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拾いものコレクション 2007/01/02
 3月末の引っ越しの日取りも決まったことだし、何かにつけ部屋のあちこちを整理する日々となっている。

 私の所有する昆虫標本は微々たるもので、桐箱で10箱程度。標本を作る楽しみや必要性は知っていても、できるだけ標本の数は増やさないように心がけてきた。それは保管場所の限界があるからだし、また必要以上に増やしても管理が行き届かなくなる。

 昆虫標本は原則として、採集データのラベルなどと一緒に昆虫針で留めて整理する。単に装飾用として眺めるならそれでもいいが、データの無い標本は無価値に等しい。また標本の細部を調べる上でも、針刺しにしておくほうが都合がいいわけだ。

 そういった主に成虫の昆虫標本とは別に、撮影の仕事上、いろいろな脱け殻とか卵の殻とか、繭殻とかが、手元に残る。フィールドで拾った死骸やら、脱け殻なども、妙に欲しくなって持ち帰ったり、いずれ仕事で必要になるだろうと思って大事にしまっていたりする。
 いわば拾い物に近いコレクションが、いつのまにか増えてしまう。

 こうしたコレクションは、入手した段階で手近にある適当なケース類に納め、これはどうしても大事、という物件については昆虫標本と同じようにデータを書き込んだラベルを添えておく
 
 今日はそれらのうちのごく一部をカタログとして撮影してみた(写真上)。

 このなかで、ヤママユの繭殻は大きく壁を切り開いたものが目に入った(写真中)。繭の中の蛹が見えているが、その頭部には大きな穴が開いている。じつはこの物件は、コンボウアメバチという大きな寄生バチの羽脱シーンを撮影しようとして、繭壁を取り外したものだ。撮影したのは10年くらい前のことで、とても懐かしい。
 当時は、ヤママユの本を作るための撮影に没頭していた頃だが、ヤママユの羽化の瞬間というのは繭の中で行なわれるので、その繭の内部の羽化を写真にしようとしていた。その撮影そのものには成功したが、出来上がった写真は面白くなくて、結局、ボツとなった。

 タマムシは、死骸をよく拾う。近場の雑木林では、ほとんど生きたタマムシの成虫を見る機会はなくても、ころがっている死骸には必ず毎年、出会った(写真下)。ある場所で、ある昆虫がいるかいないか、という結論は簡単には下せないのであり、姿を見ないからというのは、いないという理由には全くならない。が、案外そのような基本的なことの認識を、きちんと把握している人は少ないのかもしれない。

 ともあれ拾い物コレクションを並べてみれば、過去のフィールド経験や撮影の現場での出来事、撮影意図など、さまざまな想い出が蘇ってくる。


(E-330 14-54ミリズーム)新開 孝

平成19年 謹賀新年 2007/01/01(その1)
 あけまして おめでとうございます。

『新開孝の昆虫写真工房』も、4回目の元旦を迎えました。
そして、武蔵野のフィールドから発信してきた『昆虫ある記』の更新も、そろそろ終わりに近付いてきました。
 
 四国の愛媛、松山から上京した当初は、武蔵野の雑木林への憧れが強かったものです。そして24年間、武蔵野台地の自然を実際に歩いてみて、ここでは憧れ以上の素晴らしい自然を自分なりに発見できたと思っています。
 その憧れのきっかけを得たのは、さまざまな自然書でした。何冊もの本の中から汲み取った情報は、私の想像力を大いにかき立ててくれました。そして、いつの日か、今度は私自身の力で、多くの方々にそういった自然への興味をかき立てることのできるような、本作りをしたい、そう思うようになりました。

 自然とはいっても私が体感できたものは、「虫のふしぎ」を見つめていく過程で得たものです。虫という生き物を通して、自然というものを理解しようとしたに過ぎません。
 しかし、虫は、昆虫は、さまざまな自然と深く関係しながら生きています。虫を知ろうとする努力は、自然を広く理解しようという姿勢にも近付いていくはずです。

