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雑木林の下刈り作業 2007/11/02(その2)
 10月に入ってから、庭の草刈り作業からほぼ解放された。月に2回は必要だった草刈り作業だったが、秋が深まって草の伸長の勢いがピタリと止まったのである。

 しかしながら、定期的な肉体労働が減ってしまうわけではない。雑木林の手入れがちゃんと控えている。先日からメダケで育つニホンホホビロコメツキモドキの生活にこだわっていることもあって、この観察を伴いながら、メダケ伐採作業(下刈り)を始めてみた(メダケともう一種、タケ科と思われる種が混在しているが、ササや竹の識別は難しい)。(写真上/画面左端はコナラの大木。ここにコナラの木があることはメダケの繁茂で埋もれていてこれまで気付いてなかった。ちょっと嬉しい発見だ。こんな発見があるから伐採作業もどんどん進めたくなる)

 さて、昨日の『竹筒交差点』で書いた考察には一部誤りがあったので、ここで訂正しておきたい。

 ニホンホホビロコメツキモドキが産卵するメダケは、ある程度枯れた株であるが、ハキリバチやクロアナバチが営巣するように人為的に切断された竹筒にはもともと産卵はしないと思われる。ニホンホホビロコメツキモドキの幼虫が成育する場所は、メダケの節内という閉鎖空間であるからだ。
 だから、そもそも狩りバチ、花蜂たちとニホンホホビロコメツキモドキ幼虫との遭遇という事態も起こりえなかった、と考えるほうが妥当かもしれない。

 ニホンホホビロコメツキモドキの幼虫は、私が竹筒を切断した段階で死んでしまっていたのかもしれない。また、それ以外にも産卵されたあとに幼虫がふ化できなかったり、成長途中で死亡するケースも多いようだ。

 さてさて、枯れメダケを作業の休憩時に少し割ってみれば、ベニカミキリの新成虫が出てきた(写真下)。ベニカミキリの幼虫はメダケの材中を穿孔して喰い、そこで蛹室を作る。そして年内には成虫となって来春の外界デビューを待っているのだ。

 じつは、メダケの枯れ材で育つ昆虫は他にも数種見つかっているが、紹介するのはまたの機会としよう。

 
 明日も下刈り作業が続く。
新開 孝

クロセセリの幼虫巣 2007/11/02
 クロセセリの幼虫はミョウガやハナミョウガの葉を食べる。

 ミョウガ、ハナミョウガともに薄暗い林内やその縁に生えており、クロセセリの主な生活環境もまた、そういう場所である。
  成虫 はうちの近辺に多く、庭にもよく飛来してカボチャやアサガオの花などで吸蜜する姿を見かけた。

 セセリチョウ類の幼虫は全般に食草の葉を折り曲げたり、切り込みを入れたりして作った袋状の巣内に潜んでいる。クロセセリの幼虫も葉の縁を折り曲げて数本の糸で綴り合わせた巣内に隠れている(写真上)。

 幼虫が葉を食べるのは主に夜になってからで、体を巣の外に乗り出すようにして食事をとる(写真中)。幼虫はたいへん神経質で、ちょっとした物音や振動には敏感で、すぐにも巣内にひっこんでしまう。

 クロセセリの越冬ステージは地域によって違ってくるようだが、ここ南九州では、蛹あるいは非休眠の中令や終令幼虫で越冬するそうだ。
 写真の幼虫は終令幼虫だが、このまま冬を迎えるのか、あるいは蛹になってから冬を越すのか、いづれかになるようだ。

(写真上、中/EOS-5D  100ミリマクロ)
(写真下/E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)新開 孝

ダンゴムシの親子 2007/11/01(その3)
 もうすぐダンゴムシの親子の写真絵本ができる。

 今回の仕事は5冊のシリーズもので、私はダンゴムシとアシナガバチを担当した。アシナガバチのほうはまだ編集作業が続いている。

 2冊とも写真のみを私が撮影して、構成、文章などはライターや編集者の方にお任せしている。

 本来なら文章や構成なども自分でやりたいところだが、今年は宮崎への移転もあって時間的にもゆとりが無いこと、そして内容的にも私が手掛けるよりか、作家の方に委ねるほうが良い本に仕上がるだろうと最初から思っていた。

