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写真展 清瀬の昆虫たち、明日から開催 2007/03/09
 昨日から行なってきた写真展の準備が今日の夕方、完了できた。
写真のパネル入れや、キャプションプレートの設置、等々、会場の設営は、清瀬自然を守る会の会員の方々や、博物館のスタッフの方達の尽力によるもので、たいへんお世話になった。

 展示写真点数は、約150点となり、それでも余った写真は休憩室および販売コーナーに展示した。
 私が今回一挙にプリントアウトした点数は、実際には200点近くになり、その作業時間はかなりのものであった。少し疲れた。
 しかし疲れたけれども、明日から会場に来て下さった方達が少しでも楽しんでいただければ、と思う。

 (E-330  7−14 ズイコーデジタルズーム)

新開 孝

ゴマダラチョウ幼虫、彷徨う 2007/03/06
 車のなかでは思わず冷房を入れたくなった。それほど暖かい一日だった。

 すると、昨日に見つけたゴマラチョウの幼虫が気に掛かる。今日もあちこち飛び回るうちに、時間はあっという間に経ってしまったが、ゴマダラチョウの幼虫だけは寸暇の間、観察ができた。

 午前中の日射しを受けて、幼虫は小木のエノキをあちこち彷徨っていた。どうやら餌を求めていたように感じる。ほころびかけた若芽さえあればいいのだ。しかし、エノキの芽にはまだ春の兆しが見えない。硬い冬芽のままである。これではさすがに餌としてかじることもできないのではないか。さて、一体どうする?

 昼過ぎ、夕方とさらに覗いてみれば、いくら丁寧に探しても幼虫の姿がない。幼虫のいたエノキは樹高2メートルにも満たない小木であり、一番近い隣りのエノキまでは2メートルくらい離れている。しかし、周辺の木を探してもやはり見つからない。

 幼虫がいなくなった理由を考えてみれば、一つには鳥などの天敵に喰われたか、あるいは地上の落ち葉に再び戻ったか、などという狭い考えにとらわれてしまう。なぜ一度はこしらえた枝又の台座に戻っていないのか? 
 幼虫がいなくなった理由をさらに想像してみたが、結局わからない。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

『 写真展のご案内 』

 今月の10日から18日まで、清瀬市郷土博物館で開催される写真展について、私が会場にいる日時予定をお知らせ致します。

 10、11日、そして17、18日は終日、会場にいます。
 14、15、16日は午後から会場にいます。13日は午前中と、午後3時以降にいます。 12日は博物館が休館です。

 ご来場の際の参考にしていただければ、幸いです。
新開 孝

ゴマダラチョウ越冬幼虫、登る! 2007/03/05

 朝から南風が強い。こういう日は砂埃がたいへんで、外を歩く気がしない。しかし、今日は銀行や郵便局などへの用事があって、外回りをせざるを得なかった。

 駐車場からうちに戻る途中で、エノキを見てみた。ずいぶんと暖かい風が吹き荒れているなか、一匹のゴマダラチョウ幼虫が梢を歩いていた。慌ててカメラを取り戻ってみれば、すでに幼虫は枝又に落ち着いていた(写真/E-500 35ミリマクロ+1.4倍テレコン)。


 『OLYMPUSの新型デジタル一眼レフカメラ』

 OLYMPUSから、4月下旬にE-410が、7月にはE-510が発売される。

 フォーサーズの特徴をフルに活かした、小型で、軽量のカメラだ。しかも液晶モニターはライブビューである。ダストリダクション機能もさらにパワーアップしているようだ。
 また、肝心の受像素子だが、新開発の低ノイズ・省電力の1000万画素LiveMOSセンサーとなり、画質向上も大いに期待できる。E-510には内蔵ブレ防止機能も備わっている。
 
  ところで私は、宮崎移転のためにたいへんな出費が重なり、現状ではこうした新機種を購入する余裕などない。私としては、やはりE-1の後継機に期待したいところだ。それは無理をしてでも導入したいと考えている。
 

新開 孝

写真展のご案内 2007/03/02
 今月の10日から18日まで、清瀬市郷土博物館で開催される写真展について、私が会場にいる日時予定をお知らせ致します。

 10、11日、そして17、18日は終日、会場にいます。
 14、15、16日は午後から会場にいます。13日は午前中と、午後3時以降にいます。 12日は博物館が休館です。

 ご来場の際の参考にしていただければ、幸いです。

 さて、引っ越しまであと一ヶ月もなく、さすがに慌ただしくなってきました。
当「昆虫ある記」の更新もいずれ、長い休止状態に入るものと予想されます。更新の継続は、上記、写真展開催中いっぱいが限界であろうと思います。