 武蔵野のフィールドを巡りながら、私なりに体験できた昆虫世界を、これまでに数冊の本にまとめたり、講演でお話ししたり、あるいは自然観察会の場で、参加者の方達とともに体験したりと、私は「昆虫写真家」稼業を営んできました。

 24年間、武蔵野での生活を送ってきて、ここ数年前から、一つの節目を迎えたことを強く実感してきました。それは武蔵野の環境の変化というのが一番大きいのですが、もう一つには私自身の内面に関わる変化も大きいと思っています。

 私の気持ちが徐々に変化するなかで、2004年、2005年と2年の間に九州の地へ何度も足を運んだことが、私にとっての節目を明解にする決定的な出来事でありました。

 東京で暮らすのも、いずれ家族ができたら終止符を打って地方へ移転しよう。そういう考えはずっと前からありました。それを実行に移すのは、現実的にはたいへん難しく、あれよあれよというまに11年が経ってしまいました。
 
 しかし、いよいよ機は熟しました。
 新たな地で、私はこれまでと変わらず昆虫写真家としての視線で自然と向き合っていきます。
 
 宮崎での生活のスタートは、ちょうど今年の4月1日からとなります。

(写真/ゴマダラチョウ越冬幼虫の顔  E-500 35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

 

 新開 孝

トホシテントウの越冬幼虫 2007/01/01(その2)
 ゴマダラチョウの越冬幼虫をエノキの根際で探していたら、トホシテントウの幼虫も見つかった。

 トホシテントウの幼虫は、カラスウリやアレチウリの葉っぱを食べている姿が、秋遅くまで見られるが、その後の足取りをこれまで掴めてなかった。落ち葉の下で冬越しするとは図鑑類にも載っているが、自分の目で確認できたことはなかった。

 まさにゴマダラチョウ幼虫探しの副産物ではあったが、トホシテントウ幼虫の越冬する姿を初めて撮影できた。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)新開 孝

シルクロードを辿る日々とは 2006/12/31
 中里の林に面した金網柵に先日見つけた、エリマキアブ幼虫(フタスジヒラタアブ)を再度、見に行ってみた。

 金網柵の縁に巻き付く格好の幼虫のそばには、餌食となった残骸がぶら下がっていた(写真上)。その残骸はよく見れば、徘徊性のハエトリグモ類の一種であろうと思える。クモには成体で冬を越すものも多く、なおかつ寒さに強い種類が多くいて、そういうクモたちがエリマキアブの格好の餌となるのである。

 フタスジヒラタアブ幼虫に対して、エリマキアブという名称を私が付けた理由は、この幼虫たちが細枝に巻き付くような格好でよく見つかるからであった(写真中)。その奇異な姿はずいぶんと以前から目にしていたが、なぜそのような姿勢で枝に留まっているのかという疑問に対しての答えは、なかなかに掴めなかったのであった。

 フタスジヒラタアブ幼虫が枝に巻き付くのは、そこを通り掛かる獲物を捕らえるための体をはった罠であったのだ。歩行移動する小昆虫やクモなどは、枝伝いに歩くうちに、このエリマキアブトラップを嫌でも踏みつけていくわけであり、そうなると瞬時に襟巻きがほどけて、跳ねるようにして獲物をくわえるのである。獲物が掛かるまでは枝と一体となって固着姿勢をとっていたフタスジヒラタアブ幼虫は、ここぞという瞬間に獲物を捕らえると、その獲物を高々と空中に持ち上げるのである。

 空中に獲物を抱え上げる理由とは、獲物が逃げようとする反撃力を、その足場を奪うことによって、無力化するという効果がある。

 さて、では枝ではなく、金網柵の縁に留まるエリマキアブ幼虫の行動は、いささか不可解と思われる方もいることだろう。
 
 その答えについて、私なりに納得していることを説明しておこう。

 まず、金網柵の平面部ではなく、ほとんどが縁の部分に体を曲げて静止していることからも、彼らが落ち着く場所というのは、ある程度の曲率をもった箇所を選んでいるのであろうと推測できる。幼虫にとって、それは擬似的に枝なのであろう。

