menu前ページTOPページ次ページspace.gif

ノコギリクワガタの幼虫 2007/02/01
 昨日はカブトムシの幼虫探しをしたので、本日も人気者とされるノコギリクワガタの幼虫探しをしてみた。
 児童書の世界でクワガタムシといえばノコギリクワガタであり、このクワガタムシ以外の生活史をいくら撮影しても、そのような写真はほとんど売れない。チョウでいえば、アゲハやモンシロチョウの写真が引っ張りだこであるように。

 昨日、紹介したカブトムシ幼虫の探索ポイントは、朽ち木の根元であったが、ノコギリクワガタもそれと同じポイントである。つまり、根っこがグラグラになった朽ち木を探し出せば良い。
 もっとも、カブトムシの場合は、単に転がっている朽ち木を起こすだけでも、けっこう見つかる。その場合、朽ち木が半分かあるいは三分の一程度、土に埋もれている方が、さらに確率が高くなる。

 さて、まずはめぼしい朽ち木を求めて雑木林を歩く。このときのワクワクする気分がとても良い。「さあ、狩りにでかけるぞ!」という、本能にでも触れたような気分になるからだろうか。
 朽ち木を品定めしながら、背の高い朽ち木なら、まず体ごと寄りかかってみる。切り株のような朽ち木であれば、足を乗せて力を込めてみる。ここの林では圧倒的にコナラの朽ち木が多い。グラッと、それこそ抜けかかった乳歯のごとく手応えがあれば、しめたものだ。
 二度三度と、揺らしているうちに、朽ち木は根っこを地上に現して、でんぐり返る。
 (ここで水をさすようだが、「昆虫写真家」という仕事は良いなあ、と安易に思ってはならない。目指すノコギリクワガタの幼虫を必ず見つけ、しかもその場で写真になるシーンをおさえ、なおかつその後の撮影の展開も考えて、必要な数の幼虫も確保する、という段取りをきちんとこなす必要があり、だからこそ仕事として成立する。あくまでも仕事なのである。で、しかしながら、そういう作業を楽しみながらこなせる余裕もなければ、この仕事は続かない。)

 さてさて、良く朽ちたコナラの根っこには、数本の太くて短い根が、それこそタコの足のように生えている。その足はどれも土にまみれている。そしてしっとりとしている。ノコギリクワガタの幼虫は、そういう根の中に潜んでいるのだ。そんな湿った環境を好むようだ。コクワガタだと、もっと乾燥した朽ち木内からも見つかるし、湿ったところでもいるが、ノコギリクワガタは、コクワガタよりか、もっともっとデリケートな質のようである。

 ところで、根っこの部分は朽ちてはいても、かなり固い。この根っこを慎重に削っていくには、よく切れるナタを使う。削るというか、叩き割るという作業になるが、ヘタをすると中にいる幼虫を傷つける恐れもある。(ナタは使い慣れないと、自分自身を傷つけることもある。とくに高校生、中学生の方々、余程、注意して扱って欲しい。指の一本位は簡単にすっ飛んでしまうくらい、ナタは恐い凶器にもなる。)
 ナタをふるっているうちに、幼虫の糞が断層のごとく現れてくる。「よしよし、そろそろ要注意だな。さらに慎重にいかねば。」とつぶやきながら、ナタを朽ち木の繊維に沿って振り下ろす。

 と、突然、幼虫の頭が見えてきた(写真中)。
 ここからは、もうナタは使わない。根っこの部分は硬いので、コクワガタのように、スッキリと幼虫の坑道が割り出せるケースは少ないからだ。無理してナタやナイフなどで坑道を拡げようとすれば、幼虫を傷つけることになりかねない。

 そこで、細い枝や松葉を幼虫の口に持って行き、それに噛み付かせる。幼虫が噛み付いたら、そっと引っ張り出せばいい(写真下)。幼虫を釣り出すというわけだ。

 ノコギリクワガタを飼育する目的で、今日は数匹の幼虫を採集した。また、ノコギリクワガタの幼虫が、どんな場所で過ごしているのか、そういうカットも撮影した。根っこの朽ち木で生活するノコギリクワガタ幼虫が、このあとは、土中に移動し、土の中で蛹室を作ることも容易に想像できた。
 これまで、児童書の多くで使われているノコギリクワガタの生態写真では、蛹室が朽ち木であることがほとんどであるが、どうやらそれはむしろ例外的であると思える。(偕成社の自然の観察事典シリーズ「クワガタムシ」筒井学/写真、文、ではこの点をきちんとおさえてあり、とても参考になる。)

