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ツマキチョウの越冬蛹 2007/01/12
 写真のツマキチョウ越冬蛹は、一昨年の春に蛹化したもので、今は2回目の冬を迎えていることになる。

 うちのマンションのベランダは西向きで、その先は国有地の草地となっている。その草地は年に二回程度、業者が入って草刈りをするが、春には一面セイヨウカラシナの黄色い花畑となる。
 そのセイヨウカラシナでは、毎年ツマキチョウが発生しており、ベランダから手を伸ばすだけで、ツマキチョウの卵や幼虫を摘み採ることができるのであった。

 昨年はツマキチョウの羽化シーンを撮影すべく、一昨年に飼育をしたのだが、その飼育で得た蛹の一部が昨年の春には羽化しなかった。
 2回目の冬を迎えた蛹たちも、この春には羽化するものと思われるが、この蛹たちの羽化を見ずして、私は宮崎に引っ越しせねばならない。

 しかし、やはりこの蛹たちがほんとうに羽化するのかどうかは確認しておきたい気もして、知り合いのカメラマンに譲り渡す予定である。

(写真上/E-500  マクロ50ミリ)
(写真下/空堀川、E-500  マクロ50ミリ)


新開 孝

越冬袋、ふたたび 2007/01/10
 イチモンジチョウ幼虫の越冬巣は、先週4日に紹介したばかり。

 越冬巣の大きさはほぼ5ミリ程度のものであり、しかも萎れた葉片であるから、回りの環境に溶け込んでしまう。うっかり目を離すと見失ってしまいそうだ(写真上、画面中央)。

 今朝は、誰が見てもわかりやすい越冬巣を撮影しておこうと思い、金網柵に絡んだスイカズラの蔓を見てみた。すると新たに2つの巣が見つかった。
 そのうちの1つは巣の開口部から越冬幼虫の頭が見えており、写真にするには、まさに打ってつけの巣であった(写真下)。

 それにしても、イチモンジチョウ越冬巣は、この狭い範囲のスイカズラでどのくらいの数があるのだろう? かと言って、数調べをしようとは思わないのだが。
 
 少し離れた場所に植えられている、ウグイスカグラでも巣を探してみたが、こちらでは見つからなかった。夏には幼虫がついていたから、ウグイスカグラでも越冬している幼虫がいるはずだ。
 しかし、あまりフィールドをうろついている時間が無い。時間切れとなってそこそこに引き返した。

(写真上/E-500 マクロ35ミリ+1.4倍テレコン)
(写真中/EOS-5D   MP-E65ミリマクロ)
(写真下風景/E-330  14-54ミリズーム)

新開 孝

今日のエリマキアブ(フタスジヒラタアブ)幼虫 2007/01/08
 昨日は、エリマキアブ幼虫の共食いをアップしたが、今日見た幼虫3匹はいずれもおとなしく金網柵の縁に落ち着いていた。

 しかし、そのうちの2匹はまさに異常接近しており、仲良く並んでいるなどとは到底言えない(写真上)。どちらかが迂闊に動けば、共食いに至るのは明らかだ。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真下/中里雑木林 E-500  14-54ミリズーム)

新開 孝

共食い 2007/01/078その2)
 エリマキアブこと、フタスジヒラタアブ幼虫の様子は、ここ数日、散歩がてらに覗いている。

 遊歩道沿いの金網柵には2、3匹の幼虫が見つかっているが、今朝は、食事中の幼虫を見つけた(写真上)。

 獲物が何であるのか、私の興味はそこにあったのだが、すでに獲物の体はほとんど吸血され尽くされ、小さく萎縮していた。
 
 獲物は萎縮しているが、しかしよくよく見れば、獲物の正体はなんとエリマキアブ幼虫そのものではないか。つまり共食いであったのだ(写真下)。

 飽食して体が円筒型に太った捕食者側のエリマキアブ幼虫。その喰った側の幼虫と、喰われてしまった幼虫との位置関係を見ながら、今朝の共食いの現場検証をしてみよう。

 つまり、喰われた側の幼虫は、金網柵の縁に巻きつく姿勢で静止していたのであろう。そこへ、他の幼虫が移動してきて、餌食となった幼虫に辿り着いたものと推測できる。昨日は一日中雨で気温も低かったが、今日は好転して気温も上がったので、幼虫のなかには移動し始めたものもいたということだろう。
 通常ならエリマキアブ幼虫は固着生活を送り、獲物が通りかかるのを待ち伏せしているのだが、この時期、獲物の捕獲率はきわめて低いに違いない。待ち伏せ場所を離れる理由はじゅうぶんにあったと思われる。