 さらに写真下を見ていただきたい。少しわかりづらいかもしれないが、金網柵の縁には無数の糸が付着している。これはクモやあるいは蛾、チョウ類の幼虫が歩くときに残した糸の道、つまりはシルクロードなのである。
 金網柵というのはあらゆる昆虫たちの移動に利用されているが、なかでも特に、クモやイモムシたちの辿った痕というのは、シルクロードとして、明確な痕跡として残っているのである。

 ならば、エリマキアブ幼虫たちが、何喰わぬ顔でそこに留まっている理由は明解となる。そのシルクロードを彼らははっきりと感知しているのではないか、と思われるのである。獲物たちの気配を察知するには、これほどまでに確実な痕跡が他にあるであろうか?

 (写真上、下/EOSキッスデジタルN  シグマ50ミリマクロ)
 (写真中/EOSキッスデジタルN  MP-Eマクロ65ミリ)


新開 孝

ぬけがら 2006/12/30
 マンション裏の草地に出てすぐに、白い脱け殻が目に入った。ヤマブキの植え込みに混じって生えているエノキの小木に、ぶら下がっていた。その脱け殻とはゴマダラチョウの蛹の殻である。

 エノキの実は鳥の餌となり、そしてあちこちで糞と一緒に種子がまき散らされる。エノキの種子の萌芽力はかなりたくましいようで、実生の小木は近所を散歩すれば数え切れないほど見つかる。

 そうしたエノキの実生木であっても、ゴマダラチョウの幼虫がちゃんと育つだけの葉っぱを提供できるようである。都会でも生きのびるたくましさは、まさにこの繁殖力からくるものかもしれない。もっとも成虫の餌資源をどこで確保し得ているのか、今ひとつ見えてこないのだが、、、。ペットブームによる犬の糞も一役買っているのだろうか?あるいは人の食生活から排出される、膨大な食品の廃棄物なども関係しているのかもしれない。
 チョウの餌は、花の蜜くらいしか思いつかない多くの方々からすれば、まさか残飯がチョウの餌?と不思議に感じるだろうけど、、、。

 (E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

新開 孝

カブトムシのプレゼント 2006/12/29
 今日は午後から久しぶりに雑木林を歩いてみた。冷たい風が強く、いかにも冬らしい一日だった。

 昨日は午後5時になって、来春出版本一冊の原稿書きを終えたばかりで、早く外を歩いてみたいと思っていた。しかし、今朝はまだ書き上げた原稿のチェックと手直し作業に掛かり切りとなってしまった。
 私が原稿を書くのはいつも明るい昼間と決めていて、朝の8時ころから午後5時まで室内にこもりっきりでパソコンに向う。原則として、夜は飲んでいるのが私の日常の生活である。

 さて、前々からある方と約束していたカブトムシの幼虫を一匹だけだが採集した。幼虫の腹部を見ると、オスであることがわかる。あと追加して5匹もあればいいでしょうかねえ? 

 中里の金網柵では、「エリマキアブ幼虫」を2匹、見つけた(写真下)。写真の幼虫はたらふく獲物を吸血したばかりのようで、体が円筒型に膨らんでいるのがわかる。
 この冬の時期に獲物がいるとは、通常なら考えにくいことだろうが、冬の雑木林にはシャクガ類のイモムシやクモ類が無数にいて、エリマキアブの餌には事欠かないようである。
 エリマキアブとはずいぶんといい加減な呼び名だが、正式な和名は「フタスジヒラタアブ」である。

