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ヤママユの繭殻 2007/01/21(その1)
 
 昨日アップした写真「20年前、16年前の私と林の様子」を撮影したその現場に、今日は行ってみた。所沢市下新井の雑木林である(写真上)。

 写真の中で私が立っていた場所はほぼ特定できたが、当時カメラを構えた場所に立つことは不可能であった。そこは背丈の高いササ薮となっているからだ。
 ジムニーを止めてあった場所も、すぐ脇まで廃棄物処理場の埋め立てが迫り、林内は同じくササ薮だらけとなっていた。
一応は昨日の写真とほぼ同じ場所と思われる地点で撮影してみたが、やはり同ポジションではないので、比較する写真にはならず、作為的になって面白くない。

 今のように林内にササ薮が侵入し始めたのは、林に人の手が入らなくなった10年くらい前であったように思う。近隣の農家でも堆肥を使うところは激減してしまったうえ、雑木林は土地の持主からしてみれば、厄介なお荷物でしかなく、放置されたまま、ますます荒れていく。そこへは都会から粗大ゴミや産業ゴミが捨てられ、人の心の荒廃まで浮き彫りにする。

 暗く重い気持ちになりながら、林を歩いていると、落ち葉の上にヤママユの大きな繭殻が落ちていた(写真中、下)。根っこを晒してでんぐり返ったコナラの朽ち木を蹴飛ばしてみると、コロリンとカブトムシ幼虫が転がりでてきた。土と混じった腐植材の狭い隙間には、少し栄養失調気味のカブト幼虫が6匹、互いに寄り添って潜んでいた。コナラの梢を見上げれば、同じくヤママユ繭殻が一本の木に3個ぶらさがっていた。
 その繭殻にぽっかりと大きく開いた穴を見つめていると、夏の夜、大きなヤママユたちがこの林の上空を舞い、梢の合間をすり抜けながら鱗粉を散らし、そして巨大で緑に輝く幼虫たちが、コナラやクヌギの葉をパリパリと暴食する姿が目に浮かぶようだ。

 たしかに林は荒れた。昆虫の種類も数も減ってきた。がしかし、もちろん一気に何もかもが姿を消していくわけではない。昔のまま相変わらずたくましく生きている昆虫もまだまだいる。
 ここの林も大掛かりに整備していけば(かつて薪炭林として活用されたような二次林として)再び、いろんな昆虫をはじめ多様な生き物がすみかとして戻ってくるものと期待できる。

 このような雑木林の再生は、もはや行政にだけ委ねていてはダメで、雑木林を活用したい市民の力も併せて、身近な自然を自分たちのために取り戻す努力が必要だろう。そして雑木林を活用する立場、例えば昆虫採集を楽しんだり、観察や撮影を楽しんだり、キノコ狩りしたりする様々な人たちからも、雑木林の整備に対して投資がなければ、もはやこの里山維持は成り立っていかない。

 私はあまり偉そうなことが言える立場ではないが、雑木林という自然と人社会の接点で、生物環境のバランスを巧妙に維持して来た歴史を大事にしたいと考える。
 そこで、まずは自分自身の手でもって、その雑木林を手入れする作業を始めてみようと考えている。それは2ヶ月後に移転する宮崎の土地で実現する。
 本や人の話も大事だが、自らの土地で、まずは汗を流しながら林を維持することを真に体験してみたいと思う。自分にとっては仕事の糧を生み出す林でもあり、真剣にならざるを得ない立場で立ち向かうことになる。
 雑木林こそが、私の一家が生活していくうえで、無くてはならない生産活動の場になるからである。

(写真/E-330  14-54ミリズーム)