 人気者のノコギリクワガタを、私なりにきちんと撮影してみようと思うのだが、それにはまず、野外での彼らの真の姿を自分の目できっちり観察してからでないと仕事は始まらない。こんなことは当たり前のことではあるが、しかしながら、今の世の中はなんでも簡単に情報が手に入るから、いつのまにか知っているつもり、になってしまう傾向が強い。
 また、ノコギリクワガタの幼虫などは、お金で簡単に手に入れたり、ブリーダーと称する方から譲り受けて、やろうと思えばそれこそ手軽に写真も撮れるのであるが、しかしそれでは、昆虫写真家の仕事とは言えない、そう私は考える。

 

新開 孝

カブトムシの幼虫 2007/01/31
 雑木林を歩いてカブトムシの幼虫を探してみた。
 
 効率良く探すには、まず朽ちた切り株を見つけることだ。乳歯が生え変わるときに歯はグラグラになるが、そんな様な切り株が良い。
 ユサユサと切り株を揺り起こしてみて、土に混じって多数の糞が出てくればしめたものだ。

 今日は根っこの土が絡んだところに、大きな幼虫が数匹潜んでいた。
根が埋まっていた土中もそっと掘り返してみれば、そこでも数匹の幼虫が見つかった。
 堆肥の山はもっとも探し易いが、農家の人にことわってからでないとむやみに掘るわけにはいかない。

 もっとも朽ち木の切り株を起こしたあとは、きちんと元のように埋め戻しておこうではないか。
 最近はペットボトルを工作して工夫した昆虫トラップを仕掛ける人が多くなったが、一方ではその仕掛けを回収せずに放置したままの光景が非常に目立つようになった。今日の所沢の雑木林でもその未回収のトラップがやたらと目につく。そういうのは、いけんぞなもし!
 
(写真/E-330 魚眼8ミリ)
新開 孝

冬の人気者とは 2007/01/30
 雑木林で冬越しする昆虫のなかでも手軽に見つけることができる種類といえば、今日のイラガの繭(上)や、ウスタビガの繭(中)、そしてヤママユの卵(下)、などが挙げられるだろう。
 
 ヤママユの卵の大きさは、昆虫の卵としては最大クラスであるし、ゼフィルスの卵探しに比べれば、はるかに容易い。枝を手に取る事無く、青空に透かして枝のシルエットを眺めていけば、ホイホイと見つかる。

 ウスタビガの繭はもちろん空き繭であるが、本種の卵が付着していることも多い。また繭殻のなかには、寄生バチのヒメバチ類の幼虫が潜んでいることも稀にある。繭のなかで、ウスタビガの幼虫を喰い尽くして成長した寄生バチ幼虫が、そのまま冬越ししているわけである。

 今日は、一本のイロハカエデの木で、ウスタビガの繭が7個ついているのを見つけた。4、5個の繭が一本の木で見つかることは稀にあるが、7個は初めて。しかし、地方によってはヤマカマスツリーとでも呼べる、もっと多数の繭が集中して付いた木もあるらしい。もしも写真になるほどなら是非、訪れてみたいが、、、、。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)


『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその4』

 平凡社の月刊誌「アニマ」は、昆虫写真の発表の場でもあった。

 18年前のある日のこと、私は海野和男さんの写真事務所を初めて訪れた。ちょうど30歳になったころだが、私はまだ昆虫写真だけで食べていける状況ではなく、展示関係の仕事でイラストを描いたり、展示パネル用の写真集めをしたりしていた。その仕事の関係で、海野さんの昆虫写真をお借りすることになった。

 仕事で海野さんの事務所を訪れたわけだが、用件が一段落したところで、私は自己紹介をさせていただいた。「どんな写真、撮ってるの?」という海野さんの質問に、待ってましたとばかりにアリスアブのことなどをお話したと思う。
 そんな折り、ちょうど事務所には平凡社アニマの副編集長さん(後、編集長)がいらしていた。海野さんが「全然、売れない写真ばかり撮っている変な人です」と私をその方に紹介してくれた。そのことがきっかけで、私は初めて「アニマ」誌上に写真を載せる機会を得たのであった。
 
 私が昆虫写真家として歩み出すまでの助走はきわめてゆっくりで、長く続いた。私が20歳代なかごろから始めた撮影の主力テーマは、それまで誰もやっていない昆虫の生態であり、そういう写真は出版業界では売れないのであった。世の中で知名度が低い昆虫を写真にしても、そんな写真が商業誌に採用される機会はほとんどない。しかしながら、あきらかに売れるはずの写真撮影は二の次にして、私は自分のテーマを自分なりにしっかり主張できるまでの礎を築こうとしていたのであった。私はそうやってもがいているうちに、実は自分が昆虫のことをあまりにも知らなさ過ぎることを再確認できたのでもあった。

