menu前ページTOPページ次ページspace.gif

タイワンツバメシジミ、ふたたび 2008/10/02(その3)
 いろいろ慌ただしい中、歩いて2分のシバハギ群落を見に行ってみた。

 そろそろタイワンツバメシジミの幼虫たちが成長している頃だ。シバハギの花はほとんど終わっており(写真上)、豆果が大きく目立ってきた。
 豆果を日光に透かしてみれば、中の種子がよく見える(写真中)。

 さらに豆果を丁寧に見ていくと、表面に小さな穴が開いたものがある。タイワンツバメシジミ幼虫の食痕だろう。これも日光に透かしてみると、小さな小さな幼虫のシルエットが浮かび上がる。幼虫は豆果をいくつか糸で綴り、その隙間に隠れていた(写真下/画面左が頭部)。
 
 豆果に穴を穿ち、そこへ頭部だけ突っ込んで食事している幼虫もいた。幼虫は3匹採集し、飼育してみることにした。蛹を撮影しておきたいからだ。

新開 孝

ショウキズイセン(鐘馗水仙) 2008/09/28(その1)
 宮崎に来てから、ヒガンバナの白花が多く目につく、ということは以前にも書いた。そしてどうやら、敢て白花の球根を植えたと思われる農家もあって、白いヒガンバナの帯が敷地を取り囲んでいる光景も珍しくない。

 さて、うちのヒガンバナはほとんどが赤花だが、白花も数株混じる。今年はその白花のすぐ隣に黄色いヒガンバナが花を咲かせた。黄色いヒガンバナをショウキズイセンと呼ぶらしいが、黄色花を見るのは初めてのこと。
 黄色花は赤花が咲き終わった頃に蕾みを開き、花びらも広くそして縁が波打っているのが特徴。ときおりモンキアゲハが吸蜜に来ていた。

 この夏にぼくがクヌギの根元を掘り下げたのであるが、そのとき掘り出した盛り土からショウキズイセンは顔を出している。昨年は土深くに眠っていたショウキズイセンの球根が、今年になって浅い場所へと掘り出され目覚めたのだろうか?


 
新開 孝

芋虫 2008/09/28(その2)
 ヒガンバナにやって来るナガサキアゲハは、どれも翅が擦れたり破れている個体が目立つ。その代わりと言うべきか、庭のキンカンの木には、ナガサキアゲハのでっぷりと太った終令幼虫が4匹もついており、若い幼虫もいくつか見つかる。大きな終令幼虫の体長は6センチを超え、芋虫を苦手とする方ならとてつもない悲鳴を上げるやも知れない。

 じつはそういうぼくも、中学1年生のある時期までは、アゲハの幼虫を不気味に感じていたことを告白しておこう。というか、アゲハ(ナミアゲハ)の幼虫の実物を見たのが、中学1年生の頃であり、それまでは図鑑の写真でしか知らなかった。
その初めて出会った不気味な芋虫に触ることもできず、そばに近寄ることさえ恐怖だったのである。

 ぼくは、小学4年生から高校1年の1学期まで、松山市の和泉町という街中から少しはずれた場所に住んでいた。そしてなんと、道一本隔てて高い高い塀が延々と続く、刑務所のすぐお隣だったのである。毎朝、塀の中から「起床〜!!」という大声が聞こえて一日が始まるのであった。
 塀の中には豚舎もあったらしく「ブフィ〜!!キウィ〜!」と鳴き声がしたり、「イッチニ、サンシ、ニイニイサンシ!」というかけ声と共に、駆け足の足音がザッザッザと響いて来ることもあった。「止まれ〜!右向け右〜!」なんてかけ声を聞いていると、塀の中では中学校や小学校と同じことやっているんだなあ、とぼんやり思っていたが、比較的刑の軽い服役者の方々は、ときおり塀の外での作業もしていた。そういう方々はだいたい一組7〜8名位の人数で、鍬を使って草刈りをしていた。付き添いの看守はいつも一人しかいなかったように思うが、鍬という武器を所持し、そして人数からしても、看守を叩きのめして逃走するくらいはわけないだろうに、どうしてそうしないのか、などと不思議に思っていた。

 その刑務所もぼくが中学3年生のときに移転が決まり取り壊され、のちに県立病院が新しく建設された。刑務所の取り壊し作業にはずいぶんと時間が掛かったのも、やはり分厚く頑丈で、長大な塀の取り壊し作業があったからだろうと思う。そして、じつは刑務所の取り壊しは、ぼくにとってはずいぶんと残念でならなかった。
 残念だった理由の一つとは、ぼくのアゲハ幼虫との最初の出会いが、その刑務所の塀沿いに植えられていたカラタチの植え込みだったからである。