 エリマキアブ幼虫同士の共食いを見るのは、今回が3例目であり、彼らにおいてはしばしば共食いが生じるようである。

(E−500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

 新開 孝

落ち葉の下の「呉越同舟」 2007/01/07(その1)
 チョウ類の越冬幼虫の中でも、ゴマダラチョウ幼虫を見つけるのはたいへん易しい。エノキの根際に落ち葉が溜まっていれば、例え都会の中であっても、幼虫はそこそこ見つかる。

 今朝は中里団地に近い柳瀬川沿いのエノキ根際を見てみた。すると一枚の落ち葉に2匹が並んだものがさっそく見つかった(写真中)。

 次に出てきたのは、ワカバグモとムーアシロホシテントウ。まさにこれは「呉越同舟」である(写真下)。

 大きなエノキは何本かあったが、根際の落ち葉がほとんど無いものが多く、ゴマダラ探しはあっけなく幕切れとなった。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真上のみ、14-54ミリズーム)新開 孝

越冬袋とは 2007/01/04
 「福袋」ならぬ「越冬袋」を、今日は少し探してみた。

 近所の中里でスイカズラを眺めながら、5分と掛からずその「越冬袋」(写真上)を探し当てることができた。初めて見るものだが、なるほど!!とすぐに納得がいった。 

 袋を綴じている糸を切って割り開いてみれば、なんとも小さいイチモンジチョウの越冬幼虫の姿があった(写真中/画面右が頭部)。幼虫の体長は4ミリ程度で、頭でっかち。これで3令幼虫である。

 イチモンジチョウの越冬幼虫は、今日初めて見るわけで、これまでずっと宿題としてやり残していた。いや、少しは探してみたことがあるのだが、イメージが掴めないままの探索は、徒労に終わっていた。しかもコミスジ越冬幼虫のイメージに影響されて、余計な遠回りをしていたこともわかった。

 ところが今日は、ふとイメージが湧いたのであった。イチモンジチョウの越冬場所というイメージが。そこでそのイメージに素直に従ってスイカズラを見てみれば、たちまちに数個の「越冬袋」が見つかったのであった。
 「越冬袋」は風で吹き飛ばされないように、糸束でもってしっかりと茎に繋ぎ止められている(写真下)。

 こうしてイチモンジチョウの越冬幼虫を撮影してから、保育社の『原色日本蝶類生態図鑑U』を開いてみれば、「幼虫は基部に残された葉片を左右から閉じて袋状の越冬巣を造り、その中で越冬する。」と記載があるではないか。この記載をきちんと読んでおれば遠回りもせずに済んだはずだが、、、、、、。

(写真上/E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真中、下/EOSキッスデジタルN  MP-E65ミリ)


新開 孝

「ひょうたん島」はどこへ行く? 2007/01/03
 樹皮がボロボロになっているクリの朽ち木があった。シロアリが食害したあとの空洞ができていて、そこから下った地下にはトビイロケアリが営巣している。

 崩れかかった樹皮をはがしてみると、多数の「ひょうたん島」が見つかった。その「ひょうたん島」を並べてみると(写真上)、サイズはほぼ大小二つに分かれている。

 さて、真冬の今、トビイロケアリの行列は見当たらない。しかし、少し季節を遡れば、「ひょうたん島」が集まっていた朽ち木空洞内は常にアリでひしめいていたはずである。
 じつは「ひょうたん島」は、常にそうしたアリ達の行き交う空間で見つかる。

