焼きに点火。勢い良く炎が燃え上がった(写真中)。

 会場では大きな竹筒で焼酎の燗が用意され,参加者にふるまわれる(写真下)。竹盃も配られ、注がれた焼酎はほのかな竹の香りがしてしかも少し甘みが増すようだ。何ともいえない味わいにお祭り気分も高まる。

 またみそ汁は大鍋にグツグツ煮えており、これも会場でふるまわれる。イノシシ、鳥肉、そして近所から提供された野菜たっぷりのたいへん美味しい汁だった。その味付けはずっと昔から受け継がれていると聞いた。

 午後9時ころ私たち家族は会場をあとにしたが、まだたくさんの人が残って盛り上がっていたようだ。

 嫁さんは昨日、調理のお手伝いをしたが、私は仕事の都合で会場設営のお手伝いができなかった。そこでというわけでもないが、今朝は会場の片付けに駆けつけた。片付けが一段落すると反省会が公民館であった。 
 昼間から飲む酒はやたらと効く。パターゴルフへの誘いもあったが私はうちに戻って昼寝をした。
 昨夜は祭り会場から戻ると、夜遅くまで机に向かって仕事をしていた。本の構成は気分が乗っているときに一気に進めるのが良い。

新開 孝
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