 ダンゴムシを撮影するにあたって、こちら宮崎の新居の敷地内ではとても生息数が少なく、ちょっと慌てた。東京の清瀬にいたころなら、ダンゴムシはいくらでもいたからだ。ダンゴムシ(オカダンゴムシ)は人里のなかで繁栄しており、人里から遠のき自然度が高くなるにつれ、少なくなる生き物だ。

 本の内容や撮影の裏話などは、いづれ本が完成してからまた紹介したいと思う。


 さて、今日は、40代最後になる私の誕生日だった。

 じつは、この三股町に引っ越してからわかったことだが、三股町役場では過疎対策として、町外から新たに移転してきた世帯には報奨金を支出してくれる制度がある。これには条件がいくつもあって、例えば移転後の居住6ヶ月を経ないと資格を得ることができないとか、住居の面積が何平米以上とか、家族構成の条件とかをクリアしなければならない。自治会に入会していることも必須。

 そして夫婦の年齢を合せて100歳以下であることも条件にあって、これもまあなんとかきわどいところでセーフ。嫁さんは大学の学科は一緒だったが、私が一浪しているので、一つ年齢が若い。

 50歳という年齢は、人生においてかなり意味合いのある数字なのだろう。

 これまで50代という年齢の自分を想像することができなかったが、もう目の前となってしまった。

 新開 孝

竹筒交差点 2007/11/01(その2)
 竹筒にはハナバチ類や狩りバチ類などが多種類やってきては、そこを育児室として利用する。さらにはカミキリムシ類も多種類が、竹筒へ産卵し幼虫が育っていく大事な場所となる。つまり竹筒を巡ってさまざまな昆虫たちが、鉢合わせすることも少なからず生じることとなる。

 さて、ハキリバチが営巣した竹筒を拾い上げて、何気なくその表面を眺めてみれば、ニホンホホビロコメツキモドキの産卵痕があった。すると、ニホンホホビロコメツキモドキはふ化できたとしても、ハキリバチによって排除されてしまったのだろうか?

 そこでともかく、竹筒を割って中を調べてみた。

 するとハキリバチの育児室は筒の半ばまで詰まっていた(写真上)が、その奥半分は空洞に近く、そこにはクロアナバチの営巣跡が残されていた(写真下)。
 藁屑を詰めたのはクロアナバチの母バチであり、幼虫が食べ残したシブイロカヤキリモドキの残骸もあった。しかし、クロアナバチの子どもは、ただ一つ繭があるだけ。それがハキリバチの育児室の最奥の部屋にぴたりと接している。クロアナバチのこどもがただの一匹しか残っていないというのはどうしたことだろうか?ハキリバチが掃き出してしまったのだろうか?

 少なくとも、ハキリバチよりかクロアナバチのほうが先客だったことは間違いなく、ニホンホホビロコメツキモドキと関わったすれば、それはクロアナバチの方だったのであろう。

 昨日、メダケについたニホンホホビロコメツキモドキの産卵痕を80個ほど調べてみてわかったのだが、産卵痕があっても、幼虫が育たず空っぽだったり、他の昆虫が居座っていたりするケースもたいへん多かった。幼虫、成虫が見出されたのは産卵痕がついていた節の数のうち、なんと約16%に過ぎなかった。

(EOS-5D  50ミリマクロ、100ミリマクロ)
 新開 孝

ニホンホホビロコメツキモドキの個体差 2007/11/01(その1)
 先日も紹介したように、ニホンホホビロコメツキモドキが育つ竹筒個室の大きさには大小があって、それがゆえに本種成虫の体長には個体差が大きい。

 今日は、これまでに竹筒から割り出した成虫のなかで、もっとも大きいメスともっとも小さいメスを並べて撮影してみた。

 まるで親子のようにも見えてしまうが、いづれも立派な成虫である。幼虫の姿は近日中に紹介したいと思う。

 昆虫の世界では、幼虫時代の生育条件によって、成虫の大きさにかなりのバラツキが生じることがよくある。

(EOS-5D  100ミリマクロ)新開 孝

ニホンホホビロコメツキモドキの生活史を追う 2007/10/31

 ニホンホホビロコメツキモドキは、メダケに産卵し、そしてふ化した幼虫はメダケの節という個室の中で成長する。節のなかで何を食べているのか、よくわからないが、節間の壁を食べている昆虫は多い。ニホンホホビロコメツキモドキ幼虫もそうなのかもしれない。だとすれば、だだっ広い居間に棲んでいることになり、都会の狭苦しいワンルームマンションなどの住人よりか、はるかにゴージャスな生活を過ごしていることになりはしないか?