(E-500  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)
 新開 孝

アリジゴク 2006/12/24
 今朝は急遽、アリジゴクを撮影に出掛けた。
 場所は埼玉県の多福寺である(写真上、中)。

 児童書の図鑑で使う写真の依頼があり、その中でも手持ちカットに無かった1枚の写真を撮り足す必要があった。誰でも知っている通り、アリジゴクは、ウスバカゲロウの幼虫が作った巣穴で、まさに落とし穴式の罠である。

 私も小学生の頃にはすり鉢状の巣穴に憧れたし、不思議な姿のウスバカゲロウ幼虫を欲しいと思い続けていた。しかし、どこをどう探せばいいのかよくわからなかった。小学生のころの私は、昆虫少年にはほど遠い自然音痴で、さらに内向的な性格でもあり、アリジゴクを見せてくれた同級生から居場所をきちんと聞き出す事もできなかった。もっとも記憶は定かでないが、その友人が居場所を秘密にしていた可能性は高い。
 タイムマシンさえあれば、今から40年前にタイムスリップして、あちこちで
アリジゴクを過去の自分に見つけてやれるに違いないと思ったりする。40年も前の松山市の住居近辺なら、アリジゴクは無数にあったことだろう。

 さて、ウスバカゲロウ幼虫は夏に卵からふ化したあと、少しづつ成長してふた冬を越して2年目の6月ころから成虫へと羽化する場合と、あるいは、さらにもう一冬を越してから羽化するものもいる。なにせ待ち伏せ型の罠で餌を得るわけだから、何日も餌にありつけなかったり、いやヒドいときには数週間ものあいだ絶食を余儀なくされるケースも珍しくない。
 幼虫にはそういった食料事情の個体差がはなはだしく、同じ時期にふ化しても成長速度にはかなりのバラツキが生じても当然なわけである。幼虫期間は2〜4年間といわれている。
 
 したがって、今の時期でも幼虫を見つける事は容易い。さすがに夏場の時期に比べるとアリジゴクの巣穴の数は減っており、コロニーの全景カットなどの撮影には無理があるが、幼虫だけを見つけるには何の苦労もいらない。
 
 今日たまたま掘り出した2匹の幼虫のうち、一匹はあまり餌を取れていないようで、頭でっかちの痩せた姿をしていた(写真下)。仕事に使った幼虫はもう一匹のほうであるが、このやせ細った幼虫のほうが、体の特徴をつかみ易い。

(写真上、中/E-330 14-54ミリズーム)
(写真下/EOSキッスデジタルN  MP-E65ミリマクロ) 

 
新開 孝

冬のハラビロカマキリ 2006/12/22
 昨日のお昼過ぎ頃、近所でハラビロカマキリのメスを見つけた。

 最初は、枝にすがったまま死んでいるのだろうと思った。実際、ハラビロカマキリのメスは、生きていたときの格好のまま梢などで息絶えていることが多いからだ。
 しかし指先で体に触れてみると、そのハラビロカマキリは元気に動き出したのであった。まだお腹の膨らみもあって卵を抱えているのではないかと思われた。

 この冬は暖冬と言われているが、そのせいかどうかはともかく、本来ならとっくに産卵を終えて、成虫の寿命は尽きている時期にもかかわらず、このハラビロカマキリのメスはまだ生きている。
 ハラビロカマキリの発生期がだらだらと長く続いたせいかもしれないが、このメスの羽化はかなり遅かったのであろう。
 
(E-330 魚眼8ミリ/写真は12/21に撮影したもの )

『師走の迷走』

 先日19日は、OLYMPUSのプロサポートの部署で催された忘年会に出てみた。
 プロカメラマンの方がたくさん集まり、著名な方の顔ぶれも多い。OLYMPUSのフォーサーズ、Eシステムに対する評価の高さを物語っているのだろう。
 私はこういう人が大勢集まる場所はただでさえ苦手であり、面識のある方も3人くらいしかおらず、最初は躊躇していたのだが、一年に一回程度しか会えない方もいらっしゃるので、少しだけ顔を出す事にした。
 