 カラタチの植え込みは延々と塀の下に続き、その傍らをぼくは毎日、登下校していた。今思えば、そこはまさにアゲハの楽園のような場所であっただろう。しかしながら、アゲハ幼虫の存在に気付き、そしてこの芋虫に興味を抱いたのは中学1年生になってからで、それまでの約3年間の小学生時代にはまったく気付きもしなかったのであった。つまり、ぼくは少なくとも小学校に通っているころには、昆虫少年とは無縁だったのである。とくに5年生、6年生にかけては、ハヤカワSF文庫、創元SF文庫という世界に嵌っており、どちらかと言えば屋内こもりタイプなのであった。

 中学に上がってもSF文庫はそのまま引きづりながら、北杜夫の『どくとるマンボウ昆虫記』との出会い、そしてヘルマン・ヘッセの『少年の日の想い出』などをきっかけとして、急激に昆虫への興味を抱き始めたのであった。そして、夏休みの理科の宿題に、ぼくはアゲハの飼育観察を思いついたのであった。観察材料は家のそばにいくらでもいることを、そのときに初めて気付き、あらためて大きなアゲハの幼虫をまじまじと見つめてみた。
 そのときは、アゲハ幼虫が不気味で手で触れることも躊躇していたが、ともかく割り箸で芋虫を捕獲し、飼育してみたのである。成長の様子などをスケッチしていくうちに、ぼくはいつのまにか芋虫を手のひらに乗せることも平気になっていった。
 当時の心境の変化など、細かいところまでは思い出せないが、中学3年間のなかで、塀の傍に暮らしたことと、アゲハの幼虫たちを育んでいたカラタチの生け垣の光景などが強く重なって、今でも心の奥底に留まっている。

 刑務所が立ち退き、新しい病院の建設が進んでいるころ、ぼくの一家は、田舎へと引っ越した。高校1年生の2学期だった。田んぼに周囲を取り囲まれた、父親の実家近くの新居で新しい生活が始まったのであった。新居の横のミカン畑ではアゲハの幼虫が再び、ぼくの心を捉えた。

 33年前の記憶を辿りながら、ぼくは今、キンカンの前に立っている。

 キンカンは小さな木で、ここにナガサキアゲハの幼虫が何匹もつけば、たちまちぼくの頭のように丸坊主にされてしまいそうだ。しかし、そうはならない。幼虫たちは天敵や病気によって、適度に少しづつ数を減らしていく。いや、もしかしたらそのほとんどは成虫になることなく、命を落としているようだ。ほんとうに運のいいわずかな奴だけが、蛹の殻を破って飛び立っていけるようだ。

 気ぜわしく産卵していくナガサキアゲハの母蝶は、そのことをよく知っているのかもしれない。そそくさと産卵を済ませると、次の産卵場所へと力強く素早く移動していく。

 芋虫への恐怖感。それは一旦乗り越えてしまえば、いかに努力しようとも、もうその恐怖感、嫌悪感を思い起こすことができない。変な気分だが、ちょっとそのことが寂しかったりする。


新開 孝

2分で行ける、タイワンツバメシジミの発生地 2008/09/27
 今月14日に紹介したタイワンツバメシジミ。
その頃は、タイワンツバメシジミの発生ピーク真っ最中だった。発生場所はうちから車で5分程度。その場所の行政区はお隣町となり、わが三股町ではなかった。

 さて、5日ほど前のこと。犬の散歩コースの途中でシバハギの小さな群落を見つけた。農道に沿った崖に、約10メートルの細長い帯状にシバハギの株が点々とあり、驚いてしまった。これまでにも何度となくこの場所は歩いているからだ。うちを出て2分とかからない、まさに足下のような場所だ。

 もっともシバハギにこれまで気付かなかった理由ははっきりしている。その場所の崖は草やぶにびっしりと覆われており、地面に這うシバハギは死角となっていたからだ。ところが3週間程前に草刈り作業が行なわれた。そしてタイミング良く開花時期に通りかかったというわけだ。すぐさま花穂を見てみれば、白い小さなタイワンツバメシジミの卵も付いていた。

 そして、翅がもうボロボロになったタイワンツバメシジミのメス成虫2匹も確認できた。このわずか10メートル幅の狭いシバハギ群落に、まるで寄り添うようにして佇んでいたタイワンツバメシジミ。もう少し時間を遡れば、オスも飛び交っていたのだろうか?いやそれとも、どこか近くの発生地から、メスだけが流れて来て、孤島のような新天地にたまたま遭遇した、というのだろうか?