『「昆虫ある記」武蔵野編の終焉にあたりーその2』

 「昆虫写真家」という職業については、それに憧れる方もごく僅かだがいらっしゃるようで、私のところにも「将来、昆虫写真家になりたい」という小学生の方からメールをいただくことがあった。
 とても情熱的なメールだったので、私は丁寧に返事を書いたが、しかし昆虫写真家の職業案内はできても、そこへの就職手引きは不可能である。こうすれば早道とか、こんな心がけなら良いよとか、そういうアドバイスもあまり意味が無いと思う。
 プロの「昆虫写真家」というのはどこか「陽炎(かげろう)」のようで、じつに怪しい存在である。それというのも、写真家によっては、ときと場所によって肩書きを使い分けており、あるときは「自然写真家」、「生物写真家」であったりして、「昆虫写真家」という職業名はいかにもあやふやで、死語になりつつあるのかと感じさせる瞬間も多いからだ。
 しかしながら、私は迷わずどこまでも「昆虫写真家」を名乗り続けるつもりであり、このいかにもこだわりの名称が気に入っている。「昆虫写真家」だからといって、何も昆虫しか撮影しないわけではない、ということをそれを改まって説明する意味合いで「自然写真家」とか「生物写真家」とか肩書きを変える必要はないと、私は考えている。昆虫にこだわる中で、広く深く自然を見つめる姿勢に変わりはないからだ。この肝心なところを押さえて活動しておれば、その作風から世間に対しては自ずと伝わるものがあるはずだ。
 
 昆虫世界を熱心に情熱的に、そして冷静に覗き見ることで、広く生物世界を理解しようとする立場にある写真家が「昆虫写真家」と名乗る、そういう風に私は自分で理解しているつもりである。
 
 ちょっと力み過ぎて、長くなりそうなので、この続きはまた、(その3)にて、、。
 
 新開 孝

食べられた虫、食べた鳥 2007/01/21(その2)
 所沢市郊外の雑木林で、ヤマハンノキの立ち枯れ木が目についた。
大きくえぐるように穴が穿たれ、地面にはおびただしい削り屑が積もっている。木の髄まで達するほど掘り進めたのは、あきらかにアオゲラであろうと思われる。穴の大きいところでは大人の握りこぶしもゆったりと入る。
 アオゲラは、おそらく何度もこのヤマハンノキの立ち枯れに通い詰めたのではないだろうか。
 朽ち木の内部には、カミキリムシ類や他の甲虫類の幼虫が潜んでいたのであろう。それらを糧として、アオゲラは硬い材をコツコツと穿っては、摘み出していたに違いない。

 冬の朽ち木を丁寧に削り、その内部で生活する昆虫を撮影する度に思う事は、アオゲラやアカゲラなどキツツキ類が、実際にそのような昆虫を摘み出しては食べる瞬間を捉えてみたい、ということであった。
 この撮影を成功に導くための手段はいろいろと考えられ、ある年の冬、私は実際にそれを実行してみたことがある。
 しかし結局この撮影の試みは失敗に終わり、撮影できたのは単にアオゲラのポートレートだけであった。以後、まったく再チャレンジしていない。
 ねらいの写真は、キツツキが材から引きずり出した幼虫をくちばしにくわえた
瞬間、つまりは幼虫そのものの姿もしっかりと写り込んでいる必要があるが、実際にそういう瞬間が外部に晒されることがあるのかどうかも気にかかる。


(写真/E-330  14-54ミリズーム)

 

 新開 孝

二十年前の雑木林 2007/01/20
 室内にこもったままでの作業が今日も続く。そこでちょっと古い写真を引っ張り出してみた。

 写真上は20年前、下は16年前に撮影したもので、場所はいづれも所沢市下新井にある雑木林。所沢市航空公園の東あたり、と書けばわかりやすいかもしれない。

 20年前といえば、ちょうど私が結婚したころで、それと同時に大田区の池上から東村山市に引っ越してきた最初の年だと思う。
 上の写真に写っているジムニーは2気筒エンジンの古い古い型だが、私が初めて所有した自家用車であった。
 