 「武蔵野編の終焉にあたり」シリーズも、飛び飛びになってしまい、読みづらいことと思いますが、最終回も含めて一挙にまとめてアップできればと思っています。

(写真/E-330  7-14ズイコーデジタルズーム/中里の雑木林にて)新開 孝

エノキの朽ち木と甲虫 2007/02/26(その1)

 エノキの立ち枯れ木を訪れたのは、テントウムシ越冬集団を見ておこうと思ったからだが、そこでは他の昆虫たちに出会うことができた。

 剥がれかかった樹皮をそっとめくってみれば、次々と現れるのが甲虫の幼虫であった。その一種はゴミムシダマシ科の幼虫のようで、クヌギの枯れ木でもたくさん見つかった(写真上)。
 ゴミムシダマシ類の幼虫がどういう成虫になるのか楽しみなので、飼育してみることにしてみた。

 立ち枯れのエノキを眺めていると、タマムシの死骸も見つかった(写真下)。おそらくエノキの朽ち木内には、タマムシの幼虫が多数、潜入していることだろう。今日、見つけたこのタマムシの死骸は、枯木に産卵をするために訪れたメスであったのではないか、そう想像してみた。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその9』

 ちょうど一年前の今日、私は初めて宮崎を訪れた。かつて高校生のときに憧れたフィールド、宮崎にやっと行けたのである。空港を降り立った第一印象は、やはり暖かい地であった。ほんのりと全身が濃い湿度に包まれ、その感触が嬉しかった。

 それからあっと言う間に一年が過ぎて今日となった。最初は難航すると思われた移転計画もすんなりと進行して、とうとう転居の日までも残すところちょうど一ヶ月となった。転居日は3月26日である。今では宮崎弁のかなり聴き取りにくかった会話の不動産屋さんが懐かしい。最初から最後までずっとお世話になったが、いい人に巡り会えたと思う。

 私は放浪するという性格には縁遠いのかもしれないが、ときにぽ〜んとどこか遠くに飛んで行きたくなる。それはいつも暮らしている環境とは全く異なる自然環境にどっぷりつかりたいと思うからで、そういうときは、見知らぬ土地を徹底して眺めたいという気合いも伴うのであり、できれば数日位ではやりきれない。だからか、例えば海外に赴くなら、2ヶ月以上の滞在を前提にしたくなり、それは現状の生活では実現不可能なのである。

 
 

新開 孝

テントウムシの越冬集団 2007/02/26
 去年の冬、テントウムシ(ナミテントウ)の越冬集団を撮影した立ち枯れのエノキを再び訪れてみた(写真上)。
 
 大きなエノキが3本あって、いずれも完全に枯死している。前々から不思議に思っていたのだが、農家の方に聞いた話では、畑のほうに伸びてきた根っこを切ったら枯れてしまったということだ。
 さてエノキを見ると、手の届く範囲でめくることができる樹皮はもうあまり残っていないか、あっても隙間の空間が狭く、テントウムシが潜り込むことができない。

 エノキの高い場所だと樹皮が浮き上がったところがけっこうある。間違いなくそこにはテントウムシの集団が潜り込んでいるはずだと思えた。
 そこで長い棒を使って一箇所だけなんとか樹皮をはがしてみた。するとカメノコテントウ2匹が混じったテントウムシの集団が現れた。テントウムシの数はおよそ30匹ほどだろうか(写真中)。

 撮影しようとなんとか木に登ってみたが、集団の位置に片手を伸ばしてカメラを構えるのがやっとであった。そうこうしてもたついているうちに、テントウムシたちの大半は日射しを嫌って樹皮の隙間の奥へと移動してしまった(写真下)。

 高さは3メートルほどだから、ハイルーフの車でキャリアを載せていれば、そこに登っての撮影ができるだろうと思う。ちょうど道路脇なので、エノキの根元まで車を寄せることができる。
 昔の私の車はワゴン車で、そのハイルーフに登ってよく撮影したものだ。ボコボコとルーフがひしゃげる音がしていたが、上手に体重を移動させれば、へこんだ部分はすぐ元に戻っていた。
 しかし、こうした高所での撮影は、必ずしも車が寄せられる条件にあるとは限らない。理想的にはロープを使った木登り技術をマスターするのが良いのだろう。写真家の横塚眞己人さんは、そういう木登りのプロで、熱帯ジャングルの高木に登っての撮影をなさっている。私もいつか木登り技術のレクチャーを受けたいとも思うが、それには筋力トレーニングも必須であるから、すぐにとはいかない。
 横塚さんと握手すると、がっしりとした力強い腕力が印象的だ。筋トレも必要だが、その前に減量せねば、、、、、、。