 今日はうちの林の中で、メダケの立ち枯れをいくつか選んで(写真上)、それを根元から刈り取ってみた。さて、その立ち枯れメダケにニホンホホビロコメツキモドキの産卵痕がどれだけ見つかるだろうか?

 刈り取ったメダケ(9本程度だが)を仔細に調べてみると、ほとんどの株に産卵痕が認められた。さらに産卵痕のついていた節ごとに識別番号を書き込み(写真中)、それら全ての節の長さ、最大直径、産卵痕の位置などをデータとして記帳してみた(写真下)。

 この作業はじつに簡単そうに見えるが、午前8時に始めて、全部の作業を終えたのは午後4時過ぎのことだった。メダケを刈り、枝を打ち落とし、産卵痕を確認していくのであるが、産卵痕のついた節は全部で80個を越え、その一つ一つを計測しメモをとり、なおかつ必要に応じて撮影もしていると、けっこう疲れた。

 データ数値の解析はいづれやるとして、今日の作業の中でいろいろと面白いことがわかってきた。

 例えば、(写真中)のK-1〜K-11の番号がついた節は、同じ株のもの。アルファベットは同じ株であることを示し、番号は株の頂点側(高い方から)からふってある。このKの株では、根元から始まって11個の節で連続して産卵痕が見つかった。
 そして、もっとも細くて短いK-1やK-2で、ニホンホホビロコメツキモドキの幼虫が見つかり、とんでK-5そしてK-11でもそれぞれ幼虫が確認できた。

 どうやら、ニホンホホビロコメツキモドキの産卵場所というのは、メダケの節の長さや太さなどを厳密に選定しているのではなく、片っ端から産卵しているのではないか?そういう感触を得たような気がする。まだ、はっきりしたことを言える段階ではないが。

 今回のデータ収集の目的は、ニホンホホビロコメツキモドキのメス親が、産卵場所の選択をどのようにして決めているのだろうか?という疑問をひも解く手掛かりを得たいからであった。

 今年の夏に、ニホンホホビロコメツキモドキの産卵行動を直接観察できなかったことがたいへん悔やまれるが、いまさらそんことを言っても仕方が無い。今の時期で調べることのできる範囲でデータを収集し、あとは来年の直接観察をする際の役立てる解析結果を得ることが先決だろう。
 
 さらにさらに、もう一つ気になったことは、林の立ち枯れのメダケと、私が刈り取ってゴーヤの柵にしたりしたあと地面に積んでおいたメダケとでは、幼虫の成育期間に差が出ているようなのである。このことは、地熱の影響とか、他の競合する昆虫との関係とか、いろいろ複雑な事情が推測できて、なんとも悩ましい事態になってきた。もう少しサンプルを増やしたいところだ。

 ニホンホホビロコメツキモドキの生活史をこれまで、いったい誰が、いつ、どこできちんとなさっているのか?そこを調べるのも大事だが、まずは自分の目で観てみようではないか!こういう昆虫の生活史探求は、誰にでもやろうと思えばできることだ。情熱さえあれば!
 
 ということで、じつはニホンホホビロコメツキモドキと、ハキリバチ、クロアナバチとの三角関係のことも紹介する予定であったが、それは次の機会としたい。ファーブルさん、ごめんなさい。新開 孝

駒宮神社と照葉樹林 2007/10/30
 昨日から続けて、今日も日南市の海岸林に赴いた。

 片道約1時間の行程だが、途中峠を超えての山道の運転は少し疲れる。なぜなら商用車はみな速度制限を上回る(20キロ程度)速度で後ろから追い立ててくるからだ。まあ、これでは事故も減らんだろうなあ、と思える速度超過が当たり前のようになっている。それらの車をいちいちやり過ごすわけだ。のんびりドライブとはいかないので、それが疲れる原因の一つ。
  で、ともかくこうして日南市に通う目的はいづれ紹介するとしよう。