 このジムニーは愛媛の成川渓谷の山道で横転事故を起こし、そこで受けたダメージが効いてか、その後2年ほどで廃車となった。ガードレールの無い急カーブ手前の坂道でいきなりシフトレバーがはじけてノーマルに戻ってしまい、おかげで急加速してしまい、慌てた私はむやみにブレーキを踏んでしまった。舗装していない山道であり、次の瞬間ズルズルとタイアがスリップし始めて、ハンドルでの制動が全く効かなくなってしまった。眼前は断崖絶壁!そのまま直進すれば原生林へと落下する。
 恐怖のあまり、私の視界は真っ白になったのを今でもはっきりと思い出せる。それでも必至で山際へとハンドルを切ったせいで、車は断崖側とは反対の山腹へと乗り上げ、見事に横転し、止まった。運転席側が下になったので、座席に置いていた機材やら荷物が、バラバラと私の体に降ってきた。荷物をかき分けてから、反対のドアを跳ね上げるようにして車から脱出したが、事故を起こした場所から公衆電話のある国道までは、歩いて2時間半かかった。幸い怪我は無かったが、いろいろと他人に迷惑かけることを思うと気が沈んでしまい、薄暗くなっていく山道を歩く時間が余計に長く感じたものだ。

 さて、上の写真では水筒のコーヒーを飲んだりして、余裕を見せているが、私の背後にはNikonの600ミリレンズを付けたカメラがある。これは当時、モズやヒヨドリの撮影をしていたころで、長時間滞在したブラインドから解放された一時の様子である。
 鳥の撮影に凝っていたのは、昆虫を食べる側の生き物を写真で表現してみたい、というようなねらいがあった。鳥の撮影がいかにたいへんか、ということは学生時代に充分、経験しているつもりであったが、連日、ブラインドの場所替えをしながら、ずいぶんと無駄な時間を費やしていたものだ。
 冬の時期だけは鳥の撮影に時間を割く日々が続き、そのおかげで昆虫観察がおろそかになっていく自分がよくわかった。冬だからといって、昆虫観察をおざなりにしたツケは大きかったと反省している。

 さて話は逸れてしまったが、わずか20年前、16年前ではあるが、雑木林の様子は、今とまったく違っている。
 そのころの雑木林では、毎年必ず、落ち葉の「くずはき」が施され、冬の林の中はとても明るかった。しかも、今のようにゴミの不法投棄もほとんどなく、気持ちよく林を歩くことができたものだ。春になればあちこちでギンラン、キンランが花を咲かせていた。

 今日の写真の場所を、同じ地点を撮影するにしても、もうまったく絵にならぬほど、荒れてしまっている。

 

先日、『昆虫ある記』武蔵野編の終焉にあたりーその1』として、昆虫写真家をめざす方への言葉を書きかけた。その続きは、明日に「その2」として書くつもりでいる。

新開へのご連絡は、こちらまで、、、、、
yamakamasu@shinkai.info
新開 孝

ウスタビガ幼虫の失敗作とは 2007/01/18(その1)
 エノキの梢にぶら下がっていたウスタビガの繭殻を持ち帰ってみた。
繭の大きさからして、この繭から旅立っていった成虫はオスだろうと推測できる。

 さて、何気なく繭の底にある水抜き穴を見てみれば、まるでイノシシの鼻か!?と思わせるような二つ穴となっていた。通常は一つ穴である。

 ウスタビガの繭を、「ヤマカマス」とも呼ぶけれど、さてこのヤマカマスの水抜き穴の内側には、非常に巧妙な仕掛けがある。そのことは、すでに拙著や雑誌などでも何度も書いてきたし、当「ある記」でも以前に触れている。
 今日はその巧妙な仕組みについては割愛する。が、そもそもヤマカマスの形状をきちんと最後まで仕上げる幼虫の巧みな技には、何度見ても驚くばかり。
 だからこそ、最後の最後で、少しばかりの失敗があっても、それはもう当然のこととして許されることであろうと思う。ちょっとした誤算がイモムシの繭作りのなかにも紛れ込んだようだ。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

『昆虫ある記』武蔵野編の終焉にあたりーその1

 かねがね、『昆虫ある記』のバックナンバーを見るのがたいへん!という声があり、私自身も過去に遡って読み返すときは苦労している。
 じつは、何も意地悪でそうなっているのではなく、私自身では当ホームページの構造を組み替えたりするなど、いろいろといじることができない、というのが最大の理由である。

 つまり私はホームページのソフトに関しては全くの素人であり、リンク貼りの追加すらできない。そこで、これから少しはホームページソフトについて勉強し、自らの手で改善していかねば、と思っている。本来、このような作業には気が向かない質であったが、そうも言っておれないだろうと考え直しているところである。