 いづれにせよ、タイワンツバメシジミという蝶は、シバハギに食草を限定しているがために、その分布範囲もきわめて制約されてしまう。シバハギというマメ科植物もまた、そうそうは見当たらない。しかしながら、三股町の中に限っても、まだぼくが知らないシバハギ群落地がどこかにはあるはずだ。

新開 孝

タテハモドキの秋型 2008/09/21(その1)
 この夏、タテハモドキはたいへん多かった。
 去年と比べても、その数は十数倍以上と思われる。秋の気配が濃くなるにつれ、夏型タテハモドキの翅もボロボロに破れた個体が目立つようになってきた。
 そろそろ、秋型が出るころだろうと思っていたら、今朝になって初めて秋型を2匹見つけた(写真上)。そして夕方には5匹見た(写真中)。

 一昨日、稲穂に止まる夏型の個体を撮影した。これが秋型であれば良かったのだが、そううまくはいかないものだ(写真下)。
新開 孝

何か変? 2008/09/21(その2)
 夕方、犬の散歩で谷津田の農道を歩いていた。

 午後5時過ぎころだが、日射しこそないものの辺りはまだまだ明るい。今日は正午ころに突発的に激しい風雨があったが、そのあとはときおり雨がぱらつく程度だった。

 さて、歩いているうちに、アスファルトの道路の真ん中にショウリョウバッタの姿を見つけた。すかさず飼い犬チョロが飛びかからないように、足でロープを踏んでおいた。
 なんとショウリョウバッタのメスは、アスファルトに腹端を突き立て、産卵しようとしていたのであった。産卵時刻としてもかなり早いほうだし、なんでこのような場所を選んだのだろう、と不思議に思えた。

 腹端部をよく見れば、アスファルトがわずかにえぐれて、そこに土がたまっている。土といってもほんのわずかな量だが。
 ショウリョウバッタの産卵場所は、固い地面が選ばれることが多いように思われる。そのことが今回のような誤産卵行動を誘発したのであろうか?よくはわからない。
 以前、トノサマバッタがアスファルトの割れ目で産卵しているのを撮影したことがある。そのときは、割れ目から明らかに土の層が見えていたので、おそらく産卵はうまくいったのかもしれない。

 アスファルトに産卵しようとしていたメスを、しばらく観察してからうちに持ち帰ることにした。産卵衝動が高まっているうちに、うちの庭に移してみればどうなるだろうか?新開 孝

台風13号が来た 2008/09/20(その1)
今回も、ここ一週間を振り返っての更新。


 ようやく台風が来た。あまり歓迎はできないが、台風が来ないと夏が終わらない。18日の午後からは雨脚も強くなってきて、小学校も時間を繰り上げて早々と下校になった。雨戸を閉め、倒れそうな植え込みを紐で固定したりと、強風に備えて庭をあちこち点検しておいた。
 夕方ころ一旦は雨もおさまり、天空が橙色に染まった。写真上は庭から西の方向にレンズを向けている。大きなシルエットの木はクヌギ。

 昨年のこと、このクヌギは、下の畑の農家の方から、切らせてもらうと宣言されていた。落ち葉や日陰が農作にとっては不都合だからという理由。農家の方が言うには、ぼくが引っ越してくる前の地主と、切る約束をしているとも言うことだった。約束はともかく、農作に弊害あり、となれば、ぼくもこれには従うしかあるまい、と覚悟していた。
 だが、このクヌギは真夏の厳しい日射しを遮り、台風の強風の前に立ちはだかる楯にもなってくれることが、この一年間住んでみてよくわかった。
 この大きなクヌギが風にもまれてユサユサと揺れている姿は、まるでわが家の守護神のごとく感じられる。その力強い姿、まさに御神木とも言えようクヌギ様を、根元から切るとは何事ぞ!と騒ぎ始めたのは嫁さんのほうだった。
 