 今思えば若かったからこそできたかなあ、とも思えるが、売れないとわかっている写真を撮り続けることを、ときには投げ出しそうになったこともあった。会社勤めで生計を支えてくれている嫁さんに申し訳ないという重圧感もあって、いつまでもこんなことを続けてどうなるのか?趣味でやるべきことではないか?そういう迷いがなかったわけではない。
 私の場合は、こうした長いトンネルのような時期をいかにやり過ごすか、それなりの気の持ち方の工夫が必要であった。

 昆虫写真家としては青山潤三さん、今森光彦さん、海野和男さん、小川宏さん、栗林慧さん、松香宏隆さん、山口 進さん、(五十音順)などなど、すでに活躍されている大先輩方がいらっしゃるなかで、自分という存在をどこまで世間に対してアピールできるのか、それを真剣に考える必要があった。
 ここに挙げた写真家の方々は、それぞれにいかにも個性豊かであり、その個性がしっかり写真の作風に表れている。ならば、新開の個性とはなにか?
 もしも18年前に海野さんの事務所を訪れなければ、私の昆虫写真家への出発への助走はもっと長引いたのかもしれない。人との出会いがいかに大事なものであるかを知った大きな出来事であったと思う。
 昆虫写真家としての自分とは何か?そういう問いかけが始まったのはそのころであり、18年間経た今でも、日々そのことを考え続けている。
 新開 孝

モズのペリット吐き出し 2007/01/28
 人里の農耕地で生活しているモズは、もっとも身近な野鳥と言えるだろう。

 モズは「小さな猛禽」とも呼ばれ、他の鳥や野ネズミ、モグラなども捕食する。しかし、普段の餌としては昆虫やクモ類などがもっとも多い。

 モズはときおり不消化物を一塊にして、これを吐き出す。節足動物のキチン質やほ乳類の骨など、鳥類の強靭な消化力をもってしても消化しきれないものを排出するわけである。
 一日のうち、どのくらいの頻度でこれを行なうのか詳しくは把握できていないが、その「吐き出し行動」を写真撮影するには、一羽のモズにぴったり張り付いている必要がある。

(Nikon F3 ニッコール400ミリ/PKR) 

 『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその3』

 さて、今日の写真は15年前の1992年2月、愛媛県松山市の実家近くで撮影したもの。このころは、モズの撮影のため、頻繁に帰省していた。なにしろ松山はモズの生息密度がきわめて高く、実家のすぐ脇の河川敷で自由に撮影できたからでもある。
 結婚はしていたが当時はまだ子供もいなかったので、度々の長期遠征も可能であった。
 
 このころ使用していたカメラはNikonのF3とFM2などが主力であり、昆虫接写で若干OLYMPUSのマクロシステムを取り入れていたが、Canonはまったく使っていなかった。写真ではわかりずらいかもしれないが、実はペリット吐き出しの写真にはフィルム傷が多い。
 この傷はカメラのフィルム巻き上げ時に生じたもので、原因は「フィルムの巻き上げトルクの低下」ということであった。メーカー側の説明では、そういうカメラの不調はきわめて珍しいということであったが、私の所有していたNikonのカメラ2台で生じてしまった。巻き上げトルクの低下が生じると、カメラ内部の巻き上げ室内の内壁を、フィルムの乳剤面が擦ってしまうのであり、このときに傷がつく。
 これはF3やFM2など、当時のNikonカメラのフィルム巻き上げ機構が順巻きではなく逆巻きで、乳剤面を表側にしていたことも災いしたのであった。
 すぐさまカメラを修理をして、この問題は一応は解決したのであるが、このトラブルに気付くまでに、モズの求愛給餌の瞬間など、非常にシャッターチャンスの少ないカットの多くに傷が発生し、現像後のフィルムチェックで受けたショックはあまりにも大きかった。
 そして、このトラブルをきっかけに、私は主力機材を、NikonからCanonに移行する決意をしたのであった。もっともそのころの昆虫接写のメイン機材はPENTAX645になっており、35ミリ判の機材は、ほとんど野鳥撮影と超広角撮影にあてられていた。 

 (写真中)の吐き出し瞬間のカットは、平凡社の月刊アニマ、1992年11月号「VIVID」にも掲載された(写真下)。
 すでに休刊(実質は廃刊)になって久しい「アニマ」は、私が昆虫写真家への道を歩む上では無くてはならない、一種の登竜門として貴重な存在でもあった。
 写真が売れる売れないはともかく、「アニマ」誌上で自分の作品を発表できることは、動物写真界に一人のカメラマンとして認められるかどうか、その写真の腕前を評価してもらう大事な場所であったのだ。 