 「ひょうたん島」の正体は、こうして白紙の上に放置しておくと、数分で判明する(写真中)。まるでヤドカリのように移動し始めるのである。

 「ひょうたん島」は、膨らみをもった薄皮状のものが、ちょうど二枚貝のように合わさった構造となっていて、その蓑の中には幼虫が一匹、納まっている(写真下)。
 ひょうたん中央のくびれた部分2箇所が糸束で綴じ合わせてあり、それ以外の外周縁はぴたりと合わさっているだけである。したがって、親指と人差し指でひょうたんのくびれ部分に力を加えるだけで、パコンッと大きく口を開き、中の幼虫を覗き見る事が出来る。二枚貝と大きく違うのは、蝶番が2箇所にあることだが、
2箇所できっちりと合わさってはいるが、貝殻にあたる部分はとても柔軟な構造となっている。

 中の幼虫は、体の前部分の頭胸部だけを外に突き出し、胸脚や口を使って支持部を掴むと、そこを支点にして蓑ごと体後半部を引っ張る。これを繰り返して移動する。
 幼虫の体はしなやかであり、狭い蓑内で体の向きを反転させることができる。つまり反対側から頭を突き出せば、蓑の向きを変えなくても後退できるわけである。これは朽ち木の狭い隙間で移動する際に役立つ機能といえるだろう。
 (ちなみにミノムシもあの狭い蓑の中で体を反転でき、蓑の上下のどちらからも頭を出せる。)
 
 「ひょうたん島」つまり本種は、ヒロズコガ科に属する蛾の一種で、和名を「マダラマルハヒロズコガ」という。ヒロズコガ科はミノガ科に近縁なグループであり、形こそ異なるが、なるほど幼虫が蓑の中に隠れている点ではミノムシに似通っているとも言える。
 それにしてもマダラマルハヒロズコガという名前はどうにも長い。「ひょうたん島」などという愛称もあって、いいのではないか。

 さて、アリと関わる本種の幼虫が、まさにアリそのものを糧としている、ということが解明されて公表されたのはつい数年前のこと。
 これまでの蛾類図鑑を開くと、「本種の幼虫は朽ち木などを食す」とある。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)新開 孝

拾いものコレクション 2007/01/02
 3月末の引っ越しの日取りも決まったことだし、何かにつけ部屋のあちこちを整理する日々となっている。

 私の所有する昆虫標本は微々たるもので、桐箱で10箱程度。標本を作る楽しみや必要性は知っていても、できるだけ標本の数は増やさないように心がけてきた。それは保管場所の限界があるからだし、また必要以上に増やしても管理が行き届かなくなる。

 昆虫標本は原則として、採集データのラベルなどと一緒に昆虫針で留めて整理する。単に装飾用として眺めるならそれでもいいが、データの無い標本は無価値に等しい。また標本の細部を調べる上でも、針刺しにしておくほうが都合がいいわけだ。

 そういった主に成虫の昆虫標本とは別に、撮影の仕事上、いろいろな脱け殻とか卵の殻とか、繭殻とかが、手元に残る。フィールドで拾った死骸やら、脱け殻なども、妙に欲しくなって持ち帰ったり、いずれ仕事で必要になるだろうと思って大事にしまっていたりする。
 いわば拾い物に近いコレクションが、いつのまにか増えてしまう。

 こうしたコレクションは、入手した段階で手近にある適当なケース類に納め、これはどうしても大事、という物件については昆虫標本と同じようにデータを書き込んだラベルを添えておく
 
 今日はそれらのうちのごく一部をカタログとして撮影してみた(写真上)。

 このなかで、ヤママユの繭殻は大きく壁を切り開いたものが目に入った(写真中)。繭の中の蛹が見えているが、その頭部には大きな穴が開いている。じつはこの物件は、コンボウアメバチという大きな寄生バチの羽脱シーンを撮影しようとして、繭壁を取り外したものだ。撮影したのは10年くらい前のことで、とても懐かしい。
 当時は、ヤママユの本を作るための撮影に没頭していた頃だが、ヤママユの羽化の瞬間というのは繭の中で行なわれるので、その繭の内部の羽化を写真にしようとしていた。その撮影そのものには成功したが、出来上がった写真は面白くなくて、結局、ボツとなった。