OLYMPUSのフラッグシップカメラとしてのE-1が発売されてから、次期後継機の登場がかなり遅れている。他社が主力デジタル一眼レフカメラの性能を向上させながら新機種を着々と発売しているのに、OLYMPUSは一歩も二歩も遅れてしまっている。
 最近になってようやくOLYMPUSから新型後継機が来年には出るとのアナウンスが流れてはいるが、まだそのカメラの実態は隠されたままである。会場ではもしかしたらある程度詳しい情報を聞けるかもしれない、そう期待してみたが、凄いカメラが来年には発売になる、というこれまでの発表と内容は変わらぬものであった。アクリルケースに入ったコンセプトモックアップも置いてあったが、これは眺めても意味がまったく無い。すこしがっかり。
 ともかくも来年のいつ頃になるかわからないが、E-1後継機の登場には大いに期待したいと思う。
 欧州限定で発売されたE-400も会場にあって触る事もできたが、私個人としては超小型軽量というE-400にはまるで興味が湧かない。カメラの大きさはすでにE-500で充分小さくなっている。それ以上に小さくなっても操作性の点では扱いにくいだけでメリットを感じない。

 さて小川町の忘年会会場を8時には切り上げ、池袋へと場所を移して今度は編集者の方とお話をした。聞けば編集者の方の年齢は私よりか5歳下であり、仕事の現場周辺では段々と自分よりか若い方が多くなってきた。それだけ自分が歳とったわけだと、しみじみ感じる。
 駅から近い居酒屋で話し込んでいるうちにラストオーダーの時刻となり、うちに戻ったのが深夜零時を過ぎていた。いつもは少なくとも10時前に就寝しているから、体もびっくりしていることだろう。

 今年の暮れは本の原稿書きや写真展の下準備などできわめて過剰スケジュールとなっており、その上に来年の引っ越しにむけての準備も少しづつ進めなければならない。だから飲み歩いている場合ではないが、ときには息抜きも必要だろう。
 きわめて忙しいことを踏まえて、年賀状は例年よりか早めに仕上げてすでに投函まで済ませた。年賀ハガキはいつものように自家製プリントだ。
 ガチャン、ガチャンと印刷を続けているうちに、うちのプリンターもそろそろ調子が悪くなってもおかしくないところまで使い込んでいることにハタと気付いた。そういえば2年前の冬には調子を崩して一度メーカー送りとなったほど。
 ならばいっそのこと、年賀ハガキ印刷を最後の仕事として、このまま完全に壊れてくれたら、引っ越し荷物を一つ減らせる!それもいいかと思ったりした。
 
 が、しかし、事はそううまくはいかない。
 来年3月開催する写真展では、自家製プリントを使う予定。その大仕事が控えていることを一瞬、忘れるところだった。そうなると、今度は新たな心配を抱え込むことになる。A3サイズを100枚以上もプリント出力する作業を行なえば、プリンターがいつ不調になってもおかしくはないだろう。
 私の使っているプリンターはエプソンのPM-4000PXという機種で、すでに型は旧い。このプリンターがもしも不調となって出力作業ができなくなった場合、修理に出しているとプリント提出期限には間に合わないのも確実。だからもし今度、修理が必要となった場合には、プリンターは買い替えることを覚悟している。
 その場合には当然ながら新型機種に乗り換えるつもりだから、残ったインクは使えなくなる。誰かPM-4000PXを使っている方がいれば、その方に差し上げたいと思う。

 さて、写真データの緊急バックアップ作業も、このところの忙しさのため、一時中断している。DVDメディアに焼き込む作業は、たいへん手間暇が掛かるからだ。そこである方からのアドバイスもいただき、とりあえずは数基のHDDに分散化してバックアップすることにして、DVDメディアへの書き込みは時間ができたときにコツコツと継続することとした。ハードディスク恐怖症に落ち入った私としては、もう二度とHDDなんぞには頼らないぞ!と決めかかっていたのだが、時間とコストを考えると、現実的にはやはりHDDに立ち戻るしかないのであった。