 昆虫写真を公表できる誌面というものが、こうして十数年前まではいくつかあったのだが、「アニマ」の休刊を皮切りに次々と出版界から消滅してしまい、今日に至っている。
 
 さてさて、「昆虫写真家」という肩書きがしばしば陽炎のごとく、あやうい存在となってしまうということを前に書いた。で、その理由の一つに考えられることは、海外の写真家業界の事情によるのであろう。
 つまり、欧米を中心とした写真家の業界では、「昆虫写真家」という肩書きが、おそらく通用せず、存在し得ないのかもしれない。昆虫を専門に撮影するカメラマンというより、向こうでは動物カメラマンの一つの稼業としてしか捉えられておらず、なおかつ昆虫専門では職業として成立しない、というのが世界的な常識なのであろう、と思われる。
 つまり、国際的な全世界的な活動を視野に入れれば、「昆虫写真家」などと名乗っていてはまったく通用しないのであろうと推測する。「昆虫写真家」という職業名は、日本という国内でのみ唯一通用する肩書きなのかもしれない。

 ーその4、につづく。



 新開 孝

ゴンズイノフクレアブラムシ、ふたたび 2007/01/27
 昨日、紹介したゴンズイノフクレアブラムシの、夏の姿が今日の写真である。
 撮影したのは一昨年の夏のことで、場所は熊本県の阿蘇山である。

 つまりゴンズイノフクレアブラムシの夏寄生植物についた姿であり、花は高原に群れて咲くユウスゲである。

 アブラムシは成虫と幼虫が入り混じっており、ここに写っているメスは皆、胎生雌であることがわかる。

 アブラムシの甘露を求めてクロオオアリが頻繁に訪れている。

 アブラムシ類は、季節によって寄生植物を換えたり、単性世代から両性世代へと変化したりと、けっこう複雑な生活を営んでいる。
 とかく害虫扱いばかり受けるのがアブラムシであるが、その生態を掘り下げていけば、なかなか奥の深い世界がある。新開 孝

クロスジホソサジヨコバイ 2007/01/26(その1)
 体長4ミリ前後のこの小さな虫は、冬の雑木林で見つかる。

 林内のアオキやヤツデ、ツバキなど、常緑樹の葉をめくっていけば、個体数も少なくない。都心の公園などでも見つかるようだ。

 3年前に本種の羽化シーンを撮影したのは12月末頃だったと思うが、晩秋から初冬にかけては、幼虫の姿も多い。

 しかしながら、本種の生活史についてはよくわかっていないようだ。成虫の交尾とか産卵行動なども、私は観察したことがない。成虫や終令幼虫の出現時期から、おそらく年一回の発生ではないだろうか?
 生態解明にはまず、早春から春にかけての彼らの動きに注目すべきであろうが、その頃は他の昆虫たちに目がいってしまいがちである。

 本種の体の色紋様には個体差があって、赤い帯模様を欠いた黒帯型ともいえるタイプの成虫も見かける。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン(写真はトリミングしています))

 新開 孝

黒豆とアブラムシ 2007/01/26(その2)
 ゴンズイという木は、枝や冬芽の特徴がはっきりしているので覚え易い。

 白くロウ物質を纏ったゴンズイノフクレアブラムシもゴンズイの枝上ではよく目立つ(写真上、中)。
 このアブラムシの夏の寄生植物は、ユリ科のノカンゾウやヤブカンゾウなどで、これまたよく目につく。草原の綺麗な花に惹かれて近付いてみたものの、この白い粉をふいたようなアブラムシの大群に驚かれた方も多いのではないかと思う。

 ノカンゾウなどを育成した、ワスレグサ属Hemerocallisの園芸品種は「ヘメロカリス」と呼ばれて、花壇や道路沿いなどで広く栽培されており、これらにもゴンズイノフクレアブラムシが無数について、害虫として問題視されることもあるようだ。

 今日はアブラムシがついていた同じ木で、越冬卵も多数見つかった。アブラムシが卵を産むのは、晩秋のころに出現する両性世代の卵性雌である。
 写真のメスたちは、幼虫を産み落とす胎生雌と思われるが、卵性雌たちはすでに死滅したのであろうか?
 あるいは黒豆のような卵は、別種のアブラムシが産みつけたものであろうか?