 さて、北郷町から先に進んで日南市の海岸へ出ようとすると、「駒宮神社」という案内板があちこちで目についた。
 地図で確認すると、神社のある小高い丘がそっくり広葉樹林マークとなっているではないか。で、実際、海岸沿いの国道220号線を走りながら見えるその丘は、まさしく照葉樹林に覆われた「鎮守の森」であった。森の島、とでも言えようか。周囲は田畠や集落であり、そのなかにポツンとある丘だ。

 丘のそばまで行ってみると、これがかなりスケールのでっかい照葉樹林の森なので、いろいろと期待を抱いてゆっくりと歩いてみたくなった。低い丘で、しかもそのほとんどの広い面積が照葉樹林という環境は極めて珍しい。
 どうやら脇道から森に入っていけるルートも見つけたのだが、今日のところはロケハンに留めておくことにして、「駒宮神社」の本殿から入ってみた。これは観光ルートに過ぎないが。

 するとこの神社の裏手には巨石の古墳があって、神殿は神武天皇の幼い頃のゆかりの場所だったらしい。神話の世界では巨石信仰は各地に多いが、ここの巨石もたしかに何か神秘的ではある。

 あまり意味もないような気がしたが、とりあえずは巨石の裏に回り込むようにして、丘の頂上まで歩いてみた。それはほぼ薮漕ぎに近い道のりだったが、ここの森の中にはほとんど誰も立ち入らないことも窺えた。林は倒木などで荒れており、人を寄せ付けないかのようである。海岸に近いせいだろうか、林内はかなり乾燥している。

 神社というものは、神殿そのもよりかその背後の「鎮守の森」こそ、神の宿る神聖な場であり、長い歴史の中で大事にされてきた。森こそが神として畏敬の念の対象となった。
 だからこそ、昆虫観察、自然観察のフィールドとして、「神社マーク」を地形図で探索せよ、とは名著『自然観察入門』の著者、故・日浦勇氏の言葉であった。

 日南市を後にしてから、北郷町の山中の道を迷走してみた。標高は低い山地だが、あちこちに照葉樹林の森が濃く残されており、行けども行けども果てしない。そして渓流はどこも綺麗で、そこかしこで留まっているとキリがないほどだ。

 道中、一本の大きなミミズバイ(ヒロハノミミズバイ)の木の花が満開で、そこには無数の虫たちが訪れていた。シジミチョウ類の姿が数種類、チラチラと舞っていたので、思わず6メートル竿を振り回してみたが、ルーミスシジミは見つからなかった。

 宮崎は、ある意味でほんとうに幸せな土地である。

 (写真/E-330 8ミリ魚眼)
 新開 孝

ベニイカリモンガ 2007/10/29
 ベニイカリモンガはシジミチョウのような姿をしていて、昼間活動する。
本種は四国、九州南部、そしてそれ以南の島嶼部に分布する。

 このベニイカリモンガを見るのは、屋久島で撮影して以来(12年前)だから、ほんとうに久しぶりの再会であった。

 撮影場所は、私が住む三股町の隣、北郷町にある猪八重渓谷(いのばえけいこく)。今日は日南市の海岸林に出向いていたが、帰り道にこの渓谷に立ち寄ってみた。

 ちなみに北郷町は、2年後には南郷町や日南市などと合併するそうだ。

 (写真中)は、猪八重渓谷の奥にある五重の滝へ向かう遊歩道。イチイガシも多い照葉樹林なので、ルーミスシジミもいるかと期待したが、ムラサキシジミを見たのみだった。

 イロハモミジの紅葉はまだまだ先のようだ(写真下)。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

新開 孝

秋のニホンホホビロコメツキモドキ(その2) 2007/10/29
 ニホンホホビロコメツキモドキ新成虫は、この時期メダケの筒内に潜んでいることを昨日、紹介した(その1)。

 メダケの節と節の間にできた空間、その密室内で幼虫が成長し、今は新成虫となって静かに休んでいる。彼らがメダケの密室から抜け出し外界で活動を開始するのは来春、4月ころと思われる。

 さて、昨日、筒内にはほんの申し訳程度のササ屑しか残されていなかったと書いたが、その屑を実体顕微鏡で詳しく調べてみると、繊維状の屑と明らかに糞と思われるものとが混じっていた。少ないけれど糞もちゃんとあった。