新開 孝

クモの図鑑 2006/12/17
 今朝、新刊『ネイチャーガイド 日本のクモ』新海栄一著(文一総合出版)が届いた。

 待ちに待ったクモの図鑑で、掲載種数は565種にもなり(A5判/336頁)、現在国内で刊行されているクモ図鑑のなかでは最大種数である。写真はすべて野外で撮影された生態写真で構成されている(ちなみに日本で記録されているクモは約1400種とある)。
 じつはこの図鑑には私が撮影した写真が一枚だけ入っている。10年も前に屋久島で撮影したオオスミコガネグモのメスの写真である。

 オオスミコガネグモは初めて見るクモだったので、撮影した当時はたいへんびっくりした。大型種でありながら手元の図鑑には掲載されておらず、さっそく新海栄一さんに写真を送って同定していただいた。すると極めて希少種ということで、撮影場所などを詳しく新海さんにお伝えした記憶がある。
 
 オオスミコガネグモは鹿児島県の大隅半島南部にも分布しているので、来年には宮崎の新居から少し足を伸ばせば、その生息地を訪れることもできる。もちろんオオスミコガネグモは希少種でもあり簡単には見つからないだろうと思うが、機会があればもっときちんと撮影し直しておきたい。
 そういえばこの秋に宮崎を訪れた際に気付いたのだが、あちらではたいへんジョロウグモが多かったのが印象的だった。その密度の濃さの凄さは、こちら関東では体験したことがないので、ほんとうに驚いた。
 また前にも書いたが、宮崎の私の新居の敷地内にはコガネグモがたいへん多かった。鹿児島地方で行なわれる「クモ合戦」はこのコガネグモを使うそうだ。

 
新開 孝

ふるさと、松山とは 2006/12/15
 私が愛媛県、松山市に生まれたことはプロフィールにも書いてあるとおりで,
地元の大学を卒業してからも半年間ほどは松山にいたので、(さらに一浪もしているので)24年間はその生まれ故郷でずっと生活していたことになる。

 さて、年に数回、松山の実家からいろいろな食材の宅配便が届くが、今夜は実家の畑で採れた里芋などとともに、私のリクエストで写真の「削りぶし」「磯じまん」「おでんみそ」を久しぶりに加えてもらった。

 「削りぶし」はいわゆる「花かつお」で、これは出汁として調理に使うのではなく、冷や奴にのせたり、熱々のご飯にのっけて食べるときのもので、醤油を垂らせば、もうそれだけで立派なおかずの一品となる。この削りぶしの味わいをどうしても東京では見出せず、幼い頃から松山で食べ親しんだ味に落ち着く。
 また海苔の佃煮も「磯じまん」でしかあり得ず、おでんの辛しは、辛しではなく「辛しみそ」でないとダメなのである。こういうローカルな味はすっかり体に染み込んでしまっており、やはり私はどこまでも関西の人間なのであろう、と思うしかない。四国は関西のなかでもまた異質かな?

 ならばどうして新居の先が松山でなく、宮崎なのか?という質問はすでに多く耳にしている。それは当然のことだが、宮崎に新しい仕事場を選んだ理由を説明するには少し長くなるので、またの機会ということで、ここではとりあえず割愛しておこう。
 ただ、こういった食へのこだわりからも、私が東日本以北で永く暮らすという可能性が薄かったのだけは確かである。

(E-330  ズイコーデジタル14-54ミリズーム)


 新開 孝

生き物は、変わっていくもの 2006/12/14
 先週あたりから、下の子供(小学1年生)の登校に途中まで付き合って一緒に歩いている。

 7歳という年頃に限らずだろうが、この年齢の子らは自分の体調や、あるいは思いなどを、親に対しても素直に言葉で表現できないことが間々ある。
 「うじうじ言ってないで、ちゃんと言葉で言ってよ!」とついつい叱ったりもするが、そういう理屈が通じる相手ではない。親が叱ると、子供は悲しくなるだけのようだ。ますます殻に閉じこもって、コミュニケートを断ってしまう。