 農家の方とお話をしたのはぼくの方で、ぼくは切り倒すことをあっさりと承諾してしまった。農作に弊害ありと言われれば、返す言葉がなかった。これは困ったことになった、と思っていたら、しばらくして、ある日。下の畑で作業している方が別の方に入れ替わった。畑の持主は農業従事者ではないので、これまで近所の農家の方に畑作りを委託していた。ところが、地主の方はどうやらクヌギを切りたがっていた農家の人とソリが合なくなった、ということだった。
 あらたに下の畑に通い始めた農家の方は、クヌギについては一言も触れない。黙々とサツマイモを植え、そして今年は里芋を植えた。農薬も使うので、そのときは前もって知らせてくれる。農作をすることで、いろいろ迷惑をかけるね、という気遣いが感じられる。その農家の方とは顔を合わせる度に立ち話をするなかで、ぼくは、敢てクヌギ様のことを話題にしたことはない。去年のサツマイモもそうだったが、今年も穫れたての里芋をどっさりといただいた。

 わが家には隣接する人家がない。
 お隣は西の畑とクリ林、そして東側に大工作業場。南側はうちの林が続き、その先は谷津田となる。谷津田からは、朝や夕べに散歩する人の会話が遠くからかすかに聞こえ、農耕機具のうなるエンジン音もかすむ。北側は道路とそれを挟んで梅林。滅多に人はやってこないが、大工作業場の持主は土建業の方で、ほとんど作業場は使われていない。梅林は春の収穫期にのみ持主の方がやってくるが、これも一年に一回きり。クリ林もときたま下刈りに来られるくらいで、まず人の姿を見ることがない。

 ま、都会や街中に生じるような近所間のトラブルなど、うちにはありようもないわけだ。清瀬にいた頃のマンションでは、毎朝のごとく「南無妙法蓮華経」を唱えながら木魚を叩く音が絶えなかったし、上階のベランダからは携帯のやりとりの大声が響いてきたものだ。ベランダで携帯通話、というその理由は、マンションの室内では電波状態がたいへん悪かったからで、電話が掛かってくる度に、ぼくもあわててベランダに飛び出していた。
 木魚のリズム音は、ぼくの耳にはけっこう暴力的な響きとなっていた。原稿を書いているときなど、気が散って仕方が無い。そのたびに信仰心とは何ぞや?などといろいろ考えながら、静かになるまでコーヒーでもすすったりして時間を過ごす。

 、、、、なんてこともあったなあ、などと今の境遇と一年数ヶ月前の境遇とのあまりの違いをあらためて感じながら、ぼくはお隣のクリ林のおばさんから、穫れたてのクリを先日いただき、それをゆがいて頬張るのであった。
 クリはいろいろ料理法もあるけれど、ゆがいてから、苦労して皮むきながら食べるのが、秋の味わい方としては一番ではないか、そう思ったりする。

 
新開 孝

台風一過とミヤマカラスアゲハ 2008/09/20(その2)
 18日の夕方から深夜にかけて、宮崎県の南部海上を台風13号は東へと抜けて行った。

 いろいろと台風に備えてみたものの、コスモスとヒガンバナが倒れてしまったくらいで、風もそれほど吹き荒れたようでもない。おかげで夜はどっぷりと熟睡できた。一番心配していた、3メートルもの背丈に育ったケナフは、脚立を柱にしてビニールひもでくくっておいたのだが、これも無事だった。

 19日の朝、縁側に出てみると台風一過の晴天。その青空のなかにくっきりと霧島山が浮き上がって見えた。空気がとても澄んでいるのだろう、霧島山の高千穂岳の山容が綺麗だった。
 
 さて、過去10年以上、ぼくは医者要らず、だった。
 病院にはよく行ったが、それはいつも子供を連れてのこと。つまり小児科。いや、ほんとに子供と病院にはよく行った。子供をもつご家庭はどこでもそうだろうけれど。
 しかし、19日の午前中、10数年ぶりにぼくは自らの診察を受けに病院へと赴いた。2ヶ月前に、町の健康診断をこれも10数年ぶりに受けて、その結果、というか予想通りに、重症高血圧との忠告を受けたからである。ま、それとアルコールの摂取量オーバー。これはこの夏からけっこう自重して、まずは晩酌を止めている。
 あれほど何処の焼酎が旨いのかんの、徹夜の撮影待機でもグラスから手を離せないなどと、まさに酒好きで通してきた自分だが、ちょっとアルコールに関してはおとなしくなりたい、と思った。
 もっとも、酒を断つ、というほど深刻に思い詰めているわけではない。おいしい料理に、酒は必須。週に2日ほどは飲酒を楽しむし、会食の場で酒を断ったりはしない。
 今年でぼくも50歳。降圧剤を服用するはめになって、この年令を実感するとは少し残念だ。しかし、高血圧を抱えたままでは、いつなんどき大病に至るやもしれない。
 そのような事情もあって、先月のこと、自ら自分の頭を丸刈りにした。丸刈りは生まれて初めてのこと。最初は丸刈りにするつもりはなかったが、スキカルで刈っていくうちに、気持ちが変わった。失敗という言い訳も成り立つが、ほんとうは気持ちの転換にしたかったのだろう。こっれほど明解な気分転換もあるまいなあ、と思った。

 昆虫写真家として、死に瀕するもっとも危険な事態というのは何だろう?