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン) 新開 孝

ヤママユの繭殻 2007/01/21(その1)
 
 昨日アップした写真「20年前、16年前の私と林の様子」を撮影したその現場に、今日は行ってみた。所沢市下新井の雑木林である(写真上)。

 写真の中で私が立っていた場所はほぼ特定できたが、当時カメラを構えた場所に立つことは不可能であった。そこは背丈の高いササ薮となっているからだ。
 ジムニーを止めてあった場所も、すぐ脇まで廃棄物処理場の埋め立てが迫り、林内は同じくササ薮だらけとなっていた。
一応は昨日の写真とほぼ同じ場所と思われる地点で撮影してみたが、やはり同ポジションではないので、比較する写真にはならず、作為的になって面白くない。

 今のように林内にササ薮が侵入し始めたのは、林に人の手が入らなくなった10年くらい前であったように思う。近隣の農家でも堆肥を使うところは激減してしまったうえ、雑木林は土地の持主からしてみれば、厄介なお荷物でしかなく、放置されたまま、ますます荒れていく。そこへは都会から粗大ゴミや産業ゴミが捨てられ、人の心の荒廃まで浮き彫りにする。

 暗く重い気持ちになりながら、林を歩いていると、落ち葉の上にヤママユの大きな繭殻が落ちていた(写真中、下)。根っこを晒してでんぐり返ったコナラの朽ち木を蹴飛ばしてみると、コロリンとカブトムシ幼虫が転がりでてきた。土と混じった腐植材の狭い隙間には、少し栄養失調気味のカブト幼虫が6匹、互いに寄り添って潜んでいた。コナラの梢を見上げれば、同じくヤママユ繭殻が一本の木に3個ぶらさがっていた。
 その繭殻にぽっかりと大きく開いた穴を見つめていると、夏の夜、大きなヤママユたちがこの林の上空を舞い、梢の合間をすり抜けながら鱗粉を散らし、そして巨大で緑に輝く幼虫たちが、コナラやクヌギの葉をパリパリと暴食する姿が目に浮かぶようだ。

 たしかに林は荒れた。昆虫の種類も数も減ってきた。がしかし、もちろん一気に何もかもが姿を消していくわけではない。昔のまま相変わらずたくましく生きている昆虫もまだまだいる。
 ここの林も大掛かりに整備していけば(かつて薪炭林として活用されたような二次林として)再び、いろんな昆虫をはじめ多様な生き物がすみかとして戻ってくるものと期待できる。

 このような雑木林の再生は、もはや行政にだけ委ねていてはダメで、雑木林を活用したい市民の力も併せて、身近な自然を自分たちのために取り戻す努力が必要だろう。そして雑木林を活用する立場、例えば昆虫採集を楽しんだり、観察や撮影を楽しんだり、キノコ狩りしたりする様々な人たちからも、雑木林の整備に対して投資がなければ、もはやこの里山維持は成り立っていかない。

 私はあまり偉そうなことが言える立場ではないが、雑木林という自然と人社会の接点で、生物環境のバランスを巧妙に維持して来た歴史を大事にしたいと考える。
 そこで、まずは自分自身の手でもって、その雑木林を手入れする作業を始めてみようと考えている。それは2ヶ月後に移転する宮崎の土地で実現する。
 本や人の話も大事だが、自らの土地で、まずは汗を流しながら林を維持することを真に体験してみたいと思う。自分にとっては仕事の糧を生み出す林でもあり、真剣にならざるを得ない立場で立ち向かうことになる。
 雑木林こそが、私の一家が生活していくうえで、無くてはならない生産活動の場になるからである。

(写真/E-330  14-54ミリズーム)

『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその2』

 「昆虫写真家」という職業については、それに憧れる方もごく僅かだがいらっしゃるようで、私のところにも「将来、昆虫写真家になりたい」という小学生の方からメールをいただくことがあった。
 とても情熱的なメールだったので、私は丁寧に返事を書いたが、しかし昆虫写真家の職業案内はできても、そこへの就職手引きは不可能である。こうすれば早道とか、こんな心がけなら良いよとか、そういうアドバイスもあまり意味が無いと思う。
 プロの「昆虫写真家」というのはどこか「陽炎(かげろう)」のようで、じつに怪しい存在である。それというのも、写真家によっては、ときと場所によって肩書きを使い分けており、あるときは「自然写真家」、「生物写真家」であったりして、「昆虫写真家」という職業名はいかにもあやふやで、死語になりつつあるのかと感じさせる瞬間も多いからだ。
 しかしながら、私は迷わずどこまでも「昆虫写真家」を名乗り続けるつもりであり、このいかにもこだわりの名称が気に入っている。「昆虫写真家」だからといって、何も昆虫しか撮影しないわけではない、ということをそれを改まって説明する意味合いで「自然写真家」とか「生物写真家」とか肩書きを変える必要はないと、私は考えている。昆虫にこだわる中で、広く深く自然を見つめる姿勢に変わりはないからだ。この肝心なところを押さえて活動しておれば、その作風から世間に対しては自ずと伝わるものがあるはずだ。
 