 ま、梯子も軽いのを用意すればいいかもしれないが、3メートルほどの高さであっても、そこで自由にカメラを構えるというのは、案外厄介なことである。


(写真/E-330  14-54ミリズーム)新開 孝

『日本産カミキリムシ』東海大学出版会 2007/02/23
 今朝、『日本産カミキリムシ』(東海大学出版会)という図鑑が届いた。

 本書では日本のカミキリムシ全946(亜種を含む)種を網羅しており、ほぼ全種が標本写真で掲載されている。また図解検索によって種の同定も容易にできる。
 カミキリムシの生態、形態や、研究方法、採集方法、標本作製法、撮影法など、総合的な解説も豊富に盛り込まれている。
 3月末までの書店価格は32,130円(税込み)だが、それ以降は35,700円(税込み)となるようだ。

 私がこの図鑑の標本写真を撮影したのは、2000年暮れから2001年にかけての冬であった。なので待ちに待った図鑑がようやく完成して嬉しい。
 6年前はデジタルカメラを使い始めたころで、デジタル写真よりかフィルム撮影のほうがまだ多かった。デジタル写真に対する私の期待は高まりつつあったが、信頼度はまだ低く、仕事で本格的に使うのは躊躇していたころだったから、カミキリムシ標本撮影の仕事は迷わずフィルム撮影で行なった。
 PENTAX645のブローニー判を主に使い、体長5ミリ以下の微小種についてはCanonの65ミリマクロとEOS-1(35ミリ判)を使った。
 今日、初めて印刷の上がりを見て、一点一点の写真製版サイズが思ったよりか小さいのが、少し残念だった。頁数の制約のなかで多くの種類数を納めるためには仕方が無いと思うが、原版はブローニーだからもっと拡大サイズでも綺麗な仕上がりにできる。

 昆虫の中でもカミキリムシはとりわけ人気が高く、カミキリ屋と呼ばれる虫屋さんは全国に多い。私の知り合いにもカミキリ屋、あるいは元カミキリ屋という方が数多くいらっしゃる。『日本産カミキリムシ』が出たことで、また新たなカミキリ初心者がこれから増えるきっかけになるだろう。

 写真下は、昨日、所沢の雑木林で採集したカミキリムシの幼虫。この幼虫はコナラの立ち枯れの根っこから割り出した。
 さっそく旧版の『日本産カミキリムシ検索図説』(1992)で調べてみると、ノコギリカミキリ?ではないかと思われた。
 旧版では成虫の標本写真は載っていないが、幼虫の図解検索や幼虫の部分図、そして蛹の図解検索、蛹全形図の頁があって、これは重宝する。新版『日本産カミキリムシ』にある幼虫検索図では亜科のグループまでしか図解がない。
 幼虫も成虫も一緒に図鑑に載せるというのは理想的だが、頁数の制約から無理がある。幼虫期だけの図説を別冊で刊行できればいいだろう。

(写真上/E-330 14-54ミリズーム)
(写真下/EOSキッスデジタル シグマ50ミリマクロ)
  
『お知らせのお知らせ』

 3月10日から、清瀬市郷土博物館で開催される私の写真展についてですが、
12日(月曜日)は博物館が休館日ですから写真展もお休みとなります。来場を予定されている方は、この休館日にご注意下さい。

 また開催最終日(18日)に行なう講演の開演時刻は、午後2時です。

 新開 孝

ヤママユ繭殻とカシアシナガゾウムシ 2007/02/22
所沢市、下新井の雑木林と、三芳町、多福寺の雑木林を歩いてみた。

下新井の林のなかにポツンと生えたシュロの葉裏で、ヤママユの繭殻を見つけた(写真上)。
どうやら近くのコナラで育った幼虫がここまで移動してきて営繭したのだろう。シュロのような
葉っぱでは、繭作りに先立って舟形に加工するのは難しかったようだ。

多福寺のコナラの小木では、「ダッコちゃん」のごとくしがみついたカシアシナガゾウムシの
姿があった(写真2)。

今日は歩き回るうちに汗ばむほどであった。

(写真上・E-330 魚眼8ミリ)
(写真下・E-500 35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
新開 孝