 さらにいくつかの筒部屋を開いてみて驚いたことがある。

 どの筒部屋にも必ず一つ、四角の溝穴が穿ってあるのだ。四角い溝穴はメダケの表面近くまで掘り進められており、この部分は非常に薄い壁となっている(写真上)。メダケの外側から強い光りをあててみれば、その四角い薄壁の様子がよくわかる(写真中)。

 糞と混じってあった繊維状のササ屑は、おそらくこの四角い溝穴を穿った際に出来た屑と思われる。

 古いメダケを拾ってみると、ときおり四角い穴があいたものが見つかる(写真下)。これは春頃にニホンホホビロコメツキモドキ新成虫が脱出した際の穴である。この成虫の脱出口の形については以前にどこかで読んで知ってはいた。

 しかし、まだ秋の段階で早々と脱出口の準備をしておくというのは、不思議な気がする。体力があるうちにシンドイ作業を9割方終わらせておいて、春の脱出時には楽々と外界デビューしようという魂胆であろうか。

 ニホンホホビロコメツキモドキ新成虫の入っているメダケ枯れ材は、太さもいろいろであり、さらに節と節の間隔も長短さまざま。つまり幼虫が成長する部屋の大きさにはかなりのバラツキがある。そのため、この幼虫部屋の大きさが餌の量やおそらく質にも関わるのであって、ニホンホホビロコメツキモドキ新成虫の体の大きさは、幼虫部屋の大小に左右されるようだ。

 (写真/EOS-5D 100ミリマクロ)
 
新開 孝

秋のニホンホホビロコメツキモドキ(その1) 2007/10/28
 じつに長い和名だが、本種の特異な姿、そしてその生活史を知れば、少しは名前も覚え易くなるだろうか。

 ニホンホホビロコメツキモドキのけったいな顔は、東京にいるころから是非見てみたいと思っていた。そして宮崎に引っ越して間もなく、本種を庭先で見つけたときは本当に嬉しかった。この『ある記』に初登場したのは4月24日のことだった。メスに限ってだが、顔が左右不相称なのである。虫歯で頬が腫れたわけではなく、生まれつきこういう顔なのである。「ホホビロ」という名前はそういう事情から来ているわけだ。ちなみに昆虫に虫歯はない、だろうと推測する。

 本種はメダケ(ササの一種)に産卵し、幼虫はメダケの節の中で育つ。つまりは「かぐや姫」なのである。昆虫界には他にも「かぐや姫」がいて、ハイイロヤハズカミキリなども、そう呼ばれる(少なくとも虫屋の世界限定だが)。

 メダケはわが家の雑木林で繁茂し、クヌギの樹勢を脅かしつつあるので、これはなんとか刈りとって制圧する必要があるのだが、しかし、メダケを餌や生活の場として利用する昆虫もけっこう多い。

 その代表みたいなのが、ニホンホホビロコメツキモドキという、奇虫なのである。

 さて、今日は畑のニガウリ(ゴーヤ)の柵を取り外す作業をした。この柵はメダケを組んだものだったが、それを片付けているうちに、メダケの節ごとに気になる小さなかじり痕を見つけた(写真上)。

 この「豚顔」のようなかじり痕は、メダケの伸長方向に対して直角の向きについており、一つの節に必ず一個しかついていない。で、このメダケをそっと割り砕いてみれば、中にニホンホホビロコメツキモドキの成虫が行儀よく潜んでいたのである(写真中)。

 メダケの節の空間は、それぞれが個室となっており、産卵痕のついた節には必ず一匹のホホビロコメツキモドキが入っていた。

 では、ホホビロコメツキモドキの幼虫がメダケの中で成長を遂げた証の糞でも一杯詰まっているかと期待したが、じつはそれが見当たらないのである。節の個室には若干のササ屑が詰まっている(写真下)だけで、意外と綺麗なのであった。

 この続きの観察は、明日に続けてアップします。

(写真/EOS-5D  100ミリマクロ)新開 孝

朝の満月 2007/10/27(その3)
 午前6時半頃、仕事部屋の窓から満月が見えた。

 霧島山のシルエットもしだいに浮き上がっていく。

 妙に生暖かい朝だ。


(写真上/EOS-5D  15ミリ水平魚眼)
(写真中/EOS-5D  400ミリレンズで撮影、トリミング)
(写真下/EOS-5D  シグマ50ミリマクロ)新開 孝