 昆虫世界を熱心に情熱的に、そして冷静に覗き見ることで、広く生物世界を理解しようとする立場にある写真家が「昆虫写真家」と名乗る、そういう風に私は自分で理解しているつもりである。
 
 ちょっと力み過ぎて、長くなりそうなので、この続きはまた、(その3)にて、、。
 
 新開 孝

食べられた虫、食べた鳥 2007/01/21(その2)
 所沢市郊外の雑木林で、ヤマハンノキの立ち枯れ木が目についた。
大きくえぐるように穴が穿たれ、地面にはおびただしい削り屑が積もっている。木の髄まで達するほど掘り進めたのは、あきらかにアオゲラであろうと思われる。穴の大きいところでは大人の握りこぶしもゆったりと入る。
 アオゲラは、おそらく何度もこのヤマハンノキの立ち枯れに通い詰めたのではないだろうか。
 朽ち木の内部には、カミキリムシ類や他の甲虫類の幼虫が潜んでいたのであろう。それらを糧として、アオゲラは硬い材をコツコツと穿っては、摘み出していたに違いない。

 冬の朽ち木を丁寧に削り、その内部で生活する昆虫を撮影する度に思う事は、アオゲラやアカゲラなどキツツキ類が、実際にそのような昆虫を摘み出しては食べる瞬間を捉えてみたい、ということであった。
 この撮影を成功に導くための手段はいろいろと考えられ、ある年の冬、私は実際にそれを実行してみたことがある。
 しかし結局この撮影の試みは失敗に終わり、撮影できたのは単にアオゲラのポートレートだけであった。以後、まったく再チャレンジしていない。
 ねらいの写真は、キツツキが材から引きずり出した幼虫をくちばしにくわえた
瞬間、つまりは幼虫そのものの姿もしっかりと写り込んでいる必要があるが、実際にそういう瞬間が外部に晒されることがあるのかどうかも気にかかる。


(写真/E-330  14-54ミリズーム)

 

 新開 孝

二十年前の雑木林 2007/01/20
 室内にこもったままでの作業が今日も続く。そこでちょっと古い写真を引っ張り出してみた。

 写真上は20年前、下は16年前に撮影したもので、場所はいづれも所沢市下新井にある雑木林。所沢市航空公園の東あたり、と書けばわかりやすいかもしれない。

 20年前といえば、ちょうど私が結婚したころで、それと同時に大田区の池上から東村山市に引っ越してきた最初の年だと思う。
 上の写真に写っているジムニーは2気筒エンジンの古い古い型だが、私が初めて所有した自家用車であった。
 
 このジムニーは愛媛の成川渓谷の山道で横転事故を起こし、そこで受けたダメージが効いてか、その後2年ほどで廃車となった。ガードレールの無い急カーブ手前の坂道でいきなりシフトレバーがはじけてノーマルに戻ってしまい、おかげで急加速してしまい、慌てた私はむやみにブレーキを踏んでしまった。舗装していない山道であり、次の瞬間ズルズルとタイアがスリップし始めて、ハンドルでの制動が全く効かなくなってしまった。眼前は断崖絶壁!そのまま直進すれば原生林へと落下する。
 恐怖のあまり、私の視界は真っ白になったのを今でもはっきりと思い出せる。それでも必至で山際へとハンドルを切ったせいで、車は断崖側とは反対の山腹へと乗り上げ、見事に横転し、止まった。運転席側が下になったので、座席に置いていた機材やら荷物が、バラバラと私の体に降ってきた。荷物をかき分けてから、反対のドアを跳ね上げるようにして車から脱出したが、事故を起こした場所から公衆電話のある国道までは、歩いて2時間半かかった。幸い怪我は無かったが、いろいろと他人に迷惑かけることを思うと気が沈んでしまい、薄暗くなっていく山道を歩く時間が余計に長く感じたものだ。

 さて、上の写真では水筒のコーヒーを飲んだりして、余裕を見せているが、私の背後にはNikonの600ミリレンズを付けたカメラがある。これは当時、モズやヒヨドリの撮影をしていたころで、長時間滞在したブラインドから解放された一時の様子である。
 鳥の撮影に凝っていたのは、昆虫を食べる側の生き物を写真で表現してみたい、というようなねらいがあった。鳥の撮影がいかにたいへんか、ということは学生時代に充分、経験しているつもりであったが、連日、ブラインドの場所替えをしながら、ずいぶんと無駄な時間を費やしていたものだ。
 冬の時期だけは鳥の撮影に時間を割く日々が続き、そのおかげで昆虫観察がおろそかになっていく自分がよくわかった。冬だからといって、昆虫観察をおざなりにしたツケは大きかったと反省している。