昆虫写真家 2007/02/18
 昨夜は、海野和男さん、藤丸篤夫さん、湊和雄さんたちと都内で飲んだ。
私が来月には宮崎に移転するということで、ちょうど沖縄から東京へ来ていた湊さんの計らいで壮行会を催してくれたのである。

 たいへん有り難いことであり、なおかつこうして数少ない昆虫写真家が集まり顔を会わせる機会というのも滅多に無い貴重なひとときであった。

(EOSキッスデジタルN EF15ミリ魚眼)

 『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその8』


 高校生のころの私はカメラと無縁であったので、自然観察の記録を残すにはスケッチをするしかなかった(写真中のスケッチは神社のナツフジで見つけたコミスジ幼虫)。
 しかし、日々の発見はあまりにも数多く、いちいちスケッチで描くのはもどかしかった。やはりカメラがどうしても欲しかったのである。
 
 ところで当時は(30年前頃)、今のようにインターネットで気軽に様々な情報を入手できるわけでもなく、またチョウに詳しい方が身近にいたわけでもなく、ローカルなフィールド情報などがなかなか手に入りにくかった。
 それでどうしたかというと、無料で入館できる県立博物館をよく利用した。展示されている標本箱を覗き込み、標本に付いているラベルのデータを一生懸命に読むのである。黄ばんだ古いデータのラベルの場合は、すでにその産地の環境が激変してしまいあまり参考にはならなかったが、新しい年月のラベルが付いているのを発見すると、興奮しながらメモをとるのであった。メモの数が多くなってくると、今度の日曜日にはさっそくそのデータにあった産地へ行ってみよう、と算段を練るわけである。
 また、高校1年の冬の修学旅行では伊豆、東京都内、日光などを巡ったのであるが、私の一番のお目当ては、神田の書店街に行く事であった。
 たしか書泉グランデだったと思うが、『新しい昆虫採集案内U、西日本採集地案内編』内田老鶴圃新社(ろうかくほ)1971年刊を見つけ、さっそく購入した。
 本書を読めば、どこそこへどういう時期に行けば、どういうチョウや昆虫を採集できるか、見えるか、という情報を手に入れることができた。

 (採集地案内などというと、自然保護団体や生きもの愛護団体などから猛烈な攻撃を受けそうであるが、昆虫は、採集してくわしく調べるという段階無くしては、何も見えて来ない。その行為は学者だけの力では到底及ばず、昆虫学が成り立つためには全国にいるアマチュアの標本収集の成果も欠かせない。また知の楽しみには、採集を通して昆虫に触れ、体のすみずみまで理解するという作業も含まれる。昆虫は小さいので、標本にせずとも手に取ってみなければ、種名の確認もできないし、体のつくりも理解できない。網を振ることを神経質にやたらと取り締まるのも考えものだ。写真に撮って、あとから名前調べをしようというのも、まったく無駄ではないが、昆虫の種類は多過ぎて、正確な同定が不可能なことがほとんどである)

 さて、『新しい昆虫採集案内U、西日本採集地案内編』を開くと大扉には、日光浴するオオルリシジミ♂のカラー写真が載っている。撮影者は海野和男さんで、撮影データは信濃追分、1971年6月13日とある。
 チョウの生態写真をこんな風に自分も撮ってみたい、と当時はずいぶん羨ましく思ったものだ。ところが『新しい昆虫採集案内U、西日本採集地案内編』の巻頭には34頁を割いて、ちゃんと昆虫写真入門の記事が載せられており(岸田功氏著)、修学旅行のバスの移動時や、帰りのフェリー(徳島行き)のなかで、貪るように読み耽ったのは言うまでもない。
 まだカメラを持ってはいなかったが、いづれ購入できたときには、いつでも迷う事無くカメラを操作できるようにと、撮影法については何度も何度も頭に叩き込んだ。
 また、『新しい昆虫採集案内U、西日本採集地案内編』の各頁には、赤線があちこちに引かれており、当時はたいへん興奮しながら、勉強そっちのけで毎日読み耽っていたことが想い出される。
 今朝、久しぶりに本書を開いてみれば、「宮崎周辺」という頁にはことさら熱心に赤線が引かれてあることに気付いた。
 結局、私は学生時代のあいだに宮崎を訪れることは一度もなかったのであるが、採集地案内の文章や地図を繰り返し読み、眺めては、宮崎を訪れる日に焦がれていたようだ。
 (高校時代、そして大学を通じて、私は遠征することはほとんどなく、もっぱら自転車で行ける範囲、あるいはバスで日帰りできる「皿ヶ嶺」(実家のすぐ南にお皿を伏せたような山容が見える。ベニモンカラスシジミが初めて発見されて一躍有名にもなった、標高1270メートルの山)などのフィールドを巡る日々を過ごしていた。)
 なんとそれから30年も経った今、ようやく宮崎の地を訪れ、そしてあれよあれよと言う間に、移住を決意した。
 どうやら宮崎指向は高校生のころからすでに芽生えており、それがいつの間にか忘れ去っては、ふと想い出し、ということを繰り返してきたように思う。