 それは国内だと、まず交通事故死を筆頭に、スズメバチに刺されてのショック死、マムシに首から上部を咬まれて心臓発作での死亡、あるいはマダニに刺されてのツツガムシ病、高い樹上、崖からの転落死、、、、くらいかな、と思っていた。野外のキノコはまず絶対食べないので、キノコ毒で死ぬことはない。海外ともなるとまったく予想もつかないが、当分、ぼくは海外には出ない。
 日々、そのような死に至る事態をときどき想像してみるほど気が弱いくせに、飲酒習慣についてはずいぶんと、ふてぶてしい態度だったように思う。
 自らの体内というもっとも近い場所に、死亡につながる危険因子が潜んでいたわけで、これは自分の努力で少しは何とかコントロールせねば。
 つらつらと、そのようなことを考えながら、台風一過でほとんどなぎ倒された庭のヒガンバナを眺めていると、フワリ、フワリと黒いアゲハが数匹やって来た。
 いつものモンキアゲハかナガサキか、あるいはカラスかな、と思っていると、目の前の花に来ている1匹は、ミヤマカラスアゲハだ(写真下)。しかも、翅はどこも擦れておらずピカピカに輝いている。

 わが家にミヤマカラスアゲハが飛来したのを見るのは、これが初めて。そう遠くない山に産地があるとはいえ、こうして飛来する頻度はきわめて低いと思う。できればうちの林のカラスザンショウに産卵してくれんかな。キハダはない。ないが、来てくれるなら、植えてもいい。

 「昆虫が私を幸せにしてくれます」、などと先日テレビのなかで格好つけて喋ったりしたが、高血圧症に悩むよりか、キハダの種子をどこで入手しようかと悩む時間のほうが今は優先するのであった。

新開 孝

親に似ず 2008/09/20(その3)
 

 家屋の南側にあたる庭の中央部は、刈り込みの回数を年に数回程度に抑えている。
 
 したがって、その中央部分は、他の草地とは植物の顔ぶれも違った、いわば離れ孤島となっている。その場所で先日、少し時間を割いてみた。腰をおろしてじっくり眺めていると、やがて普段はけっして気付きようもない、小さな虫たちの日常が営まれているのが見えてくる。

 そのなかでも、タデの花に見え隠れしていた、ハリカメムシの幼虫たち。おそらく、2令と3令の若い幼虫たちばかりだろう。それが、ほんとによく目を凝らしていないと、すぐに姿をフッと見失ってしまうほどに存在があやふやなのだ。体が小さいこともあるが、主にその理由は、体色が前後に分断されたツートンカラーであることによる、と思う。

 彼らの姿をしっかりと説明する写真を撮るには、背景とか光の具合とかを選ぶ必要がある。相手もじっとはしていないので、態勢が変わるたびに、こちらも寝転がったり、膝まづいたり、と苦しい姿勢転換を頻繁に行なう。まるでヨガの修行のよう、とか言えば聞こえは良いが、知らない人がたまたま通り掛かれば、気が狂ったか、としか思われないだろう。

 ハリカメムシの親は地味な褐色の小さなカメムシで、イネの害虫ともなり(斑点米)、農家にとっては憎き奴らだろうと思う。ま、イネの害虫ともなるが、普段はイネ科やタデ科の多くの草を餌としている。このカメムシの子らの姿は、まったく親には似ていない。どこをどうねじ曲げても、親の姿につながっていかない。
それが脱皮を繰り返すたびに変化していくが、最後の終令になってもまだ、親の姿を想像することは不可能に近い。

新開 孝

瑠璃色 2008/09/14
 昨日のタイワンツバメシジミの記事に追加しておこう。

 タイワンツバメシジミのオスの翅表は瑠璃色に輝く。その姿を撮影しようと思えば、午前中がいい。一昨日の朝はそういうわけで、近所のススキ原へと出直してみた。
 案の定、朝日が射し込むススキ原のあちこちで日光浴するタイワンツバメシジミの姿があった。写真のオス(写真上)はすでに鱗粉が少し落ちているが、オスでもまだ新鮮な個体が見られた。