 さてさて先日、昆虫好きの人が目指す職業について、「昆虫写真家」というような稼業をめざすよりか、もっと現実的な、例えば昆虫園のような施設でのインストラクターなどを目指す道の方が、より現実的と書いた。

 すると、その発言は、「昆虫写真家」を目指している若者に対して、あまりに厳しい発言ではないか、という感触で受け止められた方もいらっしゃったようだ。
 そこで、もう少し補足的にお話しておく必要があるようにも感じている。 

 そもそも、この頃は、「昆虫写真家」という肩書きそのものが絶滅に瀕している。肩書きなんぞは、どうでも良いではないか、と言えばそれまでだが、業界で消滅しつつある「昆虫写真家」という看板は、今後、どうなっていくのであろうか?
 小学生や中学生という子供達の中で、非常に少ないとは言え、「昆虫写真家」に憧れる子たちも確実におるのであり、その子達にどういう言葉を掛ければ良いだろうか?
 もはや化石になろうとしている私ではあるが、少しは発言しなければ、「昆虫写真」とほざいて稼いでいる(だが収入については期待するなかれ!若者たちよ。好きなことを仕事にできるというのは凄いことなんぞ!)私が、自分の職業案内できなくては、それもまた無責任かもしれんぞなもし! 

 その2、に続く!!

 

 新開 孝

ヘリグロヒメアオシャク?幼虫 2007/01/18(その2)
 アオシャク類の幼虫をコナラの枝で見つけた。

 体は小さく若い幼虫だが、キバラヒメアオシャク幼虫に似ている。ただし本種には背面に突起が並んでおり、おそらくはヘリグロヒメアオシャクの幼虫だろうかと思うが自信は無い。

 アオシャク類の幼虫は、このように冬の間は枝や冬芽に擬態した姿、格好で過ごし、春になって芽吹きが始まれば、摂食を開始して脱皮し、こんどは若芽や葉っぱに擬態し直す。季節の進行に伴い、擬態も衣替えせねば、効果を失うからであろう。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
 新開 孝

タマバチの一種 2007/01/15
 コナラの冬芽で、タマバチの一種が産卵していた(写真上/撮影地は「ぐんま昆虫の森」で、撮影したのは昨日)。
 このタマバチは無翅であるが、翅のある種類もいる。

 タマバチが産卵した結果、春になって芽吹きのころから「虫こぶ」(虫えい)が形成されていく。

 タマバチ類の生態は非常に複雑で、専門書を読んでいても頭が混乱してくるばかりだ。やはり、実際に野外で綿密な観察を自ら行なって理解していくのがいいと思うが、とはいえ、それは決して容易ではない。

 しかもヤドカリタマバチ類というのがいて、こやつは他種のタマバチの「虫こぶ」にちゃっかりと宿る。そこで話は一層ややこしいことになる。

(写真上/E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真下/空堀川、私の住むマンションは画面中央左の白い建物/E-330 14-54ミリズーム)


 今日は、今進めている本作りの打ち合わせで、新井薬師方面へと出向いた。西武池袋線で江古田まで電車、そこからバスという経路は初めてであった。路線区間の運賃はいくらかと思えば、210円だった。私が昔、上京した当時、都内の路線区間料金は120円だったように覚えている。
 バスでゆったりと街中を巡れば、たしかにこの大東京、家と舗装道路ばかりがいつまでもいつまでも、延々と続く。こういう環境にはとても住めんなあ、と私は窒息しそうな気分になったが、こういうゴチャゴチャと人工物ばかりに取り囲まれていないと落ち着けない、という人もけっこうたくさんいるのだろう。

 打ち合わせが終わってからは、歩いてJR中野駅近くの「あおい書店」に立ち寄ってみた。この書店はワンフロアーだが、店舗面積はかなりあって、品揃えが豊富である。しかも私の著書がアウトドアのコーナーに揃って並べてあったりする。すでに古書店以外ではなかなかお目にかかれない、「珍虫の愛虫記」もまだあった。長く売れ残っていても、売れるまでは辛抱強く置いてくれているようだ。この一冊が売れたら、おそらく補充はしないだろうとは思う。