 風邪で体調が思わしくなかった先週の朝、登校をしぶっていた下の子供の先に立って途中まで見送った日があった。それ以来、毎朝、私は子供と共に歩くことになったのである。子供が登校拒否に落ち入ったわけではないが、なんとなくそうすることが小さな習慣になっているだけのことである。手持ち無沙汰なので、ついついカメラをぶら下げて歩くことにもなった。

 歩くコースは、うちを出た辺りがちょうど空堀川の「梅坂橋」で、川に沿って下流までいくと「三郷橋」を渡ることになる。この「三郷橋」を渡り切ったところで、子供と別れていつもの空堀川、遊歩道を引き返して「梅坂橋」へと戻る。
 ゆっくり歩いても15分程度の道のりであり、午前8時にうちを出れば、家に戻ってNHK TVドラマ「芋たこなんきん」をギリギリ観ることもできる。おそらくこの小さな習慣もいずれどちらかが飽きるか、忘れ去ってしまうとは思うが、、。
 しかし朝のちょっとした散歩のおかげで、今まで見落としていたコナラの紅葉を見つけることもできた(写真)。あまり鮮やかではないが、たしかに黄色葉となっている。前に武蔵野低地の雑木林の秋の色付きが、近年になって良くないと書いたが、一本一本の樹を見ていけば、稀にちゃんと紅葉する樹も見つかるのである。

 紅葉の色付きの変化は、直感的には環境の変化と捉えていいのではないか、と感じている。環境の何が変わったのか、それはたいへん難しい問題だが、人間の社会活動がもたらした変化であることは間違いないだろう。

 人間の活動によって環境が変わるのは、しかしそのテンポや規模の違いはあっても、かなりの大昔からあった。さらには、人がいじくらなくても環境はどんどん変わっていくものでもある。
 生物が変わるべくして変わってきた「進化」のように、その生物が構成する生物環境もまた変わっていくのが宿命のようだ。

 で、環境問題という視点でいろいろ考え事をしているときに、先日こんな本をたまたま見つけて読んでみた。
 
 『環境問題のウソ』池田清彦(ちくまプリマー新書)

 アメリカザリガニや、ブラックバスなどの外来生物についての論考は、たいへんわかりやすく、これまで悶々としていたことが私なりにもかなり整理できたように思われた。他にも地球温暖化やダイオキシンの問題についても、これまでマスコミで騒がれたウソを批判した視点で語られており、とても参考になった。

 (E−330  ズイコーデジタルズーム14-54ミリ)
 

 新開 孝

ふたたび昆虫観察会 2006/12/12
 昨日と同じ保育園の園児たち16人と「なかよし広場」という雑木林に出掛けた。午前中はなんとか天候が持ち堪えてくれた。

 園児たちは5歳ということで、また一段と可愛い。そして元気だ。見るもの、見つけたもの、あればすぐに私を呼んでくれる。ひとつひとつ解説するよりか、皆のもとへ駆けつけるのが忙しいほど。

 今日はエノキの根元の落ち葉から、ゴマダラチョウの越冬幼虫を見つけてみた。幼虫の顔はとても小さいので、写真に撮ってから拡大して皆に観てもらった。
 すると「かわいい!!」「コアラみたい!!」との声が次々とあがり、コアラかあ、なるほどと思った。

 昨日のコガタスズメバチ女王がまた見つかったので、お尻の毒針を観てもらった。ピンセットでつまんでいると、数人の子は背中を触ってみては、ちょっと恐そうにしていた。こんな機会でもないと生きたスズメバチの体の感触を体験することなどないだろう。
 一人の男の子が、ヘラクヌギカメムシのオスを見つけた。ササの葉にとまっていて見づらいのに、よく気がついたと感心する。「においを嗅いでごらん」と声をかけると、さっそく実行した男の子は顔を歪めていた。おそらく産まれて初めての経験だったのだろう。