 彼らが飛翔するのはススキ原の中の低い位置だが、その飛翔活動空域の中にカメラを置いて撮影してみた(写真中)。地面にカメラを置いてあるので、ススキの根際に生えるナンバンギセルをも見上げるような画角になる。タイワンツバメシジミたちは、おもにこのような空間を上下左右とジグザクに飛翔する。オスはメスや、吸蜜のための花を探し求め、メスは主に産卵のためのシバハギを求めて舞う。
 タイワンツバメシジミは地面ギリギリまで潜り込んでいくことも多く、静止するにもススキの葉が錯綜する場所を多く選ぶので、彼らの姿を撮影するのは意外と手こずる。使用するレンズは180〜200ミリクラスのマクロレンズがあれば容易に撮影できる。

 昨日も書いたように、ススキ原の背丈は全体に低い。ここでは定期的に草刈り作業が入るからだ(写真下)。もともとは照葉樹林だったところを切り開き、そこへサクラや様々な植栽樹を植えたのだろうと思う。したがってここの草原は、人為的介入の結果、維持されている。
 シバハギは関東以南の西日本に広く分布しているようだが、近年はかなり減少したと言われている。タイワンツバメシジミもその結果、あちこちで数を減らしているようだ。唯一、例外の地が屋久島のようだ。屋久島にはシバハギがたくさん生えているという。ぼくは9月のこの時期にも屋久島を訪れたことがあるが、シバハギには気付かなかった。

 近所のタイワンツバメシジミ生息地も、もしも人が草刈り管理などを放棄し、そのまま放置されてしまったらどうなるだろうか?
 
新開 孝

タイワンツバメシジミ 2008/09/13(その1)
 一週間ぶりに更新。
 
 さて、いろいろと紹介したいことがある中、今週はタイワンツバメシジミとショウリョウバッタモドキの2種に絞ってみた。まずは、タイワンツバメシジミから。

 タイワンツバメシジミは、本州では紀伊半島南端の一部のみ、四国では徳島、高知、愛媛の非常に限られた地域、そして九州では全県、さらに南西諸島の沖縄本島まで分布している。このように西日本のしかも南方地域に偏って生息していることから大方の人にとっては、たいへん馴染みのうすいチョウであろう。
 
 一方、同じツバメシジミ属のツバメシジミは、南西諸島をのぞくほぼ日本全土に分布している普通種。街中でもちょっとした緑地があれば、このツバメシジミの姿をよく見かける。ツバメシジミの食草は多種類のマメ科植物にわたり、人工的に植え付けられたシロツメクサなどのおかげで、たくましく分布勢力を広げる。
 ところが、タイワンツバメシジミの食草はマメ科植物のなかでもシバハギにのみに限定される。
 ぼくの郷里、愛媛県では、タイワンツバメシジミは南予、宇和島市の限られた場所でしか見つかっていなかった。今はどうなっているのか知らないが、たいへん希少種であることには変わりないだろう。高校生のころはずいぶんと気にかかっていたが、ぼくにとっては幻のチョウでしかなかった。

 さてさて、先日のことだ。うちの近所のフィールドへカバキコマチグモを探しに出掛けた。9月に入ってから室内でやるべき作業が増えたため、例え天気が良くても、野外に出る時間にはかなりの制約を受ける。だからその日も午後の2時間だけと決めていたのだが、肝心のカバキコマチグモの産室がまったく見つからなかった。
 カバキコマチグモの産室はススキの葉の先端部をちまき状に巻いているので、遠目でもよく目立つ。関東の武蔵野ではあちこちで見たけれど、かといってススキ原さえあればどこにでもいるわけではなく、意外と生息場所は限定されていた。
 宮崎に来てからカバキコマチグモをまだ一度も見ていない、というのはちょっと情けない、と思いつつススキ原を歩いていると、足下をヒラヒラと舞うシジミチョウがいた。翅表がブルーだ。うん?どこか飛び方が変だと思い、そのチョウを見ていると、ススキの合間を縫うように低い位置を飛翔する。
 しばらくして、ようやく葉っぱの上に静止してくれた。間近で見るその姿はツバメシジミによく似ているが、そうではなかった。ぼくとしては初めての出会いだったが、タイワンツバメシジミに違いないと確信できた(写真上/メス)。