 愛媛大学の昆虫学教室に入り、4年間の学生生活を過ごすうちに、とりわけ足田輝一さんの著書や写真などから影響を受け、武蔵野の雑木林や自然に憧れるようになった。
 大学を卒業後も就職先は決まらず、半年ほどは県立博物館などでバイトをしていたころ、ふとしたきっかけで、私は急遽、東京の出版社「学研」の学研映画という部署で演出助手という仕事につくことになった。そのことが私の人生で一つの大きな転機になったのは言うまでもない。


新開 孝

昆虫写真のプリントアウト作業 2007/02/13
 来月、3月10日から開催される写真展『清瀬の昆虫たち』のプリントアウト作業が、本日でほぼ完了できた。

 A1サイズの大型プリント数点は別途、発注することになるが、展示全般を占めるA3サイズのプリントは全て自分で出力した。チラシ広告でのプリント枚数記載は120枚となっているが、作業を進めているうちにかなり枚数がオーバーしてしまった。全部の写真を使えば、一冊の写真本ができる。

 私の昆虫写真では、やはり組み写真で見ていただきたい場面が多い。するとどうしても写真点数が増えてしまう。作品性の高い写真を並べて鑑賞していただく、というより、とくに今回は昆虫世界の面白さを少しでも味わって欲しいと思っている。
 各写真に添えるキャプションはこれからの作業となる。昆虫写真を読むという意味では、キャプションが無いとどうしようもない。しかし、あまり長い文章だと写真展では誰も読んでくれないので、短くまとめる必要がある。



『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその7』

 私が高校生だったころには、まだカメラを手にした事もなく、もっぱらカメラのカタログを眺める日々を過ごしていた。欲しいとは願っていたが、カメラというのは金持ちの道楽だと思っていた。
 高2になると、進学のことで学校側はやたらとうるさくなってきた。国立大学や有名私立大学に自分の高校から何人を送り込めるか、その算段で先生方の頭の中は一杯のようであった。しかし、私の頭のなかは、チョウや自然のことで一杯になっていた。学校に行くのがいかにも苦痛となり、そのせいか毎朝、遅刻するのは当たり前になってしまった。それでも唯一、興味を持てた授業は生物の時間と現国だった。化学、物理、数学は最悪で、それぞれの担当の先生も大嫌いになった。
 ある日、試験の成績が悪かったせいで、化学の先生から呼び出された。その場でいくつか簡単な化学の問題を口頭で出題され、やはり見事に答えられなかったら、「お前の様なヤツは、うちの学校には必要ない!」と言われてしまった。日頃から毛嫌いしていた先生からそう罵られて、むこうも私を嫌っているなら、ちょうどいいや、そう思えて、むしろ晴れやかな気分になれたのを覚えている。授業では化学の面白さよりか、とにかく受験のために覚えろ!という教え方に私は反撥し、ますます化学嫌いになっていった。今でも化学は嫌いである。

 だがしかし、それでも私が登校拒否にまで至らなかったのは、高1、2と続けて担任だった英語の先生の存在が大きかった。
 このT先生は、授業に入る前に必ず前座のお話の時間を設け、それがけっこう長いのでうれしかった。お話の内容とは、ほとんどが先生自身の趣味の披露であった。毎回、楽しそうに語っておられた。
 多趣味な先生だったが、学生時代には生物学を専攻し、そのころ昆虫採集をした経験談を話してくれたこともあった。また先生はカメラにも凝っていて、写真クラブの作品には昆虫を対象にしたものもあった。現実のなかでは遠い存在に感じていた先生だが、いかにもつまらない授業の数々のなかで、この先生のお話を聞けるのは、大きな救いにもなっていたのである。