 私にとって、今日が東京での最後の観察会となった。

 (E-500   マクロ35ミリ+1.4倍テレコン)新開 孝

子供たちと冬の昆虫観察会 2006/12/11(その1)
 近所の保育園の年長組の園児たちと一緒に、雑木林に出掛けてみた。午前中の1時間ほどだが、林の中を自由に歩けるので子供達はみんな楽しそうに虫探しをできた(写真上)。
 ここの保育園では私の子供たちもお世話になったが、以前、保育参観のときに散歩がてら昆虫観察をしたことがある。そのときも季節は晩秋か冬であったと思う。

 今日は、コナラで産卵するヘラクヌギカメムシのメスやそのゼリーのような卵、コクワガタの幼虫、ヒゲジロハサミムシ、ハイイロチョッキリの幼虫(写真下)などが見つかった。コゲラの巣穴を見ながら朽ち木のお話をしたり、イイギリ、ヤツデ、などの樹の葉っぱで遊んでみたりした。
 コクワガタ幼虫の入っていた朽ち木では、コガタスズメバチの女王も見つかって、子供達は恐がったりもしたが、たいへん興奮していたようだ。

 「しんかい たくみ君のおとうさん!!こっちになんかいるよ!」今日は子供達にそう呼ばれて、とても懐かしい気分で観察会を過ごす事が出来た。

 明日は一つ年下の組の子供たちと虫探しをする予定。

(写真上/E-330 ズイコーデジタル7-14ミリズーム)
(写真下/E-500 マクロ35ミリ+1.4倍テレコン)

 
 

 新開 孝

アカスジキンカメムシ幼虫 2006/12/11(その2)
 昨夜は中里の林で少しだけフユシャクを探してみた。とくにクロスジフユエダシャクの交尾つがいを見つけようと思ったのだが、時間帯も少し早めだったからか歩いているメスを一匹、見ただけであった。

 暗い林のなかでウロウロしていると、林の外からしきりと懐中電灯でこちらを窺っている人がいた。犬の散歩に来た方だが、どうやら私の素行がとても怪しいと感じたらしい。まあ、無理はないだろう。そこで、事情を話してみたが、話だけではすぐに納得されなかったようだ。
 「その虫、見せてよ」とおっしゃるので、林の中まで来てもらい、クロスジフユエダシャクのメスを近くで見てもらったのである。なにさまこのメスは小さいうえに、コナラの幹に姿が紛れてしまいわかりづらい。顔をすり寄せるようにでもしない限り、普通の方には目に入らないのだ。
 
 「いやあ!こんなのがいるんだねえ!」
 ようやく、私の素性もわかり、虫の正体も知ってもらうことができたのだが、暗い林のなかで、お互いの顔もよくわからないまま、冬尺蛾の生活を私は怒濤のごとく語っていた。

 というような昨夜のことを思い出しながら、今日の昼間の林ではアカスジキンカメムシの幼虫を見つけた。本種は落ち葉の下などで幼虫越冬するのだが、陽気がいいせいか、なにか越冬場所に不都合でもあったのか、ウロウロしていたようだ。

(E-330 ズイコーデジタル14-54ミリズーム)


 今日は、これまで連日おこなってきた写真データのバックアップ作業を一旦休止した。買い置きしてあったDVDメディアが底をついたからで、近所の家電店ではこちらの欲しい製品が在庫切れしていたのである。格安の怪しいのはたくさん山積みしているが、、、。

 どうやら都内の大手のパソコン売り場に出ない限り、望みのDVDメディアを必要な数だけ手に入れるのは無理のようだ。250GBのHDD一台からバックアップをとるには、4.7GBのDVDメディアだと単純に計算しても60枚程度は必要だし、2枚づつ焼くから実際には120枚!も買い備えておかなければならない。

  新開 孝
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