 今日のお目当ては、岩波新書の復刊本「南極越冬記」(西堀栄三郎)と、平凡社ライブラリーの「日本奥地紀行」(イザベラ・バード)であった。
 残念ながら「南極越冬記」は品切れだった。グレッグ・イーガンのSF文庫も欲しかったが、今日はパスした。
 昼食には、以前入ったことのあるラーメン屋を探したが、その店はすでに無かった。めし屋の変遷もほんとうに激しい。

 新開 孝

「ぐんま昆虫の森」を歩く 2007/01/14
 今日は朝から、「ぐんま昆虫の森」に赴いた。

日曜日とは言え、真冬の今頃の入場者数はどうだろうか?と思っていたが、予想以上に来園者が多く、驚いた。

 さて、「昆虫友の会」の餅つき会や役員会の前に、少しだけ昆虫の森を歩いてみた。空はよく晴れ渡っていたが、風がかなり強い。そのぶん、体感気温も低く感じる。

 コナラの梢で見つけたのは、御馴染みのコミミズク幼虫だが、体色が赤い(写真上)。コミミズクの体色には薄緑色や黒色、茶褐色(写真中)とバラエティに富んでいるが、赤い色というのは、どうも見た記憶が無いので、今朝は新鮮に感じた。

 林を歩いていると、昆虫観察会の一行に出会った(写真下)。解説している指導員は若手の方で、遠くからその様子を窺っていると、よく通る声でしっかり解説しているのが聴き取れた。

 昆虫が大好きで、昆虫関係の職に将来はつきたい、と願う若者がいるとすれば、「ぐんま昆虫の森」のような施設への就職という道もある。全国にはたくさん、昆虫園という施設があって、昆虫に詳しくて、やる気のある若者を必要としているはずだ。
 就職となるとそれなりに狭き門となるが、昆虫写真家などという職業に憧れるよりかは、よっぽど現実的である。そこでは目標に向けたそれなりの勉強の仕方があると言えるが、昆虫写真家になるための勉強法という道筋は、残念ながら無い。

(E-500 35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真下/E-330  14-54ミリズーム)


新開 孝

ツマキチョウの越冬蛹 2007/01/12
 写真のツマキチョウ越冬蛹は、一昨年の春に蛹化したもので、今は2回目の冬を迎えていることになる。

 うちのマンションのベランダは西向きで、その先は国有地の草地となっている。その草地は年に二回程度、業者が入って草刈りをするが、春には一面セイヨウカラシナの黄色い花畑となる。
 そのセイヨウカラシナでは、毎年ツマキチョウが発生しており、ベランダから手を伸ばすだけで、ツマキチョウの卵や幼虫を摘み採ることができるのであった。

 昨年はツマキチョウの羽化シーンを撮影すべく、一昨年に飼育をしたのだが、その飼育で得た蛹の一部が昨年の春には羽化しなかった。
 2回目の冬を迎えた蛹たちも、この春には羽化するものと思われるが、この蛹たちの羽化を見ずして、私は宮崎に引っ越しせねばならない。

 しかし、やはりこの蛹たちがほんとうに羽化するのかどうかは確認しておきたい気もして、知り合いのカメラマンに譲り渡す予定である。

(写真上/E-500  マクロ50ミリ)
(写真下/空堀川、E-500  マクロ50ミリ)


新開 孝

越冬袋、ふたたび 2007/01/10
 イチモンジチョウ幼虫の越冬巣は、先週4日に紹介したばかり。

 越冬巣の大きさはほぼ5ミリ程度のものであり、しかも萎れた葉片であるから、回りの環境に溶け込んでしまう。うっかり目を離すと見失ってしまいそうだ(写真上、画面中央)。

 今朝は、誰が見てもわかりやすい越冬巣を撮影しておこうと思い、金網柵に絡んだスイカズラの蔓を見てみた。すると新たに2つの巣が見つかった。
 そのうちの1つは巣の開口部から越冬幼虫の頭が見えており、写真にするには、まさに打ってつけの巣であった(写真下)。