ヒロヘリアオイラガ幼虫 2007/10/27(その2)
 イラガ類の刺に触れて、痛い思いをした経験が私には無い。これはちとマズいかなとも思うが、だからと言って自分でその痛みを体験してみようという勇気もない。

 今日は庭のユズリハの葉を喰うヒロヘリアオイラガ幼虫を見つけた(写真上)。その体はどこを見ても痛そうな刺に満ちているが、色彩や体表面の構造は拡大して見ると、いかにも美しい。

 ヒロヘリアオイラガの頭は、厚い肉ひだに隠れており、その肉ひだの下に頭部を隠したまま、葉っぱを暴食する(写真中)。肉ひだには見せかけの眼状模様まである。

 ほんものの頭部は滅多に現さないが、脅かされて歩くときには、こうして頭部を丸出しにする(写真下)。

(写真/E-500   35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

新開 孝

ある昆虫の死 2007/10/27(その1)
 飼い犬の散歩は、平日の朝は嫁さん、夕方は私と、そういう習慣に落ち着いてきた。しかし、土日や祝祭日などの休日の朝には私が犬の散歩に出る。

 散歩コースは日替わりだが、今朝はうちの下に広がる谷戸を一巡するコースにしてみた。

 水田脇の用水路のコンクリート枡を覗き込んでみると、そこにシブイロカヤキリモドキの死骸があった。この枡では、春にある種の幼魚をメダカと勘違いして掬った場所でもある。その幼魚はわが家の水槽で少し成長して元気に泳いでいる。

 さて、最初に目に入ったシブイロカヤキリモドキの死骸は長い産卵管を有したメスであったが、その背面にはもう一匹のシブイロカヤキリモドキが並んでいることに気付いた。水面の反射で2匹目のほうは見えづらかったのだ。

 よく見れば、あとで気付いた個体はオスである。

 シブイロカヤキリモドキの雌雄が、それもくっつくようにして水面に漂う光景に、私はしばし犬を制してそこに留まったのであった。いったいこのシブイロカヤキリモドキたちに何があったのだろうか?

 じつは昨日、今日と立て続けに犬の散歩コースでアオダイショウの幼蛇の死骸を2匹見ている。それらの死骸のあった状況からいろいろ想像してみるに、どうも死因がよくわからないのであった。蛇と見ればすぐにも殺してしまう人も世の中には多いけれど、そういう気配を感じないのであった。不思議なのは2匹ともに外傷が全く見当たらないことだ。

 例えば猛禽類に襲われて、一旦は空中に持ち去られようとしたときに、なんらかのアクシデントがあって地上に落とされた、そんなことでもあったのだろうか?蛇の生態については、まったく無知に過ぎない。

 さて、シブイロカヤキリモドキの死骸に話を戻すと、彼らはもしかしたら交尾中に何らかの天敵に襲われたのかもしれない、とも想像できる。ところがそのときに思わぬアクシデントが生じて、一旦は獲物となってしまった彼らが水路に落下したとか、、、。それではアオダイショウと同じ想像の範疇になってしまうが、、、。

新開 孝

アシダカグモの髑髏(どくろ)マーク 2007/10/26(その2)
 アシダカグモはわが家にたくさん棲んでいて、その姿を見かけない日がないくらいだ。私としては、アシダカグモがクロゴキブリを捕らえたシーンを撮影したいと思っているが、なかなかチャンスが巡ってこない。

 さて、今日見かけたアシダカグモは、頭部背面に髑髏マークがあってちょっと驚いた。アシダカグモにこのような紋様があっただろうか?
 図鑑で調べてみると、オスにはこういう紋様があることがわかった。これまで出会ってきたアシダカグモはみんなメスだったようだ。メスには髑髏マークはない。

 アシダカグモは人の生活に馴染みのあるクモだが、こんな当たり前のことすら見落としていたようだ。それともオスに遭遇する機会が少ないという事情でもあるのだろうか?

 身近な生き物と言っても、こだわってみればいくらでも謎が次々と湧いて出てくる。

(写真/E-330  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)新開 孝
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