 高2のある日、T先生がクラスの全員一人一人に、将来の進学や就職の希望を語らせたことがある。とにかく授業は二の次であった。語るのが好きな先生だった。だから生徒にも語らせた。
 同級生のなかでも女子数人のあまりにもしっかりと将来を見据えた発言には、驚いたものだが、やがて私の番がやってきた。
 自分の将来に進むべき道については漠然としていて、何も具体的な希望がまとまらないでいた私だが、それでも勇気を出してこう発言した。
 「あ、あのう、ぼくは、そのう、何か土に接するような仕事でもできればいいかなあと思います。自然とか虫とか好きなんで。それで大学は農学部なんかが良いかなあ、、、と」

 次の瞬間、なぜかクラス中が大爆笑となっていた。「新開は、なんぞお!百姓になりたいんかあ!!アハハハハ!」という揶揄まであって、私は顔を真っ赤にして席に着きながら、自分の発言について後悔したのを覚えている。
 同級生に対して、私が勝手に決別の念を抱いたのはそのときであった。というか、普段から回りの同級生に対しては距離感を感じていたのであるが、その出来事は決定的となったのである。なんといっても、そのころほのかに好感を抱いていた女の子さえも、その笑いの渦のなかの一人であったことがショックであった。今にして思えば、おそらく私に対して揶揄の念をもって笑った者は、一部の同級生だけであったろうが、ひとたび被害妄想に囚われた私が、もはや冷静な考察などできるはずもなかった。
 チョウや自然に興味を抱きながらも、将来の進学先として理学部の生物ではなく、農学部を視野に入れ始めていたのは、やはり昆虫学という講座が農学部にある、という情報に敏感になっていたせいであろう。そして、広く生物学というものに憧れなかったのは、そこに自分なりのロマンを見出せずにいたからに他ならない。

 その反面、「昆虫学」という言葉の響きには、いかにも憧れを感じていた。


 その8、に続く。新開 孝

『新開 孝/写真展のお知らせ』 2007/02/09
 来月の3月10日(土)から18日(日)まで、清瀬市郷土博物館で「清瀬の昆虫たち」と題して写真展を開催します。

 今回の写真展は、過去3年間、清瀬市内で撮影した中から主に写真を選んでみました。ですからこの『昆虫ある記』でアップした写真と内容的には重複しているものもあります。ただし、あまりマニアックな内容に偏らないように、テーマは大きく「四季の昆虫」、「野生のカイコ」、「仮面博覧会」、「化ける昆虫」という4項目で構成しました。普段は昆虫に対してあまり興味の無い方でも、すこしは楽しんでいただければと思っています。
 ほとんどの写真は清瀬市内で撮影されたものですが、「野生のカイコ」のコーナーだけは、お隣の所沢市で撮影したものが多く含まれています。このコーナーでは繭殻やヤママユ絹糸の織物などの実物展示も行ないます。

 虫の嫌いな方でも、せめて「ふーん、虫の世界にも面白いことあるんだなあ。」程度に気持ちの変化を感じるようになってもらえればいいと思っています。好きになるのは無理だけど、せめて気持ち悪い、という感覚から少しでも遠ざかってもらえれば、それでいいのではないか、と思います。虫にも可愛いやつがいるのよ、そういう発見をしてもらえる機会を得ていただく、そういう場を作るのも私の仕事だと考えています。虫を触るのはやはりどうしても気持ち悪い、恐い!というのも仕方が無いでしょう。それでも眺めるだけなら、遠くから見るぶんには(昆虫は小さいから近付かないと厳しいですが、、、)それなりに楽しいじゃないか、そういう感覚へとシフトしていただければ、それも良いかと思うのです。

 さて、写真展の最終日18日(日)には、私の講演があります。会場のこともあって、定員50名まで事前に予約をとることになっています。50席もあれば、おそらく空席もけっこう残ると思われますから、当日に飛び込みでも大丈夫かとは思っています。開演は午後2時です。

 写真展開催中はできるだけ、当人も会場にいるようにするつもりです。出向けない場合や、いない時間帯については事前にこの『昆虫ある記』でお知らせします。
 

 
新開 孝

アサギマダラの幼虫 2007/02/07
 今日は、前から気になっていた冬のアサギマダラ幼虫を撮影しに出掛けた。

 場所は高尾山だが、車の運転で往復に要した4時間というのは、現地での滞在時間(1時間)よりはるかに長い。目的を一つに絞ったこともあるが、早朝に動くことができれば、こんな無駄もせずに済んだと思う。

 ともかくも高尾山で幼虫を見つけるのはごく簡単であろうと思っていた。で、その通り探索開始後5分もかからぬうちに最初の一匹が見つかった。
 アサギマダラの食草、キジョランは常緑のつる植物で、薄暗い林内でさまざまな木々に這い上がっている姿がよく目立つ。乾燥続きであるせいか、キジョランはどの株も葉っぱが萎れて元気がない。最初は人によって根元を刈られたためであろかと、そう思えたほどだが、ほとんどの株が萎れたようになっていることと、近付いて根元まで見ても、刈られた痕跡はまったく見つからなかった。