 タマムシは、死骸をよく拾う。近場の雑木林では、ほとんど生きたタマムシの成虫を見る機会はなくても、ころがっている死骸には必ず毎年、出会った(写真下)。ある場所で、ある昆虫がいるかいないか、という結論は簡単には下せないのであり、姿を見ないからというのは、いないという理由には全くならない。が、案外そのような基本的なことの認識を、きちんと把握している人は少ないのかもしれない。

 ともあれ拾い物コレクションを並べてみれば、過去のフィールド経験や撮影の現場での出来事、撮影意図など、さまざまな想い出が蘇ってくる。


(E-330 14-54ミリズーム)新開 孝

平成19年 謹賀新年 2007/01/01(その1)
 あけまして おめでとうございます。

『新開孝の昆虫写真工房』も、4回目の元旦を迎えました。
そして、武蔵野のフィールドから発信してきた『昆虫ある記』の更新も、そろそろ終わりに近付いてきました。
 
 四国の愛媛、松山から上京した当初は、武蔵野の雑木林への憧れが強かったものです。そして24年間、武蔵野台地の自然を実際に歩いてみて、ここでは憧れ以上の素晴らしい自然を自分なりに発見できたと思っています。
 その憧れのきっかけを得たのは、さまざまな自然書でした。何冊もの本の中から汲み取った情報は、私の想像力を大いにかき立ててくれました。そして、いつの日か、今度は私自身の力で、多くの方々にそういった自然への興味をかき立てることのできるような、本作りをしたい、そう思うようになりました。

 自然とはいっても私が体感できたものは、「虫のふしぎ」を見つめていく過程で得たものです。虫という生き物を通して、自然というものを理解しようとしたに過ぎません。
 しかし、虫は、昆虫は、さまざまな自然と深く関係しながら生きています。虫を知ろうとする努力は、自然を広く理解しようという姿勢にも近付いていくはずです。

 武蔵野のフィールドを巡りながら、私なりに体験できた昆虫世界を、これまでに数冊の本にまとめたり、講演でお話ししたり、あるいは自然観察会の場で、参加者の方達とともに体験したりと、私は「昆虫写真家」稼業を営んできました。

 24年間、武蔵野での生活を送ってきて、ここ数年前から、一つの節目を迎えたことを強く実感してきました。それは武蔵野の環境の変化というのが一番大きいのですが、もう一つには私自身の内面に関わる変化も大きいと思っています。

 私の気持ちが徐々に変化するなかで、2004年、2005年と2年の間に九州の地へ何度も足を運んだことが、私にとっての節目を明解にする決定的な出来事でありました。

 東京で暮らすのも、いずれ家族ができたら終止符を打って地方へ移転しよう。そういう考えはずっと前からありました。それを実行に移すのは、現実的にはたいへん難しく、あれよあれよというまに11年が経ってしまいました。
 
 しかし、いよいよ機は熟しました。
 新たな地で、私はこれまでと変わらず昆虫写真家としての視線で自然と向き合っていきます。
 
 宮崎での生活のスタートは、ちょうど今年の4月1日からとなります。

(写真/ゴマダラチョウ越冬幼虫の顔  E-500 35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

 

 新開 孝

トホシテントウの越冬幼虫 2007/01/01(その2)
 ゴマダラチョウの越冬幼虫をエノキの根際で探していたら、トホシテントウの幼虫も見つかった。

 トホシテントウの幼虫は、カラスウリやアレチウリの葉っぱを食べている姿が、秋遅くまで見られるが、その後の足取りをこれまで掴めてなかった。落ち葉の下で冬越しするとは図鑑類にも載っているが、自分の目で確認できたことはなかった。

 まさにゴマダラチョウ幼虫探しの副産物ではあったが、トホシテントウ幼虫の越冬する姿を初めて撮影できた。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)新開 孝