 それにしても、イチモンジチョウ越冬巣は、この狭い範囲のスイカズラでどのくらいの数があるのだろう? かと言って、数調べをしようとは思わないのだが。
 
 少し離れた場所に植えられている、ウグイスカグラでも巣を探してみたが、こちらでは見つからなかった。夏には幼虫がついていたから、ウグイスカグラでも越冬している幼虫がいるはずだ。
 しかし、あまりフィールドをうろついている時間が無い。時間切れとなってそこそこに引き返した。

(写真上/E-500 マクロ35ミリ+1.4倍テレコン)
(写真中/EOS-5D   MP-E65ミリマクロ)
(写真下風景/E-330  14-54ミリズーム)

新開 孝

今日のエリマキアブ(フタスジヒラタアブ)幼虫 2007/01/08
 昨日は、エリマキアブ幼虫の共食いをアップしたが、今日見た幼虫3匹はいずれもおとなしく金網柵の縁に落ち着いていた。

 しかし、そのうちの2匹はまさに異常接近しており、仲良く並んでいるなどとは到底言えない(写真上)。どちらかが迂闊に動けば、共食いに至るのは明らかだ。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真下/中里雑木林 E-500  14-54ミリズーム)

新開 孝

共食い 2007/01/078その2)
 エリマキアブこと、フタスジヒラタアブ幼虫の様子は、ここ数日、散歩がてらに覗いている。

 遊歩道沿いの金網柵には2、3匹の幼虫が見つかっているが、今朝は、食事中の幼虫を見つけた(写真上)。

 獲物が何であるのか、私の興味はそこにあったのだが、すでに獲物の体はほとんど吸血され尽くされ、小さく萎縮していた。
 
 獲物は萎縮しているが、しかしよくよく見れば、獲物の正体はなんとエリマキアブ幼虫そのものではないか。つまり共食いであったのだ(写真下)。

 飽食して体が円筒型に太った捕食者側のエリマキアブ幼虫。その喰った側の幼虫と、喰われてしまった幼虫との位置関係を見ながら、今朝の共食いの現場検証をしてみよう。

 つまり、喰われた側の幼虫は、金網柵の縁に巻きつく姿勢で静止していたのであろう。そこへ、他の幼虫が移動してきて、餌食となった幼虫に辿り着いたものと推測できる。昨日は一日中雨で気温も低かったが、今日は好転して気温も上がったので、幼虫のなかには移動し始めたものもいたということだろう。
 通常ならエリマキアブ幼虫は固着生活を送り、獲物が通りかかるのを待ち伏せしているのだが、この時期、獲物の捕獲率はきわめて低いに違いない。待ち伏せ場所を離れる理由はじゅうぶんにあったと思われる。

 エリマキアブ幼虫同士の共食いを見るのは、今回が3例目であり、彼らにおいてはしばしば共食いが生じるようである。

(E−500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

 新開 孝

落ち葉の下の「呉越同舟」 2007/01/07(その1)
 チョウ類の越冬幼虫の中でも、ゴマダラチョウ幼虫を見つけるのはたいへん易しい。エノキの根際に落ち葉が溜まっていれば、例え都会の中であっても、幼虫はそこそこ見つかる。

 今朝は中里団地に近い柳瀬川沿いのエノキ根際を見てみた。すると一枚の落ち葉に2匹が並んだものがさっそく見つかった(写真中)。

 次に出てきたのは、ワカバグモとムーアシロホシテントウ。まさにこれは「呉越同舟」である(写真下)。

 大きなエノキは何本かあったが、根際の落ち葉がほとんど無いものが多く、ゴマダラ探しはあっけなく幕切れとなった。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真上のみ、14-54ミリズーム)新開 孝

越冬袋とは 2007/01/04
 「福袋」ならぬ「越冬袋」を、今日は少し探してみた。

 近所の中里でスイカズラを眺めながら、5分と掛からずその「越冬袋」(写真上)を探し当てることができた。初めて見るものだが、なるほど!!とすぐに納得がいった。 

 袋を綴じている糸を切って割り開いてみれば、なんとも小さいイチモンジチョウの越冬幼虫の姿があった(写真中/画面右が頭部)。幼虫の体長は4ミリ程度で、頭でっかち。これで3令幼虫である。