 ススキ原をかきわけながら歩くと、それまで見かけなかったタイワンツバメシジミが次々と飛び立ち、一気ににぎやかになる。オス同士の追いかけ合いもあれば、ヒョンヒョンと足下を横切って行くもの、あるいはぼくの姿に驚いて一気に数メートル上の樹上へと舞い上がっていくものもあった。しかし、ほとんどの個体がススキ原の隙間を縫うように飛翔しており、なんでこんなせせこましい場所にこだわるのだろうか?と不思議に思えてきた。これはジャノメチョウの習性とよく似ているが、実際ここの草地にはジャノメチョウも少ないながら生息している。

 ススキ原を巡るうち、足下に目を惹く赤い花が咲いていた(写真中)。マメ科植物のこれまた初めてお目にかかる種類だ。しかもよく見れば、小さな白い卵が点々と付いている。これがもしかしたらシバハギではないか!そう感じながら佇んでいると、目の前にタイワンツバメシジミのメスがやって来て産卵を始めたのであった。

 高校生のころだから、もう30年も昔になる。その当時、なんとかシバハギを見てみたいと思っていた。チョウに夢中になればなるほど、チョウの食草や食樹のことにも興味が湧いてしかたがなかった。あれから30年かあ、、、、。

 先日、訪れたススキ原の草丈は全体に低い。高い場所でもぼくの腰あたりまでだ。けもの道の轍を辿って歩くと、シバハギがあちこちで見つかるが、シバハギはススキの下に這うように生えており、たいへん目立ちにくい(写真下)。なんとも窮屈そうに花を咲かせていると印象が強い。したがってシバハギがどの程度あるのか、多いのか少ないのか、よくはわからない。
 ただし、タイワンツバメシジミは狭い範囲にかなりの密度で見られるから、個体数もけっこうな数になるだろう。彼らがまるでススキのジャングル内をかいくぐるかのようにして舞う理由も、食草シバハギとの深い関わりを思えば、なるほどな、と感心するのであった。

 
 新開 孝

ショウリョウバッタモドキ 2008/09/13(その2)
 タイワンツバメシジミを数日前に初めて見たススキ原は、去年からすでに何度も訪れているもっとも近所のフィールドの一つ。ぼくの郷里、愛媛では幻のチョウだったタイワンツバメシジミが、ここ宮崎ではあっさりと出会えてしまった。ただし、彼らが現れるのは一年に一回の今頃だけのようだ。この旬の時期をはずすと、幻のチョウとなる、、、、。

 タイワンツバメシジミを撮影していると、パシ!パシ!とぼくの腰のあたりに次々と体当たりしては姿を隠してしまう者がいる。そいつらは、どれもこれもショウリョウバッタモドキだ。モドキと名前はついているが、ショウリョウバッタとはかなり異質のバッタで、動きがたいへん敏捷だ。そのショウリョウバッタモドキもやたらと数が多い。まるでタイワンツバメシジミと数を競い合っているかのようだ。
 彼らはぼくが睨みつけると、その視線をいち早く察知してか、クルリとススキの葉っぱの陰に身を隠す。そこで、ぼくの左手アシスタントの出番だ。辛抱強いアシスタントの誘導で、ショウリョウバッタモドキを右手に構えたカメラのレンズ前にご登場願う。
 左手アシスタントは忙しい。働き者だ。あるときは枝を押さえ、石ころをどかし、あるときはストロボを支え、あるときは逆光をさえぎり、、、、、、カメラマンのアシスタントとしては無償ながらよく頑張っている。したがってカメラは右手だけで保持することが多い。右手でカメラを握り、左手でレンズを支えるというスタイルは、意外と少ないのではないかと思う。右手は右手だけでカメラのスイッチ類の操作をこなせないと困る。だからワンプッシュ操作を歓迎する。ここのボタンを押したままで、こっちのボタンを押して、なんてのは使えない。
 結局、カメラシステムは軽くてバランスが良いものを選ぶこととなり、これから新登場してくるマイクロフォーサーズというのはどうだろうか、などと少し気になる。

 さて、ショウリョウバッタモドキの背中側はやけに派手な色をしている。
二色に塗り分けられた体は、分断色の効果で虫体の輪郭が分断され、虫体と認識しずらくなる。あるいは、ススキの葉や茎には緑色だけでなく赤く色付いた部分も多いから、そういう場所へと納まれば、すっかり姿を溶け込ませることもできるわけだ。ただし、ショウリョウバッタモドキの中には体全体が緑色タイプもいる。