シルクロードを辿る日々とは 2006/12/31
 中里の林に面した金網柵に先日見つけた、エリマキアブ幼虫(フタスジヒラタアブ)を再度、見に行ってみた。

 金網柵の縁に巻き付く格好の幼虫のそばには、餌食となった残骸がぶら下がっていた(写真上)。その残骸はよく見れば、徘徊性のハエトリグモ類の一種であろうと思える。クモには成体で冬を越すものも多く、なおかつ寒さに強い種類が多くいて、そういうクモたちがエリマキアブの格好の餌となるのである。

 フタスジヒラタアブ幼虫に対して、エリマキアブという名称を私が付けた理由は、この幼虫たちが細枝に巻き付くような格好でよく見つかるからであった(写真中)。その奇異な姿はずいぶんと以前から目にしていたが、なぜそのような姿勢で枝に留まっているのかという疑問に対しての答えは、なかなかに掴めなかったのであった。

 フタスジヒラタアブ幼虫が枝に巻き付くのは、そこを通り掛かる獲物を捕らえるための体をはった罠であったのだ。歩行移動する小昆虫やクモなどは、枝伝いに歩くうちに、このエリマキアブトラップを嫌でも踏みつけていくわけであり、そうなると瞬時に襟巻きがほどけて、跳ねるようにして獲物をくわえるのである。獲物が掛かるまでは枝と一体となって固着姿勢をとっていたフタスジヒラタアブ幼虫は、ここぞという瞬間に獲物を捕らえると、その獲物を高々と空中に持ち上げるのである。

 空中に獲物を抱え上げる理由とは、獲物が逃げようとする反撃力を、その足場を奪うことによって、無力化するという効果がある。

 さて、では枝ではなく、金網柵の縁に留まるエリマキアブ幼虫の行動は、いささか不可解と思われる方もいることだろう。
 
 その答えについて、私なりに納得していることを説明しておこう。

 まず、金網柵の平面部ではなく、ほとんどが縁の部分に体を曲げて静止していることからも、彼らが落ち着く場所というのは、ある程度の曲率をもった箇所を選んでいるのであろうと推測できる。幼虫にとって、それは擬似的に枝なのであろう。

 さらに写真下を見ていただきたい。少しわかりづらいかもしれないが、金網柵の縁には無数の糸が付着している。これはクモやあるいは蛾、チョウ類の幼虫が歩くときに残した糸の道、つまりはシルクロードなのである。
 金網柵というのはあらゆる昆虫たちの移動に利用されているが、なかでも特に、クモやイモムシたちの辿った痕というのは、シルクロードとして、明確な痕跡として残っているのである。

 ならば、エリマキアブ幼虫たちが、何喰わぬ顔でそこに留まっている理由は明解となる。そのシルクロードを彼らははっきりと感知しているのではないか、と思われるのである。獲物たちの気配を察知するには、これほどまでに確実な痕跡が他にあるであろうか?

 (写真上、下/EOSキッスデジタルN  シグマ50ミリマクロ)
 (写真中/EOSキッスデジタルN  MP-Eマクロ65ミリ)


新開 孝

ぬけがら 2006/12/30
 マンション裏の草地に出てすぐに、白い脱け殻が目に入った。ヤマブキの植え込みに混じって生えているエノキの小木に、ぶら下がっていた。その脱け殻とはゴマダラチョウの蛹の殻である。

 エノキの実は鳥の餌となり、そしてあちこちで糞と一緒に種子がまき散らされる。エノキの種子の萌芽力はかなりたくましいようで、実生の小木は近所を散歩すれば数え切れないほど見つかる。

 そうしたエノキの実生木であっても、ゴマダラチョウの幼虫がちゃんと育つだけの葉っぱを提供できるようである。都会でも生きのびるたくましさは、まさにこの繁殖力からくるものかもしれない。もっとも成虫の餌資源をどこで確保し得ているのか、今ひとつ見えてこないのだが、、、。ペットブームによる犬の糞も一役買っているのだろうか?あるいは人の食生活から排出される、膨大な食品の廃棄物なども関係しているのかもしれない。
 チョウの餌は、花の蜜くらいしか思いつかない多くの方々からすれば、まさか残飯がチョウの餌?と不思議に感じるだろうけど、、、。