 イチモンジチョウの越冬幼虫は、今日初めて見るわけで、これまでずっと宿題としてやり残していた。いや、少しは探してみたことがあるのだが、イメージが掴めないままの探索は、徒労に終わっていた。しかもコミスジ越冬幼虫のイメージに影響されて、余計な遠回りをしていたこともわかった。

 ところが今日は、ふとイメージが湧いたのであった。イチモンジチョウの越冬場所というイメージが。そこでそのイメージに素直に従ってスイカズラを見てみれば、たちまちに数個の「越冬袋」が見つかったのであった。
 「越冬袋」は風で吹き飛ばされないように、糸束でもってしっかりと茎に繋ぎ止められている(写真下)。

 こうしてイチモンジチョウの越冬幼虫を撮影してから、保育社の『原色日本蝶類生態図鑑U』を開いてみれば、「幼虫は基部に残された葉片を左右から閉じて袋状の越冬巣を造り、その中で越冬する。」と記載があるではないか。この記載をきちんと読んでおれば遠回りもせずに済んだはずだが、、、、、、。

(写真上/E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
(写真中、下/EOSキッスデジタルN  MP-E65ミリ)


新開 孝

「ひょうたん島」はどこへ行く? 2007/01/03
 樹皮がボロボロになっているクリの朽ち木があった。シロアリが食害したあとの空洞ができていて、そこから下った地下にはトビイロケアリが営巣している。

 崩れかかった樹皮をはがしてみると、多数の「ひょうたん島」が見つかった。その「ひょうたん島」を並べてみると(写真上)、サイズはほぼ大小二つに分かれている。

 さて、真冬の今、トビイロケアリの行列は見当たらない。しかし、少し季節を遡れば、「ひょうたん島」が集まっていた朽ち木空洞内は常にアリでひしめいていたはずである。
 じつは「ひょうたん島」は、常にそうしたアリ達の行き交う空間で見つかる。

 「ひょうたん島」の正体は、こうして白紙の上に放置しておくと、数分で判明する(写真中)。まるでヤドカリのように移動し始めるのである。

 「ひょうたん島」は、膨らみをもった薄皮状のものが、ちょうど二枚貝のように合わさった構造となっていて、その蓑の中には幼虫が一匹、納まっている(写真下)。
 ひょうたん中央のくびれた部分2箇所が糸束で綴じ合わせてあり、それ以外の外周縁はぴたりと合わさっているだけである。したがって、親指と人差し指でひょうたんのくびれ部分に力を加えるだけで、パコンッと大きく口を開き、中の幼虫を覗き見る事が出来る。二枚貝と大きく違うのは、蝶番が2箇所にあることだが、
2箇所できっちりと合わさってはいるが、貝殻にあたる部分はとても柔軟な構造となっている。

 中の幼虫は、体の前部分の頭胸部だけを外に突き出し、胸脚や口を使って支持部を掴むと、そこを支点にして蓑ごと体後半部を引っ張る。これを繰り返して移動する。
 幼虫の体はしなやかであり、狭い蓑内で体の向きを反転させることができる。つまり反対側から頭を突き出せば、蓑の向きを変えなくても後退できるわけである。これは朽ち木の狭い隙間で移動する際に役立つ機能といえるだろう。
 (ちなみにミノムシもあの狭い蓑の中で体を反転でき、蓑の上下のどちらからも頭を出せる。)
 
 「ひょうたん島」つまり本種は、ヒロズコガ科に属する蛾の一種で、和名を「マダラマルハヒロズコガ」という。ヒロズコガ科はミノガ科に近縁なグループであり、形こそ異なるが、なるほど幼虫が蓑の中に隠れている点ではミノムシに似通っているとも言える。
 それにしてもマダラマルハヒロズコガという名前はどうにも長い。「ひょうたん島」などという愛称もあって、いいのではないか。

 さて、アリと関わる本種の幼虫が、まさにアリそのものを糧としている、ということが解明されて公表されたのはつい数年前のこと。
 これまでの蛾類図鑑を開くと、「本種の幼虫は朽ち木などを食す」とある。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)新開 孝
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