 アサギマダラの越冬北限は、関東山地ということで、ここ高尾山は昔からよく知られた産地の一つである。越冬といっても、幼虫は暖かい日などは少しずつ食草を食べており、完全な休眠状態ではない。
 したがって幼虫を見つけるにはその幼虫がかじってつけた丸い穴を探せばいいわけだ。幼虫は必ず、葉裏側の食べ痕のそばで見つかる。
 写真の幼虫のステージは2令あたりだろうか?ちょうど葉裏表面をかじっては、乳液を吐き出しているところだった。
 幼虫が食事をするときには、あらかじめ円を描くように浅くかじって、キジョランの浸出液を出させてから、その作業を終えてから円内を食べるという作法がある。この食べ方は、カラスウリの葉を丸く穴をあけて食べるクロウリハムシや、トホシテントウ幼虫たちの習性とよく似ている。

 このところの暖冬もあって、アサギマダラ幼虫たちは、ゆっくりではあるがキジョランの葉っぱを食べる毎日を過ごしているようだ。そういう真新しい食べ痕が多数、見つかる。
 通常、越冬幼虫といえば、じっと動かず深い休眠をとっているものが多いが、アサギマダラの場合は、かなりそのイメージとはかけ離れている。

 今日で、高尾山も見納めとなった。

(写真上/E-330  魚眼8ミリ+ケンコーKAGETORI使用)
(写真中、下/E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
 新開 孝

テラ・インコクニダ!  とは。 2007/02/06
 『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその6』

 30年ほど前に読んだ本の一冊に、中公新書の『自然観察入門』(日浦 勇著)がある。
当時、高校生だった私は本書から大きな刺激を受けた。読者を目の前にして語りかけるかのような、明解でわかり易い文章にグイグイと引っ張り込まれ、一気に読み終えたと記憶している。
『自然観察入門』を読み終えた次の日、私はまず大きなポリ袋を提げ、うちの周りの目に付く植物を片端から摘み取っては集めて歩いた。たしか雨の日だったと思うが、衝動的に植物の名前調べをしてみたくなったのだろう。すでにそのころの自分の心情を詳しくは思い出せないが、かなり熱くなったことだけは間違いない。そしてそのとき持ち合わせていた植物図鑑といえば、保育社のカラー自然ガイド『人里の植物T・U』であった。当時は1冊380円という高校生のお小遣いでも手の届く価格のうえに(現在は税込み735円)、巻末には植物の基礎知識が各巻50頁も添えられており、初心者にとっては植物学入門の好適なガイドブックであった。
大きなポリ袋に集めた植物は、家の周辺でどこにでも生えているものばかりだったが、どれとして正確には名前を知らず、私は自分の無知がとても恥ずかしくなった。
中学の頃からチョウに関心を抱き始めていたが、チョウの標本コレクションを続けるにはお金がかかる世界だと知り、興ざめるのも速かった。しかし、一方で普通種であろうとなんであろうと、チョウの生活そのものを知りたい気持ちが強くなり、そのためにはチョウの餌となる植物のことを知らなくてはどうにもならなかった。
あるチョウが、いつ頃どこに、どうやって卵を産み、そしてそこからどんな姿の幼虫が誕生して、いかなる生活を送り、蛹になる場所はどこなのか。そういう生態の場面を自分の目で実際に野外で見てみたい、そういう観察のほうが、成虫を採集するよりか面白くなり始めていた。

(もっとも、成虫を網で捕らえる醍醐味も捨て難いものがある。そしてネット(捕虫網)を振る楽しさは、今でもまったく失ったわけではない。ただ、当時としてはせっかく採集しても、チョウを展翅する道具や、高価な標本箱を調達できず、コレクションが続けられる経済状況になかった。)

さて当時、エノキすら正確に知らない、まったくの生物音痴だった私は、なんとかチョウに関わる植物だけでも識別できるようになりたいと、懸命にもがき始めたのである。そのような私を『自然観察入門』は適切に明解に導いてくれた。そして、今読み返してみても、本書を超えるような類書は他にないほどの名著と感じる。
  著者の故・日浦氏は、本書の中で「テラ・インコクニダ!見知らぬ土地が私たちの日常生活のすぐまわりにひろがっているのに、私たちはそれを知らずにねむり、食い、働き、疲れて死んでゆくのだ。テラ・インコクニダ!と口に出して言ってみよう。」と
語りかける箇所がある。いささか情熱過剰な表現にも思えるが、本書全般に込められた主張をもっとも言い得ている。