 (E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

新開 孝

カブトムシのプレゼント 2006/12/29
 今日は午後から久しぶりに雑木林を歩いてみた。冷たい風が強く、いかにも冬らしい一日だった。

 昨日は午後5時になって、来春出版本一冊の原稿書きを終えたばかりで、早く外を歩いてみたいと思っていた。しかし、今朝はまだ書き上げた原稿のチェックと手直し作業に掛かり切りとなってしまった。
 私が原稿を書くのはいつも明るい昼間と決めていて、朝の8時ころから午後5時まで室内にこもりっきりでパソコンに向う。原則として、夜は飲んでいるのが私の日常の生活である。

 さて、前々からある方と約束していたカブトムシの幼虫を一匹だけだが採集した。幼虫の腹部を見ると、オスであることがわかる。あと追加して5匹もあればいいでしょうかねえ? 

 中里の金網柵では、「エリマキアブ幼虫」を2匹、見つけた(写真下)。写真の幼虫はたらふく獲物を吸血したばかりのようで、体が円筒型に膨らんでいるのがわかる。
 この冬の時期に獲物がいるとは、通常なら考えにくいことだろうが、冬の雑木林にはシャクガ類のイモムシやクモ類が無数にいて、エリマキアブの餌には事欠かないようである。
 エリマキアブとはずいぶんといい加減な呼び名だが、正式な和名は「フタスジヒラタアブ」である。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
 新開 孝

アリジゴク 2006/12/24
 今朝は急遽、アリジゴクを撮影に出掛けた。
 場所は埼玉県の多福寺である(写真上、中)。

 児童書の図鑑で使う写真の依頼があり、その中でも手持ちカットに無かった1枚の写真を撮り足す必要があった。誰でも知っている通り、アリジゴクは、ウスバカゲロウの幼虫が作った巣穴で、まさに落とし穴式の罠である。

 私も小学生の頃にはすり鉢状の巣穴に憧れたし、不思議な姿のウスバカゲロウ幼虫を欲しいと思い続けていた。しかし、どこをどう探せばいいのかよくわからなかった。小学生のころの私は、昆虫少年にはほど遠い自然音痴で、さらに内向的な性格でもあり、アリジゴクを見せてくれた同級生から居場所をきちんと聞き出す事もできなかった。もっとも記憶は定かでないが、その友人が居場所を秘密にしていた可能性は高い。
 タイムマシンさえあれば、今から40年前にタイムスリップして、あちこちで
アリジゴクを過去の自分に見つけてやれるに違いないと思ったりする。40年も前の松山市の住居近辺なら、アリジゴクは無数にあったことだろう。

 さて、ウスバカゲロウ幼虫は夏に卵からふ化したあと、少しづつ成長してふた冬を越して2年目の6月ころから成虫へと羽化する場合と、あるいは、さらにもう一冬を越してから羽化するものもいる。なにせ待ち伏せ型の罠で餌を得るわけだから、何日も餌にありつけなかったり、いやヒドいときには数週間ものあいだ絶食を余儀なくされるケースも珍しくない。
 幼虫にはそういった食料事情の個体差がはなはだしく、同じ時期にふ化しても成長速度にはかなりのバラツキが生じても当然なわけである。幼虫期間は2〜4年間といわれている。
 
 したがって、今の時期でも幼虫を見つける事は容易い。さすがに夏場の時期に比べるとアリジゴクの巣穴の数は減っており、コロニーの全景カットなどの撮影には無理があるが、幼虫だけを見つけるには何の苦労もいらない。
 
 今日たまたま掘り出した2匹の幼虫のうち、一匹はあまり餌を取れていないようで、頭でっかちの痩せた姿をしていた(写真下)。仕事に使った幼虫はもう一匹のほうであるが、このやせ細った幼虫のほうが、体の特徴をつかみ易い。

(写真上、中/E-330 14-54ミリズーム)
(写真下/EOSキッスデジタルN  MP-E65ミリマクロ) 

 
新開 孝
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