 さて話は逸れてしまったが、わずか20年前、16年前ではあるが、雑木林の様子は、今とまったく違っている。
 そのころの雑木林では、毎年必ず、落ち葉の「くずはき」が施され、冬の林の中はとても明るかった。しかも、今のようにゴミの不法投棄もほとんどなく、気持ちよく林を歩くことができたものだ。春になればあちこちでギンラン、キンランが花を咲かせていた。

 今日の写真の場所を、同じ地点を撮影するにしても、もうまったく絵にならぬほど、荒れてしまっている。

 

先日、『昆虫ある記』武蔵野編の終焉にあたりーその1』として、昆虫写真家をめざす方への言葉を書きかけた。その続きは、明日に「その2」として書くつもりでいる。

新開へのご連絡は、こちらまで、、、、、
yamakamasu@shinkai.info
新開 孝

ウスタビガ幼虫の失敗作とは 2007/01/18(その1)
 エノキの梢にぶら下がっていたウスタビガの繭殻を持ち帰ってみた。
繭の大きさからして、この繭から旅立っていった成虫はオスだろうと推測できる。

 さて、何気なく繭の底にある水抜き穴を見てみれば、まるでイノシシの鼻か!?と思わせるような二つ穴となっていた。通常は一つ穴である。

 ウスタビガの繭を、「ヤマカマス」とも呼ぶけれど、さてこのヤマカマスの水抜き穴の内側には、非常に巧妙な仕掛けがある。そのことは、すでに拙著や雑誌などでも何度も書いてきたし、当「ある記」でも以前に触れている。
 今日はその巧妙な仕組みについては割愛する。が、そもそもヤマカマスの形状をきちんと最後まで仕上げる幼虫の巧みな技には、何度見ても驚くばかり。
 だからこそ、最後の最後で、少しばかりの失敗があっても、それはもう当然のこととして許されることであろうと思う。ちょっとした誤算がイモムシの繭作りのなかにも紛れ込んだようだ。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

『昆虫ある記』武蔵野編の終焉にあたりーその1

 かねがね、『昆虫ある記』のバックナンバーを見るのがたいへん!という声があり、私自身も過去に遡って読み返すときは苦労している。
 じつは、何も意地悪でそうなっているのではなく、私自身では当ホームページの構造を組み替えたりするなど、いろいろといじることができない、というのが最大の理由である。

 つまり私はホームページのソフトに関しては全くの素人であり、リンク貼りの追加すらできない。そこで、これから少しはホームページソフトについて勉強し、自らの手で改善していかねば、と思っている。本来、このような作業には気が向かない質であったが、そうも言っておれないだろうと考え直しているところである。

 さてさて先日、昆虫好きの人が目指す職業について、「昆虫写真家」というような稼業をめざすよりか、もっと現実的な、例えば昆虫園のような施設でのインストラクターなどを目指す道の方が、より現実的と書いた。

 すると、その発言は、「昆虫写真家」を目指している若者に対して、あまりに厳しい発言ではないか、という感触で受け止められた方もいらっしゃったようだ。
 そこで、もう少し補足的にお話しておく必要があるようにも感じている。 

 そもそも、この頃は、「昆虫写真家」という肩書きそのものが絶滅に瀕している。肩書きなんぞは、どうでも良いではないか、と言えばそれまでだが、業界で消滅しつつある「昆虫写真家」という看板は、今後、どうなっていくのであろうか?
 小学生や中学生という子供達の中で、非常に少ないとは言え、「昆虫写真家」に憧れる子たちも確実におるのであり、その子達にどういう言葉を掛ければ良いだろうか?
 もはや化石になろうとしている私ではあるが、少しは発言しなければ、「昆虫写真」とほざいて稼いでいる(だが収入については期待するなかれ!若者たちよ。好きなことを仕事にできるというのは凄いことなんぞ!)私が、自分の職業案内できなくては、それもまた無責任かもしれんぞなもし! 

 その2、に続く!!