 「未知なる、土地=テラ・インコクニダ(ラテン語)」は、地球の果てまで行かなくても、まさに足下にある。この指摘を受けて目のうろこが落ちたと感じた人は数多いことであろう。自然観察の楽しさを伝え、そのノウハウを事細かく指導してくれる本書は、入門書という役割を果たす以上に、深い感動を読者に与えてくれる。30年経った今でも、多くの読者を魅了して止まないだろうし、今後もさらに読み続けられることであろう。そういう本作りを私も目指したいものである。新開 孝

狭山丘陵 2007/02/02

 お茶畑と雑木林、という組み合わせが狭山丘陵を代表する風景とでも言えるだろう。

 私が仕事をする上では茶畑に直接関わることはあまりないが、島状に点在する雑木林を渡り歩くときには、茶畑の縁を通過していくことになる。
 本来のチャは、樹高が5メートルにもなるそうだが、茶摘み用に栽培されているチャは、常に刈り込まれて1メートル以下しかない。
 秋に咲く白い花や、茶色の球形の実を見れば、チャがツバキ科の植物ということが、素人でもすぐにわかる。しかし、普段、日本茶をすすりながらツバキをイメージする人はほとんどいないだろう。

 私の場合、季節で言えば、冬に緑茶を一番良く飲む。特に食後の緑茶が最高に美味しい。しかしながら東京の水道水で入れた緑茶が、美味しいわけがない。普段はそれでも慣れてしまって平気で飲んでいるが、しばらく九州で過ごしてからまた東京でお茶を飲むと、ほんとうにびっくりする。よくもまあ、こんなひどい水道水を毎日、飲食用に使っているものだと。

(E-330  14-54ミリズーム)

『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその5』

 昆虫写真家の大先輩方として、前回挙げたお名前のなかで、抜けていた方がいらっしゃる。正直書くと、忘れていたのであった。あまりにも身近な方であるが故に。
 その方とは私と同じ清瀬市在住の藤丸篤夫さんである。ごめんなさい。 私は、藤丸さんとは共著も出しているというのに、何という失態であろうか!お互いに自転車で行き来できる距離に住んでおり、年に数回ではあるがお会いしているというのに。しかし、藤丸さんは当「昆虫ある記」を読んだことがないらしい。それが唯一救いでもある。誰かが藤丸さんに告げ口しないかぎり、バレはしないと思うのだが、、、。

 さて、私が藤丸さんと初めて会ったのは、21年前の冬であった。場所は上野動物園内で、昆虫写真の入賞式の会場であった。当時、昆虫写真の発表の場として、月刊誌「インセクタリウム」があったが、その表紙と表紙裏には毎号、購読者が応募する写真が掲載されたのであった。
 毎年暮れには、その年に掲載された昆虫写真のなかから特に優れた写真が選抜されて、表彰されていたわけである。1986年、6月号の表紙写真が藤丸さんのコハンミョウの産卵シーンで、表紙裏には私の撮影したヒメクビナガカメムシの写真が掲載されたのであるが、私たちの写真はそれぞれ写真賞の2等を受賞した。

 私の入賞したヒメクビナガカメムシの写真は、初めて「インセクタリウム」に投稿して、しかも最初に掲載された写真でもあったので、かなり嬉しかった。撮影した場所は、当時住んでいた大田区の池上で、アパート近くの池上本門寺の境内であった。
 想い出深い写真ではあるが、その後このヒメクビナガカメムシを見たのは多摩丘陵で一度きりで、以後まったく出会いのチャンスがない。

 さてさて、同年齢の昆虫写真家としては、沖縄在住の湊和雄さんがいらっしゃる。湊さんは東京出身で、大学を琉球大学に進まれて、卒業後そのまま沖縄で自然界広くを対象とした写真家として活動を続けられている。
 私も高校の進学指導では「お前は琉球大学へ行け!」と担当教師から宣言されたこともあったが、ハブが恐いのと暑い所は苦手だったこともあり、またうちは貧乏で下宿などできなかったので、地元の大学を受験したのであった。もっとも地元の愛媛大学には全国でも稀な昆虫学研究室があり、親の膝をかじるにしても、少しは親孝行できるのではないか、と思えた。


 その6、に続く。

 
新開 孝
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