| 昨日はカブトムシの幼虫探しをしたので、本日も人気者とされるノコギリクワガタの幼虫探しをしてみた。 児童書の世界でクワガタムシといえばノコギリクワガタであり、このクワガタムシ以外の生活史をいくら撮影しても、そのような写真はほとんど売れない。チョウでいえば、アゲハやモンシロチョウの写真が引っ張りだこであるように。
昨日、紹介したカブトムシ幼虫の探索ポイントは、朽ち木の根元であったが、ノコギリクワガタもそれと同じポイントである。つまり、根っこがグラグラになった朽ち木を探し出せば良い。 もっとも、カブトムシの場合は、単に転がっている朽ち木を起こすだけでも、けっこう見つかる。その場合、朽ち木が半分かあるいは三分の一程度、土に埋もれている方が、さらに確率が高くなる。
さて、まずはめぼしい朽ち木を求めて雑木林を歩く。このときのワクワクする気分がとても良い。「さあ、狩りにでかけるぞ!」という、本能にでも触れたような気分になるからだろうか。 朽ち木を品定めしながら、背の高い朽ち木なら、まず体ごと寄りかかってみる。切り株のような朽ち木であれば、足を乗せて力を込めてみる。ここの林では圧倒的にコナラの朽ち木が多い。グラッと、それこそ抜けかかった乳歯のごとく手応えがあれば、しめたものだ。 二度三度と、揺らしているうちに、朽ち木は根っこを地上に現して、でんぐり返る。 (ここで水をさすようだが、「昆虫写真家」という仕事は良いなあ、と安易に思ってはならない。目指すノコギリクワガタの幼虫を必ず見つけ、しかもその場で写真になるシーンをおさえ、なおかつその後の撮影の展開も考えて、必要な数の幼虫も確保する、という段取りをきちんとこなす必要があり、だからこそ仕事として成立する。あくまでも仕事なのである。で、しかしながら、そういう作業を楽しみながらこなせる余裕もなければ、この仕事は続かない。)
さてさて、良く朽ちたコナラの根っこには、数本の太くて短い根が、それこそタコの足のように生えている。その足はどれも土にまみれている。そしてしっとりとしている。ノコギリクワガタの幼虫は、そういう根の中に潜んでいるのだ。そんな湿った環境を好むようだ。コクワガタだと、もっと乾燥した朽ち木内からも見つかるし、湿ったところでもいるが、ノコギリクワガタは、コクワガタよりか、もっともっとデリケートな質のようである。
ところで、根っこの部分は朽ちてはいても、かなり固い。この根っこを慎重に削っていくには、よく切れるナタを使う。削るというか、叩き割るという作業になるが、ヘタをすると中にいる幼虫を傷つける恐れもある。(ナタは使い慣れないと、自分自身を傷つけることもある。とくに高校生、中学生の方々、余程、注意して扱って欲しい。指の一本位は簡単にすっ飛んでしまうくらい、ナタは恐い凶器にもなる。) ナタをふるっているうちに、幼虫の糞が断層のごとく現れてくる。「よしよし、そろそろ要注意だな。さらに慎重にいかねば。」とつぶやきながら、ナタを朽ち木の繊維に沿って振り下ろす。
と、突然、幼虫の頭が見えてきた(写真中)。 ここからは、もうナタは使わない。根っこの部分は硬いので、コクワガタのように、スッキリと幼虫の坑道が割り出せるケースは少ないからだ。無理してナタやナイフなどで坑道を拡げようとすれば、幼虫を傷つけることになりかねない。
そこで、細い枝や松葉を幼虫の口に持って行き、それに噛み付かせる。幼虫が噛み付いたら、そっと引っ張り出せばいい(写真下)。幼虫を釣り出すというわけだ。
ノコギリクワガタを飼育する目的で、今日は数匹の幼虫を採集した。また、ノコギリクワガタの幼虫が、どんな場所で過ごしているのか、そういうカットも撮影した。根っこの朽ち木で生活するノコギリクワガタ幼虫が、このあとは、土中に移動し、土の中で蛹室を作ることも容易に想像できた。 これまで、児童書の多くで使われているノコギリクワガタの生態写真では、蛹室が朽ち木であることがほとんどであるが、どうやらそれはむしろ例外的であると思える。(偕成社の自然の観察事典シリーズ「クワガタムシ」筒井学/写真、文、ではこの点をきちんとおさえてあり、とても参考になる。)
人気者のノコギリクワガタを、私なりにきちんと撮影してみようと思うのだが、それにはまず、野外での彼らの真の姿を自分の目できっちり観察してからでないと仕事は始まらない。こんなことは当たり前のことではあるが、しかしながら、今の世の中はなんでも簡単に情報が手に入るから、いつのまにか知っているつもり、になってしまう傾向が強い。 また、ノコギリクワガタの幼虫などは、お金で簡単に手に入れたり、ブリーダーと称する方から譲り受けて、やろうと思えばそれこそ手軽に写真も撮れるのであるが、しかしそれでは、昆虫写真家の仕事とは言えない、そう私は考える。
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