 

 新開 孝

ヘリグロヒメアオシャク?幼虫 2007/01/18(その2)
 アオシャク類の幼虫をコナラの枝で見つけた。

 体は小さく若い幼虫だが、キバラヒメアオシャク幼虫に似ている。ただし本種には背面に突起が並んでおり、おそらくはヘリグロヒメアオシャクの幼虫だろうかと思うが自信は無い。

 アオシャク類の幼虫は、このように冬の間は枝や冬芽に擬態した姿、格好で過ごし、春になって芽吹きが始まれば、摂食を開始して脱皮し、こんどは若芽や葉っぱに擬態し直す。季節の進行に伴い、擬態も衣替えせねば、効果を失うからであろう。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
 新開 孝

タマバチの一種 2007/01/15
 コナラの冬芽で、タマバチの一種が産卵していた(写真上/撮影地は「ぐんま昆虫の森」で、撮影したのは昨日)。
 このタマバチは無翅であるが、翅のある種類もいる。

 タマバチが産卵した結果、春になって芽吹きのころから「虫こぶ」(虫えい)が形成されていく。

 タマバチ類の生態は非常に複雑で、専門書を読んでいても頭が混乱してくるばかりだ。やはり、実際に野外で綿密な観察を自ら行なって理解していくのがいいと思うが、とはいえ、それは決して容易ではない。

 しかもヤドカリタマバチ類というのがいて、こやつは他種のタマバチの「虫こぶ」にちゃっかりと宿る。そこで話は一層ややこしいことになる。

(写真上/E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真下/空堀川、私の住むマンションは画面中央左の白い建物/E-330 14-54ミリズーム)


 今日は、今進めている本作りの打ち合わせで、新井薬師方面へと出向いた。西武池袋線で江古田まで電車、そこからバスという経路は初めてであった。路線区間の運賃はいくらかと思えば、210円だった。私が昔、上京した当時、都内の路線区間料金は120円だったように覚えている。
 バスでゆったりと街中を巡れば、たしかにこの大東京、家と舗装道路ばかりがいつまでもいつまでも、延々と続く。こういう環境にはとても住めんなあ、と私は窒息しそうな気分になったが、こういうゴチャゴチャと人工物ばかりに取り囲まれていないと落ち着けない、という人もけっこうたくさんいるのだろう。

 打ち合わせが終わってからは、歩いてJR中野駅近くの「あおい書店」に立ち寄ってみた。この書店はワンフロアーだが、店舗面積はかなりあって、品揃えが豊富である。しかも私の著書がアウトドアのコーナーに揃って並べてあったりする。すでに古書店以外ではなかなかお目にかかれない、「珍虫の愛虫記」もまだあった。長く売れ残っていても、売れるまでは辛抱強く置いてくれているようだ。この一冊が売れたら、おそらく補充はしないだろうとは思う。

 今日のお目当ては、岩波新書の復刊本「南極越冬記」(西堀栄三郎)と、平凡社ライブラリーの「日本奥地紀行」(イザベラ・バード)であった。
 残念ながら「南極越冬記」は品切れだった。グレッグ・イーガンのSF文庫も欲しかったが、今日はパスした。
 昼食には、以前入ったことのあるラーメン屋を探したが、その店はすでに無かった。めし屋の変遷もほんとうに激しい。

 新開 孝

「ぐんま昆虫の森」を歩く 2007/01/14
 今日は朝から、「ぐんま昆虫の森」に赴いた。

日曜日とは言え、真冬の今頃の入場者数はどうだろうか?と思っていたが、予想以上に来園者が多く、驚いた。

 さて、「昆虫友の会」の餅つき会や役員会の前に、少しだけ昆虫の森を歩いてみた。空はよく晴れ渡っていたが、風がかなり強い。そのぶん、体感気温も低く感じる。

 コナラの梢で見つけたのは、御馴染みのコミミズク幼虫だが、体色が赤い(写真上)。コミミズクの体色には薄緑色や黒色、茶褐色(写真中)とバラエティに富んでいるが、赤い色というのは、どうも見た記憶が無いので、今朝は新鮮に感じた。

 林を歩いていると、昆虫観察会の一行に出会った(写真下)。解説している指導員は若手の方で、遠くからその様子を窺っていると、よく通る声でしっかり解説しているのが聴き取れた。

 昆虫が大好きで、昆虫関係の職に将来はつきたい、と願う若者がいるとすれば、「ぐんま昆虫の森」のような施設への就職という道もある。全国にはたくさん、昆虫園という施設があって、昆虫に詳しくて、やる気のある若者を必要としているはずだ。
 就職となるとそれなりに狭き門となるが、昆虫写真家などという職業に憧れるよりかは、よっぽど現実的である。そこでは目標に向けたそれなりの勉強の仕方があると言えるが、昆虫写真家になるための勉強法という道筋は、残念ながら無い。

(E-500 35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真下/E-330  14-54ミリズーム)


新開 孝
menu前ページTOPページ次ページspace.gif
Topics Board
ホーム | 最新情報 | 昆虫ある記 | ギャラリー | リンク | 著作紹介 | プロフィール