 ショウリョウバッタモドキはうちの敷地のすぐ傍らの草地にも多く生息しているが、うちの敷地内に迷い込んでくることはこれまで一度も無い。あちこちにいるようで、いない。生息場所はかなり偏っている。ススキの草丈や土壌の様子など、いろんな条件に神経質なのだろうか。
 その一方、ショウリョウバッタはうちの敷地内にやたらと多い。6月の頃には、辺りの地面でふ化幼虫集団のさざ波ができるほど。そして今はちょうど産卵期だ。あまり気温が低いと見かけないが、窓を閉め切っていると寝苦しいような夜なら、地面にお尻を刺して産卵するメスを見つけることができる。
 しかし、ショウリョウバッタモドキはおそらく草深い環境で産卵するのであろうから、その産卵シーンを観察するのはショウリョウバッタに比べて難しいのではないかと想像している。


新開 孝

白いヒガンバナ 2008/09/13(その3)
 昨年の秋から冬にかけて、うちの林の下刈りを行なったことは、何度も書いたと思う。敷地の南斜面はクヌギ林だが、その林床にはササ類がびっしりと繁茂していた。ササの密生した中は昼間でも薄暗く、人が一歩足りとも踏み込む隙間さえなかった。

 この密生林にノコギリ一本で立ち向かい、今ではかなりの面積が風通しの良い開放空間となっている。さすがに今年の5月から6月にかけては、次々とササの子が
生え出し、その勢いには圧倒された。2、3日で人の背丈を凌ぐほど伸びるササの逆襲にはすさまじいものがあった。しかし、ここでくじけては数ヶ月にも及ぶササ刈りの努力も無駄になる。汗びっしょりになりながら、草刈り機を使って定期的にササを払ってきた。その効果はあったようだ。

 初夏を過ぎるころにはササの逆襲はとりあえず休止状態となった。そしてササが無くなったあとに、様々な植物が林床に現れ始めた。草本類については細かく見ていないが、ヤマノイモなど蔓植物が行き場を失ったかのように林床を這いずり回っているのがやけに目につく。うっかりすると電気配線のごとく複雑に迷走する蔓に足をとられそうになるほどだ。
 木本類の実生は、アカメガシワ、カラスザンショウ、メダラの3種が特に際立っている。これらの木本類は成長がとても速い。クヌギ、コナラの実生もよく見るとかなりあるが、草の陰に隠れて見つけにくい。

 これからどのような植物たちが登場し、また衰退していくのか、その推移を眺めるのもまた楽しみである。

 そんなうちの林に、今月に入ってからヒガンバナが突如として現れた。いったいこれまでの薄暗い閉ざされたササ薮のなかで、どうやって過ごしていたのだろうか?地下の球根のまま眠っていたのだろうか?

 しかも、そのすべてが白花である。
武蔵野ではヒガンバナの白花はかなり珍しかった。あっても白花が群れている光景をぼくは見た事が無い。ところが、三股町のあちこちではヒガンバナの白花群をよく見る。熊本や鹿児島でも白花はよく見ているから、白花の出現率が九州では高いのかもしれない。新開 孝

8月6日の記事について種名の訂正を、、、 2008/08/31
 昨日、『昆虫ある記』のバックナンバーをチェックしてみたところ、8月6日の「トリノフンダマシ」という種名の誤りに気付きました。 脱皮直後のクモは、正しくは「オオトリノフンダマシ」であり、ここに訂正します。

 ちなみに写真上が、トリノフンダマシのメス、写真中は同トリノフンダマシの卵のう。
 
 そして写真下は、オオトリノフンダマシのメスとその卵のう。

 両種の卵のうはそれぞれ球形型と紡錘型という違いがあり、卵のうを見ただけで種名がわかる。また、写真のごとく両種メスの形態もはっきりと違いがあって、普通は見誤ることもないだろう。

(写真全て/E520  35ミリマクロ+1.4倍テレコン/内蔵ストロボ)


 ※ NEW『新開孝の昆虫写真工房』HPのオープンはまだしばらく先のことですが、週に一度程度、なんらかの記事を載せるようにします。
 そのなかでオープン予定日のお知らせなどもできるかと思いますので、週に一回程度、当「昆虫ある記」をチェックしていただければ幸いです。

 バックナンバーを自分でチェックしてみると、誤りや思い違いなどがすぐに見つかります。こんなことではいかんなあ、と冷や汗かきながら、気付いたところはどんどん訂正していきます。新開 孝
menu前ページTOPページ次ページspace.gif
Topics Board
ホーム | 最新情報 | 昆虫ある記 | ギャラリー | リンク | 著作紹介 | プロフィール